コウガネを討ち、μ'sたちの元へ戻ってくることができた鉱芽は、ようやく彼女たちのステージを目の当たりにする。彼女たちが鉱芽への贈り物と称したそのステージは、彼に幸せになってほしいという願い、そして彼との未来を見たいという希望を込めたエールであった。その想いは彼の心に届き、鉱芽はまた一つ、新たなステージへと進んでいくのであった。
それでは今回もどうぞ。
今回のお話の後半では本作の「【一周年記念】Dreamin'【短編集】」の「5.~近づく父~」を復習しておくことをおすすめします。
昨日から引き続き眩しい日差しが降り注ぐ夏の午後。窓の外では小鳥がさえずり、近くの公園では子どもたちのはしゃぐ声がする。そんな夏休み真っ盛りの中で学園祭を迎えた音ノ木坂も、本日は振替休日のようで、更に言うなら昨日の舞台で精一杯
だから今日一日は、俺を含め皆がそれぞれの休日をすごすのだろう──
──と思うじゃん?
「っしゅん!」
可愛らしいくしゃみが部屋の中で小さく破裂する。傍に俺がいることを思い出して、絵里は恥ずかしそうに布団を顔元まで上げて口を隠してしまう。
「じろじろ見ないでよ……もう……」
などと悪態をつくが、俺が彼女の部屋に上がるのを了承したのは絵里自身だ。絵里がこうして寝込んでいるのを知ったのは希経由だが……。
ここまで状況が揃えば何があったのかは言うまでもないが、つまりは絵里が風邪をひいてしまったのだ。
昨日の大雨に打たれて身体が冷えていたのだろう。そんな状態で何度も曲を披露すれば倒れてしまうのも無理はない。彼女をこんな状態にした原因として非常にやるせないが、唯一、ステージの上で倒れなかったというのが不幸中の幸いだろう。もし大衆の面前で何かあればラブライブ!辞退は免れないし、監督不行き届きとして俺の身もいろいろと保証されない。
風邪の症状が現れた朝も、『また鉱芽を不安な気持ちにさせたくないの』と希にしか連絡していなかったらしい。それが俺に伝わる原因になったわけだが、まあなんと健気でかわいらしいこと……。
「そりゃやっぱり? 心配だしさ」
「そんなに心配しなくても……病院には行ったし、医者も薬を飲んで安静にしてたらすぐ直るって言ってたから」
「それでも。俺にできることがあるなら、なんだってしてあげたいって思ってる」
だからなんでも言ってみてくれ。と、できるだけ紳士的に、理性的に、そしてかっこよく、お決まりのような台詞を口ずさんでしまったわけだ……わけなんです……。
「なんでも……?」
──あっ……これ、あかんやつや……。
「くすぐったかったらごめんな」
「え、ええ……背中は、お願いね……」
「はいよーっと」
亜里沙ちゃんがここにいないのが仇となった。
まさか"身体を拭いてほしい"なんて言い出すとは思いもよらなかった。
確かに真夏の真昼間からずっとベッドの上で寝ていたら下手に動くよりも多くの汗をかいてしまう。それに風邪のため熱も出ており、絵里の身体は熱く火照っていた。パジャマを脱ぎ露わになった、本来なら雪のように白い彼女の肌も、今はほんのりと赤く彩り、脇から静かに汗が垂れてきている。その汗が症状としての熱からなのか、緊張からの汗なのかはわからないが……。
「じ、自分から言っておいてなんだけど、こ、鉱芽って、こういう時緊張ってしないの……?」
「うーん? 別にそうでもねぇぞー?」
「だ、だってなんだか、慣れてる感じがするし……ツバサさんとかにヒャッ!?」
──気付けっ! 間延びしてるけど気付けっ! かーなーり緊張してるぞ!
震えながら発される絵里の言葉とは裏腹に、俺自身は動揺を抑えるので精一杯だった。前にも誰かに話しはしたが、恋愛対象として人を愛せないとは言ったが別に身体の機能が死んでいるわけではない。俺だって男の子だ。成人してるけど! 人間の! 男の子! なんです!!
