バリが持ち帰った招待状には、怪しげな文言が並び、危険な香りが漂っていた。しかし、ドンキホーテはそんな誘いこそ求める冒険だと目を輝かせ、サンチョの忠告も虚しく、二人はギャンブル大会に参加することになる。ルーレットが回り始め、容赦なき死の遊戯が今、幕を開ける。

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Deadly Casino Showdown

歓楽街の裏路地にひっそりと佇む、朽ちかけたビルの地下。

そこへと足を踏み入れた瞬間、サンチョの不安は頂点に達した。

「父上様、本当にここでいいんですか?」

じめじめとした空気、淀んだ臭い、そして何よりも、肌を刺すような不吉な静寂が彼女の胸を締め付ける。一週間前、バリが持ってきた一枚の招待状。黒地に黄金色に輝くインクで無機質に印字されたそれは、『特別なギャンブル大会、賞品は望みの物』などと、胡乱げな文言を飾り立てていた。果たして、こんな場所が本当に父上が求める冒険の舞台となるのだろうか。

「おお!見よ、まさしく我らが求める未知への扉が開かれようとしているではないか!」

もっともらしい理屈を並べ立てるドンキホーテの目は、招待状の謎めいた文面に射抜かれ、異様な光を宿している。いつものことだ。この主人は、危険な香りのする誘いほど嬉々として飛びつく性分なのだから。

「はぁ……バリが面白いと言う案件は大抵ロクなことになりませんよ。これまで何度も痛い目にあったではないですか」

忠告は、いつものように空を切る。ドンキホーテは聞く耳を持たない。

「されど、眼前の好機をみすみす逃す道理があろうか?今回こそ真に素晴らしい宝物が手に入るかもしれぬのだから!」

サンチョは再び、深い溜息を吐き出した。招待状には開催場所と日時以外、詳しい情報は皆無に等しい。同封されていた契約書に至っては、命の保証についての一切の記述がないという杜撰さだ。いや、むしろ保証がないという事実こそが、この招待状の異様さを際立たせている。怪しげな招待状、胡散臭い契約書。どう考えても、罠の匂いしかしない。サンチョは必死に説得を試みたが、案の定、主人の固い決意を覆すことは叶わなかった。

 

 

階段を下りきると同時に、若い男が狼狽した様子で走り寄ってきた。汗で額に張り付いた髪、焦点の定まらない瞳。明らかに場慣れしていない様子だ。

「え、えーと……ようこそいらっしゃいました!今日は特別なお客様として……あ、台本台本……」

男は慌てて懐を探り、しわくちゃになった紙片を取り出した。それは『台本』と呼ぶにはあまりにも粗末な代物だった。

「お客様の、その、ゲームマスターを務めさせていただきます……イチカワと申します! あ、すみません、この首のマイク、入ってますかね? テスト、テスト……」

イチカワと名乗る男は、首輪に装着された無骨なマイクを何度も触りながら、ぎこちなく言葉を紡ぎ始めた。サンチョは、その様子を観察しながら、男が首にマイクをつけている理由を推測した。この地下には、彼らがいる部屋以外にも同じようにギャンブルの説明を受けている参加者がいるのだろう。そうでなければ、こんな近くにいるのに大仰な装置が必要になるとは思えない。

「こ、こんにちは! 聞こえますでしょうか? えっと、皆様には、その……この部屋で、んんっ……特別なギャンブルに、参加していただく……感じです」

隣に立つドンキホーテはその説明を聞き、獲物を目の前にした猛獣のごとき瞳を爛々と輝かせている。狂気の沙汰だ、とサンチョは思った。

「あ、それと、重要な注意事項です!」

イチカワは唐突に声を張り上げた。その表情には先程までの余裕のなさに加え、僅かながら狂気が滲み始めている。

「首の装置は、絶対に外さないでください! その、痛いというか……死んでしまうレベルの痛みですので……!」

イチカワの言葉に、場の空気が凍り付いた。ギャンブル、死、痛い。脈絡のない単語が、サンチョの脳内で不安に結びつく。まさか、これは……。

「ほう、人間だと死ぬほどの痛みか」

ドンキホーテは、まるで子供がおもちゃに興味を示すように、首の装置に手を伸ばした。その指先が、無機質な金属に触れようとした瞬間、サンチョは反射的に主人の腕を掴んだ。

「父上様!」

制止の声と行動も虚しく、ドンキホーテは興味深げに装置を弄び始める。イチカワは二人の様子など気にも留めず、汗を拭いながらおずおずとカジノフロアへの扉を開いた。

「で、ではカジノフロアへ、ご案内させていただきます……!あ、台本読み切れてない、まあいっか……」

その言葉は氷の欠片のように冷たく、サンチョの背筋を凍らせた。台本を読み切れていない? この状況でそんな呑気なことを言っている場合か? 重要な情報が、まさに今彼の言葉によって切り捨てられようとしている。 いやもしかすると、重要な情報こそ、その『読み飛ばされた部分』にこそ隠されているのかもしれない。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

サンチョは反射的に声を上げた。 このままカジノフロアへ進むのは危険だ。 何か、取り返しのつかない事態が起こる気がする。 だが、彼の制止の声は、虚しく空気を震わせるだけだった。

イチカワは、振り返ることなく、足早に廊下の奥へと歩き出す。 背広の裾が揺れ、革靴の音が、不気味な静寂を破るように響く。 サンチョは、男の背中を追いかけようとした。 しかし、足は鉛のように重く、言うことを聞かない。もしや首輪のせいなのだろうか。そもそも、なぜ気づかぬうちに首輪をつけられているのだろう。体をうまく動かせないことによる焦燥感と、拭いきれない不安が心臓を締め付ける。

