結局、今回の誘拐事件は起こらなかったものとして処理されることになった。
姫様が誘拐されて奴隷として売られた挙句に危うく純潔を散らす羽目になったとはいえ、大元を辿れば姫様と私が護衛を遠ざけてしまった事が原因だ。流石にこれで責任を臨時の護衛騎士二人に負わせるのはあまりに酷だったというのも一つ。
そして最終的には不成立となったが、それでも取引自体は一度成立のプロセスを通ってしまった事も要因だ。あれだけの観衆に見られた上で買われてしまった以上、事件が公になればその点と点が繋がってしまう。それを避ける為にあくまであれは皇族とは関係のない人間だったという結論にするとのことだ。世間体とは面倒な事だが仕方がない。
因みに私たちを買ってしまったあの小太り親父は、ピンク髪の奴隷を売買に関わらせてしまったという事で罰を受けることになった。といってもちょっぴり重い罰金で済んでいるのでまだマシな方だろう。元々私たちを買うために大金をはたいていた気がするが、そこもそれで。
最後に私たちを誘拐して売りさばいたあの奴隷市場とあの眼帯男についてだが……。そちらは残念ながら証拠不十分という事で一切のお咎めなしだ。今日も元気に奴隷売買と誘拐まがいを行っている事だろう。
どう考えてもおかしいのだが、姫様が持てる権力を行使してもその結論が揺らぐことはなかったのだ。契約が成立してしまえばどんな身分の人間でも奴隷に出来るという時点で怪しかったが、相当に根深くこの国の闇と繋がっているらしい。たとえ本当に姫様が国の頂点に立ったとしても、その全てを暴くことが出来るかどうかは怪しい程に。
けれどそれは国としての結論だ。多少の落とし前はつけなければ私としても納得がいかない。
だから私、サーシャは――
☆
「おかえりなさい、サーシャ。ロザリーも連れてどこに行っていたのですか?」
「ただいま戻りました、姫様。まぁちょっと野暮用で。……姫様、思考を読もうとしても無駄ですよ。ジャミングを仕込んでいるので」
「もう、またそんな出来もしない小細工を……嘘、本当にちょっと読みづらくなっていませんか?!」
あの夢の様だった夜から数日後。いつもの日々に戻った私、スレヴィアは今日も今日とて自室で束の間のティータイムを楽しんでいました。
誘拐事件はなかった事になったとは言え、暫く自由な外出を禁じられてしまったので仕方がありません。サーシャの記憶にある同人誌のアウトプット作業が進んだので有意義ではありましたが。
けれどそんな私を置いてどこかに行っていたサーシャをずるく思って、つい表面だけでもその思考を遠隔で読もうとしましたが、まさかの失敗を味わうことになるなんて。普通にどうやったのか気になってしまいます。
「けど予想はつきます。あの奴隷市場に行っていたのではないですか?」
「……なら隠しても疲れるだけですか。正解です、姫様」
諦めたように私の予想を認めたサーシャですが、その目的まで語るつもりはないようです。
私にとってはワンダーランドと同じ位置にあるあの場所ですが、サーシャにとっては苦々しい思い出しかないはず。なんでそんな所にいったのでしょうか。そこまで考えて、僅かな可能性が私の中で芽生えます。
「もしかしてサーシャもあれから気づきを、悟りを得たのですか!? やはり、私たちは奴隷になるべきだったという、天啓を――むぐっ!」
「ああ、やっぱり投げるならマカロンが一番ですね。形と言い重さと言い、靴なんて投げるもんじゃなかったんです」
口に投げ込まれたマカロンを咀嚼しながら、呆れるサーシャに不満な目を向けます。マカロンって見た目の割に固いので少し食べるのに苦労するって知らないのでしょうか。
「姫様、もし本当に奴隷になったらそれこそあの小太り親父と軽薄息子みたいな輩に好き放題されるんですよ? あの時私がどれだけ嫌な思いをしたか知らないんですか?」
「はい、知りませんが知っています。本当に、惜しいことをしました……」
「本当に懲りないんですね、あなたって方は……」
目を瞑って過去を惜しむ私に、やれやれと首を横に振るサーシャ。空になったティーカップへお茶を注ぎながらなので中々器用ですねと思いながら、そのお代わりに口を付ける。因みに今日はピーチティーでした。
「そうですね、基本的に私の願いは変わっていません。けれどあの奴隷市場と屋敷で、触れた思いならありますよ。私が至らなかった境遇の、更に先に進んでしまった方たちの思いが」
ぴたりと、サーシャの動きが止まった。何でもないように言ったつもりですが、もしかしてトーンが下がってしまったのでしょうか。けれど構わず続けます。
「彼ら彼女らの中に望んでその場にいた者はいませんでした。誰もが流れに逆らえないままそこにいて、その先へも流されていました。悲しみも苦しみも悦びもぐちゃぐちゃになって、やがては全てがなくなって……。少なくとも穏やかと言えるようなものは、どこにもありませんでした」