因みに声が少し間延びしているのは冷静を装っているからだ。
「ほーほー意外とこういうのに弱いと見た」
「ごめんなさいっ。だ、だからもう少ししっかりと……」
「分ぁかってるよっ」
「ひゃい!? ちょ、ちょっと待ってって!」
拭き始めた時よりも赤く身体が染まり、小刻みに震えている絵里が可愛らしくて、少しだけ嗜虐的な思想に陥ってしまう。動揺を抑えているとか言いながら何を愚かなことをしているのだろうとは自分でも思っているが、何故か身体がそう動いてしまう。
「じゃあ、もうやめようか?」
俺としては、むしろそうしてくれた方がありがたいのだが……。
「……ゃ」
「え?」
「……いや……このまま、やって……鉱芽」
「そっか(グハッ!)」
目に薄っすらと涙を溜め、赤く頬を染めながら振り向き様にそう言われると、鉄の理性も陥落しそうになる。涙目で、しかも最後に名前を呼ぶのは卑怯だと思うの、うん。
熱のせいで絵里自身も意識できていない仕草だとは思うが、μ's内でもトップクラスに官能的なスタイルの裸体を晒されると、否が応でもこちらは反応してしまう。"もう鉱芽を拒絶しない"とは言ってくれたが、いくらなんでも気を許しすぎでは──と頭の中で届かない抗議を飛ばし続けるだけだ。
「ん、あっ……」
「あんまり変な声出すなっての(いや、本当にマジで)」
「だ、だって鉱芽が……」
「そりゃ悪かった(……あれ?)」
しかし、絵里とのやり取りの中で異様にドギマギしてしまう自分に対して、ふとこう思ってしまったのだ。
──俺って、ここまで感情的だったか?
確かに身体の機能は反応するとは言っていたが、ここまで女性の身体に対して感情が揺さぶられたのは、ここ一年であっただろうか。
身体だけでなく、心まで反応する、普通の男性のような感受性。
少し前にツバサや絵里を抱きしめた時には抱くことがなかった情熱が、今は湧き上がってくる。
昨日まで、きっと自分は誰かと恋愛をすることはないのだろうと思っていた。しかしそれはもう、確実なことではないのかもしれない。
俺の中で、何かが変わってきている。それだけは確かなことだった。
結局その後は、自分の中で起き始めた変化に意識を向けていたために、特に面白い展開が起こることもなく、絵里の身体の汗拭きは終了した。流石に背中以外は自分でやると言われたので、彼女の恥部に触れるような事態には陥っていない。
いやはや全く、俺を全面的に信頼して二人きりにしてくれた亜里沙ちゃんには恐れ入った。無論、俺に身体を預けた絵里にも。
「ごめん、鉱芽。私、ちょっとどうかしていたかも……」
「俺は別に迷惑じゃなかったよ(いろいろ危なかったけど)」
「……やっぱり優しいわね、鉱芽って」
果たして自分は優しい人間なのだろうか、などという問答はこれまで何度もしてきたし繰り返す必要もないだろうが、やはりその言葉に完全に同意できず、無言で固めてしまう。
先ほどまでと同じように静かにベッドの上で仰向けになる絵里は、何も言わない俺を見つめ、再び言葉を紡ぎ始めた。
「私、鉱芽を拒絶しないって言ったじゃない」
「あー、それなんだが、いくらなんでもいきなり受け入れすぎじゃないかと思ったんだけどさ」
「ふふっ、そうね。でも、『私だってあなたをここまで受け入れられるんだぞ』っていうところ、見せたかったって言うのが本音かな」
「ことりに対抗してる?」
「……皆まで言わないでよ」
先日のことりの壮絶な覚悟は、絵里にとっても衝撃的なものだったようだ。今思い返しても、俺を受け入れるためなら斬られても構わない、死ぬような思いをしようと構わない。そんなある種の狂気すらも孕んだ彼女の想いは、何者にも真似できるようなものではあるまい。そんな人並外れた覚悟のおかげで今の俺がいるわけだから、何とも不思議な気持ちである。
「きっと、あなたを変えることができるのって、ことりみたいに強い覚悟がある人だけなのかなぁって、そう思っちゃったの。何があっても鉱芽を受け入れられる、本当に強い人間。だから、まずは私が変わらないと、ってね」
