それにしてもおかしいなあ……次回は短くなるって言ったはずなのに、第一話よりページ数も文字数も多いんだが……(冷や汗)
其の1
1.
*
もう何度見たか分からない。
脳裏にひたすら繰り返される夢。
自分自身が巨人になって、怪獣と戦う夢だった。
はじめは、自分が完全な劣勢で、為す術もなく、怪獣に蹂躙されてしまう。鉤爪で引っかかれ、嘴で突かれる。それはまるで、斬撃と銃撃のようだった。
だが、それでも、自分は、最後にそれらの攻撃を受け流し、抑える。それからは、こちらが攻勢だった。
がむしゃらに正拳や蹴りを入れていく。
そして、怪獣がほぼ沈黙したところで――。
必殺技の光線を放つ。怪獣は目の前で爆発四散していく。
それで夢は終わるのだ。
だが、その直後。
不気味な声と共に、底から奇怪な触手がティガの四肢に巻き付き、身動きが取れなくなった。
今まで見てきた夢に続くように表れた新しい夢。
どういうことだ。一体何なんだ。新しい夢に一切の対処も出来ない自分は、何もすることが出来ない。
目の前には、奇怪な物体が
そして、闇は、自分に向かってこう囁いた。
『光、消えろ――』
そして、ツバサは、目を覚ました。
*
「……」
目を覚ました時、ツバサの脳裏に広がったのは白い天井だった。
辺りを見回してみると、そこには、ランプスタンドや化粧台、そして押入れなどがあった。
どこかの寝室のようだった。
ツバサは体を起こした。キングサイズのベッド――一人で寝るには大きすぎる。
ツバサは状況を整理した。
まず、ここはどこだろう。僕は、誰かに助けられた、と考えた方がいいだろうな。
どういった経緯で自分がこうなったかは分からないが、とにかく助けてくれた人がいるはずだ。まずはお礼を言わなくては、とツバサは、ベッドから起き上がろうとした。
誰かいるだろう、と思い、ドアの近くまで歩くと――。
突然、近くにあるドアが開かれた。
咄嗟の出来事にツバサは、硬直してしまった。それはまるで石像のようだった。
中から中年の男と一人の少女が入ってきた。
中年の男性は、洗面器を両手に持ち、少女はタオルを持っていた。
二人は、突然目の前に起こった光景に理解する時間が間に合わず、ツバサと同じように硬直してしまう。
どうしよう……一体どうすればいいのだろうか……、という空気が流れた。
とにかく、一言喋らないと。そうじゃないと一生このままかもしれない、とツバサはそう思い、何とか言葉を口にした。
「あ……おはようございました……」
さらに体が硬直した。
ああ、どうしてなんだ! 何でこんな馬鹿な言葉を口にしたんだ?
ツバサは、おはようございますとありがとうございました、を言おうとした。だが、あまりの緊張と咄嗟の出来事に二つの言葉が混合してしまった!
ツバサは、全身の体温が急上昇していくのを感じた。顔が火照っている。多分、顔は真っ赤に染まっているだろう。
「……っ!」
ツバサが、言葉を噛んで数十秒経った後、少女は堪えきれなかったのか、吹き出すように笑った。
「ちょ……ちょっと、どういうことなの! 『おはようございました』なんて、可笑しすぎ!」
少女は腹を抱えて笑った。ツバサは、苦笑いしか出来ずに、何も言い返すことが出来なかった。きっと、生涯忘れることの出来ない痴態だろう、と思いながら。
少女とツバサの顔が柔らかくなったのか、男は、微笑してツバサに話しかけた。
「ははは、その様子だともう大丈夫そうだね」
優しい声だった。ツバサは、その声を聞いて、一気に安心感に包まれた。
「はい……おかげさまで。助けていただいてありがとうございました」
「いやいや。お礼なんてとんでもないよ。まあ、どうだい? まずは体をふいてから、これまでの経緯についてお互いに話すとしようじゃないか」
ツバサは、男の言葉に従い、もう一度ベッドに座る。そして、出来るところは自分でやりつつ、体を拭くことにした。
「まずは、自己紹介させてもらおう。僕は、エンジョウ・ノリアキ。一応この家の主人ということになるかな。そしてこっちは――」
「娘のホノカです。よろしくね」
男――ノリアキと少女――ホノカはそう名乗った。
ノリアキは、包容力のある優しそうな男だった。初対面のツバサも、彼の一言で安心出来るほど、優しい人なのだろう。
そして、ホノカは、可愛らしい少女だった。自分と歳は近いか、とツバサは予想する。
黒い長髪が魅力的だ。
二人が名乗ってくれたのだから、自分も名乗らねば、とツバサは微笑みながら自分の名を――、
「助けてくれて、有難うございます。僕の名前は――」
完璧に名乗ることが出来ない。
「……ツバサ」
ツバサは、小さく呟いた。
ノリアキとホノカは、聞こえなかったのか、一言、えっ? と漏らした。
「いや、だから……ツバサ……。あれ? 何ツバサだったっけ……あれ……どうしてだ?」
ツバサは混乱する。こんな単純なことをど忘れしてしまっては、またさっきのように笑われてしまう。
ツバサの混乱は、ど忘れによる焦りから来ているのではないと、自分自身でようやく悟った。
「分からない……僕の名字が、全く……」
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
ホノカが、頭を抱えるツバサに寄り添ってきた。
ツバサは、思わず、ホノカの両腕にしがみついた。
「エンジョウさん。僕は……僕の名字は一体何なのですか?」
「え……」
「分からないんです。僕の名字が。名前はツバサだとはっきり断言できるのに、名字だけが思い出せない――いや、元から名字はなかった、と認識しているんです!」
ツバサの焦りが、段々と大きくなっていた。ノリアキも、ツバサの傍に来て、
「とりあえず、落ち着きなさい。目を閉じて、深呼吸をして、そして自分が大丈夫だと思った時に目を開けなさい」
ツバサは、言われた通りにした。
瞳を閉じてゆっくりと息を整える。すると、心臓の鼓動がゆっくりとなっていくのを感じた。しばらくすると、落ち着いてきた、と自覚するにまで至った。ツバサはゆっくりと目を開けた。
「落ち着いたね」
ノリアキが言った。
「はい……。申し訳ありませんでした」
「君が謝る必要はないよ。とにかく、落ち着いて。君は落ち着きながら僕たちに一つ一つ話せることを言いなさい」
ノリアキの言葉が鮮明に耳に入ってくる。
ツバサは言う通りにして、一つ一つ丁寧に自分について話した。
まず、ツバサは、自分が一体どこで生まれ、どこで育ったのか――自分の過去のことについては一切分からないということだ。
つまりは、記憶喪失だった。
自分がどこで生まれ、どこで育ったのか――自分のこれまでが、何もかも思い出せない。
だが、それは完璧なものではなく、自分の名前は分かるが名字が分からない、年齢や血液型などの詳細は分かるが、それが誰譲りかは分からない。過去にどこで大半を過ごしたのかは分からないが、つい最近のことならぼやけてはいるが、分かると言った具合だった。
「なるほど。つまり、過去の君の情報は綺麗に消え去ったが、最近の情報ならある程度分かるということか」
と、ノリアキが言った。
「はい。まるで、昔の記憶は――昔の僕ごと死んでしまったような、そんな不思議な感覚です」
「ふむ。珍しいね。そんなのは聞いたことがない」
「ねえ、お父さん。病院で診てもらった方がいいのかな?」
間からホノカが割り込んできた。ノリアキは、駄目だな、と否定する。
「多分、診てもらっても意味はないだろう。そういうものは、やはり自分自身で見つける方が先決だと思うな」
ノリアキがそう意見すると、ホノカはそうかー、と納得した。それについてはツバサも同意見だ。
「では、最近のことは覚えていると言ったね? 何を覚えているのかな?」
ツバサは、覚えている出来事を口にした。
どこで出会ったかは思い出せないが、銀髪の髪の女性に出会ったことと、一人、意識が朦朧としている中を彷徨っているのは確かに覚えていた。
ノリアキは、女性の特徴を聞くと、ツバサは、覚えている限り伝えた。出会ったことは間違いない、とツバサは断言した。
そして、女性から何かを託された気がする、とツバサは続けていった。
「もしかして……」
ノリアキがホノカに、持ってきて、と小声で言うと、ホノカは軽く返事をして一旦部屋を出ていった。
「その女性はもしかしたらツバサ君のことについて何か知っているような感じがするなあ。何を言われたか覚えてないのかい?」
ツバサは、頭の中で会話を思い出そうとする。
完全には思い出せないが、だが、断片的には分かる。
