ウルトラマンティガ THE SECOND   作:ヤステル

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「ねえ……なんで投稿遅れたの?」
「はい、スミマセン」
「スミマセンじゃすまないよ? 第四話だって時間かかったけど4か月くらい。でも、今回はどう?全5話の中で一番短いのに5か月もかかるなんておかしくない?」
「いやあ……忙しくて……」
「まあ学校は許しましょう。で、これまで何のゲームやったの?」
「OUTLAST、ALIEN:ISOLATION、SKYRIM、軌跡シリーズの総復習、FIFA15、あとフリーゲーム色々……」
「てめえ……」
「本当にすみませんでした……」

本当に遅れましてすみません。今回内容そんなないのにこんなに時間かかってしまいまして……。やっぱ日常系を書くのは苦手です。何かしら事件ないと物語がまとまりませんねえ……。
今回は完全なゲストキャラ視点のストーリーです。なんていうか太田愛さんの脚本のテイストを参考にしたんですけど、全くなってませんね
いつものことですが、作中の科学的発言などはフィクションです。間違っていてもスルーしてください。


第5話 雪解けの回想
其の1


 *

 

 もう一度あの山を登ろうと、私が思ったのは、丁度子供たちが大学に受かったことが分かった後だった。

 毎年のように家族で登山旅行はしていたが、今年に入ってからは子供たちの大学入試を考慮して登ることはしなかった。

 合格祈願でわざわざ京都まで赴いた時は、そのまま自分一人でも山に登ろうか、という衝動に駆られてはいたが、さすがは妻の美琴だ。私の思惑などお見通しで、こっそり登山用具をレンタルして登山に行こうとしたところを待ち伏せされ、首根っこ捕まえて私を部屋に連れ戻した。

 それでも、と思い、何とか美琴の監視の目を掻い潜り、昔の友人たちを呼んで簡単な山登りをすることが出来たが、あの山に登る、ということに関しては今日まで完全に忘れ去っていた。

 子供が生まれる前は、毎年のように登って行ったが、やはりどうにも家族を優先するあまり、自分の時間を放っておいてしまう。

 だからといって後悔しているわけでもない。これを望んだのは私自身だ。今は幸せだし充実感も感じている。

 ただ――。

 ふと思い出してみて、美琴とも目を合わせると、やはり名残惜しさはあったのだ。

 あの時、一緒に暮らすことを捨て、彼ら自身が自分の居場所を見出したのだから、彼らと別れて人生を歩むべきだと――。

 あの時そう誓ったのだ。

 だけど、今日になって、あの約束を思い出して、また登りたいと、また会いたいと、思ってしまった。

 これはもうダメだ。

 会いに行かなければ。子供たちを紹介しなければ、と私は気が付けば、押入れの奥にしまってあった登山道具を引っ張り出していたのだ。

 登山靴、ザック、コンパス……ん? これは……ストック――これは妻のものか。

 懐かしい品々だ。どれも子供が生まれた頃に登った時以来だ。すべてに埃がかぶっていた。

「どうしたのよ、それ」

 美琴が後ろから声をかけてきた。

「随分懐かしいものを広げているじゃない」

「ちょっと思い出してね。押入れから出したんだ」

 へえ、と美琴は、懐かしそうに道具に触れた。

「あー、これ覚えてる。このストック……わたしとあなたの名前を入れた特注物だったわね」

 そう言って、ストックを握る部分を覗いた。

 KYOUICHI&MIKOTO……。

 確かにそう彫られている。

 だが、その後で、もう一つの名前が彫られていた。明らかに後から彫られているが、それでもこれは二人にとって大切なものだった。

「これ……」

 美琴が呟いた。

 LAILAH

「ライラ……」

 美琴は文字をなぞる。

 私は、その他にも道具を取り出した。

「見なよ。あの頃のままだ。あの頃――僕と君と、そしてライラがいたころから」

 美琴はうん、と頷いた。

「懐かしいなあ……。もうあれから二十年以上も経っているんだねえ」

 懐かしそうに言う。

 そうだ。

 あれからもう二十年以上も経っているのだ。

 今思えば、本当にあっという間の出来事だった。

 あの日、ライラと出会い、共に過ごした短い時間――四か月という月は絆を深めるにはあまりにも短すぎる時間だったが、だが、それでも充分すぎるほどの時間だった。

 ライラと出会ったことで、私は自分自身をまた変えることが出来た。美琴との絆を確認できた。それ以上に、この世界がどれだけ美しいかを認識させられた。

 夢のような時間だったのだ。

 命の危険もあった。死ぬ瀬戸際の時もあった。

 だが、あれは私たちにとって必要な時間だったのだ。

 だから、私は提案した。

「あのさ……もう一度、あの山に登らないか?」

 美琴は、私に顔を向けた。

「あの山……に?」

 私は頷いた。

「ああ。約束を果たそうと思って。もう一度、ライラに会いにいかないか? 今度は僕と君だけじゃない。子供たちも連れて……」

 ライラに紹介しよう、と私は言った。

 美琴は、そうね……と呟いた。

「そうよね……。会いにいかないとね。私たちにも家族が出来たんだって、ちゃんと伝えに行かないと」

 それは、少し遅すぎた紹介になるかもしれない。ライラに会いに行くにはあまりにも多くの時間が過ぎ去ってしまっていた。

 だけど、きっとライラは許してくれるだろう。

 それに、こちらにも家族が出来たことを伝えれば、きっとライラは喜んでくれるかもしれない。

「きっとライラのことだから、妬いちゃってるんじゃないかしら」

「僕に?」

「だって、ライラったら結構あなたにくっついていたから。あの子って結構純情なところあったのよ」

 そうだっけ? と私は思った。

 そうだったなあ、と思い出す。私の目から見たら、美琴と一緒の時が長かった気がするが、どちらかといえば、今思えば果てしない女同士の戦いを繰り広げていただけだったかもしれない。

「会ってみてから分かることよ。結局、ライラとの決着はまだついていないし、こんな中途半端じゃお互い納得いかないわ。それに、いつまでも待たせちゃってるから、きっと怒っているでしょうし」

「その時は、僕が土下座してでも謝るさ」

 と、私は笑いながら言った。

「なになに、何かあったのー」

 リビングから声が響いた。それと同時に、どたどたとこちらへ向かってくる足音。

 娘の美弥だ。

「あー何してるのー! 何か見たこともないものがいっぱいあるんだけどー」

 騒がしいなあ、と私は苦笑しながら思った。

「どうしたんだ? お前、一人暮らしの準備終わってるのか?」

「もう荷物は全部向こうに送っちゃったから大丈夫。それよりも何これ? 登山用の道具じゃない。お父さんのってこれじゃなかったんじゃない?」

「ああ。これは僕が大学時代に使っていたものだ」

 私がそう言うと、美弥は何故か目を輝かせながら言った。

「へー、お父さんの! つまりあたしたちと同じ歳くらいの時に使っていたものってこと!」

「まあそうなるな」

 すごーい、と美弥は騒ぐ。

「ねえ、裕也ぁー。ちょっと来てー!」

 美弥はもう一人の子供――裕也を呼んだ。

「何だよ、姉ちゃん。こっちは忙しいっていうのに」

「これ見てよ!」

「何……って、何だこれ? ザックにストックに……これって……」

 裕也は、うおお、と叫んで靴を手に取った。

「スクルプ社のミラージュシリーズ! しかも二十年以上前のもの! どうしてここにあるんだ!」

 裕也は裕也で別の意味で目を輝かせ始めた。

「それ、お父さんのものだってさー」

「マジかよ、父ちゃん! こんなレアもの持ってるなら、何で早く行ってくれなかったんだよ!」

「いや……お前、それ持ってるじゃないか」

「赤色は無かったんだよ! ずっと探してたんだ!」

 裕也の登山好きには我ながら呆れる。私や美琴以上に登山を愛しているのは分かっているが、登山靴やその道具を集めるまでになってしまった理由が分からない。ただ単純に一緒に山を登っていただけなのだが……。

「そういえば、どうして登山道具なんか取り出したんだ?」

 裕也が聞いた。

 そういえばそうね、と美弥が言った。

「昔のものって言ってたけど、どうしたの? 思い出話でもしたかったの?」

 さすが美弥だ。親子だから、考えていることも分かっているのだろうか。

「まあ、それもあるけど、実はお前らに提案があるんだ」

 提案? と子供たちは聞く。

 私は言った。

 

「北岳に一緒に登りにいかないか?」

 

 裕也と美弥は目を見開いた。

「北岳!? それってもしかして日本アルプスの?」

 裕也が聞いた。

 私は、頷いた。だが、二人はどうやらまだ現実が見えていないようだ。

 無理もない。今まで登ってきた山は最大でも二千メートル級のものだけだった。北岳のような三千メートル級は初めてなのだ。

「いきなりハードルが高いわよ。どうしていきなり?」

 私は美弥の質問に答えた。

「お前たちもこの家を出て一人暮らしをするだろう? そうなるともう毎年恒例の家族登山は出来ない。だから、まあ最後とは言わないが、家族登山の集大成として日本アルプスに挑戦してみないか?」

 二人は互いに見やった。

 何か不服なのだろうか。私は二人を心配そうに見つめた。

「本当にそれだけ?」

 美弥が言った。

「それだけって?」

 私が言うと、美弥が微笑しながら言った。

「お父さんって何か隠し事していると、瞬きが多くなるのよね」

 ん? と、私は耳を疑った。

 私自身にそんな秘密が隠されていたなんて思いもしなかった。私は、美琴に顔を向けると、美琴は隠れて笑っていた。どうやら、美琴は知っていたようだ。

 どうりで秘密を隠そうとしてもすぐにばれるわけだ。おかげで、スナックにもキャバクラにも行けなかった。

 私は観念して言った。

「実は、あそこには僕と美琴の友達がいるんだ」

 友達? と裕也が聞いた。

「駐留している気象庁の人のことかな?」

 美弥が言った。

 私は首を横に振った。

「違うよ。そいつは人間じゃない。鳥なんだ」

 鳥!? と二人は驚いた。

「そいつは、ある一本の桜を巣にしているんだ。北岳のどこかにある桜の樹――そこに住んでいる」

 伝桜、と聞いて二人は思い出した。

「もしかして、そこで祈ると、想い人と出会えたり、想い人と結ばれて幸せになれるっていう伝説がある桜のこと?」

 美弥が聞いた。

 私は頷いた。

 あの山の上に桜がある。そこに一本しかない謎の桜で、誰が植えたか定かではないといわれている。春の初めに、桜が開花したとき、そこで告白すると結ばれるという伝説がここ二十年の間に広まっていたのだ。

「あそこには、その伝説の桜以外にもその鳥が住んでいるんだ。僕たちにとって大切な友達だ」

「一体、お父さんたちはその友達と何があったの? 聞いている限りだと、もう会っていない感じだけど」

 私は、外を見つめた。向かい側の家の桜が満開だった。

 私はそれを見ながら、呟いた。

「もうずっと前のことになる。僕が登山に魅了されたのは高校生の頃か。ライラとの出会いもそうだが、この出会いの話をする前にまず美琴との出会いから話さないといけないな――」

 そして、私は回想を始めた。

 

   1.

