11.先頭の焦燥
「──誰が優勝すると思います?」
手元のパンフレットの中にある、生徒紹介のページをぺらぺらと捲りながら、如何にも軽薄そうにホークスは問いかけた。
話しかけた相手はといえば、何やら意味深そうに「ふむ」と考え込んでいる。
費やすことおよそ五秒、中性的な顔立ちを少しばかり歪めて、その白い美丈夫──レグルスは口を開いた。
「あのさぁ……。君の質問の答えを考えている途中で思ったんだけどさ、生徒たちそれぞれが皆優勝を目指して頑張っていると思うんだよね。それを大人の勝手な評価で、ろくに見もしない段階から順位付けするなんて、到底趣味がいいとは思えない。彼らの権利の侵害じゃないかな?」
「──なるほど。確かにそうですね。あなたと話すと存外、気付かされることが多い」
ホークスの返答に気を良くしたレグルスは、「わかればいいんだ」と、話を切り上げて会場を見やる。
今日は国民が待ちに待った──雄英体育祭、その開催日だ。
「さぁ出久、今の君はどこまでやれるのかな。期待しているよ」
レグルスの呼ぶイズクという生徒。
ホークスは、彼が注目しているその生徒に意識を向けるが──。
ホークスの目から、緑谷 出久は地味で凡庸な少年にしか見えず、首を捻るばかりだ。
ホークスがレグルスに異様なまでの好奇心を見せる裏には、とある理由があった。
「あんたとこうして話せて、ちかっぱ嬉しか──俺のヒーローやけん」
ホークスの呟きは、地味めな少年に夢中なレグルスの耳には届かなかった。
──雄英体育祭は、恙無く進行されていく。
「せんしゅせんせー。俺が一位になる」
──どいつもこいつも。
まったく、我が強くないと、ヒーローにはなれないのだろうか。
「自明、か」
ヒーロー科首席、爆豪 勝己の大胆な言動──もとい、傍若無人な振る舞いに、ホークスは小さく苦笑した。
……レグルスはといえば。
「はぁ……全く、慎みってものがないよね。彼。たとえ本心で一位を目指しているとしても、結果に拘っているとしても、表向きには皆で頑張ろうとか、スポーツマンシップに則って平等に競い合おうとか、そういう過程に目を向けて発言すべきだ。野心は秘めるもの。彼らはトップヒーローを目指しているわけだから、世間に対して安心させるってことが必要になるだろ? どうせ彼、人を助けたときもろくな言葉もかけられないだろうな。自分が目指しているヒーローって像からかけ離れた行動をどうして取るのか、僕には全く理解できない。向上心のはけ口を間違えてるとしか思えないな、全く」
まるで呼吸するかのように薄っぺらい言葉を並べ立てるレグルスに、ホークスは「また始まったよ」と嘆息した。
※※※※※※※※
緑谷 出久の手札は、OFA常時増強5%と、瞬間増強の二種だった。
瞬間増強に関しては、多少の手足の痺れや腕、足腰の痛みを無視すればの話だが──。
10%程度までなら使用が可能であることを、レオニスとの特訓により個性の本質的な理解が深まったことで、緑谷は把握出来ている。
「……ふぅ……」
それでも尚拭えぬ不安は、オールマイトからの指令によって、一位を取って『僕が来た』ことを世に示さなければならない使命感から来ている。
もしくは、経験の浅さも有るだろう。
とはいえ、過度に浮き足立つことなく、緑谷は適度な緊張感──挑戦的な集中の中に沈んでいた。
とんだ無茶ぶりだと思う不安と同時に、緑谷は己に期待していた。
「今の僕なら……どこまでやれるんだろう」
──想像を、超えたい。
超えなきゃいけない。
頭が冴え渡り、手足の隅々まで鋭敏に、かつ穏やかに力が行き渡る感覚。
温いお湯に浸かっているかのように、心身ともにリラックスしていて。
──薄く、薄く。時間がゆったりと、引き伸ばされていく。
自分の調子が良いことが、緑谷には肌感で理解出来た。
「障害物競走……!」
大ブーイングを巻き起こした爆豪 勝己の選手宣誓──「俺が一位になる」を終え、ミッドナイトから発表された第一種目。
言わずもがな──機動力において大きなアドバンテージを取れる緑谷は、この障害物競走において、間違いなく有利だ。
