なんやかんやあって小太り親父に奴隷として買われてしまった所を保護された後。姫様の世話係である私、サーシャは事後処理に奔走する羽目となっていた。
他の皇族家への説明と謝罪、心配させた上司や同僚への連絡やその他諸々を終わらせた私に待っていたのは、姫様のお世話という本来の業務だった。ただ、今日だけは少し様相が違っていたのだけど。
「――待ちに待った瞬間が来ましたね、サーシャ」
「…………すぅ」
姫様の寝室に入った私は、そこで待っていた主の輝く瞳にただ覚悟を決めて息を吸う。回れ右して帰りたくなった足をどうにか姫様の方へと向けた。
ここからも戦いだ。疲れていても気を抜くなよ私……!
「さて、いつもなら寝る前のストレッチとマッサージをお願いする所ですが……。今日はそれだけではありません。分かっていますよね?」
「……私の言い出した事ですからね。二言はありません」
思い出すのは、あの屋敷から逃げ出す際の発言。
姫様の力を借りたいと急かした時、私は交換条件を姫様に出してしまったのだ。なんで二人で助かろうとしているのにこちらだけ交換条件が必要になるのかとかツッコんではいけない。いつもの事だし。
「あの時お預けになってしまってから、私の身体はずっと火照ったままなのです。皇女として、そんな姿で民の前に出るわけにはいきません」
「いや、今日普通に皇帝夫妻や城の兵士たちとお会いしていましたよね。というかもうアレから10時間以上経っているんですけど」
「思春期を舐めないでください。むしろ見られているという燃料を補給する事でここまで熱を保つことが出来ているのです」
「えぇ……」
発情期の間違いじゃないのかソレ。というかそんな興奮しきりでよく皇女として、だなんて言えるなこの方。
「けれどそれももう限界ギリギリです。今日あなたに鎮めて貰えなければ、私はきっと自分を抑えられなくなってしまうでしょう。いえ、別にそれでも私としては構いませんけど」
「己を人質に取らないでください。あと別に普段もそんなに抑えられてなくないですか?」
「もう、なんて失礼な。サーシャ以外からは見目麗しい清らかな皇女さまとしてちゃんと見られていますから。力でそういうのは分かりますし」
なら私の前でもその体裁を保って欲しいのだが、生憎とそれは過ぎた話らしい。他に私しかいない以上、ここにいるのは蠱惑的で淫らな姫様だと諦めるしかないのだった。
そんな今夜の対戦相手に向けて、私はまず確認から始める事にした。
「それでは就寝前の日課であるストレッチとマッサージを、いつもより念入りに行わせていただきます。それでよろしいですね?」
「ふふふ……。おかしな事を言いますね、サーシャ」
「……何がでしょう?」
先鋒として放ったジャブを一蹴された私は、努めて冷静に首を傾げる。やはりこの程度では満足しないか、今日の姫様は。
「あなたが言ったのですよ?
「確かにそう言ったのは否定しません。しかしそれはアフターケアの範囲内での話です。それを逸脱するような行為はしませんからね、私は」
「逸脱だなんて、サーシャは大袈裟ですね。ただちょっと、ここであの続きをしようと思っただけなのに」
「アフターってそういう意味じゃないですからね?」
自分の身を抱いてくねくねしている姫様の頬は既に朱に染まっており、あのオークションに出る前の姿を彷彿とさせる。つまりそれくらいワクワクしているのが今という事だ。まっずい。
「というわけで今日はあなたに、ご主人様になってもらおうと思うんです!」
「まだ生きていたんですかその話……!」
そして誘拐される前にしていた話まで回収してきたぞこの主。このままだと最初に話していた、姫様が奴隷を買ってやりたかった事に繋がってしまう。その前にこの流れをぶった切らなくては。
「私の主は姫様、あなただけです。姫様の命令であったとしても、それを逆転させたりは――」
「ここでもお預けを食らった私がどうなるか、本当に見たいんですか?」
「……突然真顔になるの止めてください。いや本当に」
ハイライトどころか感情を捨てた顔で首を傾げる姫様に恐れおののく私。
普段百面相ばりに表情豊かな人が急に無になるとちゃんと怖いのだ。今の姫様とか。
「私が主人になるとしても、姫様にやって欲しい事なんてないですよ? 強いて言うなら早くお休みになっていただきたい位のものですし」
「え、本気で言ってますか? 前世であれだけの趣味を修めていたアナタがそんな無欲なわけが――」
「分かりました。私が主として永遠の、ではなく安らかな眠りへと叩き込んであげましょう」