 

 子供のころから、特に熱中するということとは疎遠だった。

 様々なことを両親から教わり、体験したが、どれも楽しいと思えるものは何一つ無かった。

 別に嫌いだからとか、自分に向いていないというわけではない。実際は、進められたものは全て出来た。中には向いているんじゃないかと思えるものも確かにあった。

 ただ興味が無かった。出来るからといって、それが自分に向いているということではなかった。勉強が出来るからといって、得意というわけではない――それと同じだった。

 だから私は、普通の子供から見れば、幼いころはかなり不遇の時間を過ごしていた。特別好きになることもないまま、ただ流れるようにやるべきことをやっていた。

 醜かった。

 死んだ魚のような目とは正にこのことだっただろう。

 生気がなければ、死んだようにも見えない。本当に、何もかもがつまらなく、いるだけで心が濁り、腐っていく――それが私の当時の特性だった、と周りは言った。私も同感だった。

 変わったのは、私が高校に入ってからだった。

 元々は両親が、私の腐った根性を叩き直そうと、私を海外の学校に入れようとしていた。海外で日本とは違った生活をしていれば、それに刺激されて友人も出来、考えを改めてくれるのではないかと考えていたらしい。

実際、海外留学に行く学生の中には、留学志望の学生もいたが、最も両親が印象深かったのは、不登校で学校に行かなかった生徒が数多く留学していたことだったという。私と似たような性質の人が向こうで変わることが出来たのだから、私も変わってくれるだろうという魂胆だったらしい。

 一言で言うなら、それは無意味だった。

 早い段階から、両親の企みに気づいていた私は、こっそりと先生から推薦文を貰って、高校の推薦入試に合格して、両親に学費の相談をした。

 辞退しろと言われたが、高校が自分を選んでくれたのに、辞退したら不合格になった生徒が可哀想では? これは就職内定の断りの電話を入れるのとはわけが違う、などとテレビや雑誌で見た情報を自分の言葉に置き換えて、うだうだと説得のような文句を並べていたら、両親は折れた――というより、私をほったらかしにしようと決断した。

 そして、私はその高校に入学した。

 今までと変わらないつまらない日常。休日にアルバイトをすることが出来るという新しいことが出来たが、やっていることは作り笑いで相手を接客するという醜い業務だった。

 仕事だからそう振る舞っているだけなのに、何で誰も指摘しないのだろうと、不思議に思いながらも、賃金が得られるのなら別にいいか、というブラック企業に勤めている会社員の諦めの如く、流れるように身を任せた。

 そして、入学して数日。新入生ならではのイベントに突入する。

部活勧誘だった。

二年生、三年生が――それぞれの部活がそれぞれ作った自作のチラシやプラカードを掲げて一年生を勧誘していた。正に春の学校の風物詩の一つである。

 色々な部活に誘われた。

 スポーツ系、文科系、中には部活に認定されていない研究会等々――向いてそうだねえ、どうだい? 入らないかい? と誘った。

 別に部活に入ることには嫌悪感はない。中学でも、適当にサッカー部を選んで部活に励んでいた。これでも一応DMFとしてレギュラーを張って、関東大会まで行ったことだってある。

 ただ、楽しいと思ってやってはなく、言われた通りにやっていただけだったが。

 今回は別の部活をやってみるかな、という気持ちはあった。だが、どうせつまらない、という自分自身の未来の答えを前提に部活を選んでいた。それが当時の私にとって確定事項なのだ。予想することも必要ない。

 部活を選んでいる中で、私は一人の女子生徒を見つけた。

 周りの人だかりに流されていった所為か、辺りを見回していた。

 どう見ても明らかに迷子のようだった。

 同じ新入生か? と思い、私は彼女に近づいた。

「迷ってるの?」

 私は声をかけた。

 自分でも吐き気がするほどの優しい声だった。久方ぶりに女子に話しかけたから、かっこつけたいのか? と自分自身を罵倒したくなるほどの気持ち悪さだった。

 女子生徒は、え? と私の方を見た。

「えっと……あの……その……」

 うわあ……。声をかけたのは失敗だったか、と私は思った。

 気持ち悪い男子に声をかけられて、返事するべきかどうか迷っているか、もしくははぐれた友達に助けを請うているのか、そのどちらかだろう――私の脳裏にはそんな選択肢しか浮かばなかった。

「あの……お邪魔ならいいよ。急に声をかけてごめんね」

 さらに気持ち悪い台詞を一つ。

 まるで、大量生産されるお菓子のようにいくらでも吐き気を催す台詞を吐く私――いや、そんなことを言ったらお菓子に失礼だ。

 歩く吐瀉台詞放出装置――そんなところか?

 私は自分自身がしたことを恥じて、彼女から離れようとした。

 だが、彼女は急に私の裾を掴んだ。

「あの……待ってください……」

 何が起こったのか分からなかった。

 え? 何故だ? 何故自分に待てと言えるのだ? おかしいだろう? それともあれか? 罰ゲームなのか? 友達とゲームで負けて命令されたことを一つやれって言われて、自分と会話するという命令でも下されたのか? まあ、そうだろうな。自分と十秒でも会話するくらいなら、肥溜めの中に顔を突っ込んで一時間そうしていろ、と命令された方が数兆倍マシってところだろう。

 私は振り向いて彼女を見た。

「あの……さっきは御免なさい。急に声をかけられてびっくりしちゃって……」

 まあ、そうだろうな。ついでに吐き気も来ただろう?

 ――とは、言うことはないが、私は別に構わないさ、と答えた。

「わたし……共学の学校は初めてで……男の人と今まで話したことが無かったから……」

 ああ、なるほどな、と私は察した。

 父親を除いて、同性以外との会話が苦手なのだ。

「別に構わないよ。僕も似たようなものさ」

「え? そうなの?」

 別に違うが。中学でも共学だったが、男子同士、女子同士でグループが勝手に出来上がっていた所為で、男女間のやりとりがなかっただけだ。私自身、その男子グループにだって入らず、特定の男子としか会話をしたことがない。

 彼女は勘違いしていた。見るからに分かる。彼女は眼を輝かせていた。自分の気持ちが分かる人がいた、と思って、この人となら仲良くなれるかも、と思っているのだろう。

 ――女子と仲良くなれるじゃないか。あろうことかうまくいけば自分の物に出来るぞ、というやましい心。

 これが男子の特権か……! と、目が腐っていても一応健全な男子であることを再確認した私は、とにかく彼女の話を聞いてやることにした。

「まあ、あれだ……。周りを見ていたから迷ったのかな、と思ったんだが」

 彼女は頷いた。

「うん……。ここって広いから、色々な部活を見て回っていたら、どこにいるのか分からなくなっちゃって……」

「なるほどね。夢中になってたわけか」

 うん、と彼女は頷いた。

「なら、僕が一緒に案内してあげようか? 一応場所は覚えているし」

 うむ、我ながらいい発言だ。多分今までの勇気を全てそこにつぎ込んだ最高の一言だったと思う。これで断られたらもう死ぬしかない。

 彼女は、安堵の表情を見せてこう言った。

「本当? ならお願いしようかな?」

 おー良かった。まだ死なずに済んだ。

「案内してくれるんだから、良かったら一緒に回らない?」

 と、彼女は言った。

 正直、耳を疑った。

 迷っている女子を知っている場所まで送るだけだと思ったが、まさか一緒に回れるとは。もしかして、これはこれで自分は死ぬんじゃないか、と天を疑った。

「え……でも迷惑でしょ? 君だって一緒に回ってた友達とかいただろうに」

「えっと……みんなもう入りたい部活を見つけてそっちに行っちゃってるから……」

 ああ、なるほど、そういうことか、と私は言った。

 彼女は、今は一人で行動していることには何となくだが感謝していたが、友達がいたということに何故か胸が痛んでいた。

 ……いや決して私に友達がいなかったわけではない。うん。

「でも、良かった。いい人に巡り合えて。男の人は苦手だけど、あなたは何だか話しやすいし」

 この時以上に、神に感謝したことは今まで一度だってない。

 この言葉のおかげで、私の卑屈な性格は治ったのだと、言っても過言ではなかった。

 私は、今まで以上に彼女に、ありもしない期待を高らかに抱いていた。とにかく、仲良くなろう。そうしたらもしかしたらチャンスがあるかもしれない、と独り身の男なら誰しもが思ったであろう願望が、そこにあった。

「自己紹介、まだだったね。わたしは京野美琴。よろしくね」

 と、美琴が私に手を差し出してきた。

 私もそれに応えて彼女の手を握った。

「僕は、安井恭一だ。よろしく」

 

 私は美琴と共に、部活を探し始めた。

 まず、二人で決めたことは、新しいことを始めたいということだった。

 私は元サッカー部だったのに対して、美琴は、元バレーボール部だった。

 外見からしてどうみても文化部に見えるが、どうやらああ見えて中学ではMBとしてスタメンを張っていたらしい。

 スポーツに関することで、私たちは話が弾んだ。話をするくらいなら今まであったが、正直、楽しいと思ったことはなかった。

 だが、何故だろう。美琴と話すと何故か楽しく感じる。

 こんな話は他の人とも何度もした。だが、ただ過去を話すだけで特に面白いとも思ったことはなかった。

 だが、それでも美琴は――彼女と話をすることは、何かが違った。

 言葉に華を飾れるのだ。美琴を楽しませることが出来るのだ。そして、美琴は一言一言に愛らしさがあるのだ。二人の会話が弾むのだ。

 私の中で何かが瓦解しようとしていた。私の今までの無駄な時間がここで全て清算された気がしたのだ。

 ――自意識過剰かもしれないが……。

 美琴も最初と打って変わって、私に打ち解けてくれるようになっていった。

 私のくだらない冗談に笑ってくれるし、自分の好きなことに対しては積極的に話してくれる。男子が苦手というのが嘘のようだった。

 そして、二人で会話をしながら部活を探していると――。

 その部活があったのだ。

 

 山岳部。

 

 中学では見たこともない部活だったためか、私も美琴も山岳部を見た瞬間足を止めたのだ。

「山岳部……」

「初めて見るね。何だろうね?」

 私と美琴は声を掛け合った。

 部活名を見て想像できるのは、当然山登りだ。

 しかし、山を登るだけの部活とはいえ、果たして放課後の部活で登れる丁度いい山なんてあるのだろうか。

 メトロポリスで登れる山は、覚えているのは高尾山くらいだ。しかもこの高校からは電車で乗り継いで四十分かかるのだ。電車代もかかり、山登りをして学校に帰ってくるだけで夜になってしまう。とてもじゃないが、割に合わない。

 だが、よく見れば、部活名の横に、『インターハイ出場決定』など、かなり好成績を残しているような文言が多く見えた。

「インターハイ出場……」

「すごいね。かなりの強豪なのかもね」

 だが、インターハイで何を競うのだろうか?

