原因が何だったのかは、今では何も覚えていない。友人と校内鬼ごっこをしていたら足を滑らせたのかもしれないし、単にバランスを崩しただけだったのかもしれない。
ただ、何某かの理由によって階段ですっ転び頭を強く打ってからというもの。私は不思議なものが見えるようになったというのは動かしようのない事実である。
そう言うと、何やら名状しがたきものどもでも見えているのか、と思われるかもしれない。そのうち廃れた港町で半魚人みたいな人間に海底へ攫われかけたり。或いは、語尾にのじゃをつけるタイプの狐耳巫女服ムチムチお姉さんと共に人類と妖怪の未来を賭けたワクワクアドベンチャーに挑むのか、と思われるかもしれない。
後者であったらとても嬉しい。できたらそうであって欲しい。
しかし、現実は随分としょうもないものである。私が見えるものはと言えば、例えば吉本版の組み分け帽子みたいな化け物であったり、或いは汗だくのデブであったり。まあなんというか、外宇宙から飛来した上位存在というよりは面白チンドン屋とでも言うべき連中である。
しかし連中の場合、摩訶不可思議なのは見た目だけではないから困りもの。
というのも、彼らがちょっかいをかけた人間はなにかしらヘンな影響を受けるのだ。そうは言っても、発汗量が増えたりだとか少し物忘れが多くなったりだとかで、致命的なそれではないのだけれど。
尋常な人間には見えない。人間に屢々ちょっかいをかける。見た目がなんともけったいだ。
以上のことを踏まえて、私は連中のことを便宜的に
いつか私のことを『少年』と呼ぶダウナーなお姉さんが現れて全てを教えてくれるだろう。そう期待し続けて、はや幾星霜。私も高校生となり、どちらかといえば声をかける側になってしまった。しかし、今からでもまだ遅くはない。このさい禿げてるくせにヒゲだけは一丁前の老師とかでも良いから、違うと言うならぜひとも教えを請いたいものである。
○○
窓の向こうに、少女が浮いていた。和服を着た全体的に青っぽい少女である。見た感じの年齢は私より幾分か下、といった所だろうか。小学生というには大人びているし、高校生というには少し幼いようにも思う。
それくらいの年頃の少女が、つまらなさそうにふわふわと空中を揺蕩っている。
「まじか。」
思わず呟くと、隣席に座るガリ勉の吉田がこちらを睨みつけた。
木曜の五限。国語なんざ聞いたところでどうせ何もわからないからと何気なく外を見ていたら、とんでもないものを見つけてしまった。何が凄いのかと言えば、整っているのだ。見た目が。恐ろしく。
というのも、私が今まで見たことのある輩といえば大抵が吉本版組み分け帽子みたいなクリーチャー型か、或いは汗だくデブみたいな三枚目型かのどちらかに分類されるのだが。あの少女はそのどちらにも含まれない。
絶世の、とまで言うと些か大げさかもしれないが、人間であればアッチやコチラへ引っ張りだこだろう。それくらいには容姿が整っている。
美形であること。それはつまり、実力者である可能性が高いということである。なにせ美しいだけの薔薇は無い。いつぞやに街で見かけた単眼おっぱいも比較的綺麗な見た目をしていたが、アレはデブやよしもと達を鎧袖一触に吹っ飛ばしていた。
その例に倣えば、あの子も相応の実力者である可能性は高い。
「すっげぇー……。」
また漏れた私語に顔を顰める吉田をいなしつつ、少女を眺める。
40度にも迫ろうかという炎天下でありながら氷塊を産み出し、自在に操り、やはり暇そうにペタペタと触っている。あの氷塊を杜撰にぶつけるだけでも相当な威力になるだろうから、やはり彼女は単眼おっぱいと同様に強い部類なのだろう。
同じ氷属性でもその辺で見かける凍ったチワワとは随分な違いだ。きっと彼方は出来てジュースを冷やすくらいのことだろうに。
私は吉田に軽く頭を下げてから、そのまま少女を眺めた。些か幼いとはいえ将来を約束された美貌を持つ少女は何をしていても絵になるから、見ていて飽きない。不思議なものだ。汗だくデブなんかは視界に入るだけでその日一日嫌な気持ちになるのに。やはり、世のなか大事なのは見た目らしい。