「ま、待て……!」

再び声を上げようとした瞬間、イチカワは霧散したかのように忽然と姿を消した。

目の前に広がっていたのは、人気のない静まり返った廊下だけだった。 先程まで確かにそこにいた男の姿はどこにも見当たらない。 周囲の喧騒は遠く、世界から切り離された異質な静寂がサンチョを包み込む。 先ほどの男の言葉、そして忽然と消え去ったその姿。サンチョの脳裏に焼き付いていたそれらは全て、悪夢の一場面のようであった。

死の遊戯。 ふと思いついたその言葉が、サンチョの頭の中で警鐘を鳴らす。 ここはただのカジノではない。 もっと危険な何かが行われている場所だ。 そして私達は今、その深淵へと足を踏み入れようとしている。 取り返しのつかないことになる前にここから逃げ出すべきだと、強くそう思った。 しかし、隣に立つ主人は興奮に目を輝かせ、既にカジノフロアへの扉を見つめている。 サンチョの最悪の予感は、今まさに現実のものとなろうとしていた。

 

 

扉の向こうには、想像をはるかに超える豪華絢爛な地下カジノフロアが広がっていた。重厚なシャンデリアの明かりが、純白の燕尾服に身を包んだドンキホーテと、同じく白を基調とした礼服姿のサンチョを照し出す。

周囲では、イブニングドレスやタキシードに身を包んだ人間たちが、首の装置を気にしながら互いを警戒している。

「願いが叶うと聞いて集まった蛮勇たちか。サンチョよ、彼らの目に宿る欲望と希望を見るがいい」 ドンキホーテは静かに語りかけた。

「父上様、私たちは『冒険がしたい』という理由で来たわけですが……他の人達は何やら大変そうですね」 サンチョは周囲を観察しながら呟く。衣装こそ華やかだが、参加者たちの表情は皆、何かに追い詰められたような暗さを帯びていた。

シャンデリアの柔らかな光の中、一人の少女がおずおずと近づいてきた。水色のショートヘアは、か細い肩に優しく流れ落ち、大きなルビー色の瞳には不安と希望が交錯している。儚げな姿は、この華やかな地下カジノの空気とは不釣り合いだった。

純白のイブニングドレスは少し大きすぎるようで、細い指で裾を持ち上げながら歩く様子は、まるで迷子の子供のようだ。

「あの……」 か細い声が、喧騒をすり抜けて二人の耳に届く。 「お二人も、参加者の方でしょうか?」

儚げな笑みを浮かべる少女の手は、わずかに震えていた。首の装置がその白い首筋に不吉な影を落としている。

「私、ミレイと申します。実は……このゲーム、一人では怖くて……」 言葉の途中で声が詰まり、ルビー色の瞳に涙が浮かぶ。

「父上様」 その少女の様子に、どこか拭えぬ違和感を覚え、サンチョは小声で警告するように呟いた。

しかし、ドンキホーテは既に情熱的な声を上げていた。

「おお!これはこれは!騎士の守るべきか弱き乙女ではないか!恐れることはない。さあ、仲間に加わるといい。我らが必ずや勝利へと導こう!」

「本当に……?」 ミレイの瞳が希望に輝く。その様子は、まるで闇夜に一筋の光を見つけた蛾のようだった。

しかしその輝きの奥底には、何か別の思惑が潜んでいるようにも見える。

「ありがとうございます……!」 少女は深々と頭を下げた。

ミレイが顔を上げこの場から少し離れたのを見届けると、ドンキホーテは得意げに胸を張ってサンチョに問いかけた。

「サンチョよ、先ほどから何か言いたげだったが、どうしたのだ?」

サンチョは少しばかり躊躇しながら、言葉を選んで答えた。

「いえ、警告というほどではありません。ただ……何となく、あの少女の様子に違和感を覚えたのです」

「違和感だと? どこにだ?」 ドンキホーテは眉をひそめる。騎士道精神に燃える彼には、弱者を助けることこそが正義であり、そこに疑いを挟む余地などないのだろう。

「何となく、演技をしているような気がしたのです。あの儚げな様子や、今にも泣き出しそうな表情、そして、我々に助けを求めてきたタイミング……。勿論、証拠などございません。ただの勘、いや、ほとんど勘違いのようなものかもしれません」

サンチョは言葉を濁し、確信を持っているわけではないことを示す。ドンキホーテはうむむ、と唸った。

「ふむ……なるほど。サンチョ、お前は用心深いな。しかし、勘だけで人を疑うのは騎士道に相応しくないぞ。それに見よ、あの乙女の瞳を!あれはまさに助けを求める純粋な光ではないか。我ら騎士たるもの、そのような者を放っておくわけにはいかぬだろう!」

ドンキホーテの言葉は、いつものように熱く、そして真っ直ぐだった。サンチョはそれ以上反論するのをやめた。確かに、証拠は何もない。 ただ、胸の奥に小さな引っ掛かりが残る。何かが僅かに、しかし確実に、ズレているような感覚。

それが単なる杞憂であることを、サンチョは心の中で小さく祈った。

 

 

中央に据えられた巨大なルーレット台。その周囲を、ディーラーたちが厳めしい表情で取り囲んでいる。中央のルーレット台の前に、一人のディーラーが立った。整った容姿の青年は、光の当たらない場所に置かれた宝石のような水色の瞳と、夜のように深い青の髪色が印象的だった。

「私はアオイ。本日のチーフディーラーを務めさせていただきます」

彼の声には、微かな疲労が混じっていた。

「ルールは単純!」 隣に立っていた厳しい顔つきの進行役が声を張り上げる。 「皆様には開始時点で100万眼分のチップを配布します。ルーレットで球の落ちる場所を予想し、賭けを行ってください。チップがゼロになった時点で、首の装置が作動します」

アオイの視線が一瞬、ミレイに向けられる。そこには強い何かしらの感情が宿っているように見えた。

「ただし!」 進行役は意地の悪い笑みを浮かべた。 「チップの奪い合いは自由です。暴力も、取引も、どんな手段を使っても構いません。最後まで生き残った方には、どんな願いでも我々が全力を尽くして叶えさせていただきます」