 山登りの速さを競うのだろうか。それとも山登りの知識を競い合うのだろうか。全く分からない。

 私たちの会話を聞いていたのか、山岳部の部員らしき先輩が話しかけてきた。

「やあ。もしかして山岳部に興味があるのかな?」

 突然声をかけられて、美琴は少し焦った。私は美琴をフォローする形で答えた。

「ああ、興味といいますか……インターハイに出たって書いてあってすごいなと思って」

「有難う。今年で七回連続の出場なんだ。山岳部で俺たちの高校の名前を聞けば知らない学校は少ないんじゃないかな」

 ほう、と私は感心した。

「山岳部はいいぞー。山に登り、そこの自然と戯れ、頂上まで登り切ったあとの快感、そしてそこで食べる弁当は格別だ。それに、体も鍛えられ心身ともにリフレッシュできる。心技体を余すことなく鍛えられるよ」

 どう? と先輩は私たちに入部を勧めてきた。

 どうと言われても困った。私は、入部する気はさらさらなかったからだ。

 ただ、どれを選んでも同じ気持ちを抱くのだ。全部見てから、まだ楽しそうなものを選ぶ予定だった。

 だが、結局私はここを選んだ。

 

「わたし……山岳部に入りたいです」

 

 美琴が真っ直ぐな瞳で言ったからだ。

 私は、驚愕して美琴に顔を向けた。

「おお! そうか! 入ってくれるのか!」

 先輩は高揚したのか声を裏返した。

「は……はい! あの……わたし、登山は初めてなので、その……」

「それは平気さ。大体みんな高校から本格的に始めるものだから大丈夫」

 先輩がそう言うと、美琴はやたら嬉しそうな顔になった。

「いいの? まだ見ていない部活もあるけど……」

 私は、少しだけ慌てながら聞いた。

「あ、うん。なんか面白そうだし」

「でも、やっぱり全部見てから決めても遅くはないんじゃない? 後悔するかもしれないし……」

 今思えば、自分自身のみみっちさを恥じた。何故、そこまでして彼女の意思を揺らがせようとしたのか、あの時は分からなかった。

「うーん。でもこれにするよ」

「なんで?」

「なんていうか、ビビッと来た」

 何を言っているのかは分からなかった。だが、彼女の決意は固く、私の意地汚い引き止めなど無意味なのが分かった。

 

「ねえ、よかったら一緒に入らない?」

 

 だから、この言葉をずっと待っていた。

 私から言うことなんて、当時は出来なかった。何故? 分かるはずだ。女子とあまり交流がない、話すのが苦手な男なら特に。

「え?」

 と、私は知らないふりをしながら言う。わざとらしさが今に思えば腹立たしい。

「あなたもどこに入ろうか迷っていたんでしょ? だったら、新しいことをしてみない?」

 美琴は私に問いかけた。

 何と言えばいいのだろうか。私を遠回しに誘っているようなその眼が、私にはたまらなかった。

 美琴は期待していたのだろう。

 もし出来ることならば、私も入ってくれれば気が楽になるだろうし、何より楽しそうだと。

 私は、そんな美琴の言葉を拒否することもなく。

 ただ、一回――。首を縦に振った。

 こうして、私と美琴は初めて山岳と触れ合うことになった。

 

   2.

 

   *

 

山岳部に入部してから、色々なことが分かった。

 まず、山岳部は、想像していたような、毎日山を登りに行くわけではなかった。

 山岳部の活動理念は、『山岳の正しい知識と理念を吸収し、自然の素晴らしさと地球の雄大さを実感し、心を豊かにする』ということらしい。

 すばらしい理念だとは思ったが、所詮理念なんて全く意味がないと最初は思った。結局は、山について知ればそれでいいのでは、と半ば思っていた。

 初めての山岳部は、新しいことの連続だった。

 放課後の部活では、山登りや山に関する基礎知識を延々と議論したり、山を登りきるための体力づくりとして、基礎トレーニングをしたりした。

 運動系と思いきや、文科系も混じった特殊な部活だったのだ。

 山登りのための道具一式を親に懇願してそれなりのものを買うために、資金提供をしてもらった。まあ、その時は美琴と二人で買いに行ってしまったが。

 いつ使うのだろうと思ったが、どうやらそれはすぐに使われると先輩は言った。

 そして、山岳部特有の活動が一つあった。

それが、ロッククライミングだ。

テレビなどで見た事があった。

絶壁を登っていくスポーツだ。自然の岩壁を使うが、都会とかでは、人工的に壁に付いている無数の色が付いた掌に収まるくらいの岩のような突起物を掴み、足をかけて、頂上まで登り切る競技――ボルダリングという競技を行っているのだとか。

 そのロッククライミングの練習も、山岳部の活動の一つらしい。

 だが、ロッククライミングの練習となると、それを用意している施設に行かなければ練習しようがないのでは、と私は思った。

 だが、なんと……この高校にはロッククライミングの施設が備わっていたのだ。

 先輩曰く、この高校の山岳部は全国区で有名らしく、学校側の方針で山岳部には予算が多く、大会で使用する設備がほぼ用意されているのだとか。

 それほどまでの強豪だとは思ってもみなかった……。これだけ見事な施設を用意できるというのは、余程期待されているらしい。

 もしかしたらとんでもない部活に入ったのでは? と、私は内心後悔していた。

 だが、私とは裏腹に美琴は、目を輝かせていた。新しいことが沢山出てきて嬉しいのか、はやくやりたいと言わんばかりに、両手を握り、両腕を曲げ――ぴくぴく震えていた。

 恐る恐る、楽しみなの? と聞くと、うん! と満面の笑み。

 これは、彼女の空気を読まないといけないな、とすぐに分かった。私は、はあ、と見えないように溜息を吐いた。

 施設にはロッククライミング用の壁と、ボルダリング用の壁に分かれていた。

 施設にあったクライミングシューズ、ロープ、そしてハーネス――胴を包むロープのようなものだ――これらを借りていざ、挑戦した。

 どうせロッククライミングなんて命綱をつけて登っているのだから、大方、命綱を頼れば力をセーブしつつも登れるだろうと、高をくくっていた。サッカーでそれなりに体力もあるし、体も出来上がっていた。それなりに出来る自信があった。

 だが、実際にやってみて私は、以前の私を殴りつけたくなった。

 まず、体の筋肉をほとんど使わないのだ。

 テレビで見る限り腕や足の筋肉を使うと思ったが、それほど使わないのだ。使うのは指だった。

 指の筋力なんてサッカーではあまり使わない。だから、登り始めてすぐに指が疲れてきた。

 持久力はあるほうだが、これはそれ以上に指の力が先に果てないかの勝負だった。

 私はすぐに諦めた。

 先輩は笑って、ボルダリングの方に指をさした。

 別の先輩――女子だ――がボルダリングをし始めたのだ。

 よく見ると、ロープもハーネスもなしに上り始めたのだ。

 体一つで、壁に付いている突起物の岩――ボルダーに掴み、足をかけ、スムーズに昇っていった。

 私は唖然としていた。

 私より一つ上とはいえ、女子生徒が何も道具を使わずにいとも簡単に壁を登ったのだ。

 美琴は、感嘆の声を上げながら、その先輩に近づいて褒めちぎっていた。

 先輩は私の肩を掴んで、奥が深いだろ、と笑いながら言った。

 私は意識を改めた。生半可な気持ちでやるわけにはいかない。

 だが、同時に――。

 

 女子と一緒にいたいという不純な動機で部活を安易に選ぶべきではないと、私は学んだ。

 

   *

 

「え? 何なんですか、これ……」

 私は声を出した。

「それが今年のスケジュールだ。まあ、五月の大会に一年が出るっていうのはそうそうないと思うから安心しな。一年にとっては六月下旬からが本番だと思ってほしい」

 私は眼を疑った。美琴は隣で、見せてーと言ってきた。私はそれを見せた。

 それは今年の山岳部のスケジュールだった。

 かいつまんで説明するとこうだ。

 

 五月十日~五月十一日 メトロポリス総合体育大会登山大会「登山競技」

 六月一日~二日 メトロポリス高等学校安全登山講習会

 六月二十日 総合体育大会登山大会クライミング競技

 六月二十九日 一年生トップロープクライミング大会

 八月一日~八月三日 夏季登山合宿(北岳予定)

 八月二十九日~八月三十日 メトロポリス高等学校安全登山技術講習会

 十月二十六日~十月二十八日 メトロポリス高等学校新人登山大会

 十一月十八日 メトロポリス高等学校ボルダリング大会

 十二月二十六日・一月二十四日・二月二十七日 メトロポリス高等学校ボルダリングツアー戦

 二月十日 メトロポリス高等学校スポーツクライミング新人大会

 三月二十八日~三十日 春山スキー合宿(提携校との合同合宿)

 

