映画館のロビーは思ったよりも混雑していた。ポップコーンの香ばしい匂いが鼻をくすぐり、カップルや友人同士が楽しげに談笑している。私はそんな喧騒を冷静に観察しながら、隣に立つ彼に視線を向けた。
「……こういう場所は、計画的に動かなければ時間を浪費します。」
私はそう言って、券売機の列と売店の待機列を素早く分析する。効率の良い動線を選び、まずポップコーンと飲み物を購入した。彼がパンフレットを手に取るのを見て、わざわざそんなものを買うのかと疑問に思ったが、口にはしない。
やがて劇場内に入る。暗がりの中、私たちは指定された席へと向かい、無駄なく腰を下ろした。周囲は楽しそうな会話に満ちているが、私には理解しがたい。映画というのは情報を受け取る場であり、無駄な感情の共有など不要なはずだ。
上映が始まる。
スクリーンに映し出されるのは、ありきたりなホラー映画の序盤。私は冷静に分析しながら観ていた。
だが、進むにつれて違和感を覚えた。
思ったよりも、これは――
不意に画面が暗転し、耳元で悲鳴が響いた。
その瞬間、私は無意識に隣の彼の手を握っていた。
……いや、違う。これは反射的な行動ではなく、状況判断の結果だ。突発的な刺激に対する防御反応……そう、決して怯えたわけではない。
「……ふむ。」
誤魔化すように小さく声を漏らす。彼が私の手を見ているのが分かったが、指摘されるのは癪だった。私は何事もなかったかのようにスクリーンを見つめ、手を離さなかった。
映画は続く。
彼の手の温もりは、不思議と心を落ち着かせた。
映画が終わり、館内の照明が灯る。私は何事もなかったかのように手を離し、立ち上がった。
「……映像の構成は悪くなかったですが、恐怖の演出は単純でしたね。」
手を握っていたことには一切触れず、淡々とした口調で感想を述べる。彼がこちらを見て何か言いたげな様子だったが、私は気にしない。
「帰ります。寄り道は不要でしょう?」
そう言って歩き出すが、彼の後ろをついてくる足音が妙に気になった。
――あの時、なぜ私は彼の手を握ったのか。
合理的な説明はつけたはずなのに、今もその温もりが指先に残っている。
「……くだらないことを考えていないでください。」
誰に向けたわけでもなく、そう呟く。
自分に言い聞かせるように。
映画館を出ると、夜の空気がひんやりと肌を撫でた。私は自然な動作で腕を組み、寒さを遮断する。
隣を歩く彼は、何も言わない。ただ、先ほどまでの映画の話を続けるわけでもなく、妙に静かだった。
「……何か言いたいことでも?」
私が問いかけると、彼は少し間を置いてから口を開いた。
「さっき、俺の手を握ったよな。」
……やはりその話か。私は歩みを止めず、淡々と返す。
「錯覚でしょう。もしくは、一時的な生存本能による反応です。」
「ふーん。」
彼はそれ以上追及せず、ただ静かに笑った。
私は顔を上げ、夜空を見上げる。
――合理的なはずなのに、なぜか胸がざわつく。
街灯の淡い光が歩道を照らす。私は視線を前に向けたまま、歩調を乱さない。
「……何か可笑しいですか?」
彼の笑みが気に入らなかった。問いかけると、彼は肩をすくめる。
「別に。ただ、ウェディングにもそういう反応があるんだなって。」
「くだらないことを言わないでください。」
即座に切り捨てる。けれど、心の奥に微かな違和感が残る。彼の言葉が、まるで私の何かを見透かしているようで。
夜風が吹く。無意識に手を握りしめた。そこに、もう彼の温もりはないのに――。