「それでは私たちはダンテスの部屋に行ってきます。吉報を待っていてくださいね、ニトさん」
「は、はい! 殿下、それにサーシャさんも、ユリカ様の事をよろしくお願いします!」
そう言って部屋から出ていくお二人を私、ニト・ロウトは残って見送る事になった。何も出来ない自分の無力さが表に出ないよう、どうにか堪えながらではあったけど。
私はユリカ様という主に世話係として仕えている。そのユリカ様は今いる帝国ではなく、その隣の王国が誇る第二王女さまなのだ。それがどうしてこの帝国にいるのか、今はあまり思い出したくない。けれど今確かな事として、ユリカ様は奴隷としてどこかに囚われているのだった。
ユリカ様がどこに行ったのか分からず、そもそも私自身も奴隷兼商品として身動きが取れなかったあの最悪な日々は唐突に終わりを迎えた。私が偶然出会い、そして助けたこのお二人の手によって。
それがこの帝国の第三皇女であるスレヴィア殿下と、その世話係を務めるサーシャさんだ。
お二人も悪意によってあの奴隷市場に連れてこられ、そのまま良くない人に買われてしまったらしい。けれど匿名で通報が入ったことでどうにか難を逃れたとの事。
それだけでも喜ばしいのだけど、更にこのお二人はその通報をしたのが私だと気づいたのだ。そして恩を返すと言って大金を払ってまで、私を奴隷から解放してくれた。
そうして今、私はいよいよユリカ様を助けられるかもしれないという所まで来ていた。分からないと思っていたユリカ様の居場所にまで心当たりがあるようで、それを確かめるべくお二人は動いてくれている。
「まさか、こんな事になるなんて。天はまだユリカ様を見捨ててはいなかったんだ」
まだユリカ様がご無事だと分かったわけでもないのに、今までを軽く振り返るだけで涙腺が緩みそうになる。
全てが一変したあの日から、ずっと転がり落ちていくような毎日だった。奴隷にまでなって、ありとあらゆるモノを奪われて失って。希望なんてどこにもなかったあの暗闇の中に私たちはいた。
だからお二人を助けた。あわよくば私も助けて欲しいだなんて打算と共に、出来る事は全てやる内の一つとしてだ。むしろあの市場の見張りを誘惑して篭絡する方に力を入れていたくらいなのに、結果的にはあの通報がきっかけとなっていた。
しかもあそこから出られただけでなく、同じような王族の方に相談できたというオマケ付き。これを奇跡と呼ばずして何と言うんだろう。だからこそ、私は次なる奇跡を祈らずにはいられなかった。
「どうか、私をユリカ様の元へ行かせてください。今度はもう絶対に離れないから……!」
ユリカ様と離れ離れになってから、ただそれだけが私の願いであり支えだった。
助けて欲しいとは言わない。救ってほしいとは口にしない。そんな事よりもまず、私をあの方の傍に置いて欲しかった。あの方と同じ境遇にして欲しくて、あの方を一人にしたくなかった。
だってユリカ様は誰よりも優しい心を持っていて、それでいて寂しがり屋さんなんだ。あの瞳が曇り切ってしまう前に、ただ抱き締めてあげたかった。そうして私もいると語りかけて安心させてあげたかった。それが、それだけが、私に課せられた役目なんだから。
「――あ、言い忘れていた事がありました」
「えっ!? ス、スレヴィア殿下?!」
そうして後悔と不安で涙目になっていた所を、いつの間にか戻って来ていた殿下にばっちり見られてしまった。流石にちょっと恥ずかしくて慌てて目元を擦る私だった。
「この部屋にある本は好きに読んで大丈夫ですから。無理にとは言いませんが、もし気を紛らわせたいと思った時はぜひ思い出してみてくださいね?」
「は、はい! ありがとうございます!」
殿下はドアから頭だけを入れてそう言うと、すぐにしゅっと首を引っ込めてドアを閉めてしまった。もしかしてまた気を遣ってくださったのだろうか。私はどれだけあの方に感謝すればいいんだろう。
「そ、そうだよね。いつまでも暗い気分でいたらダメなんだ。ユリカ様と再会した時に笑顔にしてあげられるよう、私も頑張らないと!」
両手でパンと軽く頬を叩くことで、私は気分を切り替える。奴隷の日々はもう終わったんだから、作り笑いじゃなくて自然な笑みが出せるようにならないといけないんだ。これもユリカ様を不安にさせない為の大事な一歩だと思おう。
「……けど再会した時もこの格好のままだったらどうしよう……? 流石に驚かれちゃうよね……」
そう言って姿見で今一度自分の恰好を確認すると、変わらずそこにいるのは白いウサギさんだ。
あの奴隷市場で無理やり着させられた白のバニースーツ。サーシャさんから貸してもらったグレーのロングコートを羽織って露出を減らしても、ウサギである事は変わってない。