「娘の手術代が……」 「借金を……」 「家族を助けたい……」 切実な願いを持つ者たちの声が、小さく響く。

「ふむ」 ドンキホーテは自身の首の装置に触れた。「この装置、人間には死に至る苦痛をもたらすというが、我らにとってはそこまでのものではないな。……こんな茶番は、早く終わらせてしまおうではないか」

ドンキホーテの声には、明らかな不快感が滲んでいた。騎士としての誇り高き精神を持つ彼にとって、死に至る苦痛を伴う遊戯など、断じて容認できるものではない。今すぐにでも、この場を破壊し、犠牲者を救い出したい。そんな衝動に駆られているのだろう。

しかし、サンチョは冷静だった。表面上は薄く笑みを浮かべながら、内心では別の思惑を巡らせていた。

「はい。しかし父上様、少々お待ちください」

サンチョは一歩前に進み出て、熱くなりかけた主君を諫めるように言った。

「確かに、この遊戯が人々に苦痛をもたらすというのは由々しき事態。父上様の騎士道精神に照らせば、即座に中止させるべきとお考えになるのも当然でございます」

まずはドンキホーテの正義感に理解を示すことで、彼の警戒心を解く。

「せっかく久しぶりの“冒険”にありつけたのですから、まずは、落ち着いて状況を見極めるのが肝要かと存じます」

前に読んだ、心理学と正しい言葉遣いについての本に書かれていたことを思い出しながら言葉を続けた。

「仰せの通り、この装置が我らにとって脅威とならないのは確かでしょう。しかし、この遊戯の全容、そして主催者の目的は未だ不明瞭な点が多くございます。 早まって行動を起こせば、真実を見失い、かえって事態を悪化させる可能性もございます」

ここで冷静な判断を促し、感情的な行動を抑制しようと試みる。

「それに、先ほど出会ったミレイという少女、彼女の存在も気になります」

サンチョはさらに踏み込んだ。

「あれほど不安げな様子でありながら、血鬼である我々に近づいてきたのは何故なのか。 本当にただゲームに参加するのを怖がっているだけなのでしょうか。ひょっとすると、何か目的があって我々を利用しようとしているのかもしれません」

ここで個人的な思惑、すなわちミレイへの疑念を提示する。ドンキホーテの冒険心を刺激しつつ、同時に警戒心を煽るのが狙いだ。あの少女は、どうも信用できない。何かを隠しているのならそれを暴いてみたい。もしも父上様が「悪」と認める者であるならば、何年ぶりかの生き血を手に入れられるやもしれない……。こんな残酷なことを考えてしまうなんて、私はカジノの雰囲気にでも呑まれているのだろうか。

「もし、彼女が本当に何かを隠しているのだとしたら、ここでゲームを放棄するのは得策ではありません。むしろ、ゲームに参加し彼女の動向を観察していくうちに、真実が明らかになる可能性も否定できません。……もしかすると、彼女こそが、父上様が長年探し求めていた『悪』なのかもしれませんね」

最後にドンキホーテが最も喜ぶであろう言葉、すなわち「悪」の存在を示唆することで、彼の闘争本能を刺激する。 もしミレイが悪であるならば、ドンキホーテは迷うことなく剣を抜くだろう。そして、サンチョ自身もまた、その血腥い“冒険”に付き従いたいのだ。

「ルールに従って遊ぶのもまた、騎士の嗜みというものでしょう。まずはゲームの内容を把握し、その上で判断しても遅くはないはずです」

サンチョは最後に、形式的な理由付けを加えることで説得力を高めようと試みた。ルールを重んじるドンキホーテにとって、この言葉は少なからず響くはずだ。

ドンキホーテは暫し考え込んだ。 サンチョの言葉は、彼の騎士道精神と冒険心を巧みに刺激し、理性的な判断を促している。 確かに、衝動的に行動する前に、状況を把握するのは賢明な選択だろう。

やがて、ドンキホーテは重々しく頷いた。

「……ふむ、お前の言うことも一理ある。 確かに、闇雲に力ずくで事を収めるだけが騎士の道ではないな。……ただし、断じて見過ごすわけにはいかんぞ。この遊戯とやらを体験し、その上で然るべき処置を講じ、このドンキホーテが、必ずや悪を討ち滅ぼそうではないか!」

ドンキホーテの瞳には、再び闘志の炎が灯っていた。サンチョは内心で小さく笑みを浮かべた。 これで計画は首尾よく進むだろう。カジノの喧騒の中で、サンチョの胸の奥底には微かな期待と、それを上回るほどの喜びが込み上げてきた。

 

 

ゲームが始まり、死の影は否応なく濃密さを増していく。ルーレット盤が回る音、ディーラーの無機質なアナウンス、そして勝利を掴んだ者の歓喜と、敗北に打ちひしがれた者の嘆息が、騒然としたカジノフロアに混沌とした音の奔流を巻き起こす。しかし、何よりも聴覚を苛むのは、敗者が断末魔の叫びと共に迎える首輪の作動音だ。その悲鳴が響き渡るたび、ミレイは怯える小動物のように身を縮こまらせ、繊細な硝子細工のような肩を震わせる。

次にルーレット台へと向かったのは、高級な仕立てのスーツを身に包んだ中年の実業家だった。しかし、その顔貌は既に今日の敗北を雄弁に物語っていた。充血し血走る目は、今にも決壊しそうな涙を堪え、手にしたなけなしのチップの束を己の生命線であるかのように固く握りしめている。脂汗が額に滲み、呼吸は酷く乱れ、溺れる者が藁をも掴むような、そんな切迫感が全身から溢れ出ている。

