USJの事件を通して緑谷出久に起きた変化は、端的に、自信がついた、という事だった。
「──いける。動けるぞ、僕」
体の芯から震え上がるような恐怖を何とか押さえつけて、緑谷は、峰田、蛙吹と共に水難ゾーンのヴィランを撃破し、抜け出した。
蛙吹の舌でサポートしてもらいながらOFAフルカウルで行う複雑な立体機動は、そこかしこのヴィランでどうにか出来るものではない。
必然、緑谷たち三人はひとつの手傷すら負うことなく、この場を切り抜けたのだ。
「緑谷つええ〜ッ!! 助かった、助かったぞオイラ達!!」
「まだ油断しないで! それに、勝てたのは峰田くんのおかげでもあるんだから」
「ケロケロ。そうね、凄いわ二人とも」
「オイラもぎって投げてただけだけどな!!」
「それが凄いんじゃないか」
最終的にヴィランを無力化したのは、峰田の個性『もぎもぎ』だ。
「とりあえず、救けを呼ぶのが最優先だよ。このまま水辺に沿って、広場をぬけて出口に向かうのが最善──でも、他の皆のことも、気がかりだな」
言葉と裏腹に、緑谷の体はイレイザーのいる広間へと向かっていく。
「ちょ、ちょ、おい? 緑谷、バカバカバカ……どこ行くんだよ!?」
「──様子を見て、少しでも、相澤先生の負担を減らせたら。バカなことは考えてないよ」
初戦闘で得た、確かな経験値と自信が、緑谷の正義感と人を思う純粋な気持ちを強く作用させた。
そして、広間で緑谷たちを待ち受けていたのは。
──圧倒的な個による、蹂躙だった。
「……あ、あのイケメンつんよ……。ほら、ほらな? で、出る幕ねえよオイラ達……。はやく逃げようぜ緑谷ぁ」
「──うん」
恐怖から震え上がる峰田を案じて、緑谷はその場を後にした。
それでもその目線は、どこまでも白い男に吸い寄せられたままで。
──やっぱりあの人、どこかで見たような──。
緑谷はその後イレイザーと合流し、ついに一切の被害を受けることなく、この襲撃を乗り切るのだった。
※※※※※※※※
13号、背中から上腕にかけての裂傷が酷く、入院。
その他生徒、軽傷数名。
被害が最小に抑えられたことは、雄英にとって非常に喜ばしい事だったが──。
事態の収束をヴィランに頼ったこと。
侵入したヴィランの主犯を取り逃がしたこと。
その事実は、あまりにも重い。
だが、そんな事は己には関係ないとばかりに、レグルスは上機嫌に振る舞う。
「あのクラスは、ヒーローとして正しく、強く育つよ。いや、育てなくちゃならない。それが教師って仕事の義務だ。君もそう思うよね? ──俊典」
静寂を纏う休憩室で、出された茶を優雅に、気障ったらしい所作で味わいながら、レグルスは目前の男──オールマイトに話しかけた。
オールマイトの様相は酷く痩せこけた、トゥルーフォームのものだ。
レグルスは、オールマイトの事情を知る数少ない人物のうちの一人だった。
「それが、あなたが信条を曲げ、雄英に侵入し、ヴィランを逃がした理由ですか?」
丁重に、慎重に、言葉を選ぶ。
オールマイトは目前の男が一筋縄ではいかない狂人であることを、その身をもって知っていた。
それでも、オールマイトにも譲れない一線はあった。
聞かなくてはならない事は、山ほどにある。
「酷いなあ。雄英に来たのは、ヴィランの脅威からヒーローの卵を守るためさ。それに信条も曲げてないよ? そりゃあ、これだけ長く生きていたら、変わる価値観もあるさ。むしろ変わらないのはおかしい。変わるのは良いことだよ。貴重な経験をして、自分を省みて、変わっていく。それが人生の醍醐味だ。ずっと変わらない、停滞したままの心なんて、生きてるとはいえないと思うね。でも、変わらない事もある! 本当さ、本当だ、本当だとも!! 信じて欲しいなあ!! 君がナチュラルボーンヒーローであり続けるのと同じで、全てのヴィランは例外なく殺すべきだと僕は思ってるんだ!! 一人たりとも、存在することを許しちゃいけないんだよ!! 愚かしい悪の芽は、根っこから引き抜かないとね……! そうでないと、ヒーローが、善人が得をするような理想の社会は実現しないんだッ!! 悪人を全て排除すれば、善人と、平凡な人々だけが残る──少し考えれば誰でも分かる事だ!! 勿論、ヒーローがそこまで非情になれないのは分かってる。皆の希望が殺戮をするだなんて、おぞましい話だ。公安のヒーローはやってるみたいだけど、事実、巧妙に隠蔽されているしね。だからこその僕だ。だからこそ、僕は、ヒーローをやめたんだ!! 人生は常に過程だから、生きる意味だとか人生の目標だとか、そんな高尚な結果に対する『強欲』を明示することは愚かしいことだけど、もし僕にそれがあるとするなら、『ヴィランの絶滅』だ。……でもさ。強く、聡く、民を安心させる平和の象徴の後継を育てるためには、試練が必要なんだよね。鳥籠の中で、人工池の中で養殖したって、君を超えるヒーローは育たない。ヒーローを必要としない環境で、強いヒーローは育たないんだ。だから、僕がアレらにトドメを刺すことは、彼らの成長を邪魔することになってしまう。そんな事はあってはならないんだよ。それは君が、一番よく分かっているよね?」