「むぐぐ……どうしたらコレを脱げるようになるんだろう? 魔法抵抗力ってそんな簡単に上げられたっけなー?」
胸当ての部分から引き剥がそうとしても、まるで私の身体と一つになっているかのような強固さでビクともしない。これでいて身を清める時だけはすんなりと脱げるから不思議だ。清め終わった後はいつの間にか着ている事もそうだし。
「……いや、もしかしてユリカ様も気に入ったりするかな。なんせウサギだし」
試しに両手を頭につけて、ウサギ耳をピクピクさせるポーズを取ってみる。あの市場でもそれなりに好評だった気がするし、やるだけやってみてもいいかもしれない。
「こ、こうかな……? ぴょ、ぴょーんっ!」
他国の皇女の自室で1人、姿見を見ながらウサギの如く跳ねる私。端から見ると何だか凄い事をしている気もしたけど、これもユリカ様の為だ。大丈夫大丈夫。
「ぜぇぜぇ……。最近はあまりご飯も食べれてないからすぐ疲れちゃうなぁ……」
数回飛び跳ねた所で息が切れ、私は床にへたり込む。本音を言うとお腹すいたどころか眠気だってあるし、身体だって清潔とは言いづらい。けどそれはユリカ様も同じはずで、一足先に助けられてしまった私がそれを嘆くなんて駄目に決まってる。だから私は程々にして立ち上がった。
「……そうだ、殿下が本なら読んでいいと仰っていたよね」
気落ちしかけたのを吹き飛ばそうとして、先程言われた事を思い出す。部屋の中を見渡すと流石に立派な本棚に仕舞われた幾つもの本が視界に入った。よく見ると机にも何冊か置かれている。
「もしかしたら他に何かやれる事がないか思いつくかもしれないし、ちょっと読ませていただこうかな……」
思えば落ち着いて読書する機会なんてとんとなかった。文字を読むのが得意なわけじゃないけれど、本が与えてくれる知識に価値がある事は知っている。だから私はそんな軽い気持ちでその一冊を手に取った。ちょうど薄くてページ数もそんなになさそうで、読みやすそうなその一冊を。
☆
『借金で売られた令嬢メイド、ご主人様にイヤイヤ奉仕していたはずなのに……! 第5巻』
作 オベ・イスレ
「……お、覚えていなさいよ。わたくしにこんな格好をさせるなんて……!」
わたくしの名はアイレス。名門貴族スラグ家に生まれたエリートな令嬢であるはずのわたくしは今、まさに辱められていた。卑劣にも借金という鎖でわたくしを縛って専属メイドにした、このヤシイザという男の手によって……。
「なんだ、何か不満があるのか? サイズは合っていると思うが」
「不満しかありませんわよ! なんですのこのウサギ耳?! それに胸だって、こんな……!」
コレを着ろと言われるまで知らなかったバニーガールなる衣装。その以前までは考えられなかったレベルの露出に、羞恥の熱が留まる所を知らないのです。足はほぼ全部出ているし、胸もいつ零れるか心配で腕のガードが外せないし、何よりそんなわたくしを見て不敵に笑うコイツが不愉快で仕方がないですわ……!
「服を着たいと言ったのはお前の方だろう? 俺としては別にあの逆バニーでもよかったのだがな」
「あ、あんなものは服とは言いません! むしろ何を隠せているんですのあの衣装は!?」
今着ているバニースーツですら恥ずかしいのに、逆バニーとかいうアレを着るだなんて冗談じゃない! それならまだ昨日みたいに何も着ていない方がマシというものです。いえ、どっちもイヤだけど!
「まぁいずれにせよ俺の目に間違いはなかったな。やはりお前には赤が良く似合うと思っていたんだ。ああ、可愛いぞアイレス?」
「か、かわっ……!? またそうやってわたくしをおだてて、言うことを聞かせるつもりですわね!?」
「おいおい心外だな。俺は本心から言っているというのに」
ふざけた事をいうヤシイザに一瞬動揺するが、二度もその手に乗るようなわたくしじゃありません。あの時はそう、コイツのペースに乗せられてつい不覚を取っただけですの。こうして冷静な今のわたくしなら、絶対にこんな男に屈したりはしないのですから!
「いいですわ、そうやってわたくしを好きに出来ていると勘違いしていればいいですのよ! どれだけわたくしの身体を汚そうと、わたくしの気高きこの心までは奪えないと知りなさい!」
「本当にそうか? 俺にはあと少しでお前の方から尽くしてくれそうな気もするが……。では早速それを証明してもらうとしよう。さぁ、まずはいつもの宣言からだな」
「くっ……! 今に見ていなさいですわ……!」
そしてやってきたいつもの時間に、わたくしは両手をあげて上半身を誇示するポーズで応じてしまう。これはコイツに言われたからであって、決してわたくしが好きでやってるんじゃありませんから……!