それからも、少女は私の視線に気づくことなく氷塊を弄り回していたが、しばらくしてどうやら飽きたらしく、氷をどこかへやった。次いで大きなあくびをしてからぐっと伸びをする。
少女はぎゅっとぎゅーと伸びをして、それから、不意に視線がかち合った。
『……?』
少女はキョトンとして小首を傾げた。私はサッと視線を逸らした。
見えることがバレたとして、危害が加えられるとか、何かしら不利益を被るとか。別にそういう訳ではない……と思う。検証したことも、しようもないから実際にどうなのかは知らないが。しかしアイツらは見た目がピン芸人とはいえ一応は超常の存在に類するものだと思われるから、何となく見えることは隠した方が良い気がするのだ。
『ーーー!?』
そして、私は自然に目を逸らすことにかけては結構な自信があったのだが、どうやら少女には気づかれたらしい。困った。砂男とかはこれでも騙せるのだが。少女が鋭いのか、或いは奴がそのへん鈍いのだろうか。
『ーー!ーーー!』
少女は頬を膨らませながらこちらに寄ってくる。どうやら私が無視をしたことにたいそうご立腹であるらしい。私の周囲をふらふらと飛び回って、氷を出してみたり、頭を叩いてみたり。或いは私の机に座ってみたり。どうにかこうにか反応を引きだそうと苦心している。
『ーーーーー〜!!!』
何事かを叫んでみたりもしているようだ。しかし悲しいかな。私にとっては奇々怪界なものどもが歩く飛ぶ這いずるなんてのは日常である。加えて、私は姿が見えても声は聞こえないという中途半端な能力をしているので、この程度では全く堪えない。
なにせ足掛け八年は一般人に擬態してきたのだ。この仮面はケツみたいな顔をしたクソガキが女友達にカンチョーしようとしているのを見たとき以外に外れたことはない。可愛い子が周りをうろちょろしているなんて微風みたいなものである。
そのまま少し経った。
『…………』
最終手段だ。或いは、最後通告だ、か。
彼女が何をしようと頑なにポーカーフェイスを貫く私に対し、そんな感じの挑発的な表情を浮かべた少女は、徐に右手を前へ突き出す。そして両目を閉じると、何事かを念じ始めた。
何が始まるのかと思っていたら効果はすぐに現る。
「……なんか、寒くねぇか?」
クラスのボス猿的な存在である安藤が徐に呟いた。
それを皮切りにクラスメイトも口々に不満を漏らす。
「ねー。クーラー強すぎ~。」
「……いや、これクーラーがどうとかって話じゃ……」
「うそっ!?いま室温5℃だって!」
「すごーい、息が白くなる〜!」
「先生、授業を止めないでください。」
『ーーー。』
どうだ、であろうか。
騒然とするクラスをゆっくり一回見回して、少女は勝ち誇った顔をした。まだまだこんなもんじゃないぞ、本当にいいのか、とでも言いたげだ。
私の頬を暑さに依らない汗が伝う。これは参った。思っていた数倍は強い。
並大抵じゃないだろうとは思っていたが、まさかここまでだとは。もしかしたら、大体の輩はキツめのドッキリくらいで留まることをするからと、私は彼女のことを舐めてかかっていたかもしれない。
「わかった。意地悪して悪かったよ。放課後に話そう。」
降参の意も込めて両手を軽くあげながら、私はそう呟く。すると少女はにやっと笑って、突き出した手を元に戻した。
急速に室温が上がっていく。
「え、今度は35℃?!」
「エアコン切ったから……」
「異常気象にしても酷すぎない?」
「整っちゃうよこんなんじゃ。」
「先生、早く授業を進めてください。」
焦った。
私は周りに気を遣いながら一つ溜息を吐いた。
少女がこの程度で矛を納めてくれたから助かったが、逆にいえば少女にとってこの空間を五度まで冷やす程度のことは戯れあいにすぎないのだろう。であれば仮に本気を出したらどうなるのか。このへん一帯を冬にするくらいなら造作もないとか言わないだろうな。
「洒落にならない……。」