 大きい大会と講習会、そして合宿を挙げると、ほぼ毎月何かある。この中に、小さな大会や民間でやっている大会に個人参加するのだから、あまりにもハードスケジュールだ。

 もしかしたら、野球やサッカーなどの部活より大会があるのでは? と疑いたくなるほどだ。

 しかも講習会をやるあたり何とも山岳部らしいと思った。山登りと聞けば単純だが、その中でのルールやマナー、注意事項など――覚えなくてはならない事柄があまりにも多すぎる。単純に勉強するよりも難しいかもしれない。

「すごいね……。わたしたち出来るかな?」

 私はさあ、と言った。そうとしか答えられなかった。

 先輩は笑いながら、大丈夫だって、と答えた。

「大体は素人だから大丈夫だって。新人は大体六月下旬までの間で鍛えた奴らばかりだ。素人集団の中でビリにならなきゃ御の字だって。みんなそうだったんだから」

 先輩はそう言うが、その二か月弱なら、互いの差は開くのでは? と私は疑った。現に、入部して三週間くらいたったこの頃でも、まだ練習に完全についてはいけていなかった。出来た事と言えば、雰囲気には慣れたということくらいだ。

 使ったことのない筋肉を使っている分、筋肉痛が激しい。翌日の練習なぞ全く身に入らない始末だった。

このスケジュールを三年間……と思うと、私の性格は、さらにやる気が削がれていく。

 だが、それが一年経つと、楽しいと思え、さらに一年が過ぎると、名残惜しいと思うようになっていくのだ。

 私は、多分、その時変わったのだ。

 

   *

 

「それでね、あーちゃんったら新入生サークルでさっそく先輩に誘われちゃったんだって」

「ふーん……。でも、結局振ったんだろ?」

「一回くらいでへこたれる先輩じゃないよ、あれ……。なんていうか性質が悪い感じだったって。わたしも遠巻きから見たけど、なんか怖かった。目を合わせられたときは、思わず冷や汗かいたよ」

「おい……。それはまずいだろ……。警察呼んだほうがいいんじゃ……」

 私は、美琴の友人に迫っているというストーカーになり得る先輩の恐怖話を聞いて冷や汗をかいていた。

 大学入学して間もないという頃に、いきなり彼女の友人のストーカー事件に発展しかねない話を聞くとは思わなかった。

 まあ、確かに私も以前に数回会ったことはあったが、確かに綺麗だった。男なら確かに放っておかないのも分かるが……。ただ執着してまで、と思うほどか? と不思議に思う。

 今だから言えることだが、やはり私が懸念していた通り、その先輩はストーカーとなって美琴の友人を執拗に追った。結局その後数か月にわたる大捕物で、先輩は御用となったわけなのだが……。

 その際に助けてくれた同級生を見初めて、二人はめでたく付き合い始め、その後結婚したというわけだ。

 ……まあそんな話はおいておくとしよう。

 高校を終えて、私と美琴はメトロポリスにある大学に入学することになった。

 高校での三年間は非常に密度の濃いものだった。

 とにかく山岳部での活動は熾烈を極めた。

 練習から大会、講習会――それ以上に授業に付いていくのがやっとで、学校と部活の二足の草鞋をなんとか履くことが出来た。

 勉学はそうだが、部活はとにかく何とかなった。

 最初の大会では、私も美琴も上位入賞が出来た。それを切っ掛けに上級生たちの大会にも参加することが出来、無事にインターハイ出場を決めることが出来た。

 そして、そのままのエンジンを保ちつつ、私たちは三年間もの間、インターハイ出場を成し遂げ、その内一回はインターハイ優勝を決めるなど輝かしいタイトルを手に入れることが出来た。今まで先輩たちが繋いで来た手綱を何とか維持することが出来たということだ。

 そして、そのままスポーツ推薦を取って楽をして大学……という選択肢は諦めた。

 その方法もあったが、行ける大学が提携している体育大学ということで、私はやめたのだ。

 その道に進むつもりは毛頭なかった。

 結局、普通にセンターを受けて、自分が行きたい大学を決めたというわけだ。

 そこまでは良かった。私としては、安心して大学に行けるというのは一つの密かな驚きであった。

 だが、どうしてだろうか……まさか美琴も同じ大学に通うなんて、ちっとも思ってなかった。

 高校で知り合い、山岳部で苦楽を共にした――いわば友人以上恋人未満という間柄になっていた。

 ひいき目に見ても、やる気のない捻くれた内気野郎である私が美琴とそこまでの仲に発展できるなんて誰も思ってもみなかっただろう。

 ある意味でそれは私の勝利だったといってもいいだろう。

 一生分の勇気を使って声をかけて、一緒にならなければならないという空気を作り、そして最後に自然に一緒にいるのが当たり前になっている――私のように全てに自信がない性格の人間が、言葉にせずとも一緒にいれるようになるには、言わずに自然と一緒になる空気を、月日を重ねて作り上げるしかないのだ。

 これが中々難しい。これを失敗すれば、正攻法でいかなくてはならない。それが普通だろうが、私のような人間にはそれこそが邪道なのだ。

だから、こんな私と一緒にいてくれた美琴を感謝しなくてはならない。

 とにかく、美琴とそういう仲になることに成功した私は、言わずとも気持ちが通じ合えるようになったのだ。

 大学では、専攻こそ違ったものの、自由選択教科で一緒になることが多かった。そのおかげか、互いに知り合った友人を引き合わせることで、交友関係を広げることに成功した。

 家もそうだ。

 実家を出て(といっても、メトロポリス内だったからそれほど遠くはないが)、アパートを借りて一人暮らしを始めた……はずだった。

 美琴との仲は、互いの両親にも伝わっていて、家族ぐるみの付き合いになっていた。そのおかげか、アパートを二部屋借りるのは金額的に損だ、ということで、割り勘で家賃を支払うという条件で同棲を許可されていた。

 だから、アパートで二人暮らしが始まった。

 少し広めの部屋があるアパートを借りたおかげで、二人分の勉強スペースは確保できた。食事や清掃は当番制になっていたが、美琴は、ここぞという時にやらない性格で、結局私がほぼ毎日やっていたのは良い思い出だ(美琴の本性を知ったのもこの時だった)。

 紛れもなく、私自身が変わってきたことは自覚していた。

 そして、生憎高校時代の思い出が抜けないのか、私と美琴は、大学の山岳部に入部した。

 高校での実績は、折り紙付きなのは、山岳関係者ならよく分かっていた。その手の世界なら、高校ではよく知られるほどになっていたのだ。

 そして、大学一年目の時だ。

 夏休みを利用して山岳部で日本アルプスを登ろうと企画が出された。

 私と美琴は、高校時代一度だけ挑戦したことはあったが、その時は、途中で天候不良になったために中断してしまっていた。

 だから、またそのリベンジが出来るというのは絶好の機会だったのだ。

 久方ぶりに大物に挑むのだから、道具を新しくして、母校に行って施設で訓練しようか、ということで私たちはそのようにした。

 そして、当日、私たちは日本アルプスに挑んだ。

 あの時だった。ライラに出会ったのは。

 

   3.

 

 私たちは、メトロポリスからワゴン車に乗って山梨県広河原へ向かった。

 ここには北岳に上るためのコースがあり、一番親しまれているコースでもある。

 

「よーし。今回はここから大樺沢に行って、二俣、小太郎山の分岐から北岳肩ノ小屋へ行って、そして北岳というコースだ。途中で休憩はさむから、安心してくれ」

 先輩がそう言う。

「カメラは大丈夫だよな?」

 先輩は私に振り向いて聞いた。

「はい、充電は車の中でやりましたので」

「頼むぞ。今回は北岳の固有植物を撮りたいからな」

 はい、と私は頷く。

 そう。今回は、北岳に上るだけじゃなく、北岳に生息する植物の撮影も兼ねているのだ。

 北岳は日本において富士山に次いで二番目に高い山として知られている。火山地帯が多い日本の山の中では珍しく、火山に分類されない山であるのだ。

 そして、北岳には、そこにしか生息しない固有植物が存在する。それらは絶滅危惧種として指定されているため、持ち帰ることは不可能になっている。だからこその写真撮影なのだ。

 また、ここには固有動物も生息しており、出来ることならそれも撮れればというのが、先輩の考えらしい。

「お馴染みのコースとはいえ、油断はするなよ。時々遭難して帰ってこなくなる人も過去にはいたんだ。集中していけよ」

 はーい、と私たちは異口同音に言う。

「まあ、この後分かってるよな。このまま奈良田温泉まで行くんだ。二泊三日で行かなきゃならないんだ。地獄だぞー」

それくらいの登山は慣れているが、登山初心者の他の部員は大丈夫だろうか、と私と美琴は顔を見合った。

私たちは、進みだした。

 

 高校時代に北岳に登った時は野呂川出合からのコースであまり人気がないコースだった。

 あの時は、不人気のコースを行かされて、少しばかり辛かったが、急に帰ることになってよかった、と思っていた。

 だが、今回は北岳登山にしては有名なコースを行くということで、それなりに余裕を以て行くことが出来る。

 砂利を踏みながら、一歩一歩進んでいく。

 初心者の部員はすでに息が切れていた。

「はあ……はあ……まさか……山登りがこんなに辛いなんて……」

 同級生が私に話しかけた。

「どういうふうに想像してたんだよ……」

「リュックサックを背負って、軽やかに緩やかな坂を上って、頂上で旨い弁当を食うんだ……」

 そりゃ漫画だ……と、私は言った。

「お前ら……全く息上がってないんだが……何でだ?」

「そりゃ、一応高校も山岳部だったから……ここほどじゃないけど、高い山とかは結構上った」

「ああ……そりゃ……大ベテランじゃねえか……」

 同級生は、水筒を取り出し、水を大量に含んだ。

「飲みすぎるな。体に響く」

 私は、そう言ったが同級生は聞かない。

 全く……、と思いながら、私は同級生のフォローに入った。

 

 小太郎山分岐点付近に着いた。

 私たちはここで一旦休憩に入った。

「よーし、三十分くらい休憩だ!」

 部長が叫んだ。初心者の部員たちは、ようやくの休憩に安堵した。

 私は、部長と目配せをした。どうやら、言われたことをやってほしいらしい。

 私はカメラを手に、群生植物が点在している場所に行き、カメラで撮り始めた。

 

 タカネバラ……

 コバイケイソウ……

 シナノキンバイ……

 