だが、口にできない――してはいけない、と体が訴えてくる。ツバサは、口を噤んで、頭を横に振った。
『決して、あなたが光の巨人であることをたとえ信頼できる人物であったとしても、誰にも言うことはしないで。その時が来るまではまだ――』
確かに彼女は――ユザレはそう言ったのだ。
殆ど見ず知らずの彼女の言葉を、ツバサは聞かなくてはならないと思っていたのだ。
理由は分からない。だが、彼女からどことなく郷愁を感じてならないのだ。遠い昔に、共に何かを成し遂げた――そんな気がしてならないのだ。
彼女の為にも、その秘密を――ツバサが光の巨人になれることをここで告げるわけにはいかないのだ。
ツバサは、女性と会ったことしか分からない、と伝えた。
ノリアキが、そうか、と一言呟いた直後で、ホノカが戻ってきた。
「持ってきたよ」
ホノカが、ノリアキにあるものを手渡すと、ノリアキは、それをツバサに見せた。
「これは、君を助けた時に君が唯一持っていたものだ」
ツバサは、それを手に取った。
トーチ型の謎のアイテムだった。大きさは、少し小ぶりで、胸ポケットに入れるくらいがちょうどいい感じの大きさだった。
ツバサにとって、今この時、自分自身で自覚しているという条件なら、初めて手に取ったが、それでもツバサはそれが何なのか、初めから知っていた。
スパークレンス。
恐らく、ユザレから受け取った――いや、無理矢理託されたものの正体だ。
これはツバサにとって、光の巨人に変身するには、なくてはならないものなのだ。
だが、それを言うことは出来ない――ツバサは、大事なことを隠してごまかす。
「それが僕の大切なものです。その女性から手渡された――多分、今の僕の全てなんだと思います」
「君の全て……か。いいね。君がいかにこれを大切にしているのか分かるよ」
ノリアキは優しく言った。
「そうですか?」
「うん。分かるよ。僕も昔は一応カウンセリングの仕事をしていたから、自分で言うのもあれだけど、向こうの立場になって気持ちを察するのは得意なんだよ」
なるほど、とツバサは言った。
「まあ、今は結婚してから専業主夫になってしまったけどね。ごくたまに、自治体主催のカウンセリングサークルで時々出させてもらっているよ」
随分信頼されているらしいな、とツバサは思った。確かにこの人の言葉で心が軽くなったのは、先ほど分かった。腕は確かだ。
「話が逸れたね。とにかく、これが君にとって絶対手放してはいけないものなのはよくわかったよ。何しろ、君を見つけた時、ずっと握りしめていたからね」
ツバサは、スパークレンスを見た。
ノリアキは話をつづけた。
「君は、確か、一人彷徨っている記憶があったんだよね? 多分その時だろう、僕らが君を見つけたのは」
「僕を見つけた時、僕はどうなっていましたか?」
ツバサは尋ねた。自分が助けられた経緯が知りたかったのだ。
「助けられた経緯ね……まあ、二つの特別なことを除けばそれほど大したことはなかったよ」
ノリアキは簡単に経緯を話した。
ツバサを助けたあの日――三日前だった。ノリアキとホノカは、怪獣出現によって避難勧告に従い、避難用の荷物を持って、自治体から指定された避難場所へ移動していた。
ノリアキの住む住宅街には、向かい合うように大きな雑木林があった。
一体誰の土地かは分からないが、少なくとも、エンジョウ一家が住み始めてから木々が少し大きくなったことを除けば一切の変化はなかった。
誰も手入れをするところは今まで一度も見たことはなく、勇気を持って雑木林へ入っていく人すらいなかった。
避難場所へは、その雑木林の横にある道路を進んでいく必要がある。ノリアキとホノカがその道を走っていた時だった。
雑木林から人が現れたのだ。
はじめは不審に思った。何せ、今まで一度も足を踏み入れたことのない雑木林だ。人が入る前に人が出てくるなんて思いもしなかったのだ。
ホノカは警戒していたが、ノリアキはすぐにその人が、害のある人間でないと、長年の職務経験から悟った。
その人は、満身創痍だった。
右手に握りしめているものを除けば、何一つ持ってない。体中は傷だらけで、所々は出血している。胸元はひっかき傷が見当たり、そこからの出血がひどかったのか、胸回りで凝固していた。
ノリアキは、その人が倒れる前に抱えた。
「大丈夫ですか? 一体どうしたんですか?」
声をかけてもその人は答えない。
顔からしてまだ少年――もしかしたらホノカと同じくらいの年齢の子供だった。
どうして子供がこんな重傷でこの雑木林から出てきたのだろうか?
怪獣にやられたのだろうか、とにかく、一刻も早く、病院に連れていかなければ命が危ない、とノリアキは考えた。だが、避難勧告中に車は一切使えない。街道に出れば、車がそこら中に停車している。抜け出せることも出来ない。
だが、走って病院へとなると、この傷からして大病院での治療は必須だ。だが、ここからは遠い。走っても二十分はかかるだろう。
それだと間に合わない。避難勧告がいつ解除されるか分からないこの状況で、最前の選択――それは、一つしかなかった。
「ホノカ、お父さんの荷物を持ってくれ」
「え? どうするの? その人を抱えて……」
「このまま病院に行っても間に合わない。出来る限りの手当てを家でする」
「ええ! でも避難勧告が出ているのに……危ないよ!」
「大丈夫だ。怪獣は、湾岸部に現れたんだ。ここから湾岸部は車でも四十分もかかるんだ。大丈夫だ」
そういうと、ノリアキは少年を抱えて家まで走り出した。ホノカ、混乱しながらも、父を信じて後を追った。
家についてからは、必死だったという。
ノリアキは、慣れない手でパソコンに載っている手当の方法を頼りに消毒や包帯をしていった。
避難勧告が解除されたら病院へ連れて行こう――そう考えていたらしい。
それからは、勧告解除まで交代で、ベッドで寝ているツバサを看病していたらしい。
「そうでしたか……。本当にありがとうございました」
ツバサは、再度頭を下げた。
そして、勧告が解除され、救急車を呼ぼうとした時だった。
せめて包帯を新しいのに変えてあげよう、とノリアキは思い、ツバサの体に巻いた古い包帯を取った時だった。
「体についていた傷が、ほとんど塞がっていたんだ」
ノリアキは、そう言った。
ツバサは、驚いて自分の体を見た。
傷は、確かに塞がっていた。
いや、違う。
塞がっているというより、元から傷などなかった、と思うぐらい綺麗だった。
だが、ノリアキはこう言った。発見した時の僕は、体中が傷だらけで、胸のひっかき傷は胸元に血が凝固していた、と。
それだけの状態から、一日と満たない間に傷が塞がるなんてあり得ない。
だが、ノリアキが嘘をついているように見えない。そもそも、ノリアキが嘘をつくメリットが一切ない。
「これが経緯だ。信じられないようだが、ツバサ君、君は死んでもおかしくないほどの重傷を、一日も満たないで回復してしまったんだ」
ツバサは、スパークレンスを手元に置いて、両腕の袖を捲ってみた。
瀕死の状態から、わずか一日での超回復――まるでゲームで、フィールドで立ち止まっていると、自然と体力が回復する――そんな体を持っているという解釈なのだろう。
ノリアキを信じたい。だがツバサは、そんなあり得ないことを百聞しても、一見しないと信用できない、と内心思っていた。
本当なら試してみたい、と思うが、ツバサに自虐する勇気はどこにもなかった。
これが、ノリアキが感じた一つの例外。
なら、もう一つは何なのだろうか?
ツバサは、聞いた。
だが、ノリアキは、目をきょとんとさせて、
「え? もうすでに言ったよ」
と、答えた。
「もうすでに言いましたっけ?」
「言ったよ。さっきの経緯の中に二つの例外があったよ」
あっただろうか、とツバサは考えた。
ノリアキの会話の中で、普通ではないものは、傷の再生が早いということだけだと思うが……。
それ以外におかしなところをノリアキが言っただろうか。
ツバサが言葉を思い出して考えていると、ノリアキがにやにやとツバサを見ていた。横にいたホノカが少しだけ顔を伏せていた。顔が赤い。熱でもあるのだろうか。
少し気味が悪い、と思ったツバサは、さっさと降参して答えを聞いた。
「すみません。先ほどの話を一字一句覚えていないので、答えを教えていただけませんか?」
ノリアキは、分かったよ、と言って答えを教えた。
「まず、君の傷の再生の速さが尋常じゃないほど早いことと――」
さあ、その後だ、とツバサは何故か息をのんだ。
「もう一つ、僕が言ったことは、『右手に握りしめているものを除けば何一つ持っていない』だよ」
――ん?