綺麗な彼女は薔薇どころではなくハリセンボンだった。これではどこもかしこも氷柱まみれだ。しかも向こうから寄ってくる。勘弁してくれ。
全てを放り出したくなった私を他所に、何が楽しいのか、少女は嬉しそうにくるくると回っている。できれば放課後までに飽きてどっかへ行ってくれれば良いのだが。
私はため息が出そうになるのをぐっと堪えて現代文に向き合った。今なら著者の考えていたこともわかる気がする。
◯◯
川を渡ってさんかく公園のそばを抜け、おおもり山へ向かう。あそこは高校からも我が家からも少し遠いことこそ難点であるが、少し奥へ入れば虚空へ話しかけていても通報されないという点で唯一無二の価値を持っている。
故に、どうしてもという時はお世話になろうと前々から決めていた。
「それで。あなたは私に何の用ですか?」
どんこ池よりも奥の奥。虫取り小僧くらいしか寄りつかないであろう、藪の中。予め下見を行いあたりをつけていた秘密の場所へと辿り着いた私は、漸く重い腰を上げて少女と目線を合わせた。
『ーーーーーー!!!』
少女の方は、何やら随分と嬉しそうである。私の社会的名誉を守るためにも道中は何をしてこようが無視を貫いたから随分とつまらなそうにしていたが、今は顔を綻ばせてぴょんぴょん飛び跳ねている。
さしづめ「やっと目を合わせてくれた!」とか、そんな感じのことを言っているのだろう。
『ーーーーー!……ーーーーー……?』
「あー……うん、悪いね。その、色々言ってもらってるけどさ、俺は君がなんて言ってるか分かんないんだよ。」
『ーーーーーーー!?!?』
「あー、うん。そうそう。姿は見えるんだけどさ。声は聞こえないんだ。」
そう告げると先ほどまでのゴキゲン具合からは一変、少女は頬を膨らませたかと思えば何処かから氷を出してきて、私の頭を強かにぶった。頗る痛い。
「いや、別に騙そうとした訳ではなくて……いや、私が悪い。悪かったです。」
幸いなことに、素直に頭を下げると彼女は構えていた氷塊をおろしてくれた。畜生、今どき暴力系ヒロインなんて流行らんぞ。ゼロ年代へ帰れ。
私は頭をさすりながら彼女を睨んだ。少女のほうはと言えば、何が面白いのかころころと笑っている。何故か負けたような気がしてとても気分が悪い。悪いが、しかし、下手なことをしたらこのまま頭を割られそうだから、私はグッと堪えた。次男だったら危うかったかもしれない。
鬱蒼とした藪の中。なんだかとても疲れたから地面に腰を下ろすと、少女もそれに倣って私の対面に座った。両足を揃えて貞淑に座るその姿からは妙な育ちの良さが伺えて、少し奇妙だった。
はて、さて。どうしたものか。少女は私とコミュニケーションをとることをお望みであるが、聞こえないものは聞こえないのだから会話は出来ない。とはいえ、ボディランゲージだけでは無理がある。お嬢様のお気に召すほどのことは出来ないだろう。筆談でも試みようか?
素直にその旨を伝えてみると、少女はえっへんと無い胸を張った。任せろということだろうか。
聞いてみれば、少女は満足げにこっくりと頷いた。何やら名案があるらしい。であれば、やってみて欲しいと伝えると彼女は薄い胸を叩く。
それから間を置かず、何の前触れもなく、紫色の煙が辺りを包んだ。この間五秒も無かったように思うが、あっという間もなく一寸先も見えなくなる。
突然のことに面食らった私は、無性に怖くなって、おおもり神社の方へ走り出した。戦略的撤退という奴である。なにせ、煙に紛れて一口で美味しく頂かれては堪らない。
しかし、幾らも進まないうちに私の腕を誰かが掴む。それはまるで氷のように冷たくて、煙のせいで何も見えなかったけれども、人間のものではないことだけは良くわかった。振り切ろうとしてみるが尋常じゃない力で掴まれており万に一つも離しそうにない。
それでもなお恐怖から抵抗を続けていると、煙の中から不満そうな声がする。
「ちょっと!なんで逃げようとするの!?」
聞いたことのない女性の声だ。知り合いの誰とも似つかない。しかし、誰のものかはおおよそ検討がつく。