 分岐点にある植物を一枚一枚獲っていく。

「ねえ、進んでる?」

 ふと、美琴が私に声をかけた。

「ああ。でも、やっぱり絶滅危惧種は大体山頂付近だろうな。こっちで撮れた絶滅危惧種はタカネタンテマだけだった」

 私がそう言うと、美琴は、ふうん、と言って私に寄り添った。

「何だよ……いきなり……」

「ううん。何となく」

 美琴は呟く。

「雄大よねー」

 私は頷く。

「そうだね。大河原からもそうだけど、緑が多いよな。今まで登ってきた山の中で一番自然を感じ取れたかな」

 私は素直な感想を言った。美琴は何だか嬉しそうな顔だった。

 

 それから、二十分ほど経った頃だっただろうか。私は写真を撮り終え、美琴と二人で部長たちと合流しようと、休憩ポイントに向かった。

 部長たちとはそう遠く離れていないから、振り返って見れば人影が見えるはずだった。

 誰もいなかった。

 いないのではない。目の前の景色が白い靄で覆われて見えなくなっていたのだ。

 美琴は、私の腕をきゅっと掴み、震えながら言った。

「ねえ……今日の天気で山に霞がかかるなんて言ってた?」

 私は断固として否定した。

「そんなはずはないよ。気象情報はきちんと確認した。今日から雲一つない快晴日和だったはずだ」

「じゃあ、何で靄がかかっているのよ……」

 私には答えられなかった。

 気温が急激に低下した感覚は無かった。夏季の――この頃の気温は過ごしやすい温度のはずだ。確かに雪が少しは残ってはいるが、だが、視界が見えなくなるほどの深い靄を生み出すほどのものではないはずだ。

「とにかく、行こう。向こうに部長たちがいるんだ。部長たちと合流すれば、何とかなるはずだ」

 そう。目と鼻の先に部長がいるのだ。

 向こうでも、靄の危険性は知っているのだから、きっと登山を中止して、下山を決断するだろう。

まずは声をかけてみよう、と私は考えた。

「部長! 部長!」

 すぐそこに部長がいるんだ。私は必死で声をかけた。

 だが、返事はおろか、人の気配すら感じられない。

「ねえ……わたしたち、一体どうしちゃったの?」

 分からない……分からない、と私は答えた。

 本当に分からないのだ。

 ただ、部長に背を向けて、真っ直ぐ進んだ場所で写真を撮っただけだ。しかし、振り返れば誰もいない。部長どころか、人っ子一人見当たらない――気配すらない。

 しかも、靄がかかり、ここがどこだか分からなくなってきている。

 今まで行ったことがないような場所――そんな風に感じられる。

 これ以上進んだら、今度は戻れなくなってしまうのでは? と、そんな不安が私の仲を駆け巡っていた。

 戻ろう――そう思った時だった。

 ふと足元に、何かがあたった気がした。

 何か柔らかい――人工的なものではない。鼓動している感じがした――まるで生きているような――。

 私は下を向く。

 

 ――羽の鳥が横たわっていた。

 

 胸のあたりが動いている――まだ息はあるようだ。

 私は、その鳥を手に取った。

「どうしたの、その鳥」

 美琴が聞いた。

「いや……何か倒れてて……」

 どうしてこんな時に、と思ってしまったが、まだ生きているのなら助けてやりたいという気持ちがあった。

「その子、怪我しているじゃない」

 美琴が言うと、私はすぐに気づいた。

 羽の部分から少し血が出ていた。よく見ると、傷がある。まるで何かに噛まれたような――そんな傷だった。

「ひょっとして、襲われたのか?」

 私はそう思った。

 傷は浅いが、鳥の状態から見て、かなり前に負傷してそのままだったのだろう。もしかしたら、傷口からばい菌が入っているかもしれない。助かるかどうかは分からないだろう。

「どうにかならないの?」

 美琴の言葉に、私は答えた。

「どうなるかは分からないけど……出来る限りやってみよう」

 私は、手持ちから、包帯を取り出した。

「人間に使う包帯は大丈夫なのかな……」

 私は、そんな不安を抱えながら、鳥の傷口を覆っていく。

「こんなところか……」

 鳥の呼吸が安定してきた……と思う。

 眠ったように目をつぶり、私の掌で横たわっている。

「大丈夫かな……」

「しばらくは大丈夫だろうね。ただ、問題はこの後だ」

 そう。

 問題はまだある。

 鳥の所為で脱線したが、私たちは未だに靄の中にいるのだ。ここを抜けださなければ、鳥諸共犬死には確実なのだ。

「これ以上進んでも駄目かも……戻ったほうがいいのかな?」

 美琴はそう提案した。

「そうかもな……。下手に動くより、その場で救助を待った方が賢明だろうな」

 私たちはそう決心して再び元の場所に戻っていく。

 バッグには、一週間ほどの備蓄がある。それまでに、助けが来るかどうかは分からない。ただ、こんな簡単なことで死んでしまうのは腑に落ちなかった。

 

どれくらい経っただろうか。

 時計では、すでに二時間以上も経過していた。

私と美琴は互いに背をくっつけて、辺りを見回した。

 例の鳥は私の掌で寝ている。

 そして、靄は依然として消えない。

 携帯機器は、何故か機能しなかった。靄がかかる前は、すぐに使えたが、いきなり全て圏外になってしまった。恐らくも何も、この靄の所為だろう。

「何でこんなことになったんだろう……」

 美琴が膝を抱えて呟いた。

 私は何も言えなかった。原因なんてあるわけがないからだ。そんなの、神が選ぶことだ。

「もしかして、お金ケチって同棲したのが悪かったのかなー」

 それは関係ないのでは……、と私は思った。むしろ節約するための手段なのだから、その手の神に褒めてもらいたいくらいだ。

「それともあなたのお金を無断で借りて登山靴買ったのがいけなかったのかも……」

 そんなことをしていたのかよ……、と私は呟いた。

 確かに、一か月ほど前に口座を確認した時に金額が合わなかったことがあった。翌日にはもとに戻っていたが、そういうことだったのか。

「何かを嘆いても仕方ないよ。とにかく助けが来るのを待つだけだ」

「うん……そうだね」

 金が使われたことを許した感じになってしまったが、まあいいだろう。

 はあ、とため息を吐いた時だった。

 鳥の羽が動いた。

 私は、掌を見ると、鳥が私のほうを見つめていた。

「美琴。鳥の目が覚めた」

 美琴は私の肩から這い出るように出てきて、私の掌を見つめた。

「あ、本当だ」

 私は、鳥に語り掛けた。

「大丈夫か?」

 鳥は、立ち上がり――そして、突然私の肩に乗った。

 美琴がわっ、と声を出して尻をついた。

 鳥が鳴いた。

「ははは。どうやら元気らしいな」

「びっくりしたー」

 美琴が立ち上がった。

 その時だった……。

 靄が退いてきたのだ。

 私はその光景に驚いた。

 左右に靄が退いていくのだ――まるで意思を持っているように――。

 靄は一分も経たずに退き、元の快晴が見えた。

 元の場所に私たちはいた。

「ねえ……これって……」

「ああ。どうやら、助かったみたいだ」

 だが、もう時間は二時間以上も経過していてはどうしようもない。部長たちも行ってしまっただろう。

「部長に連絡を入れて、下山した方がいいかもな」

 美琴は頷いた。

「そうだよね……。これ以上迷惑はかけられないし……」

 二人でそう決めて、下山しようとした時だった。

「おーい。二人ともー! そろそろ行くぞー」

 遠くで声が聞こえた。ほんの少し前に何度も聞いた声だ。

 私たちは振り向いた。

「早くしろよー! もうみんな準備終わってるぞー」

 私と美琴は顔を見合った。

 

「部長!」

 

 私たちは部長たちに駆けていった。

「おー、何だ何だ? まさかまだ休憩が足りないって言うんじゃないだろうな」

「いえ……、その……もう行ってしまったのかと思っていまして……」

 部長は、首を傾げて不思議そうに聞いた。

「何でだよ。何で行かなきゃいけないんだ? しかもお前らを置いて」

「いえ……だって……僕たちの所為で二時間以上も時間をロスしてしまったから……それで……」

 部長は、何を言っているんだ? と言った。

「まだ、休憩時間が終わって五分くらいしか経ってないぞ。まあ、確かに時間はロスしたが、これくらい大したことないさ」

 五分……?

 そう言って、私は疑問に感じた。

 そんなはずはない。だって、あの靄の中を二時間以上もいたのだ。それなのに、休憩時間が終わってまだ五分しか経っていない――明らかに、私たちの時間と部長たちの時間が乖離している。

 私は時計を見た。

 驚愕した。

 時間が戻っていたのだ。さっき見ていた時は確かに時計の針は進んでいた。なのに、それが元に戻っている。

 どういうことなのだろうか。私は時計を見つめながら思った。もしかして、夢を見ていたのだろうか、とそう思ってしまった。

「おー? それなんだ?」

 部長の言葉で我に返る。

「何ですか?」

「何って、お前の肩にいる鳥だよ」

 私の肩に鳥? 私は、部長の言葉を聞いて、思い出したように肩を見た。

 あの鳥がいた。

 夢じゃなかった……、と鳥を見てそう思った。あの靄の中で鳥を手当てした。それは確かなのだ。

「おい、この鳥って……ライチョウじゃないか」

 私は部長を見た。

「ライチョウって……国鳥の?」

「ああ。この日本アルプスにも生息している天然記念物の一つだ。一体どこで見つけたんだ?」

 ああ、それは……、と私は怪我をしていたライチョウを手当てしたことを伝えた。

「なるほどな。それで、肩に止まっているわけだ。しかも、離れないあたり、お前になついているのかもな。俺たちにも全く動じてないし」

 そうかもしれない。

 私は、肩のライチョウをもう一度見つめた。

 何だろうか……ライチョウが鳴いた瞬間に靄が退いた気がする――タイミング的にそれが的を射ているが……偶然なのだろうか。

 しかし……、と部長は私に言った。

「ライチョウは留鳥だから、元いた場所に戻した方がいいんじゃないのか? しかも気温の高い所では生きるのは難しいからな」

 ああ、そうだった、と私は思い出した。

 ライチョウは、日が照っている時は、木陰に隠れるなどして暑さから身を守る性質があったはずだ。過去の報告によれば、気温が二十六度くらいの時に、呼吸困難になり、体調を崩したという。日が隠れた曇りの日などは、見る機会は多いと聞く。