それのどこがおかしいのだろうか? ツバサは思わず聞いた。
ノリアキは、
「おかしいよ。普通に考えておかしいだろ?」
「いえ。それって僕の持ち物が何一つないということでしょう? このトーチ型のものを除けば身分を表すものなんてなかったということでしょう?」
「だから、それ以外に何もないだろう? 君の衣服やその他の物すらなくて、それしかなかったんだから」
……ああ。
と、ツバサはようやく理解した。
優しい人なのは分かるが、中々分からない人だ、とツバサは思った。
だが、少なくとも、ホノカがどうして顔を伏せて、さらに顔が赤いということについては分かった。
そりゃ、そうだ、とツバサは納得する。雑木林から全裸の男が満身創痍で現れるなんて、生まれて一回あるかないかだ――いや、永遠にないか。
ツバサは、ホノカの方を見た。ホノカはツバサが自分を見たと感じると、少しだけ顔をそらした。
何やら小声でぶつぶつと呟いていた。何を言っているのか分からないが、何かが大きかった……想像していたものより大きかった、とぶつぶつ言い続けている。
「特別なことだったろう?」
ノリアキが言った。
「……言葉遊びですよね?」
「遊び? 君を助けるのに遊びがあるものか。僕は至って真剣だよ」
本当かどうか分からないが、多分、この人は素で言っているのだろう……自信はないが。
だが、とにかく、これで僕が戦った後に何があったかは分かった。ツバサは、ベッドから出ようとする。
「こらこら。まだ寝てなくちゃだめだよ」
ノリアキが静止させようとする。だが、ツバサはこれ以上厄介になるのは迷惑になると考えていた。
「これ以上贅沢は出来ません。一刻も早く記憶を取り戻さないといけないんです」
「取り戻すにしても、君はこれからどこへ行こうというのかい? メトロポリスを無闇に歩き回ったところでどうにもならないよ」
ノリアキの言っていることは正論だった。
これからどこへ行けばいいのか、ツバサは決めかねていた。何も所持していない状態で一体何をしたらいいのだろうか。記憶を探す前に無一文で餓死して死ぬのが落ちだ。
ならば、施設に行ってみたらどうだろうか。とりあえず施設で預けられる身となって、生活に必要な最低限なものを揃えてから、記憶を探しにいくのはどうだろうか。
それとも巨人になってどこかへ行こうか? いや、無駄すぎる。
施設が果たして、自分の行動を許容してくれるか? 勝手に巨人になって無駄に光を消費することがいいことなのか?
どれも無駄すぎる。意味のない行為だ。
だが、他に方法もないのも事実だ。
ユザレからは特に何も指示は無かった。つまり、自分で居場所を探せということなのだろう。
だがツバサは、しばらく後で、これこそがユザレが与えたものなのだ、と理解する。
ノリアキは、家を出ていこうとするツバサを静止させながら、こう提案した。
「この三日間、妻とホノカと話してみたんだけど……どうだろう、ツバサ君。もしよかったら、僕らと一緒に暮らしてみないかい?」
唐突だった。ツバサは、一瞬我を忘れた。
見ず知らずの少年を、雑木林から現れた得体もしれない少年を、三日も手当てしたにも関わらず、その上一緒に暮らさないか、と尋ねてくる。
よほどのお人好しもこれには、目を丸くすることだろう。
「君の記憶を取り戻す手伝いになるかもしれないからね。それに、君にとっては願ってもいない話じゃないかな」
ノリアキは言った。
確かに願ってもみないことだったが……、だが、それでもツバサはそれに甘えることは出来ないと考えていた。
「どうして、僕にそこまでしてくれるんですか?」
「どうして?」
「こんな自分のこともよく分からない――正体不明の僕によくしてくれたことは感謝します。でも、一緒に暮らすことは、僕にはメリットがあってもあなたたちには一切ない」
それがツバサの本音だった。
自分自身が常に負担をかけるばかりでは、何も釣り合わない――自分自身が彼らに恩を返すことが出来るのなら、話は別になるが。
だが、ノリアキは、ツバサの意見に微笑み、ツバサの頭を撫でた。
「な……何を……?」
「君は何歳だい?」
「ど、どういうことですか?」
「言葉通りの意味だよ。君は何歳だ?」
「十五だと思います……」
ツバサが、そう答えると、ノリアキは、ふむ、と呟き、さらにツバサの頭を撫でた。
「あの……そろそろやめてもらえますか? 恥ずかしいです」
だが、ノリアキはやめなかった。頭を撫でながら、ツバサにこう言った。
「君は賢い」
「賢い……?」
「ああ、そうだ。賢いよ、君は。その歳でメリット、デメリットについて論理的に考えている。君の両親がそうだったのか、それとも君のいた社会がそういう風に作り上げたのかは分からない」
はあ、とツバサは返事することしか出来なかった。
ノリアキは褒めてくれているのだろうが、だが、どこか意味があるように話していた。
「だが、それは大人になることで得られる特権だ。大人になれば、様々な制限もあるだろう。だが、それは、大人になったことで周囲から信頼されて得られる証でもあるんだ。でも君はまだ子供だ。子供にそんな権利が与えられると思うのかい?」
「それは……」
答えることが出来なかった。ノリアキの言っていることが、必ずしも正しいとは言えない。だが、ツバサには、今だけはそれが正しいと感じていた。
「借金することは、大人が大人から借りる時のみに使われるんだ。君は、子供が親からお金を借りることを借金したというのかい? 親が子供に利子の話などをして『後で返してね』って言うのかい?」
「……言わないです」
ツバサはノリアキが何を言いたいのか分かってきた気がした。
「だろう? ならば、子供は一切遠慮しないでほしい。もちろん、調子に乗ることは意味が違うよ。君は、自分が失ったものを取り戻すために、僕たちに遠慮せずに頼ってほしいんだよ」
ノリアキは、話をつづける。
「そのためには君のためにお金を渡しても構わない。これは投資とかそんなメリットデメリットじゃないんだ。ましてやボランティアでもない。君を助けたいという、人間にしか持てない気持ちをここで実現したいだけなんだ」
ノリアキは、そう言うと、ツバサの頭から手を離した。
「だから、ここにいてほしい。それが君のためでもあり、僕たちのためでもあるんだよ」
ノリアキの言葉はツバサに確かに届いていた。
ここにいてもいい、というその一言――見ず知らずの人に、普通なら絶対に言わないありえない言葉を、彼はいとも簡単に言ってのけた。
ツバサは、頭を伏せた。泣きそうになったからだ。
「……本当に僕は、ここにいていいんでしょうか?」
信じたい、だからこそこれを聞いた。もし、今までのことが嘘だったら、とツバサは不安に感じていたのだ。
だが、ノリアキは優しく、ああ、と言ってくれた。
「いていいんだよ。ここが、君の家だ」
ああ、何なんだろうな……この気持ち。
どこか懐かしい感じだ、とツバサは思った。
しばらくそんな言葉を聞いたことがない気がした。今までずっと一人で、何かを頑張って、そして、ずっと気張ってきて……。
ツバサは、ようやく、今の自分に必要なものを見つけたのかもしれない。もしかしたら、ずっとその言葉を誰かに言ってもらいたかったのかもしれない。
少し遠回りをしてしまったが、ようやく、ここから新しい自分自身が始まる、それをツバサは確信していた。
ツバサは、頭を下げて、
「よろしくお願いします」
と言った。
ノリアキとホノカは、その言葉を待っていたといわんばかりに微笑んだ。
「ああ、よろしく、ツバサ君……いや、ツバサ」
ノリアキは、ツバサの名前を呼び捨てにした。ツバサがエンジョウ一家として迎え入れられる儀式だ。
「これからツバサは何がしたい? 遠慮なく言ってほしい。ツバサがこの家に来た記念すべき日だ。何でも好きなことを言ってほしい」
何でも、という言葉にツバサは考えた。自分が何をしたい? ツバサは思考を働かせる。
記憶はないが、だが、不思議と頭の中に様々なワードが浮かび上がってくる。どれも勉学の言葉だった。
記憶が無くても、専門的な知識はしっかりと残っているらしい。なら、自分が今、何をしたいのか、これで決められる。
ツバサは、ノリアキの方へ顔を向けて言った。
「本……本が欲しいかな。多分、もう売っていると思うけど、H大学のヒュッツフェルト教授の本が発売されているはずだから……」
この日――マドカ・ツバサは、エンジョウ家の一員、エンジョウ・ツバサとして迎え入れられた。
全てが終わった後、ツバサはこう回想している。マドカとエンジョウの二つの性は、自分が今まで出会い、戦い、そして救ってきた様々な出来事の中で一生忘れることの出来ない大切なものであると。
2.
