「ねぇサーシャ。私、奴隷になりたいの」
「姫様、マカロンが欲しいならそうと仰ってくれれば……」
「ごめんなさい、言い間違えてつい本音が――はむっ!」
次の予定までの空き時間。軽いティータイム中にまた変なことを言い出した姫様の口へマカロンを投げ込むと、ちゃんと咀嚼した後にこう切り出した。
「私、奴隷を買おうと思います」
「なるほど、駄目です」
「「…………」」
見つめ合う私と姫様。「なんで?」と言いたげな姫様の視線に、「当然ですが?」という澄まし顔を返す。
「……最近、ダンテスが奴隷を買ったの。それは知ってるでしょう?」
「噂には聞いています。正直、あまり信じてはいませんでしたけど」
姫様が出した名前は、この帝国の第三皇子のものだった。
ダンテス・グラン・オベイル。スレヴィア様の双子の兄であり、王位継承権も同率の三位を持つお方だ。もっとも、妹である姫様と比べると些か見劣りするというのが個人的な評価ではある。
「確か、金髪の幼女を手駒にしたとか言われていましたけど、本当なのですか?」
「そうよ。他の者には内緒だと言いながら自慢されちゃったんだから。もう、ダンテスったら……」
珍しく頬を膨らませて言う姫様だが、これは別の感情も混ざってるような。私は警戒度を一つ上げることにした。
「だから姫様も奴隷が欲しくなったと?」
「そう、そうなの! ダンテスが良くて私が駄目な理由なんてないでしょう?」
「そもそも私は皇族に連なる者が奴隷を買う事自体に問題があると思うのですが……」
ため息混じりに呟くが、これは前世の価値観が大いに入った意見だ。この世界では別にタブーというわけではない。まぁ、件のダンテスは幼女を玩具にしているという噂とセットで悪評になっているのだが。
「では姫様。奴隷を買ったとして、その者をどう扱うおつもりですか? その返答次第では考えなくもないので」
「そんなの決まっています。主としての素養を身に付けさせ、私への調教を実行させ――」
「もう十分です。そして駄目です」
私の主はもう、という意味で。諸々分かっていた事ではあるけども。
「ダンテスだって同じことをしているはずですから! 年端もいかない無垢な少女に下僕であることを心底理解させるために、あんなことやこんなことをもう連日連夜させているんですどうせ! ああもう、なんて羨ましい……!」
「お、落ち着いてください姫様?! 血が、鼻から赤い血が出てますから?!」
興奮のあまりとんでもない事になった姫様に慌ててハンカチをあてがう。因みに羨ましいのはどちらの方なのかは、怖くて聞けなかった。
「……こほん。というわけで私も奴隷を買いたいの。そして飼われたいの。いいでしょう?」
「なんでこの流れでいけると思ったんですか。絶っ対に永遠に許しませんからね?」
キリッとした顔を作り直した姫様にキッパリと断りを入れる。こうして主を諌めるのも従者としての務めだろう。
「ならいいです。今度、私だけで買いに行きますから。それでこっそり楽しむようにしますから!」
「お菓子や本じゃないんですから無理だと思いますが」
命をなんだと思ってるんだこの方は。押し入れの中で就寝させたりでもするんだろうか。皇女の寝室にそんなものは勿論ないが。
「そもそも、既に大手の奴隷市場にはお触れを出してありますので。ピンク髪の女性には何も売らないようにと」
「そんな、私以外にこの髪を持っていて奴隷を買いたい者がいたらどうするんですか?! なんでそんな酷い事を……!」
「この国でその髪色を持つのは姫様くらいなので大丈夫ですよ。或いは皇女を騙る偽物でしょうし」
打ちひしがれる姫様を横目にティータイムの片付けを始める事にする。こんな馬鹿な話をしていたらあっという間に次の予定の時間になるからだ。
「姫様、そろそろ出掛ける準備を致しませんと。今日は城下町でのお買い物をするのでしょう?」
「奴隷を買えないなら行く理由の8割が霧散しているんです……。もう行かなくても大丈夫なんです……」
「本当に今日買うつもりだったんですか、姫様」
シクシクと涙を流す主にドン引きを隠せない。珍しく自分で買いたいモノがあると仰っていたが、日中に堂々と奴隷市場に足を運ぶ気だったのか。とんでもないスキャンダルだ。
「他にも買うものがあるのでしょう? 今日の為に予定を空けていただいた方もいますし、今更ドタキャンというのも……」
「ドタキャンが何かは知りませんが、もうそれでいいです……。やはり私の望みは叶わないのですね……」
「…………はぁ」
すっかり不貞腐れてしまった姫様に呆れ果てる。
彼女の望みを叶える事は出来るわけないが、これは流石に不憫かと思い直す。これも直近で奴隷を買ってしまったダンテス様のせいだ。おのれダンテス。
「仕方ありません。また私の記憶を見せてあげますから、それでどうか機嫌を直してくださいませんか?」