「わ、私の……会社を救うには、これしかないんだ……!」

嗄れた声は喉の奥から絞り出され、言葉を形作る事すら困難そうだ。彼は倒産寸前の会社、否、会社だけではなく己の全人生と未来を賭け、この死の遊戯に最後の希望を託したのだ。選んだ賭け方はストリートベット。ルーレット盤上の数字群を縦一列に区切り、その列全体に賭けるという、比較的初心者にも理解しやすい賭け方だ。的中すれば12倍の配当、一攫千金を夢見るには十分な見返りが期待できる。

「全額、23番の列に賭ける!」

震える指先で、全財産とも言えるチップをルーレット盤の特定の区画へと差し出す。その背には、僅かに残った成功への希望と、失敗への深い恐怖が実業家に圧し掛かる。

その様子を傍で凝視するドンキホーテは、真紅の球が淡々と回転するルーレット盤を一瞥したのみで、まるで天啓を受けたかのように静かに、しかし絶対的な確信を孕んだ声で宣告した。

「0番だ」

サンチョは傍で聞いていた自分の耳を疑った。何を言い出すのか、この主は。ストレートアップ、単一の数字一点賭け。37分の1という超低確率、それはまさに無謀の極致ではないか。一体何の根拠があって0番を選択したのだろう。

「父上様、いかなる御考えでそのように断言なさるのですか?」

サンチョは抑えられた口調で問い質した。せめてもの抵抗で、理性的な思考回路を呼び戻そうと試みたのだ。

ドンキホーテは満面の笑みを浮かべる。

「騎士の直感というものよ!」

子どものように素朴でありながら、絶対的な自信に満ち溢れた答え。サンチョは深い嘆息を呑み込むのに全神経を注いだ。この大胆不敵な主君にとっては、理性や論理など取るに足らぬものなのだろう。

ディーラーがルーレット盤に力強く球を投じる。熱を持った光芒を浴びた真紅の球は、魂を奪われるような美しい軌跡を描きながら、回転する盤面を奔走する。実業家の息を呑む音が、 周囲の喧騒をも凌駕するかのように耳朶を打つ。 彼にとっては人生の岐路であり、生死を左右する光景が今、目の前で繰り広げられているのだ。

球の勢いは次第に減衰し、 予測不能な動きで数字の上をゆらゆらと通り抜ける。サンチョは胸中で、当選確率の極端に低いストレートアップに賭けたドンキホーテの無謀さを嘲笑した。今回ばかりは、流石の父上様も……

しかし運命は残酷なまでに騎士に微笑んだ。

球は魔法に魅入られて、0番のマスへと吸い込まれていく。一同はスローモーションになった映像を目の当たりにしているかのようだったが、否応なく時は流れ、球は遂に0番のマスに止まった。

ディーラーが無表情に「0、赤」と告げるアナウンスが、カジノフロア全体に重苦しい響きをもたらす。 実業家の顔色は、一瞬にして血色を失い生気のない灰色に変貌した。そして、 遅れて襲来する絶望が男の全身に圧し掛かる。

「うそだ…… そんな、ば、馬鹿な……!」

実業家の悲鳴は、信じがたい現実を断じて認めまいとする絶望の絶叫であった。しかし、現実は残酷だ。ルーレット盤は冷静に勝者と敗者を分け、敗者には死という罰が無慈悲に宣告されるのだ。

実業家の首輪が、死刑を執行するべく容赦なく作動を開始する。

刹那、実業家の首筋に走ったのは冷たい鉄片が皮膚に触れるかのような、一瞬にして全身の生気を奪う絶対的な冷たさ。続いて襲いかかったのは、体内の細胞ひとつひとつが内側から爆発するような、そんな錯覚に陥るほど恐ろしい痛み。全身の神経回路網が同時に炎で焼き尽くされ、鋭く強烈な痛みが脳髄を直接叩きつける。 痛みは瞬く間に全身に広がり、実業家の口からは、抑え込んでいたうめき声さえも漏れるほどだった。

顔は痛みで歪んで醜くへこみ、毛細血管は破裂し、目、鼻、口、耳のあらゆる穴から、真っ黒な血が溢れ出る。皮膚は摂氏数百度に達する高熱にさらされたかのように、瞬く間に真っ赤に腫れ上がり、全身のあちこちから恐ろしい水蒸気が立ち上り始めた。熱は皮膚組織の下の筋肉や骨まで容赦なく浸透し、組織は急速に壊死し、液体状に溶け落ちた。

実業家の身体は極端な痙攣で硬く硬直し、弓の弧を描く形に歪んで地面に倒れる。骨が軋み筋肉の繊維が引き裂かれる不気味な音、肉が焼けるような嫌な臭いが、処刑場を思わせる惨めな光景の一部分となって会場に染み付く。苦痛に打ちのめされたまま無理やり開いた唇からは、最期の息が吐かれた。

実業家の無残な姿を目の当たりにした瞬間、カジノフロアに漂っていた浮ついた空気は一変した。死の恐怖が、参加者たちの心に忍び寄る。

ミレイは両手で顔を覆い、小刻みに震えている。その指の隙間からは、真っ赤な瞳が恐怖に見開かれているのが垣間見える。「や、やめて.こんなの.」か細い声は、泣き出さんばかりの震えを帯びていた。

サンチョは眉をひそめながら、冷ややかに崩れ落ちた実業家の亡骸を見つめる。

「実業家殿、健闘であった」ドンキホーテは厳かに目を閉じ、敗者への敬意を示す。

「己の全てを賭けた勝負、その潔さは称えられるべきだ」

その言葉とは対照的に、残された参加者たちの表情は一様に強張っていた。誰もが心の中で祈っているのだろう。あんな死に方だけは、絶対に嫌だ.この場で負けることは、即ち死を意味する。その恐怖が、彼らをさらなる賭けへと駆り立てていく。

汗に濡れた手で必死にチップを握りしめ、血走った目で次々とルーレットに向かう者たち。勝利への執着は、もはや狂気じみていた。誰もが勝たなければならない理由を持っている。誰もが生きて帰らなければならない場所があるのだ。