「ごめんなさいサーシャ、冗談ですから! そのランプから手を放してください!」
傍にあったスタンドランプを投げつけようとした私に慌てふためく姫様。
普段怒らない人が怒ると怖いと言う通説を証明しようとしたが、既にその必要はなくなっているようで何よりだ。大丈夫、急所に当てるつもりはなかったから。
「こほん、別にサーシャが望んでいないのに主人をさせようというつもりはありません。今回はこちらで用意した台本を使ったロールプレイに付き合っていただくという、ささやかで慎ましい望みを叶えていただくだけですから」
「ささやか……? 慎ましい……?」
おおよそ姫様とは対極にある言葉に私は疑問を隠せない。あと当然のように出してきた台本が文庫本くらいの厚さを有している事にも戦慄を隠せない。同人誌アウトプットの他にあんなものまで執筆していたのか。
「けれど私は諦めませんからね。いつかサーシャの内なる欲望を解き放ってみせますから、今日の所はこれで前世を思い出してください」
「だからそんなモノはもうないんですと、幾ら言えば……」
あそこまで脅して尚も諦めの悪い姫様に呆れつつも、とりあえずその台本とやらを受け取る。
私がさっきちょっと本気で返したように、姫様もいつだって本気だ。なので今日この場である程度発散できなければ、その後本当に何かやらかす可能性があるのだ。
なのでマッサージ程度で済ませたかった所を諦め、私は姫様のロールプレイに付き合う覚悟を決める事にした。
「なになに……。『敵国の捕虜となった王女が悪辣王子に調教されて売こ
私は文庫本を床に叩きつけた。本が傷つかないよう裏表紙から垂直にだ。
「あら、お気に召しませんでしたか? とっておきの一冊だったのですが……」
「こんなっ、こんな内容の書物をお気に召すわけないでしょうが!? というかコレを一国の姫が持っている事自体駄目ですから!! 多分出処は私だと思いますけど!!」
「いえ、参考にさせては頂きましたがそれ自体は私の一次創作です。以前にも話した例のプランを練っていたら、いつの間にかそれくらいの分量になっていました」
「あの皇女として敵国の捕虜になるとか言う与太話もやっぱり本気でいってたんですか……?」
いつだって本気だと言ったのは私だけど、本気で具体的な形にしすぎだと思う。というかこの台本のロールプレイはただの予行練習にしかならないだろ。
「姫様、ロールプレイにお付き合いするのはもう構いませんから、せめてもう少し、お茶の間で流せるような内容のものでお願いします」
「お茶の間がどこを指しているのかは知りませんが、もう少し穏便な設定がいいのですね? でしたらこちらの『借金で売られた令嬢メイド、ご主人様にイヤイヤ奉仕していたはずなのに……!』とかは」
「姫様、これまでに書いた作品を全て私に見せてください。その中から選びますから」
どの辺が穏やかになったのか分からない姫様の創作センスに委ねるのは悪手でしかない。そう判断した私はこの地獄のようなラインナップの海へと自ら飛び込む覚悟を決めた。というか今みたいな設定の妄想をアレコレしている主とこの先どんな顔して付き合っていけばいいのか、私にはもう分からないんだが。
「『新婚生活はペットな私』……『異文化交流なお付き合い』……これ、本当に姫様が書いたんですか?」
「も、もしかして面白くなかったのですか……? それならどの辺りが良くないのかまで教えていただきたいのですけど……」
初めて作品を持ち込んだ作家のように緊張する姫様だが、きっと私の手の震えの方が凄かったと思う。主に一国の皇女にとんでもない妄想癖を与えてしまったという罪悪感がもう凄かった。絶対に本人には言わないが、挿絵がなくても大丈夫なクオリティだったし。
「……あ、これです。これならちょうどいいですし、私としても妥協できそうです」
「むう、これですか? 悪くはありませんが、サーシャにご主人様をしてもらってその良さに気づいてもらうというプランからは外れてしまうのですよね……」
「なんて邪悪なプランを練ってるんですか姫様」
「けど他ならぬサーシャの望みです。今日の所はこれで行きましょう!」
「別に明日以降はやりませんからね? 聞いてますか姫様?」
そんな中でどうにか私が見つけた一冊を取り上げると、多少の不満はありつつもなんとか納得の色を見せる姫様だった。あの事件のアフターケアをする話からだいぶ脱線した気がするが、ここまで来たらもう腹をくくるしかない。そう思いながら私は自分の選んだ一冊をもう一度見つめ直した。