*
ツバサがエンジョウ家に引き取られてから、ひと月が経過した。
引き取られたあの日から、まるで電光石火のような速さで、色々なことが起きた。
ツバサが引き取られたあの日、ノリアキの妻であるカノコが仕事から家に帰ってくると、目を覚ましたツバサを見て思い切りツバサを抱きしめた。そしてこの家で暮らすことをノリアキに教えられると、
「やったあ! 息子が出来た!」
と、喜び、その日の夕食は大盤振る舞いだった。
ツバサの環境に適応する能力は凄まじく早く、ノリアキが住む住宅街でもツバサはかわいがられるようになった。
住宅街にいるツバサの同い年の友人たちにも恵まれた。
そして、ツバサ自身の生活も変わってきた。
エンジョウ家の二階には物置になった部屋があったがそれをどかし、ツバサの部屋になった。ツバサは、ノリアキとカノコに陳謝しつつ、研究用の機材を買ってもらい、様々な実験を繰り返していた。
普通なら研究者が使う機材を部屋に設置し、記憶を失う前と同じ研究をひたすら繰り返していた。
そして、偶然か、ツバサは雑誌でアスカ・シンの記事を見て、再びアスカに憧れを抱くようになったのだ。
このひと月の間、ホノカが学校へ行っている間、ツバサは部屋で研究をし、休日は外へ出て記憶を探すということをひたすら繰り返していた。
だが、それでもツバサの記憶は一向に戻らなかった。
*
『メトロポリス上空に現れた謎の船は、現在も静止を続けています。TPCは、この船に対して調査を続行していますが、依然として有力な手がかりは今のところ掴んでいません』
「一体これって何なのかしらねー。本当に嫌だわ」
カノコがトーストを齧りながら言った。
「というか、もうここ一週間はこれの話ばっかりよね」
と、ホノカが続くように言った。
『しかし、一体誰が、何の目的で船を出現させたのか依然として謎なのが気がかりです。現在でも市民の不安は拭えていません』
『そうですよね。昨日は、船から電流のようなものを帯びていました。TPCは攻撃ではないと確認できているようですが、我々から見れば、明らかに攻撃ですよ』
テレビのコメンテーターは、互いに自分の意見を言い合っている。ツバサは何度もその意見を聞いていた。コスモネットでも市民の反応を見ると、TPCへの不満やどうでもいいくだらない書き込みなど、十人十色な意見が目白押しだった。
「母さん、仕事に影響はないのかい?」
ノリアキがカノコに聞いた。
「別に無いわよ。まあ、うちの会社が電子機器とかTPCで使う機材とかを扱っているから、昨日の電流騒ぎは本当に大騒ぎだったわよ。あれ、目測で考えると雷並みの電力だと思うわよ。でも、何にも障害は起こっていないから、とりあえず、様子見ってところ」
カノコは、淡々と言いつつも食事の手をやめなかった。
『さて、続いてはお天気です。今週で連続七日目の雨となりましたが、いかがでしょうか? これからのお天気はどうなっていくのでしょうか?』
『はい。雨雲は現在、メトロポリス上空で非常に遅い速度で進んでいますので、もうしばらくは雨が続くと予想されます。風の影響で夜は晴れますが昼には雨が降るという状態が続くでしょう。このままですと、東に雲は抜けて、神奈川、千葉に向かうものと予想されます』
ノリアキ、カノコ、そしてホノカは、今後の心配をしながら食事を続けている。だが、ツバサは、早く調査したいという知的好奇心を抑えるのに必死だった。
ことの発端は一週間前のことだった。
メトロポリス上空に突如、謎の船が姿を現したのだ。
何の前触れもなく現れたその船は、特に行動も起こすことなく、ただ、上空で漂っていた。
空を飛ぶ船、といえば、先の戦いで登場したアートデッセイやクラーコフのような心臓母艦や移動要塞が頭に浮かびやすい。
だが、今回現れた船は特に、そういった真新しいものは何一つなかった。
竜骨や大きな船室の窓を除けば、もはやそれは箱も同然だった。
だが、ただの箱とはいえ、その大きさは異常だった。
ニュースでは、百メートルを優に超えると言われ、人々の中には、写真に収めるものも少なくなかった。
すぐにTPCが調査に乗り出したものの、船は何もすることなく漂っていた。
明るい時に現れ、夜になると消える船、とネット上や雑誌で特集された。小雨が降りしきっている中の船は、時よりぼやけ、少しずつ動き出すその姿は、まさに幻想的である。そして雨が上がる夜は、消えている――まるで儚い夢のようだ、と船を表現していた。
最初は、人々も珍しさで、街に集まってはこれを話題にしていたが、すぐに船は恐怖の対象へとすり替わっていった。
調査六日目に、船に対してコンタクトを取ろうと、通信からライトの点滅を用いたモールス信号による会話を実行した。
だが、どれも効果はなく、船にいるであろう乗組員からの連絡は一切なかった。
そこで、これ以上は領空侵犯であると警告した上で、船に乗り込む作戦に出た。
船には、一つの大きな跳ね橋式で開くであろう入口があった。そこから入りこもうと考えたのだ。
もし入口が開かなければ、最小限で入口に穴をあけて突入することになった。
作戦は簡単だろう、と思われた。
戦闘機の一機が船に近づき、乗り込もうとしたときだった。
突如、戦闘機の後方から、雷電が迸った。
船がある場所とは全く別の場所からの攻撃だった。戦闘機は一時、コントロール制御が不能となり、そのまま船に突っ込んでいった。
激突は免れない。誰もがそう思った時だった。
戦闘機は船をすり抜けていったのだ。
誰もが目を疑った。船は、戦闘機が抜けた後も、その場に居続けた。激突された痕跡は一切なく、まるで幻のようだった。
いや、もはや幻影といってもおかしくないのかもしれない。
その後、他の戦闘機が、上へビームを発射したが、それも船をすり抜けて空へ消えていった。
そして、攻撃を加えるたびに電撃がどこからともなく迸り、戦闘機を一時的に制御不能にさせた。
そして、七日目――今日。
TPCは船から離れて戦闘機を周回させつつ様子を伺っていた。船は、攻撃する素振りを見せない。
だが、その場にいるということが、人々にとって大きな恐怖となっていた。
人々の批判は船ではなく、TPCに向けられるようになっていた。
TPCが余計なことをしなければあの船はそこにいるだけで、何もしなかったのだ、とTPC職員へ直接抗議や、コスモネット上で関係ない罵詈雑言を書き込まれたりしていた。
当然、八つ当たりだというのは、人々は分かっていた。だが、どこかに不安をぶつけなければいつかは壊れてしまう、と無意識に感じてしまっていたのだ。
そして、今回は、向こうの出方を待っていつでも動けるように準備を整えていた。
だが船は、ツバサにとって不安どころか好奇心を掻きたてる要素になってしまっていた。
最初に船が現れたときは、ホノカと二人でメトロポリス内を散策していた時だった。
突如現れた船に対して、ツバサはすかさず写真を撮った。当然、珍しさ目当てではなく、調査用のためであった。
ツバサは、まず船を俯瞰的に見て、得られるだけの情報をかき集めていった。
目測、そして機材から船の全長の計測、船の材質、船の速度、船が昼間に現れ夜に消える仕組みなどを徹底的に調べていった。
そして、六日目に起きた船による攻撃も、ツバサはカメラと機材を使って記録していた。これまでとは全く違った船の動きは、ツバサにとって一つの大きな収穫だった。
そして、今日、TPCが俯瞰することを決めたということは、もしかしたら、今度は近くまで行って見られるかもしれない、とツバサは考えていた。
そして、今日はホノカとメトロポリスへ行く予定があった。
ホノカはツバサの記憶を取り戻すきっかけがあるかもしれない、と毎週休日になったら街へ行くことを提案した。ツバサはすぐに肯定した。これで記憶が戻るのなら、悪くない。何より、メトロポリスの地理が分かることも、今後役に立つだろう、と期待していたのだが……。
やはりうまくいかないものである。
ツバサは、今日の予定を頭の中で浮かべながら、朝食を済ませた。
雨はやむ気配を見せなかった。
相変わらずの小雨に傘をさしていいものか悩む。
ツバサはメトロポリスの空を見上げながら、時より船を見つめていた。
街には人々が行き来しているが、所々にTPCの職員たちが警備として等間隔で立っていた。
ホノカは、それを見てあまり機嫌は良くなかった。
「何かいっぱいTPCの人がいるね」
「まあ、仕方ないだろう。というより、普通に街に繰り出している僕らや市民の方がおかしいと、今更だけど思うよ」
ツバサは、そう言い返すと、ホノカは、
「もう、少しはシチュエーションを考えてよ。せっかくのお出かけ何だから船なんてどうでもいいじゃない」