叱責されたことで少し冷静になれたから、私は抵抗するのをやめてその場に立ち尽くした。諦めたともいう。とにかく流れに身を任せた。
少しして煙が晴れると、そこには頬を膨らませた少女が立っている。私が逃げようとしたことにたいそう御立腹であるらしい。ぷりぷりと怒りながら殺せそうな大きさの氷塊を携えている。しかし私はそれよりも彼女の服装のほうが気になって仕方がなかった。
「やってみてって言ったのは貴方でしょ!何で逃げたの!?」
「はぁ、いや、その。……え?」
凄い剣幕で私を詰る少女はいつのまにか私と同年代くらいの等身になっており、服装も青が基調の和服から何故か我が校の女子制服に変わっている。相変わらず胸は無いけれど。
なんだ、これは。あからさまに氷属性であるからどうせ雪女とかだろうとあたりをつけていたのに。もしかして、奪衣婆とか、早着替えの妖怪なのだろうか。いやその割にはやたらと戦闘力が高くないか。早着替えの妖怪がなぜ気候を操るほどの力を持っているんだ。なぜそんなものが必要になる。
狼狽している私を見て、少女は少し訝しげな顔をした。しかし間を置かずに手を打つと、得意げに講釈を垂れ始める。
「ふふん。これは変化だよ。私たち妖怪はね、色んなものに化けられるんだ。」
「はぁ。」
「つまり、私はいま人間に化けてるってわけ。凄いでしょ?」
そう言ってから、彼女はその場でくるっと一回転した。心地よい冷気がふわりと漂ってくる。
「はあ。」
「ぷっ。久々だなぁ、そーいう反応。いいね、君。面白いね!」
「はあ。」
はあ、としか言いようがなくて私はもうこの場に蹲りたくなってきた。ここ八年くらい全く進展のなかったストーリーがいきなり百ページくらい進んだような気持ちである。なんというか、もう少し心の準備をさせて欲しい。胸騒ぎがするとか、それらしい転入生が来るとか、もっとも
口に手を当ててケタケタと笑う彼女に、私は恐る恐ると質問をぶつけた。
「えっと、その。さっき少し触れてましたけど……君は妖怪で良いの、いや、良いんですか?」
「んー?まあそうだね。私たちは人間から妖怪って呼ばれてる存在だよ。」
「じゃあ、君はなんていう妖怪なんです?」
「そーだねー……じゃ、折角だし、当ててみてよ。」
「はあ。」
少女はイタズラっぽく笑うと人差し指を立てて口許に当てた。
はて。氷属性で女となればそれこそ雪女くらいしか思いつかないが……流石にそれは安直すぎるだろう。少しは捻ってくるはず。
「奪衣婆、とか?」
「違う違う!もっとそれらしいのあるでしょ!?」
「……イエティとか。」
「なんでよ!わたしそんな毛むくじゃらに見える!?」
「いや、見えませんけど……。」
「じゃあもっと素直に答えて!」
「雪女ですか。」
「はい違う!残念!」
嬉しそうに彼女は両手で大きくバッテンを作る。これがやりたかったのか、少女は少しご機嫌になった。妖怪の考えることはよく分からない。
「んふふ。やっぱりわかんないかー。私はねー、ふぶき姫って言うんだよ。」
「ふぶき姫。」
「そ。ふぶき姫。覚えた?」
「はい。まあ、なんとか。」
「何とかって。そんな難しい名前じゃないでしょ。」
ふぶき姫はお腹を抱えてケタケタと笑う。箸が転げても笑うお年頃。そんな外見に情緒が引っ張られているのか、それとも元からこういう性格なのかが微妙に判別できない。まあでもとにかく、とって食われたりはしなさそうだから想定していた中でも最悪の事態にはならなそうだ。
私はほっと一つ溜息をついた。
「しっかしもー、せっかく遊ぶのになんでこんなとこに来るのよ。楽しくないじゃない。」
私の内心などつゆ知らず、ふぶき姫は肌に触れそうなイネ科の雑草を毟りながら口を尖らせる。
「いや、だって。虚空に話しかけてるところを見られたら俺の外聞が……」
「あっそ。なら、もう問題ないわよね?」
「え。そうなんですか?」
「もう、言ったでしょ?今の私は人間に化けてるからその辺の人間でも見えるの。」
「そうなんですか。」
「そうなの。……よし決めた!取り敢えず駄菓子か何か買いに行きましょ!近くにお店ある?」
