「──これは、酷いな」
鉄壁をほこる雄英バリアが、破壊された。
事件を聞き付けたレグルスは、現場を見て率直な感想を口にする。
マスコミの騒ぎなど、レグルスにとっては些事だ。どうでもいい。
──だが。
「問題は……これをやったヴィランが誰なのか、かな。全く、世界の秩序を守ろうっていう場所を、未来の社会を担う子どもたちを脅かすなんて、ありえない。イカれているにも程がある。──到底、同じ人間とは思えないな。唾棄すべき悪だ。悪がこの世にいることが許せない僕に、平和と安寧と平穏を愛する僕に、この上ない不快感を味わわせた。それって、僕の人生の価値を損なう、僕への権利の侵害だ。だからこれは僕にあって当然の、復讐の権利だ」
──ぶつ、ぶつ、と。
悪意に対する嫌悪と呪詛を吐きながら、レグルスは行動を開始する。
──ふつ、ふつ、と。
煮えたぎる独善を、解放する時が来たのだ。
結論から言えば、レグルスの行動は情動に身を任せた、酷く短絡的なものだった。
緑谷、ひいては雄英生徒をヴィランから守るため、その身一つで雄英へと乗り込んだのだ。
そんな事をして緑谷にバレたらどうする──とは、考えなかった。
慎重に、影に徹するといったアイデアは微塵も浮かばない。
何故か?
「計画よりも正義の方が大切だ。ありもしない遠い未来に思いを馳せて、今を犠牲にするなんて馬鹿や愚図のやる事さ。そもそも、こんなに社会に対して尽くしている僕に対して、今から自分のことを犠牲にして守ろうって人に対して、何の報酬も与えないなんてありえない。無論、僕はその報酬を目的に正しいことを行うわけじゃないけど、でも無償の愛に対して形あるもので応えるのは人間として当然の、当たり前の行いだよね。だから、これで僕にとって都合の悪い結果になるなんてありえない。そう、ありえないんだ。もしそうなってしまうなら、この社会は、この世界は、僕の尊厳を、命を、思考を、肉体を、情動を、機会を、理性を、本能を、精神を、八識を、権利を、僕という一人間の私財を軽視しているって事になる。──でも、そんなことには、ならない。間違ったことは、起こらない。僕はそう信じる」
何故か?
答えは、単純明快。
──レグルスの思考は、破綻しているからだ。
※※※※※※※※
栄えある雄英高校、その1-Aの生徒たちは今、人生初と言ってもいい本当の正念場に立たされている。
ウソの災害や事故ルーム──通称USJ。
大人の悪ふざけここに極まれりといった風体の名を冠するこの場所で行われるはずだったのは、人命救助の訓練。
だが今行われているのは、命をかけた悪意との戦いだ。
「その個性じゃ……集団との長期決戦は向いてなくないか? 普段の仕事と……勝手が違うんじゃないか? それでも飛び込んできたのは──」
「生徒に、安心を与えるためか?」
声の主は、ワープ能力を内包する黒い霧の中から突如として現れたヴィラン──名を、死柄木 弔。
弔は、生徒たちを逃がして一人残ったイレイザーヘッドの個性、『抹消』の弱点を突き、片腕を使い物にならない状態へ追い込んだ。
「カッコイイなァ、カッコイイなァ……!!」
「くっ……」
ヴィラン連合の長、死柄木 弔は少しずつ、しかし確実に。
この盤上において、イレイザーヘッドを詰ませつつあった。
これだ。この瞬間を、弔は待ち望んでいた。
負けることなど、自身の命が脅かされることなど考えたことのない、全てを守り切れるなどと根拠のない自信を持つヒーローの矜恃を、壊す。破壊する。打ち砕く。
「ところでヒーロー。──本命は、俺じゃない」
勝利を手にするための分かりやすい方法とは、たたみかけることだ。
何よりここまでに得た情報で分かったことだが──イレイザーヘッドは、力押しに弱い。
体勢を立て直し切れないイレイザーヘッドに、死柄木は対オールマイト用に作成された骸を差し向ける。
「……!」
だが、刹那。
イレイザーの脳裏によぎった死のイメージは、現実にはならなかった。
予備動作もなく立ちはだかった白い青年が、骸──改人脳無の攻撃を受け止めたのだ。
「あのさ。君たち、何をしようとしてるわけ? ヒーローは国家公務員、つまり国の財産だ。それを奪おうだなんて、親にどんな教育を受けてきたらそうなるの?」
「──は?」
ハイになっていた死柄木の、思考が止まる。
──対オールマイトの脳無が止められた?
──誰に?