 なら、あの靄の中でライチョウがいたことはある意味理に適っていることだったのかもしれない。

 ただ、不思議なことに、ライチョウは私の肩から離れようとはしなかった。それどころか、日が照っている今この時でさえ、私の肩に留まっている。

 自分も一緒に付いていく――そう言わんばかりに。

 しかも、気温も夏というだけあって、山とはいえ、高い。なのに、ライチョウは毅然とした態度のままだった。一切苦しむという傾向は見当たらない。

 ライチョウを知った部員たちは、ライチョウを守ろうとシートや小型扇風機などの用意をしている。

 だが、ライチョウはそれらが近づくと鳴いた。まるで拒んでいるかのようだった。

「悠長なことを言ってられない状況のはずなのに、こいつは平気な顔してやがるなんでなんだ?」

 皆が不思議がっていた。

 このまま連れていけば、途中で間違いなく死ぬ。私がさりげなく、離れるように仕向けても嘴で突いてそれを拒んだ。

 それを見て、美琴が何かに気づいたようだった。

「しょうがない。このまま連れていくしかないだろうな」

 部長が言った。

「いいんですか? このままだとこいつにとって劣悪な環境ですよ」

「仕方がないだろう、安井。こいつお前の肩から離れようとしないんだから。もしかしたら、もっと高い所に住処があるかもしれん。そこまで連れて行ってほしいのかもしれないぞ」

 それはあり得る。

 確かにもっと高い所なら、他に高山に住まう鳥や生き物がいるから、もしかしたらそこなのかもしれない。

 とりあえず、私は日に当たらないように、手持ちのハンカチをライチョウにかぶせた。

「よーし。とにかく行くぞ。まだ道は長いんだ。新人は這いつくばってでも俺たちに食らいつけよ!」

 部長の号令と共に、私たちは歩き出す。

 一部は、えー!? と声を漏らしたり、一部は、楽しみだな、と言い合ったりしていた。

 私はあの靄のこととこのライチョウの意図が一体何なのか、そのことばかりを考えていた。

 そして、もう一つ気になったことは、私の横で美琴が細い目で私を見つめていたことだった。

「どうかしたのか?」

「別にー」

 と、美琴はそっぽを向く。

 何か不機嫌だ。もしかしたら、あんな怖い思いをしたせいなのか、と思っていたが、美琴は小さく、

「やっぱり男の人って単純で鈍感なんだなあ」

 と呟いていた。

 その意味が、あの事件が終わるまで私は一向に分からなかった。

 

   4.

 

 結局あの後――北岳登山は、あのライチョウと共に過ごしてしまった。

 目標の北岳に到達し、ライチョウも家に帰ることだろう、と思っていたが、ライチョウは、帰るどころか私の肩でくつろいでいた。

「お前の家はどこにあるんだ?」

 と、聞いても、ライチョウは首を傾げるだけだった。まるで、何をそんなおかしなことを聞いているのか――私の肩が自分の家、と言わんばかりに。

 宿泊地まで結局付いてきて、いざチェックインとなる時に突然いなくなり、やっと解放されると思った。

 だが、客室に入った時、ベランダであのライチョウは私たちを待ち構えていた。

 私は、ライチョウに気を使って、客室の温度を下げて寒い思いをしながら過ごした。

 そして、下山も私から離れる様子は一向になかった。

 高い所に住むライチョウが下に来れば、自身がどうなるか分かっているはずだ。

 私は、とりあえず市役所に連絡を入れて、無理矢理にでも引き離そうとした。

 すると、ライチョウは怪我が癒えたのだろう――飛び立って行ってしまった――思い切り私の頭にフンをぶつけて。

 そして、美琴と二人で懐かしき我がアパートに戻ってきたと安堵しながら、部屋に向かうと――。

 

 ライチョウが私たちの部屋のドアの前で待っていた。

 

 何故だ!?

 なんでいるんだ? 

 というより、どうして私たちのアパートがここにあると分かった?

 いやそれよりも――。

 

 どうして、この環境下で平気なのだろうか?

 

 襲い掛かってくる疑問の嵐に、私はもう少しで倒れそうになった。

 だが、目の前にある現実は間違いないものだ。そう言い聞かせ、美琴と二人で相談した結果――。

 

 ライチョウを飼おうということになった。

 

 天然記念物、ましてや絶滅危惧種のライチョウを許可もなしに飼うなど言語道断だ。ライチョウを知っている人に見られでもしたら、私たちは一躍犯罪者の仲間入りになってしまうだろう。

 せめて、このライチョウが元の家に帰ってくれることを願った。

 こうして二人と一羽の生活が始まった。

 

   *

 

 ライチョウのことをライラと名付けたのは美琴だった。

 ふと、近くのレンタルビデオ店で美琴が借りてきた映画の主人公がライラだったから、というのが理由らしい。

 私はライチョウの最初の二文字をかけてライラだと思ったのだが、どうやら違ったようだ。

 美琴が提案した名前に決定した後で、私はライチョウにライラと呼んでみた。

 すると、ライラは喜んでいるような声で鳴いた。

 気に入ってくれたらしい、と私と美琴は顔を合わせて笑った。

 

   *

 

 ライラと過ごした日々の中で、私が印象に残っているのがいくつかある。どれもかけがえのない思い出だった。

 

 ライラがアパートに来てまだ日が浅いころだった。

 暇つぶしに散歩に出ようとして、家を出た時だった。

 ライラは私の肩に乗った。

「……付いてくるのか?」

 私がそう言うと、ライラは、鳴いた。どうやらそうらしい。

「そうか。なら待ってろ」

 私はそう言って、ライラにハンカチをかぶせた。わざわざ鳥の形に合うように私が頑張って縫い合わせて作った特製ハンカチだ。

 それをかぶせると、ライラは嬉しそうに鳴いた。

 

 家を出て私は適当に歩き始めた。

 どこに行こうか迷っていたが、途中で美琴が今バイト中であることを思い出し、私はそこへ向かおうとした。

 行先は、郊外の動物喫茶。

 何をトチ狂ったのか、美琴は大学に入ってからいきなりそこでアルバイトをし始めた。

 動物好きということは一度も聞いたことはない。ただ、嫌いと聞いたこともない。だが、動物と間近で仕事をする場所を選ぶとは思ってもみなかったのだ。

 どうやら雑誌に載っているほどの人気店の一つらしく、最近メトロポリス内にも別店舗が開店したとか、美琴が言っていた。

 どんなところか一度は見に行こうと思っていたが、あまり余裕がなく行く機会を逃していた。

 今がその時だと思った。

 

 そこへ行くには近場の公園を突っ切るといい近道になる。

 私がそこへ入っていくと、子供たちが元気に遊びまわっている姿が目に見えた。その他にもカップルがベンチに座っていたり、近所で見かけたおじさんがベンチで寝ていたり、ブランコにスーツ姿の男性の姿が……いや、それは見なかったことにしよう。

 とにかく、緑が多いからライラにとっても、故郷に近い環境になるのでは、と思ったのだ。

 そんな中、私に気が付き、向かってくる二人組の少女がいた。

「あー先生だ!」

「やっほー、久しぶり」

 私は立ち止まった。

「ああ、君たちが。久しぶりだな」

 彼女たちは私がアルバイトをしている塾の教え子だ。何故かは分からないが、私は塾内でそれなりに人気があるらしい。何故かは知らないが、主に女子から言い寄られることが多々あった。

 昔はそんなことは、物語の中の非現実だと批判していたが、こうやって言い寄られるのは悪くない。人に頼られるとは中々気分がいい、と初めて感じた。

「先生こそ珍しいね。何? もしかしてデートに行くとか?」

「そんなわけないだろ……ただの散歩だ。君たちこそ珍しいな。君たちのことだから街にでも繰り出していると思っていたんだがな」

 半分事実を突きつけられながらも、私は彼女たちにそう返した。

「まあ、行ければ行きたかったんだけどね。でも今日は夏休みの自由研究があるからさ。それのためにここに来ていたってわけ」

 へえ、と私は感心した。

「珍しいな。てっきり宿題は夏休み最終日にやると思っていたが」

「そこらの人と一緒にしないでくださいーだ」

 ははは、と私は笑った。

 その時だった。ライラが突然鳴きはじめて私の首元を突き始めたのだ。

 鳥の嘴とはいえ、直にやられれば、激痛だ。

「……痛え。ライラ、何をするんだ」

 ライラはそっぽを向いた。

「……あれ? 先生の肩に留まっているのって何?」

 どうやら肩に留まっているライラに気が付いたようだ。

「ああ、これな。最近鳥を飼い始めてな。物わかりがいいのかよくなついてるんだ」

 へえ、と彼女たちは興味津々で、私に寄ってくる。

「へえ。かわいい鳥だね。何ていう鳥なのかな?」

「あ……特に聞いてなかったな。ペットショップの人がこの鳥がお勧めって言ってたものだから……」

 飼ってはいけない天然記念物かつ絶滅危惧種の鳥を日本アルプスから連れてきたなどと口が裂けても言えない。

「へえー。ちょっと触ってもいい?」

 と、彼女が手を出した時だった。

 羽で彼女の手を払ったのだ。

「あらら……。やっぱり初対面だと不審がられるよね」

 あはは、ともう一人が笑う。

「まあ、仕方ないさ。外に出すのは初めてだからな。見るものが全て新しいから不安なんだろう。これから見かけたら仲良くしてくれ」

 私がそう言うと、彼女たちは、はい、と答えた。

 二人は駆け出していく。私は、その姿を見送った。

「やれやれ……。あいつらも来年は受験生なんだから、少しは危機感を覚えてほしいものだが……」

 まあいいだろう。あの年齢が一番楽しめる一年なのだから、好きなようにさせてやろう。

 私は再び歩き出す。

 何故だろうか。ライラは、さらに私の近くに留まり、私の頬にすり寄ってきた。

 鳥のなんらかの習性だろうか、と愚鈍な私は、その時そう考えてしまっていた。

 

   *

 

「あの……ライラ……。ノートが執れないんだけど……」

 私は眼前に留まっているライラにそう言った。

 だが、ぴくりとも動く気配を見せない。

「お願いだから、どいてくれないかな? 今大事なとこなんだ」

 ライラは私を無視するように反対の方へ顔を向けた。

 