緑谷にとっては、どこまでも追い風。
「こりゃあ、言い訳できないぞ」
元々張るつもりもない予防線を捨て、深呼吸の後、緑谷は目を見開く。
「見ててください──オールマイト」
その時、緑谷は観客席にいた、一人の人物と目が合ったように感じた。
「見てるよ、出久」
──ヴィランから一転、ヒーローとなった白い青年が、自分を見ていたのだ。
素直にそれを喜ぶことは、出来ない。出来なかったが。
「……聞きたいこと、言いたいこと……山ほどあるけど……今は」
「さあさあ、位置につきまくりなさい!!」
ミッドナイトの号令で、生徒らはスタートゲートへ向かう。
此方を見遣るレグルスに、緑谷は軽い会釈だけをして、自らも位置に着いた。
気になることは山ほどあるが、それらは一度思考から追い出して、目の前のことだけに集中しなくてはならない。
「……?」
刹那、緑谷はスタートゲートが狭すぎることに気づく。
つまり、スタート地点の時点で──。
「──スターーーート!!!!」
──競走はもう、はじまっている。
緑谷は轟の氷結を警戒し、跳躍の姿勢を取った。
予想は現実に。
轟の放った冷気によって地面が凍り、地に居る者の足を絡め取っていく。
緑谷の位置からだと、5%の跳躍では飛距離が足らない。氷の上で滑って、時間をロスすることは避けたい。
「やっぱり来た……!! OFAフルカウル8%!!」
いきなり瞬時8%、多少の痺れや痛みなど、リスクとして考慮にも値しない。
オールマイトの期待に応える。それだけを優先する。
OFAフルカウルの真骨頂──稲妻の如き雷速で、緑谷は轟に並んだ。
だが、初手の轟の氷結を避けたものは他にも大勢いた。
その内の一人、峰田が轟へ妨害を仕掛ける。
「裏のウラをかいてやったぜ、ざまぁねえってんだ!! くらえ、オイラの必殺──」
だが、その必殺技が使われることはなかった。
何故なら。
「ごはぁ!?」
入試でヒーロー科志望の受験生たちを阻んだ仮想ヴィランが、峰田の不意を突いて、突き飛ばしたからだ。
『さぁいきなり障害物だ!! まずは小手調べ!! 第一関門、ロボインフェルノォ!!!!』
プレゼントマイクが、お得意の実況でギャラリーを盛り上げる。
隣のイレイザーヘッドは寡黙に、生徒たちを見守っている。
「入試ンときの0pヴィランじゃねえか!!」
「マジかヒーロー科あんなのと戦ったの!?」
「多すぎて通れねえ!!」
普通科の生徒を筆頭に、多くの生徒が困惑する。
こんなものを、一体どうすれば突破できるというのか。
用意された難関に、真っ先に反応したのは轟──そして、緑谷の二人だった。
「せっかくなら、もっとスゲぇの用意してもらいてぇもんだな──クソ親父が見てるんだから」
「ブツ、ブツ……あの時は、100%を後先考えずぶっぱなしたけど今度はそうはいかない──そもそも、倒すことが目的じゃないんだ。隙を作って突破さえしてしまえばそれで──ブツブツ、ブツブツ──」
轟が右手を振り上げ、氷結を放つと同時──緑谷は思考をぶつぶつと口に出しながら、10%の力で飛び上がり、後方に叩きつけるようにして5%の殴打を放つ。
威力は二の次。隙を作る事のみを考えた一撃だったが。
「SMASH!!」
緑谷のスマッシュは、轟の個性によって凍り、脆くなった箇所にクリーンヒットした。
仮想ヴィランは為す術もなく倒れ伏す。
『1-A轟、緑谷ァ! 同時に飛び出したァ──!! 痺れる連携で攻略!! クレバーッ!!』
『今のは互いがやりたいことやっただけだろ。連携じゃない』
この時点で順位は轟、緑谷のツートップ。
次点で爆豪、瀬呂らが仮想ヴィランの頭上を乗り越えて追い縋る。
『A組続々攻略ゥ!!! なんなのお前のクラス〜!? イレイザーヘッド!! だが次はどうかな!! 落ちればアウト──それが嫌なら這いずりな!? 第二関門、ザ・フォールゥウ!!』
緑谷 出久は、まずい、と直感する。
この種目は──爆豪 勝己に有利だ。
先に第一関門を突破したことで多少のアドバンテージがあるとはいえ、安心はできない。
轟にも差をつけなくてはならない。