 

 

次の対戦者は、派手なドレスに身を包んだ中年女性。艶やかな衣装とは裏腹に、その表情には深い疲労の色が刻まれていた。

「娘の手術まであと三日.」

彼女は震える指先でチップを数え直す。慎重すぎる性格が災いし、これまでずっと配当率の低い賭け方しか選べずにいた。残されたチップは、もはや僅かばかり。

「赤に.全額賭けさせていただきます」

その声には、堅実な戦略を取らざるを得ない者特有の諦めが滲んでいた。

「ほう、バカラならいざ知らず、ルーレットで色物に固執するとは」

ドンキホーテが軽く眉を上げる。

サンチョは黙って、自身の作戦を再確認していた。レッド・ブラックの賭け方に、コーナー・ベットを組み合わせる戦略。17か20であれば両方とも成功だ。無論、勝算は十分にある。だが、それ以上に気になるのは、ディーラーのアオイの仕草だった。

彼の手捌きには、明らかな意図が感じられる。微細な角度の調整、球を投げ入れるタイミング。全てが、サンチョの賭けに有利に働くよう計算されているようだ。

「サンチョよ。この勝負、どう読む?」

「はい、彼女は常に赤に賭けています。ですが、アオイさんの手の動きを見ると……今回は黒が来そうです」

手元から目線を上に移すと、アオイの視線と交錯した。

その瞳に宿る警告の色。それは、明らかに何かを伝えようとしていた。手首の微かな動き、指先の角度。暗号めいた動作の中に、切迫したメッセージが織り込まれているのが伝わってくる。

暗号の読み取り方など教わったこともないので詳しい内容は理解できないが、状況は予想以上に深刻なのかもしれないと思った。

予想通り賭けは見事に的中し、球は黒の17番に落ちた。

「さすがだな!」主人はまるで賭けに勝った本人のような喜びようだ。

しかしその従者には、勝利の喜びよりアオイから受け取った警告の方が重く心にのしかかっていた。

結果は黒なのだから当然、中年女性の賭けた赤は外れ。彼女の断末魔が響く中、ミレイは震える手で自分のチップを数えていた。

 

 

そして最後の対戦者。白いタキシードに身を包んだ青年が、震える声で自身の物語を語り始めた。

「双子の弟が.冤罪で死刑を宣告されたんです。DNA鑑定も、アリバイも、全部揃っているのに.裁判所は聞く耳を持ってくれない」

青年は拳を握りしめる。

「期限は一週間。それまでにまともな手段で大金なんて、用意できるはずもなかった。弟を救えるのは俺しかいないんだ……!だから悪いけど、この勝負は絶対に負けられない。ロウ、ストレートアップで11、14、17番!」

その悲痛な告白に、ミレイは儚げな表情を浮かべた。

「あなたの気持ち、わかります。私にも.大切な人がいましたから」

その声には共感と優しさが滲んでいたが、その瞳の奥底には何か別のものが潜んでいた。

「あの.私は26番と29番の間でダブルストリートに賭けてみます.」

ミレイは小さな声でそう告げる。6つの数字を跨ぐ賭け方である。

「そんな無謀な!先程から見ていて思ったが、お前たちはなぜ1つしか賭けずこれほどまでに勝てるんだ!?お前たちの運は底なしなのか!?」

青年の半狂乱の叫びも虚しく、球は26番へと吸い込まれていく。ミレイの賭けた一連の数字の中に、見事に収まったのだ。

 

 

最後の対戦が行われている間、アオイは何かを決意したように二人をバックヤードへ招いた。

「実は私.前回のデスゲームの生存者なんです」 薄暗い部屋の隅で、アオイは声を潜めて告白を始めた。彼の表情は過去の悪夢が蘇ったかのように蒼白いが、瞳には決意を秘めた光を帯びていた。「ミレイとはバディでした。でも彼女は.最後の最後で私を裏切ったんです。運営に情報を売って、私を嵌めた。信じられますか?全然そんな事するふうには見えませんでしたよね」

「そうでしたか.」 サンチョは腕を組み、うっすらと笑みを浮かべた。

「あの少女の様子は、最初からなにか違和感があったんですよ。アオイさんの話を聞いて、全てが繋がりました」

「なるほど。今思い返してみれば、ミレイ嬢の様子には些か不可解な点があったな。だが、俺はそうやすやすと人を疑うのは好きではない。アオイ殿、何か証拠はあるのか?」

ドンキホーテは眉を寄せ、アオイを鋭く見据えている。

「ええ、あります」

アオイは古びた携帯端末を取り出した。画面には暗号化されたチャットログが残されている。「これは前回のゲームでミレイが使っていた通信機器です。ミレイと私のやり取りが全て記録されています。彼女は運営に寝返る時、これを投げ捨てました。幸運なことに修理は古くからの友人がやってくれましたし、データも重要な所は殆ど残っています」アオイが特定の日付のログを開くと、そこには運営との取引の詳細が克明に記されていた。ミレイが仲間の情報を売り、アオイを陥れる計画の全容が冷たいデジタルの文字列として刻まれている。

「その代償として彼女は生き延び、私はこのゲームの裏方となり今度は苦しめる側に回ることを強要されました。……まあ、時間もないのでつまらない話はこのくらいにしておきます」

「いや、興味深い話を聞かせてくれてありがとう。死を選ぶか、ディーラーとなるかの選択を迫られたら誰だってそうするさ。過去に縛られる必要はない」ドンキホーテは一礼をして感謝と彼なりの励ましの言葉を伝えた。

アオイは、ルーレット台の裏側にある精巧な機械を指し示した。それはまるで巨大な心臓のようで、無数の配線と歯車が脈打つように蠢いていた。

「この装置には、電磁石が組み込まれています。各数字のポケットの下に、磁石が配置されているのがわかりますか? この磁力を、私が手元のコントローラーで、ミリ単位で調整できるんです。そして、球自体にも特殊な磁性体が仕込まれている。つまり……」