「絵里は、あの時俺を……」
「鉱芽が戻ってきたのはすごく嬉しかった。けど同時に、悔しかった。私たちの声が届かなくて、ことりの声だけがあなたに届いたことにね。きっと真姫も同じ気持ちのはずよ」
「悔しかった」という言葉を口にした時、絵里は俺から視線を外して天井を見上げていた。傾けていると、目に浮かんだ潤いが零れ落ちそうだったのだろう。
「鉱芽……私もっと変わるから……どんなあなたになっても、きっと、信じ続けられる自分に、変わるから……」
「絵里……」
自分の無力さを痛感した彼女の悔しさは計り知れない。ついぞや溢れ出してしまった涙の筋跡を見て尚も、その深さを共有することはできない。ただ一つ分かるのは、俺はまた彼女に無理をさせようとしているということだ。
「無理に変わらなくてもいいよ、絵里。絵里が今のままで、俺を受け入れてくれるならそれで十分だって」
「でも、鉱芽……」
「絵里が俺のことを拒絶しないように、俺ももう絵里のことを見失わない。約束するから」
そう言って絵里に向けて小指を出す。その意味を理解した絵里は、くしゃくしゃになろうとする顔を抑えて、自分の小指を俺のそれと絡ませた。
「指切りげんまん、嘘ついたら──」
「針千本飲んで死んでやる」
「ウェ!?」
「ふふっ、冗談よ」
いたずらが成功したと言わんばかりに口元をあげる絵里だが、正直俺はそれが本当に冗談なのか判別できなかった。それでも、ただこれ以上絵里と、そして自分を見失うことができなくなったというだけの話だ。約束なんて、守りきればいいだけの話だ。
「全く……おっ?」
「あら? 何かしら」
そんな折、俺たちの端末に同時にメッセージが送信されてきた。それも連続で立て続けにだ。μ'sのグループで送られてきたであろうその内容を見て、俺たちは顔を見合わせて苦笑してしまう。
──────────
りん(≧ω≦):真姫ちゃんが風邪ひいてるにゃー!
りん(≧ω≦):なんかみんなには内緒ってかっこつけてるにゃー!
真姫:別に格好なんてつけてないから!!
りん(≧ω≦):みんなしゅーごー!!
真姫:幸い症状も軽いし
真姫:って来なくていいからうつるし!ママも凛も花陽もいるから心配しないで
真姫:とにかく……ごめん
花陽:真姫ちゃんのお母さんが、鉱芽さん呼んだら来てくれるんじゃないかって
花陽:だからこうがさ
真姫:こうがこなくてああから
──────────
「ははっ、なんだ真姫もか」
「うっふふ、そうね。向こうで何があったのかすごくよく伝わる文面だわ」
まず間違いなく、俺を呼ぼうとした花ちゃんの文字入力を真姫が邪魔をしているし、真姫もよっぽど焦っていたのか、その後のフリック入力に失敗して「いいから」が「ああから」になっている。本当、一年組は仲がよくて素晴らしい。
「さて、どうしたものかね」
真姫はああ言っているものの、彼女の分かりやすい性格を考えれば自分がどうすべきなのかは明白だ。ただ、このまま絵里を放っておくことにも後ろめたさはある。
「言ってあげて鉱芽。ああ見えて、真姫って甘えん坊だから」
しかしそこはできる女、絢瀬絵里。俺の腕を掴んで優しく微笑むと、真姫の元へ行くよう促してくれる。
「絵里もだろ」
「……もう」
しかし甘えん坊なのは彼女だって同じだった。ただ絵里は、歳上の自分が俺を独り占めするわけにもいかない。真姫よりもお姉さんなのだから、と自分を振るい立たせているのだろう。やっと覗かせた寂しそうな彼女の表情に憂いを感じながらも、俺は彼女の手を両手で優しく包み込んだ。
「こ、鉱芽?」
「心配すんな。治ればいつだって会えるさ。治らなきゃその都度会いに来てやるっての」
「っ……ふふっ、あっははっ、そうね、ええ。楽しみにしてるわ。また明日、鉱芽」
「おう。また明日な、絵里」
そうして絵里の部屋を後にした俺は、亜里沙ちゃんへ連絡を入れると、そのまま真姫の家に向けてサクラハリケーンを発車させた。
その後、真姫の家に絵里以外のμ'sが全員集まり、真姫が俺に対していろいろと拗ねたりしたのは、またいつかのお話ということで……。