──何故? 何故何故何故何故何故何故何故何故何故。
「約束だよイレイザーヘッド。君は負けた。ここからは、僕の権利を行使する」
「…………」
イレイザーから、返す言葉はない。
事実、今青年に庇われなかったら、イレイザーは致命的な痛手を負わされていただろう。
それを無言の肯定と受け取った青年は、歩を進めた。
「おい、おい、おいおいおいおい。誰だよ、おまえ……情報に無いぞこんな奴……ヒーローか?」
「おっとそうだね、まずは自己紹介からだ。僕は、『無欲』のレグルス。ヒーローだなんてとんでもない。平和を愛し安寧を好む、通りすがりの一般人さ」
「あぁ……? レグルス……? 聞いた名だな……ヴィランの有名人じゃねぇか……。なんでヴィランがヒーローと仲良くしてんだよ……おかしいだろ、バグか……? バグかよ……おい……」
弔の今にも癇癪を起こしそうな質問に、イレイザーヘッドは心の中で答えた。
──こっちが聞きてェよ、と。
「……あのさぁ、君。君に聞かれたから僕は自己紹介をしたよね。そもそも人に名前を聞くなら自分から名乗るべきだけど、それは僕の常識であって君に押し付けるべきものじゃない。育ってきた環境によって、そういった常識は様々な色を見せるものだからね。本来ならその常識の擦り合わせからはじめるべきだ。でも、与える機会が一度だけなんてあんまりじゃないか。だから、僕は君を理不尽に思ってしまう小さな僕の心を宥めて、君を慮って、まず自分が君の願望に答えたんだ。これでも僕だって色々考えてるんだよ? その思考の経緯を、君への配慮のカタチを、ちゃんと汲み取ってほしいな。ていうか普通なら分かるよね。それくらい──」
ぐちぐちと続く、上滑りするようなレグルスの戯言をBGMに。
イレイザーは、昨日の記憶を思い返していた。
※※※※※※※※
レグルスが何の前触れもなく職員室に現れたのは、昨日の事だ。
「今この学校はヴィランに狙われている可能性が高い。本当に微力だけど、協力したいんだ」
あまりにも唐突な現象。
しかし誰一人欠けることなく、その場にいたヒーローの全員が臨戦態勢を取った。
日々の訓練と、危害への警戒の賜物だ。
だが。
──お前がそのヴィランだろうが、と。
心の中で突っ込まずには、いられなかった。
「不法侵入だ。ご同行願うぞ──『無欲』のレグルス」
結果から言えば、レグルスとの戦闘は起こらなかった。
否。勝負に、ならなかったのだ。
「──これが、『無敵』の個性──」
ヒーロー殺しを嬲り殺した男の実力に、噂に、嘘はなかったのだ。
決して敵意を見せないレグルスに、警察への連行を試みる教師の手は、一切届かない。
──一歩も、動いていないにも関わらず。
「厳密には違うけど、まぁいいよ。いいとも。『無敵』──その響きは何とも美しい。矮小な一人間に過ぎない僕がもらうには、あまりに過分な評価だけどね。まぁ、個性届も出していないし、なんとでも呼ぶといい。僕は個性の名称なんてガワには拘らないんだ。大切なのはいつだって本質。そうだろう?」
およそ、『ヴィラン殺し』と呼ばれることを酷く嫌悪する人間の言い分ではないが──そのブーメラン発言を指摘できる人間はここにはいない。
この場の者に、レグルスの言っていることはまともに聞こえた。
だが、行動は常識から全く逸脱している。
その乖離が、不一致が、チグハグさが、あまりに不気味だった。
「何が、言いたい」
「最初に言った通り、僕は君らの味方ってことさ。このきな臭い状況で、自由に動ける僕が英雄の卵たちを守ろう。ヒーローと呼ばれるか、ヴィランと呼ばれるか、そんなこと些細な違いだ。僕は君たちヒーローや善良な市民を手にかけたことはないし、これからもそんなことは絶対に起きない」
「──随分、勝手な言い分だな」
だが、状況を呑み込まざるをえなかった。あるいは、オールマイトが全力で戦えば、レグルスを捕まえることも出来たかもしれない。
だが、レグルスを排除することは出来なかった。
その選択に発生するコストと、リスクの重さが、ヒーロー達を決して行動させなかった。
「決断は、僕が何か不利益をもたらしてからでも遅くはないはずだ。利口な判断をしてくれると信じてるよ、ヒーロー」
「──お前を、信じろと?」
「そうだよ。僕は争いとか嫌いだし……話し合いで済むならそれが一番いいんだ。最善だ。理性的で、理想的な関係を築こう。僕たちならきっとそれが出来る。共に力を合わせて頑張ろう」
あまりにも勝手な発言に辟易としながらも、ヒーローは折れた。
レグルスの要求は通ったのだ。
そして、一歩遅れて到着し、事態を把握した根津校長によって、事態の収拾が図られた。
「君にどんな意図があろうと、少しでも怪しい行動を起こしたら拘束せざるを得なくなるのさ。それと、世間の目には絶対に映らないように」
「勿論だよ。雄英の名誉は穢させないとも。それは君たちの持つ私財だ。僕が傷つけていいものじゃないからね」
根津の判断は、まさに英断だった。
レグルスとは、敵対してはいけない。
「根津校長……あれでほんとにいいんですか。校内にヴィランが闊歩することを容認するだなんて……!」