過去とは惜しむだけでなく慈しむことも出来るモノ。その力を授かっている私は特に鮮明にそれが出来てしまうから。彼ら彼女らの残した爪痕から目を背けるような真似はしませんでした。興味がなかったと言えば嘘になってしまうのもありますし、別に私に向けられたものも殆どなかったというのもありますが。
「ならば、何故ですか? そこまで分かっていて、そこまで触れていて、何故あなたはまだ奴隷になりたいなどと仰るのですか? いえ、奴隷のように溺れたいと願うのですか?」
「もう、何度目ですかサーシャ? その気づきをくれたあなたならいつか分かってくれると思って、何度も言っているではないですか」
おかしくなってくすくすと、笑みが零れてしまいます。
だって前世でその在り方を楽しんでいたのはサーシャの方なのに。そんな貴方が分からないはずはないと思うのですが、仕方がありません。いつかまた思い出してくれると願って、今回もまた同じ答えを返します。
「
結局は欲張りな人間の持つエゴということです。いつか慣れてしまう生き物である以上、もっといいものを求めずにはいられない。いつしか満足する日が来るとして、それが私にとってはその在り方に辿り着いた日であるというだけの事。その為に生きると私は決めている、ただそれだけなのですから。
「けれど皇女としての役目を忘れたわけでもありません。あの奴隷市場は良くない所だと分かりましたし、どんな民であっても私の目指す奴隷に身を堕としていいと言うつもりもありません」
「……私以外の他者にその理解を求めない事は、確かに姫様の美徳かもしれないですね」
「流石に他者へこの理想を強要する気はありませんよ。穿った見方であることは理解しているつもりですから」
「ならその段階で踏みとどまっていただきたいんですけどね……」
「ふふ、嫌です♪」
溜息をつくサーシャに笑顔を返す私が他の方と比べておかしい事は知っています。それがなるべくしてなったのかどうかまでは分かりませんが、私はきっと異常者と言われても反論は出来ないのでしょう。
奴隷となった方たちの艱難辛苦を知ったうえで尚、それに憧れを抱き続ける。そんな私が今回の事件で得たモノはとても多かったのです。というか、本当にあのまま奴隷になっても構いませんでした。サーシャの頑張りとロザリーたちの助力があったので、今回はそうなりませんでしたが。
つまり今回のような道筋では駄目なのです。私以外が不幸になってしまうから。悲しんでしまうから。私の望みを叶える上で、そんな犠牲は看過できません。そんな方たちを生んでまで、叶えていい願いでもありません。至るのなら、その時は全ての憂いを断ってからでないといけません。
もっともっと、環境や条件を整えて。誰もがハッピーエンドを迎えるように、私は溺れなければなりません。それでこそ、私の人生をかけて臨む命題と言えるのですから。
……と、以前までは思っていました。けれどまた、新しい扉が今回開いたのです。
『姫様!』
最初にその扉をこじ開けたのは私だったけど、今度は彼女の方から蹴り開けてくれました。
私に天啓を与えてくれたサーシャ。私を助けにきてくれたサーシャ。
普段はいつも塩対応で、いつも私に厳しくて、いつも私の邪魔ばかりしてきて。
それでいて、誰よりも私の■■を願っている。私を■■にすると本気で誓っている。今回の事件で負傷した両足を見れば分かるように、その為なら幾らでも身を捧げるつもりなのでしょう。
そんなもの私は望んでいないのに。そんなもの私には分からないのに。
あのお屋敷の門の前で、私だけを逃がそうとした時もそうです。サーシャだけが奴隷になる事も嫌でしたが、私だけが助かる結末を良しとしたその判断が、私は何より嫌だったのです。
その先で私が■■になれると本当に思ったのでしょうか。そんなこと、あるわけがないのに。
そこまで考えてようやく、私にはあなたが必要だと気づいたのです。最期まで一緒にいて欲しいと分かったです。それこそが今回の一番の収穫でした。
だから私の望む結末に、彼女も付いてきてくれるように。
彼女の望むモノではなく、私が想う■■に二人でなれるように。
「――もっと頑張りますね、私」
「いえ、姫様は頑張りすぎですから。もうちょっと程々でお願いします。そっちの方向は特に」
そんな私の胸中を知らないサーシャに向けて私なりの宣誓をした所で、空になったティーカップをソーサーに戻しました。これで此度のティータイムは終わりますが、またすぐに次の機会が来ることでしょう。だから私はそれを楽しみにしつつ、席を立つのです。
その時もまた、サーシャは傍にいてくれるでしょうから。
「それで姫様。最後に一つだけ報告があります」
「報告? ……珍しいですね、サーシャが言いづらそうにするなんて」
「まぁ、ぶっちゃけるとですね。……さっき、奴隷を買ってきました」
「は?」