「ええ、まあ、コンビニなら麓に……」
「ならそこ行きましょ!」
言うが早いか、ふぶき姫は私の返事も待たずに歩き始める。慌てて後をついていく傍ら、彼女に近寄った虫が片端から凍らされているのを見て、私はまた少しだけ怖くなった。
◯◯
道中、奢ってやろうとか大きな口を叩いていたくせに、この国が帝国だったような時代の貨幣しか持っていなかったから、結局は私が全部買わされた。最近はこっちに来てなかったからとかなんとかモゴモゴと言っていたが、本当に勘弁して頂きたい。だいぶん
「最近の人間社会は進んでるねー。アイスクリームが出てきたときもなかなか衝撃的だったけど、今はこんなに種類があるんだ。」
軽くなった財布を片手に意気消沈する私を他所に、おおもり神社の欄干に腰掛けた彼女は買いあさったアイスを品定めしつつ、目を輝かせて言った。妖怪らしく恐怖という感情が欠落しているようで、石垣から半分くらい体が飛び出しているのにも関わらず、怯えたり竦んだりといった様子が全く見られない。
それから少し。私は三千円の恨みを込めて彼女の後ろ姿を見ていたが、彼女はそれを全く無視するものだから、観念して話かけた。
「君さ、なんでまた麓からわざわざここまで登ってきたの。確かに君がいたら溶けないけれどね、んなもん
「わかってないねー。見晴らしのいいところで食べるのがいいんじゃない。」
「ああそう。」
「なによ。何か不満でもあるわけ?」
「いやなに、財布が随分と軽くなったなぁと。」
「ちょっと。嫌味な男は嫌われるわよ。」
「こいつ……。」
溜息を付くと、ふぶき姫はまたケタケタと笑った。本当に何が面白いんだ。妖怪ってのはみんなこうなのか。……こうかもしれない。カンチョーだの通せんぼだの、バカみたいなことをしている奴ばっかだし。
「しっかし君、思ってたより何も知らないんだね?」
吸うタイプのアイスを加えたまま、彼女はこてんと首を傾げた。
「わすれん帽もムリカベも、あせっか鬼も知らないなんて。」
「そりゃそうだろ。今まで妖怪の知り合いなんか居なかったから。」
「そーなの?意外だなぁ。」
「なんでさ?」
「いやだって、君、この辺りじゃ有名だよ?『見える』ヤツが居るって。」
「マジ?」
「うん、まじ。私がここに来たのも、久しぶりに
「マジかぁ。」
そうなるとつまり、全てバレていたと。誤魔化せていると思っていたのは、私だけだったと。そうか。なるほど。吉本もデブも砂男も、たんに見えないフリをする私に気を遣っていただけかのか。
八年続けてきた仮面(笑)とは。
「どーしたの?あたま、キーンってなった?」
「いや……まあ確かに、頭は痛いけど……」
「んー?まあ何でもいいけど。だから、意外だったわ。てっきりもう
「……なんだ、失礼だな。確かに多いほうじゃないけどね、普通に五人六人は……」
「ああいや、そうじゃなくて。妖怪のほうね。」
「ああ、そっちか、そっちね。なるほど。」
「うん。妖怪の
そういって彼女が手渡してきたのは、彼女の肖像が誂えられた一枚のメダルだった。
「なにこれ?」
「私の妖怪メダル。」
「聞き方が悪かった。何に使うの?まさか、ゲーセンに持ってったらクーポンになったりするわけないよね。」
「違うよ?君、ほんっとに何も知らないんだねー。」
そう言って、彼女は口元を隠しながらコロコロと笑う。やっぱり妙なところで育ちがいい。腹が立つ。
「悪かったな、無知で。」
「いやいや!可愛くていいんじゃない?」
「可愛いって……」
私は高校生の、それも男だぞ、と続けようとして。ふと彼女の年齢が未知数であるということに思い至った。
彼女らが本当に私の想像する妖怪と同じ存在であるのかは知らないが、それでも、永い命を持つ存在であるのは間違い無いらしいから。彼女からすれば、産まれたばかりの赤子も死にかけの老翁も等しく『かわいらしい人間』であるのかもしれない。それこそ、人間が幼猫も老猫も等しく可愛がるように。
「……まあ、何でもいいか。それで、メダルが何なんですか?」