と、言い返す。
「どうでもよくないだろ。万が一何かあったらどうするんだ」
「そしたらお兄ちゃんが助けてくれるでしょ?」
「……デスクワーク派に死ねと言っているようなものだぞ、それ」
ツバサは、冷ややかに言った。
なによー、筋肉質の体のくせに、とホノカはつんとなって言った。ツバサは微笑して、そそくさとメトロポリスの街中を歩み始める。
しかし……本当にたったひと月足らずでここまで溶け込めるなんて思ってもみなかった、とツバサは思った。
エンジョウ家に引き取られてひと月。ツバサは、エンジョウ家の『ゲスト』としてではなく、一人の『家族』として迎え入れられることになってから本当にあっという間だった。
結果的に、正式な手続きの元、ツバサはエンジョウ家の『長男』――エンジョウ・ツバサとして生まれ変わった。
ホノカとの立場は兄妹、ということになった。ホノカがツバサより生まれるのが若干遅いから、という理由であった。
そのためか、家では、「お兄ちゃん」と呼ぶが、二人きりの時は何故か、呼び捨てで「ツバサ」と呼ぶ。
ツバサは気づいてはいないが、ホノカは、ツバサに無意識のうちに一目惚れしていたのだ。
毎週メトロポリスに行くのは、ツバサの記憶の為でもあったが、実際は、ホノカにとってデートという意味合いがあったのだ。
雨が降りしきっているとはいえ、ホノカの気分は晴れそのものだ。ツバサと一緒にいられることは、彼女にとって全てだった。
目の前にいるツバサは、空を見上げていた。
そこは船が浮かんでいる空だった。
船は相変わらず漂い続けている。
ただ、ツバサの計算が正しければ、船は常にそこにいるわけではないことが分かる。
全長や特徴は、まさにあの書物に出てくる船そのものだ。
一体何故、こういう形にしたのかは定かではない。だが、間違いなく、正当な理由はないのは確信できる。
「……サ」
全てが正しければ、この船に攻めあぐねているTPCに助け船を与えることが出来る。
「……バサ」
可能ならば、今日で決着をつけたいものだ、とツバサは考えていた。
「ツバサ!」
ホノカの言葉がようやくツバサに届いた。
ツバサは、突然の大声に呆気を取られ、素早くホノカを見つめた。状況を察するに、ホノカはどうやら怒っているらしい。
「また、自分の世界に浸っていたわね」
ホノカは、ずい、とツバサの目の前に顔を寄せた。
傘と傘がぶつかり合う。ツバサは、周りに水滴がかからないか、それを心配していた。
「別にそういうわけじゃ……」
「いーや。絶対そうだった」
ホノカは、引き下がらない。
「まさか、週一の付き合いは全部あの船の為だった、なんて言わないわよね」
「い……言わない! 言わないよ!」
ツバサは、首を横に振った。
ああ、そうとも。決して船の為じゃない――十パーセントほどはホノカのことを考えていたさ、と口が裂けても言えない。
――ホノカには悪いが、あの船を無視し続けるなんて人間として出来ないんだ。
あの船は、何らかの悪意を感じる――ツバサは、ずっとそう思えて仕方がなかったのだ。
だからこそ、あの船を調べ、調べた結果をTPCに伝えることが出来ないか、とずっと模索していたのだ。
「買い物、付き合ってくれるよね」
ツバサが考え事をしているときに、ホノカが言った。
「ああ。うん。分かってるよ」
今度は、意識をうまく調整できた。ツバサは難なくホノカの言葉に返事する。
「そう。それなら大丈夫ね。それじゃあ――」
ホノカは、ぐい、とツバサの腕を引っ張った。
「欲しいのがあるから、荷物持ちとかお願いね」
またか、とツバサは溜息を吐いた。
ホノカを見ると、どうしても思ってしまう。
どうして、皆は自分が運動する人間じゃないのに、嫌でも体を動かさそうとするのだろうか、と。
買い物は、ツバサが予想していたよりも遅くなってしまった。
時刻は夕刻を過ぎようとしていた。
ツバサは、両腕にホノカが買った物が入った紙袋を大量に担いでいた。
運動が苦手なツバサにとって、これほど持つのは地獄以外の何物でもないが、不思議とそうは感じなかった。むしろ、まだ持てるぐらいだった。
だが、今のツバサにとっては、それはあってほしくないものなのだが。
だが、そんな願いは簡単に打ち砕かれる。
「さて、次は……」
「まだ買うのかよ……」
ツバサは、ホノカの言葉に咄嗟に反応してしまった。いくらまだ余裕があるとはいえ、これ以上は勘弁願いたいのが、ツバサの本心だった。
「当然ですよ。まだまだ買う物はいっぱいあるんだから」
一体何を買っているのかは、ツバサは分からない。ただ、一体どこにこれだけ買う金があるのだろうか?
ああ、そうか、とツバサは考える。母さんの分も買っているのか? なら金もこの量も納得できる。
だが、見る限りどれもカノコが使っているものには程遠い気がした。
事実、カノコが使っているものは利便性を追求したものであって、ブランドは決して使わない。
やはり全てホノカのものなのか……、とツバサは疑ってしまう。
だが、ここまで来たら、文句も何も言えない。大人しく従うしかない。
やれやれ、記憶探しを手伝うのが、どうしてこんなことに……やはり、買い物の口実なのだろう。
ツバサは、運命だと思ってあきらめるしか他に無かった。
ホノカの後ろにツバサが続く。途中で交差点に差し掛かった。
赤信号でツバサとホノカは止まった。
「ここって何故か、反対の方が青の時間長いんだよね」
「車の通行量に合わせて時間を伸ばしているんだろ?」
ツバサは、指をさした。車は、大通りへの通行が激しい。脇道に入る車は数えるほどしかなかった。
ああ、本当だ、とホノカは言った。
それからは、青になるまで他愛もない会話だった。
そして、信号が青になる。
「あ、意外と早かったね。結構話し込んじゃったかな」
と、ホノカは青信号を見て言った。
そんなに話しただろうか、とツバサは思った。まだ一分弱しか経っていない気がするが。
それに、この信号の時間なら、反対側の信号は、二分半は青になっているはずだ。まだ一分とかかっていない。
それだけ時間を忘れて話したのだろうか、とツバサは思うが、特に気にすることでもないな、と思った。
ホノカが先に歩き始める。ツバサは後に続いた。
念のため、ツバサは、左右を見渡した。
あれ、とツバサは思った。
今、僕らは青信号を渡っているはずだ。なのに――、
どうして反対側の信号も青信号なのだろうか?
刹那。
反対側の車が交差点を突っ切ろうとしていた。
時速は六十キロほどだろうか。車にしては普通のスピードだろう。何ら怖がる必要はない。
だが、それは問題ではない。
問題は、その車の先に、ホノカがいることだった。
「ホノカ!」
ツバサは、咄嗟に叫んだ。
そして、ホノカに向かって駆け出す。
ホノカは、ツバサに振り向くことしか出来なかった。車の存在に気づいていないのだ。その瞬間、ホノカの世界が暗転した。
目の前にツバサが駆け寄っている。
最初は、ツバサがホノカを抱きしめようとしていると思った。こんな場所でいきなりなんて……大胆よ! と内心嬉しい気持ちが渦巻いていたが、すぐにそれは勘違いだと気づいた。
ツバサは、必死の形相をしていた。何かを守ろうとする決死の覚悟――ホノカにはそれが感じ取られた。
ツバサは、命を投げ捨てる覚悟は、とうにしていた。
また守らなくては、という使命感がツバサの原動力となっていた。
ホノカを突き飛ばす。ホノカは、反対側の歩道へ投げ飛ばされた。
ホノカはペタリと、歩道で座り込んだ。周りの人々が、ホノカに駆け寄って安全を確認しに来た。
それからホノカが、絶望に打ちひしがれるのは、一瞬の事だった。
ホノカを突き飛ばしたツバサの体は、どういうわけか硬直した。
救った、という使命の終焉が、ツバサの体を停止させたのだ。
ツバサは、横を向いた。車は、目の前に迫っていた。
ああ、またか、とツバサは呟いた。
いつか昔――同じことがあったような気がした。
死を目前にして、まるで全てがゆっくりと動くような感覚。
何故か分からないが、見慣れた光景だ、とツバサは悟ったのだ。
そして――。
車はツバサに激突する。
ツバサを弾き飛ばすことはなかった。車は、ツバサを巻き込んで、ただ、真っ直ぐと進んでいく。その先に、電柱があった。
車は、電柱に激突した。
ツバサは電柱と車に挟まれた。
激突音と、何かが勢いよく砕け、折れる音。
ツバサは吐血した。車体が腹部を確実にとらえていた。
ああ、これは――。
死んだな。
と、ツバサは、煙を拭いて停止した車、血と泡を吹いて死んでいる運転手、そして涙を流し、泣きわめくホノカを見た。
ああ、良かった――救えた、と満足そうに微笑んだ。
ツバサは、再び意識を失った。
3.