アオイは慎重に言葉を選びながら、確信に満ちた目で二人を見つめた。

「磁力を完全に制御できれば、球の落下地点を意図的に操作できる、ということです。勿論、そのためには球の初速と回転数を完璧に計算する必要がある。ほんの僅かなズレも許されない。私は長年の経験で、なんとかそれを直感的に操作できるようになりました。ミレイにはこの技術は見抜けない……はずです。……それでは、ともに参りましょう。私達だけでなく、ここにいる者達すべての命運を賭けて」

彼の言葉には長年培われた技術への自負と、過去の裏切りへの復讐心、そして何よりも参加者を一人でも多く救いたいという切実な願いが込められていた。

「これは即ち騎士として、戦う術を持たぬアオイ殿の代わりに裁くべき因縁だな!」

「うっかり暴走なんてしないでくださいね。止めるの結構大変なんですから」

二人はアオイの言葉に希望の光を見出し、軽く言葉を交わしたのち固く頷いた。

 

 

アオイは深呼吸を一つし、二人を再びカジノの喧騒へと導いた。ルーレット台の前には、既にミレイが待ち構えていた。

「み、皆さん裏で何をしていたんですか?ずっと待ってたんですよ……ッ!?アオイさん……なんですよね?久しぶり……ですね。あれ、なんでそんな目で私を見ているんですか?やめてください!こ、怖いです…………はぁ、もう私の正体の見当はついた、ということですか。では改めまして自己紹介をします。一級フィクサー、ミレイです。かつては『七彩の庭』という素敵な事務所を持っていたのですよ」 儚げに見えるよう作られた表情とは裏腹に、その声には隠せないほどの狂気が潜んでいた。

「でも、みんな死んじゃった。私が、殺しちゃった。信頼も、絆も、愛情も、ぜぇーんぶ偽物だったから!ふふっ……ひひひ……ハハハッ」

突如として、甲高い笑いが響き渡る。その瞬間、テーブルに置かれていたグラスが宙を舞い、近くにいた客たちめがけて投げつけられた。パニックに陥った客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ミレイの笑い声はより一層狂おしさを増していく。

「あははははははは!逃げて逃げて!私を裏切った仲間たちみたいに!そして……死んで」

ドンキホーテは眉をひそめ、静かに剣を構えた。

「狂気に溺れた者か。いや、むしろ狂気に縋りつく事でしか生きられなくなった哀れな獣というべきか」

「可哀想な人.ではなく始末すべき獲物ですね」 サンチョの冷たい声が響く。以前から感じていた違和感は、これが正体だったのか。狂人が善良な少女を取り繕うというのは、流石に無理がある。

「ああ、今まで練っていた計画がすべて無駄に……」

アオイはそれっきり無言で、かつてのバディを見つめていた。自身の運命を決めたあの日のことを想起していた。ふと、当初の計画に基づく使用方法では無いが磁力操作は彼女を無効化するのに使えるかもしれないと気づく。その瞳には悲壮感と決意が交錯している。

ミレイの周囲には無数のカジノチップやグラス、灰皿などがまるで意志を持つかのように宙に浮かんでいる。不気味な静けさの中に、目に見えぬ力が渦巻いているのが感じられた。ミレイの瞳は冷酷な光を宿し獲物を定めるように三人を見据えていた。

「あらあらぁ、もうお喋りは終わった?」 ミレイの声は甘美な蜜のように響きながらも、芯には氷のような冷たさが隠されていた。 彼女の視線はアオイを捉え、嘲笑を含んだ笑みを浮かべた。 「まさか、昔のよしみで私を出し抜こうなんて考えてないでしょうね?」

アオイはミレイの挑発に動じることなく、静かに答えた。

「もう、あなたの思い通りにはさせない」

その言葉を合図としたかのように、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

ミレイが指を鳴らすと同時に、宙に浮いていたカジノチップが一斉にアオイへと向かう。

ミレイの能力によってチップは鋭利な刃物へと変貌し、空気さえ切り裂くような音を立てて迫り来る。

アオイめがけて飛来するカジノチップの雨を前に、ドンキホーテは一瞬のうちに判断を下した。血液を操り壁を築き上げ、アオイの前に盾を作り出す。チップは鋭利な刃となって壁に突き刺さったが、血の壁は微動だにしない。

「サンチョ!」 その一声で、二人の息の合った連携が始まった。

サンチョは躊躇なく己の腕を切り裂いた。噴き出した血液は、まるで生きものであるかのように意のままに踊る。血は瞬く間に凝固し、深紅の槍となって姿を変えた。槍の穂先が、再び執拗にアオイへと向かって飛び散るチップを正確に捉え激しく激突した。金属的な衝突音とともにチップは粉々に砕け散り、赤い粉塵が宙を舞った。

ドンキホーテもまた、血鬼としての本能を解き放つ。周囲に散乱する血液は吸い上げられて球となり、そこから生み出された槍はサンチョのものよりも一回り大きく深い紅色を帯び、まるで大剣のような威圧感を放っていた。力強い踏み込みから血槍を横薙ぎに振るい、ミレイの周囲に浮遊する障害物を薙ぎ払う。空中で激しく回転していた灰皿やグラスは、血槍の一撃によって無残に破壊され、カジノは一瞬にして戦場と化した。

ミレイは余裕の笑みを崩さない。身動き一つせず、浮遊させた物体を更に加速させ、攻撃の激しさを増していく。

「弱いものいじめはや~めた。貴方はぁ、中々遊びがいがありそうねっ♪」

次なる攻撃は、より巨大な物体であるシャンデリアだった。天井を抉り取るように鉄製の重い塊が切り離され、高速回転しながらドンキホーテへと向かっていく。

「危ない!」 アオイの悲鳴に近い声が響く。ドンキホーテは血槍を前方に構え、防御の姿勢を取る。しかし砲弾のような衝撃が血槍を易々と弾き飛ばし、彼の体を直接襲った。

「ぐっ.!」衝撃に体をよろめかせ、足元がぐらつく。その隙を見逃さず、ミレイは次なる一手を繰り出す。今度は複数の椅子が浮遊し、様々な角度から襲いかかる。高級な木材と金属でできた椅子は、まるで高速で振り抜かれる棍棒のように猛威を振るい、ドンキホーテを追い詰めていく。

