ホムンクルスはフラスコの外の夢を見るか   作:和尚我津

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ホムンクルスはフラスコの外の夢を見るか

「貴重なお話、ありがとうございました。どうか、このまま何事も起こすことなく過ごされることを祈っています」

「君たちの糧になったというのなら、なにより。君の父君にもよろしく伝えておいてくれ。次に会う時はまともな茶を煎れることを誓おう」

 

 

 夜は明けた。いつもと変わらぬ朝日だというのに全く別の物に感じるのは、己が足場すら崩されるような事実の数々を受け止めたせいだろうか。

 とはいえ話は終わった以上、アルフォンスとメイが長居する理由はなくなった。

 彼らは靴を履いて、見送りに来たテセウスに向きなおる。

 いや、アルフォンスに至ってはもはや敵を前にしているかのような、妙な気迫を持ってテセウスに対峙していた。

 

「ありがとうございます。こちらの兄さんに影響がないということが分かってよかったです」

「ふむ。礼は不要だ。君がこれから為そうとしていることの困難さを思えば、これくらいの助力は当然だ」

 場に奇妙な沈黙が落ちる。メイが意を決して口を開くまで、その状態は続いていた。

 男たちが語る内容も、その沈黙の重みも、彼女には計り知れぬものだった。ただ一礼し、彼らはセンニンの元を去っていく。

 

「あ、あの……アルフォンス様?」

「ん? どうしたの、メイ?」

 無言のまま進む中しばし、メイは声を掛けた。

 呼びかけに答えた声は、穏やかで、どこまでも優しかった。けれどその横顔には、どこか遠くを見つめるような影が差している。

 しかして、言葉を返すアルフォンスの気配は、彼女が良く知るものであった。

 

「何か……気になることがあったのでは?」

「大丈夫。もう、聞くべきことは聞けたよ」

 

 何でもないかのように笑うその横顔を、メイは知らない。

 だが彼が纏う気配は良く知っている。

 それは彼が己の魂を兄に託したときと同じ、決意を抱えた気配。兄の右腕を取り返したときの、文字通り魂すら擲った時の覚悟と、同じであった。

 

 

 

「おや。仙人さんじゃないの。アンタがこんな所まで来るたぁ、明日は雨が降るんじゃないのかい?」

「中々鋭いな。風向きと湿度、気温の推移からすればその可能性は高い。どこかで気象学でも学んでいたのか?」

「そういう意味じゃあねえんだけどよ、まあいいや。なんぞ用向きがあんのかい?」

 軽口を叩く店主の顔に、テセウスは特段の感情も見せず頷いた。

 

「ああ。茶葉を買いたい」

「はっ! こりゃ傑作だ! 仙人と言えど霞を喰うのも遂に飽きたのか? 遂に人間に戻ることを決めたみてぇだな! コイツはめでてぇ! どんな茶が好みだい?」

「皆そう言うが生憎私は霞を食べた記憶などはないし、人間に戻ることもできない。そして茶は私が飲むわけではない。あくまで来客用だ」

「なんでぇツマンネェの。折角買うってんならちゃんと自分でも飲めよなー……ほれ。仙人さんのお客サマっていうならこれくらいが妥当ってもんでしょ。ちょうど良いところの高級品だ。初めての来店ってことで、釣銭なしのポッキリ価格だ」

 

 店主は軽口を叩きながらも手早く茶葉を見繕いテセウスに売りつける。請求金額はシン国の最高貨幣1枚分。適正価格の上限ギリギリである。ただの茶葉と考えるなら随分と高い買い物となるが、しかしテセウスはそんなことを気にすることなくアッサリと支払いを済ませる。機を見て敏とす。店主の商売っ気がかくも逞しい。

 

 両者とも満足をして、どちらにも損が生まれていない。

 これこそが『等価交換』である。

 

 手渡された茶葉の包みをひとしきり眺めた後、テセウスはふと懐を探る。

「店主。すまないが先ほどの硬貨をこちらと取り換えてくれないか?」

 