かつて、TPC総合本部基地であったグランドームは、規模拡大と共に、TPCと政府防衛省との防衛基地として生まれ変わった。
それに伴い、総合本部基地は、現在はメトロポリスの山間部に極秘裏に建造され、九割の部門がそこに移動となった。
外からは山にしか見えない。だが、中は、グランドームよりも面積が広く、さらに防衛システムが強化された最新鋭のものになった。
山々に連なる場所にあるおかげで、迷彩としての意味合いも果たし、怪獣や侵略者の進行は格段に減るだろうと、期待されている。
TPC総合本部基地アンダーグラウンドとして、ここから地球の防衛任務に日夜職員は汗を流しているのだ。
そして、アンダーグラウンドにはS‐GUTSの司令室もそこにある。
現在のS‐GUTSには隊員が五人いる。
今までは、七人いたが、二人がそれぞれ科学局、そして警備局へ移動となった。近々、後任が来る予定ではあるが、まだその後任は来ていない。
「さて……、どうやら上層部から至急調査してもらいたい案件があるらしい……」
体つきのいい背の高い隊員が言った。
名前をフドウ・ケンジ。S‐GUTS隊長を務めている。
元ブラックバスター隊員という経歴を持ち、アスカ・シンのライバルであったフドウ・タケルの実弟である。
彼の兄のタケルは、十数年前の試作機のテストパイロット中に殉職した。
フドウはかつて、ブラックバスター時代にとある任務でアスカと共にしたこともあった。そして、正式にS‐GUTSに入隊するためにブラックバスターを脱退し、再び訓練学校からやり直したという変わった経歴も持つ。
後の伝説となったアスカと共に任務を全うしたことは、彼自身の誇りであった。
そして、現在、S‐GUTSの隊長として隊員達の指揮を執る。
頼りになる兄貴肌の性格であり、隊員達からも慕われる存在である。
「今からですか? 例の船の調査もまだ何も進んでいないというのに?」
フドウの隣で船の詳細を記した書類と格闘している男が言った。
彼の名前を、シンジョウ・シンイチ。S‐GUTSの副隊長を務めている。
シンジョウ、と聞いて気づいている人も多いかもしれない。
かつてGUTSに所属していた、シンジョウ・テツオ隊員――シンイチはその従兄弟にあたる。
幼いころは、GUTS隊員に憧れ、それを真似て、夜の公園をパトロールしていたこともあった。
一度だけ、叔父共々、異星人に拉致されたことがあり、その時にティガに助けられたこという経歴がある。
あれを切掛けに、ますますGUTSに執着し、そして現在は叔父よりも上の地位で働くことになった。
「上層部が我々に至急と言っているのですから、よほどのことなのでしょうね」
シンイチの隣にいた若い男が言った。
名前をミドリカワ・ヒロキという。
この名前にも気づいている人も多いだろう。
何を隠そう、かつてS‐GUTSに所属し、現在は訓練学校ZEROの教官となっているミドリカワ・マイの実弟である。
姉の七光りと呼ばれるのが嫌で、かつて自衛隊に所属していた経歴を持ち、射撃能力に長け、スコープを使わずとも遠くの目標も打ち抜く実力の持ち主であり、それを買われてS‐GUTSに入隊した。銃に関してはTPC内でもトップクラスの実力者である。
だが、その反面、大のハネジローファンという顔も持つ。
自室には、子供の頃から集め、今は販売されていないハネジローグッズが飾られている。
「ああ……キサヌキ。今回の調査内容についてモニターに出してくれないか」
フドウは、オペレーションシステムを操作している隊員に言った。
「分かりましたー。……出ました。どうやらメトロポリス内で起きた交通事故についての調査らしいですね」
淡々とした表情でモニターにデータを表示させた隊員。
名前をキサヌキ・エミという。
幼少期より、コンピュータープログラミングに精通し、自ら会計ソフトや設計ソフトなどを開発して会社に売り込みをしていた経歴を持つ。
昨季、十七歳にしてTPCからスカウトを受け、情報局でデータ管理の仕事をした後に、S‐GUTSのオペレーターとなった。任務の傍ら、TPCに頼み込んで、専用の機材やソフトを受注してももらって、新しいソフト開発にも携わっている。
「交通事故? 何でこんな単純なことをあたしたちが調査しないといけないのかしら。全部警察の担当じゃない。こっちは船の対応策を練るのに忙しいっていうのに……」
司令室の中央にある事務テーブルの横の椅子に座っていた隊員は、その場で立ち上がり、モニターに映された詳細を見て呆れながら言った。
名前をイチカ・マリナ。
今季よりTPCに入隊したルーキー隊員である。
フライトシミュレーション以外の科目を訓練学校創設以来の高得点を叩きだした、未来のエース候補。
十六歳にしてすでにルーキーの趣はない。入隊してから、すぐに隊の仕事を覚え、現在では、単独でガッツイーグルに搭乗し戦うことも、防衛チームへの指揮も出来る、まさに天才と言うべき存在だ。
ただ、真面目そして完璧主義ゆえ、TPC職員と対立し、あまり快く思われていない。また、あまりに一つのことを思いつめ、そのまま突き進む性格であり、時より、イレギュラーに見舞わされたときは、パニックになり自滅することもしばしばある。フドウやシンイチが時より宥めたり、抑えたりするが、完璧には止まってくれず、内心どうしたらいいか二人も困っている状態だ。
ただ出来る人ではあるから、重宝されるのも確かだが。
「まあ、そういうな、イチカ。警察が手をこまねいたということは、俺たちじゃないと調べられない何かがあるということだ」
フドウは、マリナに言った。マリナは文句を言わず、ただ一言、分かっています、と答えた。
「よし。それで、キサヌキ。事故の内容は何なんだ?」
フドウは、エミに聞いた。
「はーい。どうやら、警察の情報からですと、事故が起きたのは一時間前くらいのことです。車同士の追突事故、轢き逃げ、車と人の接触事故など多数です」
「どれも交通事故の典型例だな。でも、一体どうして僕たちに……」
エミの説明にヒロキが呟いた。
問題はそこだ。
普通の交通事故をTPCに調査を依頼するのは、よほど尋常じゃない理由があるということだ。そうでなければ、そのまま警察で処理できるもののはずだ。
「どうやら、ただの交通事故じゃないようです」
エミはそう言って、キーボードに打ち込んでいく。モニター画面が変わり、メトロポリスのマップが表示された。
「メトロポリス中心街のマップです。今から一時間前に事故が起こった場所をマーキングで表していきますので、確認してください」
エミはそう言って、事故が起きた場所のデータを入力していった。
そして、ポイントが現れる。赤色のポイントが事故発生現場だ。
「ふむ、中心街から繁華街か……そして……」
主要道路での事故。なんてことはない。大方、曲がる際に反対側の車と接触したのだろう、と隊員達は考えた。
だが、これが普通の交通事故ではないと知る。
「え……?」
「おいおい……。どういうことだよ」
マリナとヒロキはそれぞれ目を疑った。
赤のポイントがさらに増えていく。中心街や繁華街のみならず、メトロポリスの道路に設置された信号機の場所――その全てと思われる場所に赤いポイントが次々と点いていく。ポイントが止まる気配を見せない。もはや、道路がポイントで埋め尽くされて、見えなくなっていった。
「ただの交通事故と考えろ、という方が無理な話だな」
フドウが言った。
「確かに。これじゃ、警察もお手上げになる気持ちがよく分かりますよ」
シンイチはそう言って、両手を上げた。
「これが一時間前に一斉に起きたってわけ? 怪現象と言ってもおかしくないわよ」
マリナは疑問視した。
目視されるだけで、百件以上。交通事故がメトロポリス中心で発生している。
「メトロポリス中心街で、確認できているのが百六十三件です。そのうち四十三件で市民が亡くなっています。百十件で軽傷もしくは重傷。残りは、奇跡的に無傷ですね」
エミが淡々と語っていく。
さすが、警察だ。短時間でそこまで調べたのか、とフドウは感心した。
「ただ、あくまでこれは中心地だけに留まります。情報によると、メトロポリス全域で事故が発生しています。この様子だと死傷者の数は、この詳細よりも遥かに多いでしょうね」
エミが説明を終えると、フドウは、うむ、と頷いた。
「とにかく、被害に遭った人たちに話を聞かない限りには、話は始まらないな」
フドウは、振り向いて、隊員に指示を出した。
「シンジョウには、俺に代わって船の調査指揮権を一時的に譲る。引き続き船を観察してくれ。ヒロキも同様に、ガッツイーグルで船を観察、警戒して様子を見てくれ」
シンイチとヒロキは、ラジャー、と言って親指を立てる。
「エミは引き続き、オペレーターとしてここで連絡の仲介役を頼む。ああ、今使っている調査ソフトのデータは今後も優先的に作戦本部の方へ渡していってくれ」
エミは、らじゃー、と淡白な返事をした。
「マリナは俺と一緒に来て、事故の被害者から話を聞きに行くぞ。自分の足で情報を探していくのも俺たちに必要なスキルだ。まあ、これが最後の研修だと思って付いてきてくれ」