「全く……相手を侮りすぎていたようですね、父上様?」

サンチョは細身ながらも素早い体さばきで椅子の攻撃をかわし、血槍を鞭のようにしならせながら辺りを飛び回り彼女に肉薄しようとする。

だがミレイの能力は範囲攻撃にも優れていた。彼女は周囲の床を剥がし、空中に浮遊させたタイルはまるで無数の刃のように回転しながらサンチョへと襲いかかる。サンチョは避けきれず、体に数箇所の切り傷を負う。血鬼の回復力は高いものの、絶え間ない攻撃に苦悶の表情を浮かべる。

アオイは戦闘能力がないため、ただ状況を見守ることしかできない。しかし彼の眼差しは必死だった。フロアのあちこちに置かれたルーレットの機械を凝視し、コントローラーを繊細に操作し始める。彼の目的はミレイの浮遊能力の源である磁力を逆に利用し、彼女の攻撃を妨害、あわよくば自滅させることだった。

その瞬間、アオイの集中は最高潮に達していた。彼の指がコントローラーのダイヤルを微細に回転させ、出力を機械が壊れない限界まで上げる。ルーレット台の内部で目に見えぬ磁場の奔流が渦巻き、趨勢を決める静かな嵐が到来した。

最初はほんの僅かな変化だった。ミレイが操るオブジェクトの動きが一瞬、ほんの僅かに乱れたのだ。物体の軌道が磁力によって牽引され不自然に歪む。椅子がドンキホーテに迫る速度も、心なしか鈍くなったように感じられた。

彼女の闘争を求める笑みには明確な動揺の色が浮かび、微かな亀裂が走り始めた。

「あら?」 彼女の声は先程までの余裕を含んだものから、僅かに疑問の色を帯びたものへと変化していた。彼女は指先を繊細に動かし浮遊するオブジェクトの制御を試みる。しかし彼女の意図とは裏腹に、オブジェクトの動きはさらに不規則さを増していく。見えざる手(アオイ)見えざる手に操られ彼女のコントロールから逃れようとするのだ。

二人は、その鮮少な異変を察知した。ミレイの能力に、僅かながらも綻びが生じている。それは逃すわけにはいかない絶好の好機だった。

「今だ、サンチョ!」 ドンキホーテの声が、戦場に雷のように轟く。彼は血槍をより深紅に輝かせ、体躯を強靭なバネのように使いミレイへと一直線に跳躍した。彼の狙いは、ミレイの腕。浮遊能力を制御しているであろう源を直接叩き潰すことだった。

サンチョもまた、父の意図を汲み呼応するように地を蹴って前進する。俊敏な動きで椅子の残骸を縫うように進み、血槍を巨大な鋏へと変貌させながらミレイの足元へと向かった。上下から同時に迫る血鬼の猛攻に、ミレイは初めて明確な警戒の色を浮かべた。

「まさか.磁力操作.!?」 かつては事務所経営に存分に活かされていた知的な頭脳は、瞬時に事態を理解した。彼女の視線は後方に向かい、薄れた狂気がようやくアオイの姿を捉えた。コントローラーを繊細に操作するアオイの横顔にはっきり浮かぶ、過去の因縁に紐づけられた復讐心が呼び覚ました固い決意。

ミレイの表情は驚愕から、徐々に怒りへと変化していく。彼女の美しい顔は嫉妬と憎悪に歪み、口元からは獣のような唸り声が漏れ出した。

「この裏切り者……! 許さないぃぃ! 絶対にいいいい、許さないわ……!!ぜんぶ、全部…………ぶっ壊してやる」

ミレイはこれまでの余裕と狂気に陥った哀れな少女の演技を完全に捨て去り、真の力を解放する。彼女の周囲に浮遊する物体が蜃気楼のように揺らぎ、元と寸分違わず複製されて爆発的に増加していく。カジノチップ、クリスタルガラス製のグラス、灰皿、椅子、ルーレット球.荒れ狂う磁力の影響を受けた物体が、まるで生きた軍隊のように、血鬼の二人やアオイのみならずありとあらゆる方向へ出鱈目に向かっていく。

サンチョは血液から螺旋状の槍を複数形成し、ミレイに向かって放つ。鮮やかな赤い軌跡が輝く流星群となって空間を切り裂く。同時にドンキホーテは血の壁をミレイを囲むような形にさらに拡大させ、息のある参加者と避難誘導のため残されたディーラーを守りつつ反撃の足がかりを作る。

ミレイの声には感情が抜け落ち、その目には冷たく澄んだ殺意だけが宿っていた。「この程度で私を止められるとでも?」ミレイは灰皿やグラスを盾のように操り、槍を次々と弾き返していく。その動きは優雅で、まるでダンスでも踊っているかのよう。だがその美しい仕草の裏には冷酷な殺意が潜んでおり、目を奪われた観客にもたらされるのは死だ。

「ふふっ……笑わせるわ。目にもの見せてあげる」浮遊する破片の一つ一つが彼女の指先で操られ、致命的な武器と化していく。カジノの華やかな装飾が、今や命を奪う刃となって二人の血鬼へと襲いかかる。そして彼女の口元には、わずかに浮かぶ微笑み——それは勝利を確信した捕食者の表情だった。ミレイの周囲に漂う物体が渦を巻き始める。それは徐々に速度を増し、やがて目が追えないほどの速さで回転する竜巻となった。