 そう言って差し出したのは……先ほど支払いに使ったものと同じ硬貨。象る円に欠けはなく、注ぐ陽光を眩く反射し自己を主張している。

 突然の奇行に店主は目を細めて、掲げられた硬貨をまじまじと見つめる。

「……なんでぇ。まさかニセモンかぁ?」

「いや、どちらも本物のシンの貨幣だ」

「はあ? じゃあなんの意味があんだ?」

「特段意味はない。ただ交換したいと思っただけだ。それで、交換はしてくれるのか?」

「いや、まぁ……別に構わんが」

 

 眉間にしわを寄せながら淡々と硬貨は取り換えられた。

 

 店主が差し替えられた硬貨をまじまじと見ていることに気付いたテセウスは、再度問いを投げかける。

 

「付かぬことを聞くが、この硬貨は同じものだろうか?」

「……やっぱニセモンか、これ?」

「違うと言っただろう。そう疑うな」

「だったら疑わしいことは言わねぇでくれよ。そっちもこっちも同じ硬貨(モノ)だろうが。全く……良く分かんねぇことをやる人だな。やっぱ仙人だよアンタ」

「誉め言葉として受け取っておこう。それではな」

 

 疑問符を浮かべる店主を置き去りにテセウスは帰路に就く。

 その道中、取り換えた硬貨を太陽に翳す。

 

「店主の言う通りコレと、支払いに使われた硬貨は『等価』である」

 人の世で使われ続けた証だろうか、全体的に薄汚れており、硬貨の淵に僅かな欠けが見られた。

 

「だが、()()()()()の物質ではない」

 その特徴は、店主の手に渡った硬貨には、全く見られなかったものである。

 

 テセウスが思い出すのは、アルフォンスの言葉の数々。

 

 ――等価、交換……等価でしか、交換でしか、ない?

「そう。錬金術とは等価交換。等価の交換である以上、錬成前後の()()()の保証はしてくれるが、()()であることは保証しない」

 等価交換とは()()()()()ということであり、()()()()()()()ことである。

 本質的には別物であるが、同じ価値を持つ硬貨のように。

 

 ――錬金術は()()()()()理解・分解・再構築という三つのプロセスを経て行使されるものだと言われている。

「一般的になどと、上手く濁したものだな。石炭をどれだけ捏ね繰り回しても金塊にはならない。石炭を分解しようが、金塊に再構築など出来るはずがない。であれば行われているのは再構築ではない。定めた価値に則り異なる物質を入れ替える行為……つまりは()()だ。――こちらと『真理』(あちら)の物を取り換えているに過ぎない」

 

 分解された物質が再利用されるわけではない。別の何かが、“等価な何か”が、扉を通じて現れる。錬金術の本質は等価交換――()()()ではなく()()であることを、アルフォンスは理解していた。

 

「そこに至れば一つの疑問が生まれる……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 かつて己自身を錬成し、グラトニーの内部から抜け出した少年。

 その時、現れた彼は()()であった。だが果たして()()だったのか?

 グラトニーの内部から抜け出すために自らを錬成したエドワードと、『扉』を抜けて錬成されたエドワードは、等価だが同一ではないのでは(よく似た別人なのでは)

 

()()()()()エドワード君は今もこの世界で生きている。では()()()()()()エドワード君は今どこに居るのだろうか?」

 

 ――()()()の兄さんに影響がないということが分かってよかったです。

『真理』(あちら)に彼が存在していない理由は、果たしてあるのかな?」

 

 問いの先にある真実に気づいたアルフォンスが、これから何をするか。

 それは、分かりきっている。

 

 彼はきっと、()を救おうとする。

 

 この世界にいる、()()の兄ではなく――向こう側に取り残された、()()の兄を。

 

「……エドワード君は、何をしているだろうか。あの、ツマラナイ世界の中で」

 すべてが在りながら、どこにも届かない。

 行き止まりの世界。

 テセウスは目を細める。その結末を、ただただ憐れに思う。

 

「先達殿に倣って、今の彼を詩的に表現するのなら……そうだな――」

 ――真理に囚われたエドワード(ホムンクルス)は、扉の向こう(フラスコの外)の夢を見るか。

 

 耳を澄ませば、どこかで扉を叩く音が、微かに聞こえた気がした。




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