マリナは、勢いよく、ラジャー、と言った。他の隊員に負けない熱い返事だった。
「よし。全員、今日も全力を尽くしてくれ。異動しちまったあいつらの分も働くことになるが、まあ、それは俺がもう一度上に相談しておくから、耐えてくれ」
本部の地下から通じているシークレットロードは、高速道路の間を通って、さりげなく一般道に混じる。外から見ても、そこに高速がもう一本ある、と見えるだけで、誰も散策はしない。時より、TPC職員が乗る一般車も定期的に通るため、誰もがただの高速道路に見える。
時より、車を付ける人もいるが、その時は、高速を降りて一般道で車を撒く。一般道からも本部へ入る道もあるのだ。
S‐GUTSのパトロール専用車両――通称ゼレットⅡ。以前のゼレットに速度や武装などを大幅強化した車である。
フドウとマリナはそれに乗り込んでいる。
ゼレットⅡは、そのまま高速へ入り、メトロポリス中心街へ走っていた。目指す場所は、事故で負傷した人たちを治療している各病院だ。負傷した人から、事故の様子を聞くためであった。
「うーん……やっぱり同じ答えしか返ってきませんでしたね」
「そうだな。しかし、まさか裁判沙汰に持ち込もうと口論するとは思いもしなかったなあ」
マリナとフドウは、病院から出ると、大きく溜息を吐いた。
どっと全身から疲れがたまる間隔を覚えた。これがまだ続くと思うと、嫌でならない。
マリナは、特務部隊のはずが、警察と同等の事をしていると、自分は本当にS‐GUTSに入ったのか、と時より疑問に感じていた。
ここまで地道に話を聞いたが、これで八件目だ――負傷者に事故当時の状況を聞こうとすると、いつも同じ返答を返してくるのだ。
先ほどもそうだった。
フドウとマリナは、丁度、手当を終えた負傷者と話をすることが出来た時だった。
「まさか、TPCの人が来るなんて思わなかった。まさか、事故について調査しているのか? 船はどうするんだよ」
「それについては、ご心配なく。現在も調査中です。私たちは、別行動でこの事故を調査しているのです」
フドウがそう説明すると、負傷者は、まあ、いいけどよ、と答えた。
「感謝します。それで、事故当時、一体何があったんですか?」
「何があったって言われてもなあ……。俺は、普通にトラックを走らせていただけだ。信号が青だったからそのまま真っ直ぐ進んでいたんだよ。そしたら、横から……」
「車と衝突した、と?」
そうだよ、と負傷者は答える。
「間違いないんですね?」
マリナが聞いた。
「ああ、見間違うはずねえよ、お嬢ちゃん。俺は今まで交通違反なんてしたことが無いんだ。信号はしっかりと確認しているから間違いない。青だったよ」
負傷者が断言した。
フドウとマリナは、彼が嘘をついているようには見えなかった。負傷者はしっかりと詳細に話をしてくれている。アドリブで嘘を言えるような性格には見えない。
だが、後ろから、彼の声に怒りで返した男がいた。
「何が見間違うはずが無いだよ。この嘘つき野郎が!」
負傷者と一緒にフドウとマリナも振り向いた。そこには、若い男が一人いた。
「あなたは?」
フドウが冷静に聞いた。
「こいつのトラックに事故られた被害者だよ。こいつが赤信号で突っ切ってきたからこの事故は起きたんだろうが。嘘吐くんじゃねえよ!」
若い男は挑発ぎみに言った。それを聞いた負傷者が怒り心頭で言い返した。
「嘘つきだと? てめえ、口の利き方には気を付けろよ。一体どういう根拠で、俺が嘘つきだって言いたいんだ? ああ? 俺は誓って嘘は言ってねえよ! むしろ信号を無視したのはお前だろ!」
若い男も反論する。
「てめえ、口の利き方に気を付けろよ。お前の所為で俺の嫁さんが腕を折る大怪我を負ったんだ。てめえには慰謝料をふんだくって、ぶん殴らねえと気が済まねえ!」
「何だと!」
「俺にはしっかりと証拠があるんだよ! 俺らのところが青信号だったって証拠がな!」
証拠、と聞いてフドウとマリナは早速聞いた。
「証拠があるんですか?」
「ああ、あるよ。俺の車にはドライブレコーダーがあるんだよ。そこに記録されているはずだ」
フドウは、早速若い男からドライブレコーダーを借りて、その映像を確認した。
「……確かに青信号だ」
映像を一緒に見た負傷者の顔が青ざめていく。
「そ……そんな、馬鹿な」
「ほら見ろ。お前が嘘だったって証拠だ。まだ何か言い訳する気があるなら一応聞いてやるよ――裁判所でな」
裁判、と聞いて、負傷者が弁明するようにフドウやマリナにしがみついた。
「ほ……本当だ! 俺は、嘘は吐いてねえよ! 確かに俺のところは青信号だったんだ! 本当だって!」
「見苦しいぞ、てめえ! 俺の証拠を見ただろ。なのに、まだ嘘を吐くのか?」
「違う! 本当なんだ!」
「だったら、てめえの所が青信号だったっていう証拠を見せろよ!」
「証拠は……無い。俺のトラックにはレコーダーは無いんだ」
「じゃあ、実証は無理だな。覚悟しとけよ。裁判でてめえの悪意を知らしめてやるからな」
二人は途方もない言い争いを始めた。
フドウは、これ以上二人を争わせる必要はないと、決断し、言い争いに介入した。
「まあまあ、とにかく。裁判とかは後で考えてください。今は誰も生きていたことを喜びましょう。まずは、怪我を治してから、そこから考えましょうよ」
フドウの人柄なのか、彼の説得に、二人はしぶしぶ了承した。マリナは、後ろからフドウの姿を見て、尊敬した。
自分ではああいう風にはならないだろう。きっとさらにこじれる。こういうことに関して、マリナはどうすればいいか全く分からないのだ。
フドウとマリナは病院を出て、次の病院に向かった。二人は、次で今日の調査を終えようと思っていた。
「もう夕方を過ぎたか。これ以上は患者と面会することも駄目になりそうだな」
「急ぎましょう。次の場所はここからそう遠くないはずです」
二人はゼレットⅡを進めた。
最後の病院でも負傷者であふれかえっていた。
誰かから話を聞ければいいが、と二人は辺りを見回す。
すると、別の入口近くで、少年と少女と、そして、病院の先生だろうか……何やら互いに言い争いをしているようだ。
少年は、入院着を着ていた。
「何をしているんでしょうか、あれ……」
マリナが聞いた。
「さあな。だが、見る限り、お前と同じくらいの年齢か?」
「違うでしょう? 見たところ、年下って感じがします。どことなく子供っぽいし」
マリナが邪険にしながら答えた。フドウは軽く笑った。
「まあ、とにかく止めないとな。ああいう困った場面を対処するのも俺たちの役目だ」
フドウはそう言って先導する。
ちょっと違うのではないだろうか、とマリナはこの時そう思った。
マリナはフドウの後を追っていく。
フドウは、言い争っている三人に割って入ってきた。
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
突然入ってきたことに驚いたのか、少年は、驚いて、一歩退いた。
「な……何ですか、あなたは?」
フドウは臆することなく言う。
「S‐GUTSのフドウとイチカだ」
「S‐GUTS?」
「ここは公共の場所だ。騒ぐと周りに迷惑がかかるよ」
少年は辺りを見回した。
「……確かにそうですね。少し、自分を見失っていたようです」
どうやら、話の分かる少年のようだ。フドウは、微笑みながら言った。
「分かればいいんだ」
少年は、少し微笑んで言った。
「落ち着かせてくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません。それじゃ、僕はこれで」
少年はフドウに頭を下げて、病院を出ていこうとした。
とにかく、三人を落ち着かせることが出来て良かった――フドウは、そう思った。
だがマリナは、そうでもないようですね、と小さく言った。
少女が病院から出ていこうとする少女が引っ張った。
「なにいい話のようにまとめて逃げようとするのよ……!」
少年は、舌打ちして少女を見た。
「先生の言うことを聞いて頂戴!」
「何でだよ! どこも怪我なんかしてないだろ!」
少年と少女はまた言い争いを始めた。
フドウは、どうやら割って入って済む問題ではないと感じた。フドウは、横にいた先生に事情を聞いた。
「この子はこの病院の患者さんですか?」
先生は、困った顔で答えた。
「そうなるはずの子なんですが、彼が体は何ともない、と言って入院を拒むんですよ」
「なるはず?」
「ええ。交差点の交通事故で被害にあった子なんですが……」
「ということは、彼も例の事故の被害者か」
フドウは、少年を見た。
餓鬼ね、とマリナは呟いた。
マリナはずい、フドウの前に出て、言い争っている少年に言った。
「あのね、坊や。いくら病院が嫌いだからと言って、その年齢でだだをこねるのは痛いわよ。これからずっとそうやって我儘のままでいるわけ?」
おい、マリナ、とフドウが声をかける。だがマリナはやめない。
「社会に出たら、そういうことが返って周りに迷惑をかけるばかりか、自分の首を絞めることになるんだから、今のうちから学んだ方がいいわよ?」