『健全なマッサージなんだから、虜になってもいいでしょう?』
……姫様セレクションの中だとマシなのがコレくらいしかなかったんだ。いや本当に。
☆
そしてその夜は、少し遅れて日課のマッサージを行うことになった。
なんてことはない。ただいつも以上に念入りに、全身くまなく揉みほぐしただけだ。
「こ、これは本当にマッサージなのですか……? ああっ、そんな所まで……!」
「何をおっしゃるのやらー。これは至極健全なマッサージですよー。ええ本当に」
世話係として必要な水準には達しているが、専門家には及ばない程度の腕前だ。それでもやりすぎない範囲で足や肩、腕などをほぐしてあげれば、たとえ目に見えずとも効果はある。そんな目的でやっているので決して痛いだとか、刺激が強すぎるという事はないと思うのだが。
「ううっ……だめです……! それ以上されたら、私は……っ!」
「もう少し我慢してくださいねー。背中から肩にかけてもう少しやりますからねー」
「ああっ、声がっ、抑えられっ、ないっ……!」
何故か私がマッサージをしている時の姫様は、決まってこうなるのだった。すごくうるさい。
因みに今は軽く肩を揉んでいるだけなので、誓っておかしな事はしていない。何ならなるべく刺激が強くならないように全神経を集中させて行っている位だ。
けれど今日はそれに加えて、姫様の台本にある台詞を織り交ぜながらの施術となっていた。詳しく考えたくないので説明はしないが、つまりはそういうシチュらしい。相変わらず私は棒読みだったが、姫様的にはそれで問題なさそうなのが救いと言えば救いだろうか。あの親父と同じなんですけどやっぱり。
「肩や背中は終わりましたね……? なら次は前の上を、お願いします……! 或いは下でもいいですよ……?」
「足ですね姫様。足枷なんてされましたし、やはり重点的にやらないといけませんよね、ええ」
なんか蕩けた様子の姫様には意識をなるべく向けないようにしながら揉みを続けていく。あの修行時代を思い出せ。本番を練習のようにこなせ。それ以外は何も考えなくていいからな、私。
「違いますよサーシャ、そこでもただのマッサージだと言い張って、本来ならしない所まで触るんです。今日は好きなだけ、やってくれるんですよね?」
「………………ガマン、ガマンですよー」
しかし急に素に戻った姫様に軌道修正され、私は台本にあった言葉を捻りだす。
このまま言いなりになっていれば姫様は満足するかもしれないが、それでは私が色んな意味で終わってしまう気がする。故にやるしかない。姫様の望みを叶えながらも、私は己を守る為に動かねばならないと本能が決定していた。
なに、日に日にやっている内にマッサージ中は聴覚を捨てる事が出来ているのだ。今日はそこから視覚と触覚と嗅覚を捨ててマッサージすればいいだけである。この現実を直視するのに比べたら、なんて簡単な事か……!
「っ!? ちょ、サーシャ、そこ、は――っ!」
「マッサージ、ですからねー……」
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……!」
その後、感覚を遮断しすぎて何をしたかは記憶にないが、どうにかアフターケアをやりきったらしい。達成感というか、やってしまった感と共に私は息を切らして床にへたり込んでいた。同じように姫様もベッドの上で疲れきっていて、なんだかあの屋敷でドアを蹴破った時と同じ感じになっていた。どうしてこうなった。
「……どうして、くれるのですか……? この状態では、眠る事なんて……」
「お願いですので、もうこれでお休みになってくださ……いえ、眠れないのなら、私の記憶の同人誌でも読んでてください……私は先に、いきますので……」
何とか立ち上がろうとしてベッドに腕と頭を乗せた所で、いよいよ私は限界を迎えた。
誘拐事件から休まずに動き続け、トドメに感覚遮断状態でのマッサージ。溜まった疲労が眠気と変わった事で、気づけば私は意識を手放していた。
「……………………」
「……もう、意外と荒いんですね、サーシャは……」
最後に私の頭に手を置いた後の事は、姫様にしか分からない。
なので以上が、私が覚えている範囲でのアフターケアの顛末である。
翌日、力尽きた私を同じベッドに引き込んでいた姫様には今後一切ロールプレイはしないと宣言したけども。
何故か長くなってしまった……。
皆深夜テンションになると変になるという話でした。