「無茶の、しどころだ……!!」
5%のフルカウルの跳躍では、爆豪の爆速ターボに対して遅れをとる。
──故の、瞬間10%。
膝を曲げて地面を全力で蹴る──即ち、走り幅跳び。
「ここだ……!!」
途中で体勢を無理やり変え、縄に対して足の向きが垂直になるように──着地。
大きく沈みこんだ縄の反発を利用して、そのまま緑谷は再び跳躍した。
ぶっつけ本番の、パルクール動作。
だが、それだけのリスクを背負った最善を積み重ねても──。差はつけられない。
轟はスケートの要領で足元を氷結させ、安定と速度を両立。
爆破で空を飛べる爆豪にはそもそも、落下ステージなど関係がない。
「抜け駆けはさせねぇぞ、緑谷──!!」
「クソがっ!! 待てや半分野郎、クソデクッ!!」
『轟、緑谷、難なく第二関門同時クリアァ!! だが爆豪がすごい勢いで追い上げてきてるぞォ!!? さあどうなる!!』
「おいおい、エンデヴァーさんの息子と張り合ってるあの子誰だよ、すげぇな」
「ミドリヤイズク……? 知らないな……。単純な増強型の個性だが、頭がいいんだろうな。判断が早い」
「あの子うちのサイドキックになってくんねえかなあ」
観客のヒーロー達が緑谷を賞賛しているのとは裏腹に、緑谷は内心穏やかではなかった。
──最善は尽くした。それでも、爆豪にはもう追いつかれそうだ。
轟とも、差はつけられなかった。
抜かされていないだけマシだ、と思うしかない。
普通にやっていれば、確実にトップ争いからは脱落していたのだ。
やれる限りをやった結果だ。
今は──結果に落ち込むよりも、未来へ。先へ。
──進むしか、ない。
「……っ」
追われる側の精神にかかる負荷というのは、まったく、筆舌に尽くし難い。
後ろから追いかけてくる恐怖。
守りきらなければならないという強迫観念は、当人に、前を追いかける場合よりも遥かに余計なことを考えさせてしまう。
追いつかれた時の反動も、大きい。
これまでにしてきた努力や掴んだ成果が、ぼろぼろと崩れていくような感覚。
今緑谷を襲っていたのは、まさにそれだった。
どんどん調子を上げている爆豪が追いついてくるのは、最早決定事項だ。
──無論、元より分かっていたことだ。
爆豪 勝己がスロースターターであることも、轟が手強いことも。
最初に前に出て、首位に食らいつき、後半、幼馴染との差を埋めるだけのリソースを確保する──そういう大局観だった。
それでも、ここまで思い通りだから問題なし、大丈夫──。
と、そう安心することは、緑谷には出来なかった。
『早くも最終関門!! かくしてその実態は──一面地雷原、怒りのアフガンだァァ!! 地雷の位置はよく見りゃ分かる仕様になってんぞ──目と脚酷使しろ!!』
「これ、そういう事か……!」
「──エンターテイメントしやがる」
最終関門、怒りのアフガンは、その先頭ならではの苦悩を浮き彫りにする。
緑谷と轟は、この先頭ほど不利になる障害が生み出すジレンマに即座に気がついた。
すなわち、焦燥。
焦りの生み出す僅かなミスが、この関門では大きなタイムロスを生み出す。
かといって、慎重が過ぎれば追い抜かれてしまう。
──緑谷と轟には、アイデアが必要だった。
その刹那の逡巡の隙間に、爆豪が先頭に躍り出る。
「はっはァ──俺には、関係ねェ!!」
爆発による空中加速は、跳躍とは異なり、空中姿勢の制御の自由度が高く、地雷原などものともしない。
緑谷は、この最終関門と爆豪の個性の相性の良さに、遅れて気づかされる。
「かっちゃん……っ!! そうだ、かっちゃんは飛べるんだ……!! どうしよう、何かしないと……っ!!」
「後続に道作っちまうが──後ろ気にしてる場合じゃねえ……!!」
緑谷には、何もアイデアが浮かばない。
そうしている間にも、轟は奥の手を出して爆豪を追いかけている。
同率一位から、三位への転落。
これが地力の差。受け止めがたい現実が、緑谷を襲う。
「どうする、どうするどうするどうするどうする──ッ!!?」
緑谷には、状況を打開する。必殺のアイデアが。
アイデアが──必要だった。