フドウは、それ以上は言わせまいとして、マリナを止めた。
マリナは正直に言う時に、所々に棘のある言い方をするのが玉に瑕だ。その所為で、市民と少しばかりいざこざが起こった時があったのだ。
そして、繰り返してしまった。
フドウは、仕方ない、とマリナを怒鳴って止めようとした。だが、それより先に少女がマリナの眼前に立った。どうやら怒っているようだ。
「あの、いくらなんでもそれは言い過ぎじゃないでしょうか?」
「はあ?」
マリナが疑問に思う。
「言い過ぎって……、あなたが、彼が言うことを聞かないから困っていたんじゃないの。あたしはあなたを助けたんだけど。そこのところ間違わないでくれる?」
「それはそうですけど……でも、あなたが言っていることは全て的外れです。兄は、我儘で入院を拒んでいるわけではありません。少なくとも、兄は餓鬼でも何でもありませんし、それに、あなたよりも頭がいいです」
なっ、とマリナは驚く。フドウは、おお、と感心した。マリナと張り合う女子は初めてだ。
「堂々と出てきて、兄のありもしないことを言うのは我慢なりません。むしろ、あなたの方が社会で周りに迷惑をかけているんじゃなくて?」
この……! とマリナは少女とにらみ合った。
フドウは、彼女がマリナを止めてくれると思ったが、そうはいかなかった。やっぱりな、と言いながら、二人を止めた。まあ、確かにマリナの所為で迷惑を被っているのは確かではあるが。
「とにかく、事情を話してくれないか?」
フドウは、遅れながらもマリナと共に身分を明かした。
「S‐GUTS? 嘘ですよね。こんな子までなれるなんて……」
少女が皮肉を言った。
マリナは少女を睨みつけた。少女は顔をそらした。すっかり、犬猿の仲のようだ。
少女は、フドウの方に顔を向けて事情を説明した。
「えっと……一時間くらい前の事です。わたしと兄が繁華街の交差点の横断歩道を歩いていた時に、反対側から車が突っ込んできたんです」
やはりか、とフドウは思う。
「信号は青だった?」
「ええ。青でした。間違いありません」
「じゃあ、車が信号無視したということになるね」
フドウがそう言うと、少女は、そういうことになりますね、と答えた。
「だったら、隊長。車の運転者からも事情を聞いた方がいいですね」
と、マリナは提案した。
だが、それは先生が答えた。
「残念ながら、その車の運転手ですが……救急隊員が事故現場に来た時には、すでにお亡くなりになっておりまして……」
「ふむ。では、向こうの証言は無理か……」
フドウは言った。周囲の人もいたはずだが、それが誰か、と聞いても、この少年少女には分からないだろう。
「だが、少年は無事だったんだね」
少年は、こくりと頷いた。
だが、それを少女が反論した。
「無事なわけないですよ! 車は兄を巻き込んで、そのまま電柱にぶつかったんです! 兄は電柱と車の間に挟まれて、そのまま気絶したんです。口から血まで大量に吐いたのに、無事なんて嘘よ!」
やっぱり餓鬼じゃない、とマリナが呟いた。少女は、またマリナを睨んで、あなたは黙ってて! と釘を刺した。
「確かにそれは無事じゃすまないね。血まで吐いて、無傷とは言い難い」
フドウがそう言うと、少年は体を大の字に広げて言った。
「でも、どうですか? 僕は怪我をしているように見えますか?」
フドウは、少年の体を見る。見るところ、包帯も何もついていない。骨折や裂傷の傷も見られない。普通に見れば健康的な肉体だ。
だが、先生は信じられないと、言った。
「そんなはずはないんですよ! 救急隊員の話では、肋骨が折れて、そのうちの一本が内臓を貫通していると報告したんです! 彼らが嘘をついているなんて思えません」
先生が嘘を言っているようにも見えない。
だが、現に少年を見ると、肋骨が折れて痛々しいとは思えない。何一つ補助道具を身に付けてなく、普通に歩け、妹だろう少女と平気で言い争えるくらい元気だ。
「それで、念のために入院しなさい、と私が提案したんですが……」
先生の説明に続いて、フドウは、
「その必要はない、と」
と、言った。先生は頷いた。
「入院しているうちに、こんな事故がさらに発生してもおかしくないんですよ。それもこれも、全てあの船が原因なんです!」
少年はそう叫んだ。フドウは、その言葉を当然聞き逃さなかった。
「あなたたちはS‐GUTSの隊員なんですよね。あの船は悪だ。漂っているだけじゃない。その結果がこんな交通事故なんです!」
少年は、仕切りに船が原因だと言っている。だが、根拠がない。
「この事故もあの船が原因だと、言いたいのか?」
フドウが聞いた。
「そうです。僕は確かに事故に遭う前に確かに見たんです。僕らの場所が青だった時――」
反対側の信号も青だったんです。
ツバサはそう断言した。
フドウは、腕を組んだ。
「では、君は、信号機はどちらも青信号だった、と言いたいわけだな」
フドウの確認にツバサは頷いた。
「隊長、彼の言うことを信じるんですか?」
マリナが横から聞いた。
「だが、的を射ている。負傷者の証言は皆、自分の信号が青だったのに相手がぶつかってきたと言っている。前の病院での会話もそうだ。一方は証拠があったとはいえ、互いに青信号で通ったと言っている。それを考えると、両方青だった、ということは十分にあり得るかもしれない」
「理屈は分かりますけど……でも……」
マリナは納得がいかなかった。
こんな自分よりも年下の少年の言い分が、通っていいのだろうか。科学的根拠も何もない少年の証言だ。学者の仮説を信じていた方が断然いい。
「この事故が船と関係していると関連付けても、今は誰も疑わない。むしろ、あの船が現れてからこんなことが起こったんだ。今まで交通管理でここまでの大参事はないだろう?」
マリナは、何も言い返すことが出来なかった。
隊長の言っていることは間違ってはいない。全てに筋が通っている。
だが、それでも。
納得いかないものはいかないのだ。
だが、それでも従わざるを得ない。
「……じゃあ、船を撃ち落すんですか?」
「そう。問題はそこだ。あの船に攻撃してもすり抜けてしまう。そこを何とかしないと駄目だ」
フドウとマリナは、船への対処方法を模索していた。現にTPCは船に対して俯瞰を貫いており、一切手が出せない状態だった。
だが、二人の間に少年が割って入ってきた。
「あの船の対処方法ならありますよ」
二人は少年の方に顔を向けた。
「対処法があるだと? 本当なのか」
「はい。本当です」
少年は頷く。
「はったりとかじゃないの? 対処法があるならすでにTPCで見つけているはずよ」
マリナが言った。また少女が睨みを利かせる。
だが、少年は、臆することなく話をつづける。
「あれを実体という固定観念にとらわれているから、対処法が分からないんです。あれは実体ではなく、幻影です」
「幻影……」
フドウは呟く。
確か雑誌では、幻のようだ、とか何とか表現していたが、それは比喩ではなく、本当に幻だった、ということなのか……。
「実体の場所を特定できれば、TPCは安心して攻撃出来るのでは?」
少年が微笑みながら言った。
フドウは、腕を組んで熟考する。少年の言い分を信じていいのかどうか。少年の証言だ。通常なら重要性は低い。
だが、少年は至って真面目だ。彼は固定観念にとらわれることなく、あれが実体ではないとすぐに答えを導き出した。
迷っている余地は、フドウにはどこにもなかった。
「……一体どうやって実体を見つけることが出来るんだ?」
「隊長!」
マリナがフドウに寄った。
「本当に信じるんですか? この少年の言葉を、いとも簡単に?」
「迷っている場合じゃないだろう」
「でも、一般人の少年の言い分ですよ。これは、あたしたちにとって、市民を守るための重要任務なんですよ! もし、彼の言い分が間違えていたら、ただでは済まないんですよ!」
「だが、彼が実体じゃないと言わなかったらどうだ? 対処法は永遠に見つからずに、船に好き勝手やらされるかもしれない」
「でも……」
「責任は俺が取る。一度でも、彼の証言を全部聞いた方がいいだろう?」
フドウは、頑なに引き下がろうとしなかった。マリナの説得は、全く効果がない。
フドウは、少年の方にもう一度顔を向けた。
「ああ、すまん。話が逸れたな。それで、どうやって船を見つけることが出来る?」
少年は、即答した。
「自宅に、これまで集めた船についてのデータがあります。一度自宅に送っていただければ、データをお渡ししますよ」
なるほど、とフドウは頷く。
だが、データだけでは足りない、とフドウは言い、少年に提案した。
「出来れば、君も作戦本部に来てくれないかな? 君が集めたデータから君の船に関する仮説を是非聞かせてもらいたい。いいかな」
そんなもの、答えは最初から一つしかないじゃないか。少年は、その答えを言う。
「もちろんです」
よし、とフドウが言う。だが、フドウは少年に一つ注意する。
「だが、まずは病院の検査をもう一度受けてもらおうか。君の体が無事かそうでないか判断してからでも遅くはない」
其の2に続きます。
おかしいなあ。プロットを眺める限りだと、2~3万字で済むと思ったんだけどなあ……。