 大学の講義中のことだ。

 夏休みが終わってから、ライラは大学へ行くときも私の肩に留まっていた。

 大学内にペット持ち込みなどあってはならない――ましてや絶滅危惧種であると教授に知られればどんな目に遭うか分かったことじゃない。

 とにかく思いついたことをあれやこれやと大学に説明して、講義の邪魔をしなければという条件で了承してもらったのだ。

 

 確かに講義の邪魔はしなかった――私を除いては。

 ライラは、その愛くるしさからひとたび大学のマスコット的な立場を確立していった。

 私としては、いつばれるか冷や冷やしながら、言い訳を何個も考えてはストックし、いついかなる時も対処できるように備えていた。

 特に山岳部のメンバーは、私以上にライラの注目を気にしていて、発覚して廃部にならないか、と特に部長がそれを気にしていて仕方がなかった。胃が痛かったのだとか。本当に他人事ではないが、ご愁傷様だ。

 それでもライラは、山岳部でも可愛がられ、次の冬の山登りにも同行させようと計画をしてくれた。

 だが、これだけ可愛がられるライラであったが、私が講義を受けている時は特に、邪魔がひどかった。

 確かに講義中は他の生徒を邪魔することなく、大人しいのだが、この大人しさが私には正直に言えば鬱陶しかった。

 私のノートの上に留まって私にノートを執らせてくれないのだ。

 じっと私の方を見つめているだけで、私の言葉を一向に聞いてくれない。

 しかも、美琴を含めた女子が私の隣に座ろうとすると激しく泣いてこれを拒む。

 仕方なく私の二個隣の席に美琴が座ってくれるが、それでも時より美琴に鋭い視線をライラは送っていた。

 ノートを執る時――特に重要な所を記入するときは焦る。

「おい、ライラ。頼むからどいてくれ。今本当に大事な所を書いている――ああああ!」

 そんなやり取りをしている間に、教授はさっさと黒板の内容を消して次の内容を記入していく(スマートフォンで写真を撮ればいいということをこの頃の私は知らなかった。レコーダーで講義内容を録音し、後でそれを聞きながらノートを見て復習していた。その方法があると聞いた時は、人生の半分を損した気がした)。

 結局、ノートは執れずに、ライラの相手をしなければならなくなる――完全にライラの勝利だ。

 ライラが来てから、アパートで美琴のノートを写すのが日課になってしまったのだ。

 

   *

 

 私がアルバイトから帰宅した時だった。

 時より、帰ってみると、美琴とライラが互いに鋭い視線を与え続けている場面が何度もあった。

 美琴は服や髪が乱れ、ライラも羽が乱れている。

「……何かあったのか?」

 私がそう聞くと、美琴は、

「何でもない!」

 と、怒ったように返答し、ライラもそれに続くように鳴いた。

「な……何でもないようには見えないぞ? まるで喧嘩したような感じだが」

 喧噪から見ても、どう考えても喧嘩をしていたようにしか見えないのだ。しかし人間と鳥が喧嘩するというシチュエーションはあまりに奇妙だ。一体どんな言い合い(?)をしているのだろうか。

「一体どうしたって言うんだよ。事情を話してくれないと」

 美琴は諦めたように座り込む。ライラも、鳥籠の中に戻って行った。

「別に、たいしたことじゃない……いいや、わたしからしたらたいしたことあるんだけど……」

 美琴はそれ以上何も答えなかった。

 

 いつものようにライラに餌をあげようとした時だった。

 ライラは、私の時は素直に食べてくれるが、美琴の時は嫌々食べるのだ。

 原因は分からなかった。ただ、あげ方の違いで餌の味が変わるのでは、と私は予想したが、美琴は、また細い目で私を見つめ返すのだ。

 ……何がいけなかったのか分からない。

 そして、後から聞いて分かったことだが、美琴は、ライラに餌をあげている時に独り言を呟きながらあげていたらしい。

「大学生になって色々なことが変わったなあ……」

 少し虚ろな目をしながら美琴は呟く。

「ううん、もっと前かなあ。高校に入ってからだなあ」

 美琴は、餌をテーブルで丸めながら言う。

「中学まで女子高で、高校になってから初めて共学に入ったんだっけ……。男の人の免疫が無くて、部活選びに右往左往していたのよね……」

 はあ、とため息を吐く。

「恭一と出会って……山登りを初めて……ライラと出会って……変わっていったなあ……」

 そして、美琴は言う――。

 

「恭一のことを……好きって思えるようになった……一緒にいたわたしだけが……恭一のことをよく知っているんだから……」

 

 それが止めだった。

 ライラは突然鳴きはじめ、ケースから飛び出し、美琴を攻撃し始めたのだ。

 足や嘴を使って、美琴の腕を引っかいたり、突いたりし始めた。

「ちょ……ちょっと! 何なのよ!」

 美琴は、反射的においてあるクッションを投げて応戦した。

 

 そして、激しい攻防の末――。

 私が戻ってきて戦いは中断されたというわけだ。

 

 喧嘩は良くないなあ、と私は当初そう思っていた。

 その所為なのだ。

 ライラを――何より美琴をどぎまぎさせてしまっているのは――。

 間違いなく、私の所為なのだ。

 

   *

 

ライラと過ごした日々は本当に短かった。

 時期を数えても精々四か月程度しかなかっただろう。

 それでも、印象に残ったこと、些細な日常の中にでも、ライラは間違いなく私たちを変えてくれたのは確かだった。

 だが、結局は長くは続かない。

 それが、人間と動物の限界なのだ。

 

   *

 

 切っ掛けは朝のニュースからだった。

 冬が来て、安アパート内に寒さが充満し、こたつでぬくぬくとしながら試験勉強に勤しんでいた時だった。

 ライラは、その頃から窓の外を見つめるようになっていた。

 理由は分からないが、美琴はおろか、私にも反応しない。今までこんなことは一度だってなかった。

「どうしちゃたんだろ。餌もあまり食べなくなったし」

 確かにおかしい、と私は思った。

 ライラには充分な愛情はあげていたつもりだった。何一つ不自由させないように、慎重に気をつかったつもりだった。

 だが、ライラは何故か寂しそうに外を見つめているのだ。

 私は、原因が分からないまま、テレビの方へ顔を向けた。ライラにも、何か思うことがあるのだろう。なら、そっとしておいたほうがいい、そう思ったのだ。

 だが、ニュースを見て、ライラが落ち込んでいる原因が分かった。

 

『日本アルプス周辺では、ここ最近異常な突風と大雪に見舞われています。登山を予定している人は、天気が回復するまで待った方がいいでしょうね』

 

 それを見て、私はまたライラの方を見つめた。

 ライラはちらと私を見ていた。

「……帰りたかったのか」

 そうだ。

 一緒にいて、忘れてしまっていたのだ。

 元々ライラを元の場所へ戻すはずだった。それが、ライラの我儘で、ここまで一緒にいたのをすっかり忘れてしまっていた。

 迷惑ではなかったが、やはり、どんなことであれ、帰りたいと思ってしまった以上、故郷に思いをはせるのは仕方のないことなのかもしれない。

 少し自分勝手な鳥だが、それも全て、ライラの見てみたいという意志だったのだろう。募る好奇心には勝てなかったということだ。

「そうよね……ずっと一緒にいるわけにはいかないものね。あっちにだってライラの友達や家族だっているんだし」

 美琴が言った。

「でも、今はまだ登れる雰囲気じゃないしなあ」

 天候不良の中で登山をすれば、命はない。それはライラとて同じことのはずだ。

「天候が良くなったら、北岳に行こう。それでいいよな」

 私は美琴とライラに行った。

 美琴は、うん、と頷いた。

 ライラは、この日初めて、私の肩に乗って、鳴いた。どうやら了承してくれたようだ。

「よし、それなら、ライラとの思い出づくりをしよう。みんなで形に出来る思い出を作って、悔いのないようにしようか」

 もう時間は残り少ない。

 テスト勉強は大事だが、それ以上にこの繋がりを大切にしたい気持ちが高ぶっていた。

 せめて、最後の一秒まで――ライラと過ごした日々を大事に残しておきたい――私たちはそう思った。

 美琴とライラは嬉しそうに頷く。

 私たちはさっそく準備をして最後の思い出づくりを始めた。

 私は、この瞬間をよく覚えている。

 切ない気持ちだったが、だが、これで良かったはずだ、と思っている。いつかは来る別れ。それが今来ただけなのだと。

 来るべき時が来たのだ、と自分に言い聞かせ、私は一人隠れて涙をこらえたのを覚えている。

 

   5.

 

   *

 

 日本アルプス周辺の天候が良くなったのは、それから二日経った後だった。

 その間に、私たちはライラを連れて色々な思い出づくりをした。

 あの名前を彫ったストックを作ったのもこの時だった。

 二日の間に出来ることは少ない。だから、形に出来るものを作って、なるべく思い出せるような思い出づくりを心掛けた。

 写真を残し、物を作り、そうして思い出を作った一週間……。

 

 別れの時はやってくる。

 

   * 

 

 以前と同じように、装備して車で日本アルプスまで向かっていた。

 今回は山岳部の人たちはいない。美琴とライラだけだ。

 天候はようやく回復し、以前のような快晴日和となっていた。

 ただ、一つ違うのが、十二月ということであり、地上の温度はかなり低い。これに山の気温の低さを考えれば、その寒さは壮絶だろう。しっかりとした重装備をしなければ、すぐに体温を持っていかれる。

 私たちは、以前登ったルートを使った。ライラに出会ったのは、そのルートからだったからだ。

「じゃあ、行くか」

 と、私は言う。

 美琴が頷き、ライラは鳴いた。

 ライラは、夏とは違って、何も装備していない。ハンカチはもう必要ないだろう。これが、ライラにとって最適の環境のようだ。

 しかし、果たして本当にライラの巣に辿りつけるだろか。

 前回は、あのルートを最後まで行ったが、結局ライラの居場所は見つからなかった。

 今回はどうなのだろうか。

 それとも、私たちを迷わせ、ライラと出会ったあの靄の中にその答えがあるのだろうか?

 進むまで、その答えは分からなかった。

 

 小太郎山分岐点にたどり着いた。

 前回は、ここで靄に巻き込まれてライラと出会ったのだが……。

 一向に靄が現れる気配は見せなかった。

 試しに前回休憩したくらいの時間帯まで待ってみることにしたが、その気配は一切現れない。

 もしかして、やはりあの靄は関係ないのだろうか。ただ普通に登っていれば自然とライラの住処にいけるのだろうか。

 いや、しかし、どうして靄がライラへの住処に繋がると思ったのだろうか?