「…………なら、5冊」
「3冊で」
「せめて、4冊がいいです。ハードな奴が1冊でもあれば尚良しです」
「……分かりました。それで手を打ちましょう」
少し譲歩しすぎてしまった気もするが、隠れて奴隷を買われるよりはマシだ。私の提案で少し精気が戻った姫様と共に、どうにかお出かけの支度を始めるのだった。
因みに言うまでもないことだが、交渉材料とは私の前世の記憶の中にある、薄い本たちの事である。
☆
「お気に入りの新刊に、次の舞踏会で身につけるアクセサリー……。目ぼしいモノは大体買えましたね」
「そんな事はありません。まだ8割の方が残っていますから」
「まだ諦めてなかったんですか……?」
所変わって城下町。買い物を終えて城へと戻る道を私と姫様は歩いていた。
私の格好はほぼそのままだが、皇女であるスレヴィア様はそうはいかない。素顔のままでは騒ぎになるとまでは言わないが、それなりに目立ってしまうのだ。なので特徴的な髪はフードを軽く被って隠し、服装も大人しめなものに着替えてのお忍びモードである。それでもチラチラ見られてた気がするが。
「奴隷市場に行く為にちゃんと護衛のロザリーがいない日にしたんです。まさかサーシャが許してくれないとは思いませんでした……」
「待ってください姫様。そんなに用意周到な計画だったんですか今回のは?」
ロザリーというのは皇女であるスレヴィア様専属の護衛騎士の名前だ。いつもなら部屋の外や姫様の後ろについて危険から守る役目を果たしているが、たまたま今日は休暇で穴を開けている。まさかそれすら計算のうちだったとは……。
「流石にロザリーは奴隷市場に連れていけません。これは私とサーシャだけの秘密、いえ悲願なのですから」
「分かりました。では次からは必ずロザリーもお供するよう言いつけておきます。ええ絶対に」
「まさかサーシャ、彼女も誑し込むつもりなのですか?! 同士が増えるのは喜ばしい事ですが、まさか彼女までなんて……!」
「違います。断じて違います」
そんなわけないと首を横に振る。あと私も別に同士ではない。私以外にストッパーが欲しいだけだ。
因みにロザリーの代わりとして二人の男性護衛騎士が来ているが、私の頼みで少し距離を置いてもらっている。主に姫様に誑かされない為に。
「なら今からでも遅くありません。見に行くだけでも出来ませんか? ほらほら、今の姿ならバレないですし」
「その熱意はどこから来ているのですか……? そもそも私は詳しい場所を知りませんし」
「それなら大丈夫です。私がちゃんとダンテスから聞いていますから。すぐ近くに大きな売り場があって、そこまでの道もバッチリです」
余計な知識を身に付けた姫様が得意げだ。今度ダンテス様とお会いした際には、是非とも丁寧にお礼をしなければと固く誓う私だった。
「道が分かっていても駄目です。もし行ってしまったらお目当てを買うまで梃子でも動かないのが目に見えていますから。大人しく帰りますよ」
「……じゃあもう代わりとして、サーシャにご主人様役をやってもらうしかないですね。ぐすん」
「私のご主人様は姫様ですからね? 命じられてもその逆にはなりませんからね?」
そんな事まで考えていたのかこの主は。いくら姫様の命令であってもそれは御免だと告げると、姫様が突然立ち止まった。
「いいのですか? 貴女だけに従順な王女様になるんですよ? なんだって、してあげますよ?」
「……なら帰りましょう。ええ今すぐに」
「そうですね、続きは部屋でという事で」
「それも違いますから。私がご主人様だと認めたわけでもありませんし」
妖しい顔の姫様に背を向けて早足になる。これ以上変な事を外で言わせてはならない。色んな意味で危険だ。
「……姫様?」
けれど、何故かそれに続く足音が聞こえてこなかった。
振り返るとそこには誰もいない。人通りの多い道の端で、ここだけが妙に静かに感じた。そしてすぐ近くにある路地に視線がいく。すぐに二つの可能性が浮かんだ。
「姫さ――むぐっ?!」
慌てて路地裏に飛び込んだ私を迎えたのは、背後からの奇襲だった。口元を抑えられ、抱きつかれるようにして動きが封じられる。すぐに相手の足を踏みつけようとした矢先に、追い討ちがかけられた。
「『ねむれ』」
「っ! く、そ……」
強制睡眠魔法。咄嗟に舌を噛むも力と刺激が足りず、意識が薄れ始めてしまった。
姫様が一人で路地裏から市場へと向かったのではなく、今の私と同様に人攫いに遭ったのだと気づいた頃には全てが手遅れになっていた。
重くなる瞼の狭間から、同じように意識を失った主が見える。そこで抱いたのは悔恨と懺悔だ。私がいながら、こんな、結末なんて――
(あれちょっと姫様喜んでませんか? 嘘ですよねまさかこの状況で?!)
ちょっと笑ってる気がする我が主に戦慄を覚えた所で、私の意識は途切れてしまった。