「今日は折角のバニーガール姿なんだから、それを踏まえた宣言にしろよ? 今のお前なら難しくないはずだからな」
「知るわけないですわそんなの! ええもう、それなら……こほん。わたくしアイレスはご主人様に絶対服従の、は、はつじょうウサギですわ! さ、寂しくて自身をその、なぐさめてしまうようなわたくしを、ご主人様の銃で仕留めてくださいましっ!」
「いやそれだとただのウサギ要素しか残ってないだろ」
「だから知らないと言ったではないですの! こんな格好のバニーガールとやらがどこで何をしているかを知る機会なんて、わたくしには――きゃあっ!?」
「なら、今日ここで俺がその身に教え込んでやるよ」
折角頑張ったというのにコイツはお構いなし、そのままわたくしを近くのベッドに押し倒してきましたわ。いわゆるマウントポジションになった以上、わたくしに出来る事なんてもうないのです。
「バニーガールってのはな、お客様やご主人様を楽しませるための存在なんだよ。だからもっとお前の方から誘えるようにならないとな?」
「だ、誰がそんな事を、アナタなんかに……!」
「そうか? さっきの宣言、実はお前の本音が入ってたりはしないか?」
「っ!? そ、そんな事、あるわけがっ……!?」
跳ね上がる心臓を押さえつけようとしたところで、そもそもそんな反応をしてしまったわたくし自身がおかしい事に気づいてしまった。動揺するだなんてまるで痛い所を突かれたみたいって、違う、そんなはずが……!
「さぁ夜は長いぞ? ちゃんと最期までレッスンには付き合ってもらわないとな!」
「や、やめっ…………あっ」
自分で自分が分からなくなっている事なんて一切無視されて、ご主人様は私の身体に手を伸ばしてそのまま――
☆
……凄かった。本だけど私の知ってる本じゃなかった。
「こ、これが帝国……! 私たち、とんでもない国に来ちゃったんだ……!」
殿下が使っているのであろう机の上にあった一冊を読み終えて、私はドクドクと鼓動が早くなっているのを感じていた。なんか息も荒くなっているような気がしないでもないし。
その本の中にはおおよそ私が今まで読んだことのない世界が広がっていた。けど見たことがないわけではなく、なんならつい最近まで日常と化していた光景だった。こんなのが本として出回っているだなんて、この国は一体どうしちゃったんだろう。
「私があの奴隷市場でやってきたような事がこんな鮮明に載っているなんて……。いや、だからあの奴隷市場にはあれだけの人がいたのかな」
もしかするとこの国の裏ではこういった扱い、というか文化が一般的なのかもしれない。この格好をした私に鼻の下を伸ばす輩が沢山いたのもそういう事なのかな。嫌な事に変わりはないけれど、何となく腑に落ちる私だった。
「でもなんてこんな本が殿下の部屋にあるんだろう? ま、まさか殿下もこういうのが好き、だったり……?」
疑問が一つ消えてはまた浮かんでくる。おおよそ皇女さまが読むには相応しいとは思えないけど、実はこの帝国では当たり前の事で、だから私にも読んでいいと言い残していったのかな。確かに新しい世界を知れたから感謝すべきではあるのかもだけど……ちょっと複雑な気分だった。
「……もしかして、だけど。ユリカ様もこういうのが好きだったりして……?」
そんな事を考えていた私に舞い降りる、たった一つの可能性。
実はスレヴィア殿下が好んで読んでいたと仮定して、同じ王族のユリカ様も同じように興味を抱くという事があったりして。もしそうだとすれば、今の私の恰好はまさにうってつけ、いわば特攻兵器と言えるんじゃ?
先ほどのスレヴィア殿下もそれを見越して私に本を勧めた、は流石に深読みかな。けどそうでもないとこんな本が都合よく置いてあったりしないと思うし……。あれ、どっちだろう。
「いや、今は悩むよりとにかくユリカ様の為にやれる事をなんでもやってみよう! この本をもう一度読み返して、他にも似た内容の本があったらそっちも見てみようかなっ!?」
他に誰かがいるというわけでもないのに、そう宣言しながら動き出す私。そう、これはユリカ様の為だから。別にこういった本が気に入ったとか、そういうんじゃないんだからね!
「えーっと、『ウサギだから寂しいと死んじゃうの。だからその前にご主人様の……』 ……え、これをユリカ様にするの? いやいや、流石に……。ああでもこっちの耳かきとかなら……」
何もしていないと不安と無力で潰されそうになるからかもしれないが、何故かその時の私はいつも以上の熱量でこの部屋にある本をパラパラとめくっていた。
これがきっかけで私はオベ・イスレ先生のファンになったのだけど、その先生の正体を知るのはもう少し先の話である。
当初の予定にはなかったのに、気づけば作中で簡易領域が展開されていた。不思議。