────────────────
時は遡り、学園祭当日の夜。ことりは母と食卓で団欒を楽しんでいた。
「今日のライブ、大成功だったそうね」
「うんっ。見に来てくれたみんなに最高のパフォーマンスもできたし、鉱芽さんに恩返しもできたし、もう言うことなしだよ」
「そう。なら尚更、直接見れなかったのは残念だわ」
「うっ、そうだよね……っ、でもっ、ラブライブ!本戦だったらお母さんも見に来れるよね!?」
「え? ええ、そうね。一応はそのつもりにしてあるけど」
「やったぁ! それじゃあ、これからもっと頑張らないと!」
娘から感じるかつてないほどの歓喜とやる気に、理事長であり、また母でもある彼女は、娘の成長に嬉しさと、そして少しの寂しさを抱いていた。しかしそれでもやはり、ここ数日で感じていることりの精神の成長に、理事長は驚かずにはいられなかった。娘との会話はごく当たり前の日常的なものばかりのはずなのに、その交える言葉の節々で、今まで子どもだと思っていた娘が急速に大人びていくのを感じるのだ。もちろんそれは嬉しいことのはずなのだが、同時に大人になり、独り立ちを予感させるものだから、自分の娘が大好きな理事長としては非常に複雑な心境でもある。
そして恐らくその成長の要因はμ'sと、そして──
「ねえ、ことり。葛木さんってどういう人? もう少し詳しく知りたいかな」
自分の娘が慕っている葛木鉱芽。彼とは一度話しただけだが、それでも理事長は彼が信用たる人物だという認識でいた。少なくとも、絶対に悪い人じゃない、とそう感じていた。だからこそ、これまで彼とμ'sの接触を黙認していたのだ。
もちろんその信用は今でも変わらない。しかし少し、ただもう少し、娘が一途に慕う男性がどういう人物なのか、知りたいと思っていた。
「えっ? 鉱芽さん? 鉱芽さんはね、もう、とにかくすごい人なの!」
そこから展開していくことりのマシンガントークだが、全体的に以前よりも説明がアバウトになっている気がする、と理事長は心の中で溜め息をつく。惚気話もここまでくればもはや武勇伝だが、ともかく今聞きたい話から聞いた方がいいと彼女は判断した。
まさかそれが、想像を超えるほどの重大な情報だとは知らずに……。
「え、ええと、葛木さんの家族構成とか、そういうのって知らないの?」
「むっ、もちろん知ってるもん!」
「もちろん」ってなんだ「もちろん」って。などと、普段使わないような言葉遣いを飲み込んで、理事長はことりの言葉に耳を傾けた。
「あっ、そうだ言ってなかったっけ。鉱芽さんって、昔アイドルやってた人の子だったんだ」
「へぇ、それはすごいわね。なんていうアイドル? もしかしたらお母さん、知ってるかも」
とはいうものの、当時そこまでテレビに聡くなかった理事長が知るアイドルなど限られていた。今思い出せるだけで精々二人か三人。葛木さんの親が自分の知る人である可能性は低いだろう。そう思っていた。
「葛木舞衣さんって言うんだけど、お母さん知ってる?」
「ぇ……」
自分の数少ない知る名前をストレートど真ん中に投げ込まれ、理事長は張り付いたように固まってしまう。
「お母さん? ねぇ、お母さん。聞いてる?」
「っ、え、ええ。聞いてるわよ。私も昔テレビで見たことのある人だから驚いちゃって……」
しかし、彼女が固まった本当の理由は葛木舞衣がスーパースターだからではない。
「じゃあ、葛木さんのお父さんって分かる?」
「お父さんはえっと……戦極……えっと……」
「岳斗」
「そう、戦極岳斗さん! お母さん、もしかしてファンだったりしたの?」
「いえ、そう言うわけじゃないけれど、あの時はものすごいニュースだったから今でも覚えているのよ」
「そうなんだ。鉱芽さんのお母さんって本当にすごい人だったんだなぁ。それでね、鉱芽さんの家にもね──」
ことりが続けて得意気に語り出すが、理事長の耳には然程入ってはこなかった。ましてやかのアイドルのことを考えていたわけでもない。
「(そっか、彼、
そんな彼女の心を知るものは、誰もいない。