「んー……なんというかねー……うん、私と君の友情の結晶、みたいな?妖怪は
「なるほど。マブタチになったらゲーセンメダルから金の延べ棒にでもなるの?」
「まさか!そんな仕組みないよー!ずっとそのまま!」
「そのままって……俺と君くらいの関係はともかく、親友と呼べるような妖怪でもこんなチープな感じなのは嫌じゃない?」
「そう?みんな割と満足してるよ?」
「えぇー……そんなもん、なのか?」
「そんなもんなんじゃない?」
言いながらふぶき姫はアイスを一つ口に放り込むと、美味しそうに口を動かしている。私が真似をしたらもれなく口内が大変なことになるだろう。さすが氷のお化けである。
「うん。最近の人間社会はいいね。お菓子も美味しいし。皆が変化してでもこっちに居たがる気持ちがちょっとわかったかも。」
「変化って。……あの、もしかして、人間に擬態してる妖怪もいるんですか?」
「んー?そんなの一杯いるよ?」
「え、え。初耳なんですけど。」
「言ってないからね。」
「聞いてないですもんね。」
「分かってるじゃない。」
またふぶき姫は楽しそうに笑う。可愛らしい、ではなく。
「ねえ、ちょっと。君、いまなかなか大変なことを言ったよ。なにさ、渡る世間は妖ばかりって。」
「そんな気取った言い方してた?」
「いいから、ほら、はやく。ちょっと人間不信になりそうなんだけど。」
「えー?そんなに気にすることないよ。一杯いるとは言っても、街の人間の一厘にも満たないから。」
「あ、そうなんですか。じゃあ私の両親が実は妖怪だったとかは……」
「ないない。それは安心していいよ。」
「ああ、そうですか……」
良かった。ダゴン秘密教団ルートが現実のものになるかと思った。ある日、目が覚めたら両親だと思っていたものがバケモノだった、とか人生やってられん。
ほっと胸を撫でおろす私を見ていた彼女は、悪戯っぽく口角を上げた。
「んふふ。でもどうだろうね?君の友達の一人や二人は、もしかしたら妖怪かもね。」
「ちょっと、脅かすなよ。怖いだろ。」
「あれ、素直に怖がるんだ。んもう、面白くないなあ。君みたいな年頃の人間はさ、もっと可愛らしく意地を張るものでしょ?」
「だんだん正体を隠さなくなってきたな君は……」
「最初っから明かしてるよ?私はふぶき姫。宜しくね。」
「はいどうも。こちらこそ宜しく。」
「これはどうもご丁寧に。」
そう言って彼女はまた笑った。とてもよく笑う人、ああいや、妖怪である。
……人間のことが好き、なのは間違い無いのだろう。きっと。しかしその『好き』の意味合いがイエネコに向けるものなのか、それともベーコンになる豚に向けるものなのかは分からない。測れない。
美味しそうにアイスを頬張る様子は見ていて可愛い女の子にしか見えないが、時折り覗かせる目が底知れないのだ。底なし沼のようなあの目が悠久の時を生きたバケモノであると語っている。友好的な態度は結局のところ油断を誘うための擬態なのではないか、と疑ってしまう。
しかしまあ、緊張しても仕方のない話ではあるのだが。なにせ相手が本気になれば警戒しているか否かに関わらず、私なんかは数秒の間に死んでいるだろうし。というかいつでも狩れる格下の存在を油断させる意味もないか。やっぱり私の邪推だろうか。
「なんか見られてるね。」
一人で色々と考えていると、その間キャンディー型のアイスをちろちろと舐めていた彼女が何の気なしに言った。
「君のほうは、ね。」
「何でかな?この時代では一般的な服装じゃない?」
「まあ、一般的ではあるけど。」
麓の小学校に通う連中だろうか。周囲を見回してやると、小学生くらいに見える虫取り網を携えた少年の一団が賽銭箱のほうからちらちらと彼女のほうを盗み見ていた。ヘッドホンを付けた少年なんかは僅かに頬を赤らめていて、何ともまあ分かりやすい。
男して、気持ちは分かるけれども。彼女は見た目が良いから、実際のところはバケモノだってことを知らなかったら私も今ごろ右往左往していただろうし。