「これならどう?」

竜巻は一気に膨れ上がり、カジノフロア全体を飲み込まんばかりの巨大な渦となる。テーブルや椅子が宙を舞い、天井の端に残っていたシャンデリアさえもきしみ音を上げて揺れ始めた。

しかし、ドンキホーテとサンチョの表情は余裕に満ちていた。

「父上様、参りましょうか」 「ああ、久しぶりの本気の戦いだ。存分に楽しもうではないか!」

ドンキホーテは血液を操り、巨大な鎌を形作る。サンチョも新たな細長い螺旋槍を生み出し、その先端は鋭く光を放つ。

二人は完璧な呼吸で竜巻に飛び込んでいく。血鎌が空を切り裂き、血槍が闇を貫く。飛び交う破片の雨の中、二人の動きは少しも乱れることがない。

「なぜ、なぜあなた達は私に逆らうの!?この腐敗した世界では、裏切りこそが正しい選択だ!そのはずなんだ!」 死が迫り追い詰められたミレイの叫びには、再び噴出した狂気の中にも何か痛ましいものが混じっていた。

ドンキホーテは堂々と鎌を構えながら、毅然とした声で応える。

「我らが裁くのは、弱き者を踏み躙る強者だけではない。友を裏切る者もまた、裁かれるべきなのだ」

「そうだ、ミレイ。お前は仲間だけでなく自分の心さえも裏切ってしまった」

サンチョの冷静な声が響く。

「うるさい!うるさい!うるさいうるさいうるさいっ!」

ミレイの制御が乱れ始める。竜巻は不規則な動きを見せ、破片の軌道も不安定になっていく。

その隙を逃さず、ドンキホーテとサンチョは最後の一撃を放つ。血の大鎌と螺旋槍が完璧な角度で交差し、台風の目であるミレイに直撃する。

轟音と共に竜巻は崩れ落ち、無数の破片が雨のように降り注ぐ。その中心で、ミレイはようやく力尽きたように膝をつく。その美しい面立ちは、いまや憎悪と敗北感で歪んでいた。

アオイは静かに近づき、かつての仲間を見下ろした。

「これで借りは返せたかな」アオイの言葉には、怒りよりも哀しみが滲んでいた。彼の目には、過去の記憶と今の現実が交錯する複雑な感情が映っていた。

「私たちは、こんな風に対立するべきではなかった……」

ドンキホーテは血の壁を徐々に引き下げながら、アオイに向き直った。その顔には安堵と感謝の色が浮かんでいた。

「アオイ、君の力があったからこそ完璧な勝利を収められたのだ。決め手はあの磁力操作だったな」

サンチョも血槍を消し去り、アオイに近づいた。彼女の細身な体には複数の傷が残っていたが、血鬼特有の治癒力により徐々に塞がっていく。

「まさか、あんなタイミングで磁場を逆転させるなんて……」

サンチョは軽く笑いながら言った。「アオイさん、あなたは本当に賢い。私たちに勝機を与えてくれて感謝する」

彼は恥ずかしそうに微笑んだ。

「ただの偶然です。それに、私にできることはこれくらいしかなかったので」

地下カジノは荒廃していた。浮遊していた様々な物体は今や床に散乱し、ルーレット台は半壊、壁には無数の亀裂が走っていた。客たちは既に避難し、残されたのは彼らと、床に倒れ込むミレイだけだった。

ドンキホーテはミレイを厳重に拘束し、「今後二度とこのような暴挙に出ないよう、適切な処遇を考えなければならない」と静かに告げた。

 

 

こうして地下カジノは血鬼たちの手により壊滅した。彼らの戦いは、ただの破壊ではなく、より大きな秩序の回復のためのものだった。アオイの勇気、ドンキホーテとサンチョの力、そして彼らの絆が、この夜の勝利をもたらしたのだ。

やがて夜明けが近づき、彼らは静かに地下カジノを後にした。新たな日の光を浴びながら次なる使命に向けて歩みを進める彼らの影は、朝霧の中へと溶けていった。

生き残った参加者たちは解放され、運営の金庫から彼らの願いを叶えるための資金が届けられた。

「父上様、結局いつもの展開になりましたね」

「はっはっは!正義の勝利とはそういうものよ!」

後日、アオイは新しい人生を歩み始めた。そしてミレイは運営の残党に引き渡され、彼女を待つ運命は誰も知ることはなかった。

「父上様、次は本当に普通の冒険にしませんか?」

「むむ、では地下闘技場は……」

「それも危険です!」

こうして血鬼たちの珍道中は、また新たな冒険へと続いていくのであった。




出演者リスト
イチカワ 黒髪黒目。普通の男。デスゲームのアルバイトで案内役にされた。運営から支給された特別製首輪は外そうとすると爆発する通常の機能だけではなく、気配を完全に消すことのできる便利機能もついている。一体おいくらなの?
ミレイ 今回のクソアマ枠
水色のショートヘアとルビー色の瞳を持つ少女。2人の仲間に加わるが、終盤で裏切る。
一級フィクサーで、『七彩の庭』という事務所のリーダーだった。
結成理由は、七人全員が特色になることを目指すという可愛らしいもの。
だが裏切りがおきた理由は金である。メンバー6人はミレイによって全員殺され、無残な死を遂げた。
アオイ
青髪で水色の瞳を持つ紳士。運営側のディーラー。前回のデスゲームで失敗し、運営に殺されたくなくて無理やり従わされていた。ミレイとは元バディだったが、その少女に裏切られたせいでこうなってしまったので少女に恨みがある。2人と協力して少女に勝つためイカサマを仕掛け…ようとしたがミレイは想像を超えるほどの戦闘狂だったので終盤戦ではお荷物に。まあ少し頭が切れるぐらいの一般人なんでしゃーない
ちなみにある同僚が文字通り身を削ってアオイの復讐計画を手助けしてくれた。もうこの世にはいない。

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