 ライラと出会ったのが靄の中だったからか?

 前回登った時にライラの住処が見つけられなかったからか?

 いや、それよりも、私は何かを忘れている気がした。

 何か、一つ忘れている違和感があったような……。

「……何にも起きないね」

 考え込んでいる時に美琴が唐突に言った。

 私は少しだけ驚いたが、そうだな、と言って返した。

「偶然だったのかなあ?」

 偶然だったか……もしかしたらそうかもしれない――以前の私ならそう思っていたかもしれない。

 だが、あの靄が偶然のものとはどうしても思えない。

 靄に包まれた時、その場にいた人たちに一切声は届かなかった。

 それだけではなく、登山者が私たちを除いていなくなった。歩いても歩いても、次のコースに進む気配すらなかった。

 だから、こう思えるのだ。

 あの時――靄にいた時だけ、私たちは別の場所にいたのではないか、と。

 どこにいたのかは分からない。少し道に逸れたのかもしれない。もしかしたら、人には知らない、北岳に住む動物にしか分からない秘密の場所への道を偶然にも進んでしまったのかもしれない。

 ライラなら、その道を知っているはずだ、と私は考えていた。

 だから、ここに来れば、自然とライラが住処へ導いてくれるような気がしていたのだ。

 だが、その気配は一切なかった。

「……とにかく登ってみよう。せっかく登りに来てるんだ。登ってから考えよう」

「そうだね」

 私たちは再び歩き始めた。

 

 コースの中腹に差し掛かろうとしていた。

 ここまで何も変化が無かったが、突然、ライラが顔を上げて、一回鳴いた。

「ん? ライラ、一体どうしたんだ?」

 私が声をかけると、ライラは、私たちに向かって何回も鳴いた。

「どうしたのかしら?」

「もしかして、住処が近いのか?」

 ライラがまた鳴いた。

 するとその時だった。

 前方から突然、靄が津波のように覆いかぶさるようにして現れたのだ。

「あの靄……!」

「来たな」

 あれだ。あれを私たちは待っていたのだ。

 靄は、一瞬にして私たちを包み込んだ。

 他の人は、靄の存在に意も介していないようだった。多分、あれが不思議な靄であることを知らない――私たちにしか効果はないのだろう。

 だとしたら向こうでは、私たちが一瞬にして消えたのでは、という摩訶不思議な現象が起きているのだろう。

「どうする?」

 美琴が聞いてきた。

「このまま進もう。いいだろ、ライラ」

 私は、ライラに尋ねた。ライラは、問題ない、と言わんばかりに鳴いた。

 私たちはそのまま進み始めた。

 通常なら緩やかな坂が続いているはずだが、ここは違った。

 最初は、平坦な道だったが、途中から坂が急になっていった。

 明らかにコースとは違う道だ。私は前回の記憶と対比させた。

「元々あった道なのか、それとも今しかない幻の道なのか……」

 私はそんな独り言を呟いていた。

 靄は、私たちが進むと、道を作るように左右に逸れていった。だが、先は見えない。出口のないトンネルを進んでいるようだった。

「ねえ、もしかして、このまま崖に誘導されていって落ちるっていうオチはないよね?」

 落ちるだけにオチか、と私は冗談を言った。美琴は、違うよー! と私に寄りかかった。

「大丈夫なはずだ。なあ、ライラ」

 私はライラに言った。

 ライラは鳴いた。

 大丈夫なはずだ、と私は願っていた。靄を抜けたら、そこは崖であり、そのまま下へ真っ逆さまという終わり方だけはないように、と神に祈っていた。そんなことになるなら、遭難した方がまだましだ、と。

 そんなことを祈りつつ、私たちは進んだ。

 

 二十分ほど経っただろうか。突然ライラが鳴きはじめた。

「どうしたんだ、ライラ」

 私はライラに聞いた。だが、ライラは、私の質問を無視するように鳴くのをやめなかった。

 靄がゆっくりと引き始めたのだ。

「これって……」

 どうやら美琴も気づいたようだ。

 靄が晴れていく――つまり、目的地が近いということだ。

 あの先にライラの故郷がある。

 靄はゆっくりと引いていき、次第に青空が見えてきた。

「あ……あれ、見て!」

 美琴が指さした。

 私は指さす方へ目を凝らす。

 靄が退いていく先に、その光景が姿を現してきた。

「これって……」

 眼前の光景を見て、私は驚いた。

 一本道がそこで途切れていた。山の中腹より少し上だろうか。所々雲に覆われている山々の光景から見てそう考えられる。

 途切れた一本道の先に――。

 

 一本の桜の樹があった。

 

 かなりの巨木だった。十メートルは優に超える大きさで、見るからに、かなり昔からここで生きていたのだろう――まるで屋久杉やカルフォニアにあるブリスルコーンパインの木々のように老齢でありながらも猛々しい雰囲気を醸し出していた。

「夢みたい……」

 美琴が言った。

 私も同じ気持ちだった。まるで夢を見ているかのような感覚だった。

 北岳にこんな場所があったとは聞いたことがない。ましてや、高山に桜が咲くという話すら聞いたことがない。

 桜が咲くには条件がかなりあるが、ここなら確かに寒さに耐えられるかという疑問を除いてその条件はクリアしているだろう。

 桜の樹を見たと同時に、ライラが翼を広げて飛んでいった。ライラが飛んだと同時に、桜の樹から二、三羽ほど鳥が飛んできて、ライラの周りを飛んだ。

 お互いに鳴きあった。

「もしかして、あれがライラの家族なのかな?」

「そうかもしれないな。四か月ぶりの再会だ。きっとお互い恋しかっただろうに」

 ライラを迎えた鳥たちがまた樹に戻る。ライラも私の肩に戻ってきて、一回鳴いた。

「もしかして、樹に近づいてみろってことか?」

 私と美琴は、そう思い、樹に近づいた。

「近くから見たら凄い大きいね」

「ああ……」

 真正面に立って見上げると、本当に巨大な樹に見えた。外からこの樹を眺めようとすれば、見えるはずなのに、今までこれの存在に気づかなかった。

「靄や雲に覆われて、ずっと姿を見ることが出来なかったのかもなあ」

 私はそう思った。

 まさに幻の樹だ。何かご利益がありそうな神木に思えてくる。

「ねえ、知ってる? 樹に聴診器を当てると、樹が水を吸っているような音が聞こえるんだって」

 その話は聞いたことがあった。

「知ってるよ。樹が生きているって実感できるらしいな。実際はどんな仕組みかは

解明されてないようだが」

 私はそっと樹に触れてみた。

 私の耳は大して特別な力があるわけではない。樹が生きている音なんて聞けないし、樹の声なんて知らない。

 だが、上を見上げて、ライラとその仲間たちが嬉しそうにしている姿を見ると、この樹にどれだけ守られたのか――この樹が彼女たちの家としてどれだけ彼女たちを大事にして、守ってきたのか分かる気がしたのだ。

 そして、思う。

 もう行かなくては、と。

「美琴……僕たちはもうここを離れよう」

「え……?」

 美琴が不思議そうに言った。

「ここは、僕たちが長居してはいけない場所なんだ。ここは、人の踏み入る場所じゃない。ライラたちの居場所なんだ」

 私がそう言うと、美琴は、うん、と頷いた。

「そうだよね……。ライラと一緒にいれなくなるのは辛いけど……でも、そうだよね」

 私は、ライラを見つめた。

 ライラは私たちに気づいて、私たちを見つめ返した。

「ライラ……僕たちはもう行くよ。元々、君を家に帰すのが目的なんだ。これで、目的は達成できた……そうだろ?」

 私がそう言うと、ライラは悲しそうに鳴いた。

「悲しむなよ。元々なら、もっと早くこうなるはずだったんだ」

 そう。思えば、長い道草だった。

 出会ってすぐに、ライラのいる巣に返そうとしたが、結局四か月も遠回りをしてしまった。

 いつかは別れる――分かっているし、承知していた。

「今度は、僕らがここに来る――。またここに遊びに来るから、その時は、君の好きなものも一緒に持ってこよう。なーに、一か月もすれば休みになるから、その時に会えるさ」

 なっ、と私は言う。ライラは、私たちを見つめながら、小さく頷いた。

「じゃあな、ライラ。四か月間、楽しかったぞ。大好きだ」

 私がそう言うと、ライラは、大きな声で鳴いた。

「じゃーね。ライラ! また決着はついていないんだから! 次に会う時には決着をつけましょう! わたしのライバル!」

 美琴はそう叫んだ。一体何の決着かは分からなかったが、ライラは、少し怒ったような声で鳴いていた。

 私たちは踵を返す。そして、来た道を戻り始めた。

 ライラは鳴いていた。

 その声がどんどん遠くなっていく。

 靄の中に入ると、その声はさらに霞んでいった。

 そして、その声が届かなくなり――。

 

 靄は晴れた。

 

 入った時よりさらに短い時間で晴れた。

 私たちは、最初に靄にかかった場所から数百メートル進んだところにいた。

 辺りを見回しても、登山者がちらちらといるだけで、抜け道などは一切なかった。

「あー……本当に別れちゃったのね」

 美琴が言った。

 そうだな、と私は、肩をさする。

 肩が軽い。ライラの重み――ライラがそこにいたという証は完全に消え失せていた。

「大丈夫よ、すぐに会えるから」

 美琴は、私を励ますように言った。

 そうだ。テスト期間が終わればまたすぐに会いに行ける。

 たった一か月だ。その間、ライラと出会えるのを心待ちにすればいいだけの話だ。

 なのに――。

 何か、心に穴が開いたような感覚だ。

 山に吹く風が胸を貫いて、ぽっかりと空いた穴を通過していく――心が寒い――震えが止まらなかった。

 美琴は、私をゆっくりと抱きしめた。

「いいよ、そのままで……。落ち着くまで、わたしがここでこうしてあげるから。だから……泣いていいんだよ」

 美琴がそう言うまで私は気づかなかった。

 私は泣いていた。

 今の今まで、自分自身に何が起こったことすら分かっていなかった。

 だが、ようやく分かった。

 

 ライラと一緒にいた四か月が、私たちの中でどれほど大切なものだったのかを――。

 

 今更ながらに思い知らされた。

 




続きます
リア充のキャラなんか書きたいと思います?






……爆ぜろ
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