「当然、ベストじゃない。でも、だからこそベターの選択なのさ。大切なのはヒーローとしての矜恃よりも、生徒の安全。選択が必要な場面だった。それと、何か気づいたことがあれば、共有して欲しいのさ。情報は武器だからね。特に──彼のように、個性が不明である場合は」
「不明……? 無敵、なのでは?」
「その場に居合わせた者によれば、『無敵』ではないと本人が否定したらしいのさ。それに、幾ら先鋭化して、進化してきた個性といえど──身体機能に違いはないのさ。全てを超越して、何者にも脅かされない個性というのは考えにくい」
「……であるから、探る……と」
「──時間が必要なのさ。レグルスというヴィランの人となりを知る為にもね。何せ、彼はヴィランでない者を脅かしたことはただの一度たりともない。相容れない存在、というわけではないはずなのさ」
「話し合いの余地が、あると」
「端的に言えば、そうなるのさ。彼がその気なら、その場にいた先生たちは無事じゃ済まなかったはず。それに話を聞く限り、雄英に来たのは生徒たちを守るため、というしね。無論、私たちの立場から、彼の言葉の全てを信用することはできないのさ。何せ、常識や性格に難があることには違いない。ただ──此方から仕掛ける理由もないのさ。願おう。彼が、善なる心を持っていることを──」
そしてその翌日、レグルスはUSJ行きのバスに、1-Aの生徒たちと共に乗っていた。
校舎から離れ、新入生たちが孤立する時間割。
もし狙うとしたらここだ、と。
己の直感が、告げていたのだ。
「あれ? 13号の隣にいる人……あのカッコイイお兄さんも、先生?」
「あー……。まァ、そんなようなもんだ」
相澤は、はぐらかした。
当然。
生徒たちには、何も知らされていない。
そして、余程のことがなければ、これから知らされることもない。
「僕のことは気にしなくていいよ」
レグルスのたたえた薄い笑みに、女子陣は浮き足立ち、バス内の雑談に花を咲かせる。
「ねー、あの人かっこよくない?」
「不思議な雰囲気の殿方ですわね」
「轟くんもだけどイケメン眼福!!」
「けっ!! イケメン死ね!!」
「峰田お前、初対面の人にそれはマズイだろ……」
そんな中、緑谷のみが首を捻って──。
「……あの人の声、どこかで、聞いたことあるような……?」
だが、コル・レオニスの存在と結びつくには至らない。
己の正体がバレていないことに、レグルスは満足そうに頷くのだった。
……それから。
程なくして、レグルスの勘は当たった。
USJに、ヴィランが襲撃をかけて来たのだ。
「レグルス──手を出すな」
いざという危機が訪れるまで手は出さない──それが、混乱する生徒たちを横目にイレイザーとレグルスの交わした密約だ。
レグルスの力なしでヴィランを退ければ、レグルスが雄英に居座る正当性の一切が否定される。
ヴィランが校内に、生徒に知らされることすらなく潜伏しているこの状況を、イレイザーは一刻も早く打破したかった。
だが、イレイザーは当初、己の都合でしかないこの提案が、レグルスに受け入れられるとは思わなかった。
レグルスはイレイザーの予想を裏切り、首を縦に振った。
「うん。君の意見を尊重しよう。だけどさ、その発言は君のワガママだってことは自覚しておいて欲しいね。子どもたちを守ることを何よりも優先するなら、今すぐ僕に頼るべきなんだ。賢い選択ってやつだ。そう、つまり君が今愚行権を行使しているという事実、これは客観的に、確固としてここにある。それだけは分かっておいて欲しいんだよね。勿論、今ここでヒーローとしての立場を貫くことも君の権利だから、僕はそれを侵害できない。する気もない。これでも僕は気が利く方だし、頭も回るから、君のことを、雄英高校という機関の立場のことを、理解して納得してあげられる。譲歩してあげられる。だけど、君の選択が間違いだと確信したら、僕はこの約束を反故にするよ。君に権利があるように、僕にも物申す権利があるんだ。君の敗北をそのまま見届けるような真似は出来ない。自分の大好きなヒーローが負ける所を指をくわえて見てるだけだなんて、そんな事は到底許容できない。そのときは、君はこの僕を尊重しなきゃいけないよ」
「──それでいい」
相も変わらずまくし立てるレグルスにうんざりとしながら、イレイザーは端的に約束を了承した。
この約束の成立はイレイザーにとっては嬉しい誤算だったが──誤算は、もう一つあった。
──敵の強さである。
脳無と呼ばれたあの異形に殺されかけた今、状況は変化した。
レグルスの助力を否定しつつ、ヴィランを退けるベストな結果は、もう得られない。
今、この場において、イレイザーは選択を強いられた。
であれば、次善は、果たすべき使命は──。
──この場を制圧し、生徒を守ること。
レグルスの手を借りざるをえなくなったのは、己の弱さが招いた事態。
万が一のとき、責任を負うのは自分だ。
だが、それでいい。生徒さえ無事に守り抜けるのならそれでいい、と。
イレイザーは、覚悟を持って状況をレグルスに預けた。
「さてと。事態を収拾する前に──もう自己紹介は済ませたけれど、敢えて。様式美としてこう言おう」
レグルスは目を瞑り、もう一度、ゆっくりと開く。
その双眸に確かな狂気を宿して、宣言する。
「──僕が、来た」