「……度し難い。私には、その言い分は到底受け入れられない。──あなたの言いたいことは、正しく受け止めているつもりです。感謝もしています。あの時あの場で、あなたが相澤くんや皆を守っていなかったなら、被害はもっと拡大していた。仮に、私の到着が間に合ったとして、勝てたかも怪しい。私は既に活動限界時間に達していましたから。それでもやはり……あなたとは、相容れない。本当なら、あなたの姿など、もう、二度と見たくはなかった」
オールマイトの絞り出すような声に乗る感情は、果たして何色か。
レグルスに対する尊敬、怒り、悲しみ──全てを言葉の上で解決するには、二人の溝はあまりにも深い。
だがレグルスは、それが気に入らなかった。
気分を害した意思表明として、レグルスは茶を一気に飲み干すと、湯のみを粉微塵に粉砕してみせた。
「おい、おいおい、おい。大概にしろ、平和の象徴だからって図に乗るなよ俊典!! その発言は、その言い方はなんだ。僕の存在を否定するつもりか!? 誰が君に英雄になるチャンスをあげたと思ってる。僕だ。そうだろ!? 無個性で筋肉以外何の取り柄もなかった君を、最初に後継者に推薦したのは僕だ!! なんて恩着せがましい奴だと思うかもしれないけど、君は今酷いことを言ったんだよ。僕の心を傷つけたんだ。君が今振りかざしたのは、言葉のナイフだ。だから僕にも物申す権利が発生してるんだ。だから、正当防衛なんだよぉ!! 僕をまるで悪人を見るみたいな目で見るんじゃない!! ていうかさぁ! せっかく久しぶりに会ったっていうのに、素っ気なさすぎるんじゃない!? いつからそんな上から目線で話をするようになったのかなぁ君は!! 友人皆にそうなの? だとしたら折角仲良くしてくれてる人達皆に嫌われるから、今すぐ直したほうがいいなぁそれは!! それに、ちょっと思うところがあるからってすぐそういう極端な結論に走るのは、君の悪い癖だ。深掘って考えもせず、不当な評価を僕にくだすんじゃない! そもそも、次世代を育てる必要が出てきたのは、お前があの社会の癌を始末し損ねたせいだろ!! 僕を呼べば確実に殺せたってのに!! おかげであの臆病者はどこで何をやってんだか分からずじまいだ。折角僕も『その時』のために力を研いだっていうのに、全部ご破算だ!! 勘違いするなよ……僕が君に優しく接してやってるのは、しくじった君にまだ期待してやってるのは、君がそれだけのものを世界に齎しているからだ。世界に貢献し続けているからだ!! でも、だからって、僕に対しての一切の敬意や配慮をなくしていいってわけじゃないんだよぉっ!! ──ふぅ。……さぁ、建設的な会話をしよう。僕がその気でいる内にね」
「…………一体、何を話すことがあるというのです」
暗に拒絶の意志を示すオールマイトに、レグルスはたった一言のキーワードを返した。
「緑谷 出久」
「……何故、緑谷少年のことを……!? ──まさか。まさかあなたが、彼に……!?」
オールマイトの脳裏に思い出されたのは、緑谷 出久の謎の師のことだ。
海浜公園で出会った、コル・レオニスなる白い男──。
「そうだよ。まったく、僕に相談もなしに後継者を決めるなんて酷いやつだ、君も。困るんだよねぇ、口先ばっかりの奴とかを勝手に選ばれると。まぁ君の人を見る目が確かで、そうはならなかったから、結果オーライってやつかな? だけど、ほんと呆れちゃったよ。俊典は、教えるのが下手すぎるね。才能に胡座をかいて、力があることが当然になってしまって、弱者の気持ちに真の意味で寄り添えてないんじゃないの? 先生って職を通して、自分を見つめ直すいい機会なんじゃないかな」
「それは──私も、常々未熟を実感しております。教職を通して生徒から学ぶことの、なんと多いことか。……緑谷少年を高みへ導いていただいたことも、感謝します。彼も喜び、あなたを慕っている様子だった。しかし、一体……一体、何を考えているのですか。……お師匠を見殺しにしたあなたが、今度は何を」
「彼女はあそこで死ぬべきだった。彼女は僕の理想を叶えるには弱すぎたし、君には素質があったからね。枷は、外す。当然だろ? 事実、君はその憎しみを糧に強くなった。ていうかさぁ、死んだ人間のことなんてどうでもいいだろ? 過去のことをうじうじ言って、らしくないよ俊典。で、何の話だったっけ」
「……あなたのお考えをお聞かせください」
師匠を貶され、義憤に滾る気持ちを何とか抑えて、オールマイトは話を戻す。
ここで怒ったところで、何も意味はない。
「僕の考え、ね。随分抽象的で投げやりだけど、まぁいいか。それほど高尚なものでもない。単純だよ。──君を超えるヒーローを育てる。彼をそうする。……それだけだよ」
「……緑谷少年に、それだけの期待を?」
「その質問に意味はあるのかな? 君もその期待をしたから、それだけの何かを彼に感じたから、受け継がせたんだろうに」
まったくもって、その通りだった。
だが、オールマイトはただただ、不安だったのだ。
緑谷出久に、レグルスを関わらせることが──良い結果だけを生むとは、到底思えなかった。