「もしかしてバレちゃったかな。君のとこの学舎に居る人間じゃ無い、って。」
「まさか。」
「じゃあなんで?」
「……本気で言ってる?」
「ふふふ。どうだろうね。」
「性格悪いね、君。」
「そう?綺麗だね、とはよく言われたものだけど。」
「ほらやっぱり、意地も悪い。」
ふぶき姫はまた少し笑って、それから少年たちに振り返ると、微笑みながら小さく手を振った。はっとした少年たちは慌てて虫取り網を持ち直すと、麓へ向けて駆けて行く。何かの壊れた音は幻聴であると信じたい。
「あーあ。なんて酷なことを。最悪だな君は。」
「えー?なんで?嬉しそうだったよ?あの子たち。」
「そりゃまあ、そうだけど……」
果たして、あのうちの何人がまた彼女に会えることを期待してこの神社にやって来るんだろうか。私ならきっと夏休みを潰すだろう。
何というか、ほんと哀れだ。
「君って案外と邪悪な存在かい?」
「どーだろうね。君はどう思う?」
「いつもこんな事してるんなら、正直いって引くね。」
「いつもじゃないよ?前にやってからはもう何十年も経ってるから。」
「余計にタチが悪い。」
「ふあんさーびす、ってやつよ。」
ふぶき姫はアイスキャンディーをパキッと噛み切ると、そのまま咀嚼して、新しいアイスを求めてコンビニ袋に手を突っ込んだ。
「あれ。もう無い。」
「はあっ!?ちょっと、君、嘘だろ!?三千円も出したんだぞ私は!!!」
「ごめんごめん。美味しかったから、つい、ね。」
ふぶき姫はテヘッと舌を出しておどけて見せた。その様は随分と熟れていて、今までも多くの場をこうして切り抜けてきたのであろうことが容易に想像できた。腹が立つ。なにより、許してしまいそうになる私に。
我ながら呆れた。いくら何でもY染色体に諸々を握られすぎではないか。
「んー、じゃあお菓子も切れたことだし、今回はここでお開きにしよっか。」
途端に歯切れの悪くなった私の返答も待たず、彼女はぴょんと欄干から飛び降りると、ゴミを粗雑に袋へ押し込んでから私のほうへ向き直った。
「そうだ。言い忘れてたけど、何かあったら私のメダルを握りしめながら祈ってみて!もしかしたら何か起こるかも!」
「随分ふわふわとしてるね。」
「……実はね、私も人間にメダルを渡したのは初めてだからよくわかってないの!」
「なんじゃそりゃ。」
「ごめん!」
そういって彼女は私にメダルを握らすと、また戯けて見せた。それだけで強く言えなくなる私の性根がなんとも嘆かわしい。
「お菓子おいしかったよ!それじゃまた今度ねー!」
「え、ちょっと。君、本当に帰るのか!?まだ聞きたいことは……」
などと、私がおたおた言っているのも全く聞かずにふぶき姫は何処かへ消える。
そしてここには私とゴミばかりが遺された。
〇〇
いまいち実感が湧かず世界から二センチくらい浮遊しているような感覚を覚えた私は、とりあえず掌を覗き込んでみた。そこにはやはりメダルがある。チープな作りとまでは言わないが、さほど高級感がある訳でもない。やはりゲーセンのメダルというのが適当に思える。
漸く脳みその再起動が終わった私は、先ず二人分のゴミをゴミ箱に捨ててから神社にお賽銭を入れて、それから下山を始めた。
魅入られたという奴だろうか。
道中頭に浮かぶのはやはりふぶき姫の事である。
日本昔ばなしにおいて人外に興味を持たれた輩の末路というのは大概が禄でもない。ごく一部の強い人たちを除いて、大抵は魂を取られて終わる。彼女はそういう物騒なものには見えなかったけれど、その真意がどこにあるのかは分かったものじゃない。
果たして、どう付き合ったものか。
なーんて悩んだところで実際には意味なんかないのかもしれない。圧倒的という以上の力の差があるだけに、主導権を握っているのはあちら側だ。であれば私にできることなど彼女がいうところの『また今度』が百年後であることを切に願うくらいか。なんにせよ、会わなければ悩むこともない。
「……まあ、それはともかく、美人ではあったなぁ。」
掌には、未だ彼女の冷たさがじんわりと残っている。