植物の研究は楽しい。彼にとって植物は鑑賞するでも育てるでもなく話し相手だからだ。

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植物学者

ひとしきり書いてみてわかったのは、これだけでは論文が成立しないことだ。

まず教授に電話してみる。

「山本教授。これだけ考えてもわからないなら、もうやってみるしかないです」

「急に電話してきて何かと思ったら。それは一回研究計画を立ててからって言っただろう? なんで君はそうやって結論を急ぐんだ」

「だってですね、教授の言った通りに花に話しかけても何にもならないですよ。思い出したんですけど僕は花には興味もないですし」

「植物心理学を選んだのは君じゃないか」

「それはこの研究領域がお金になると思ってたからですよ。みてくださいよニュースを。そのうち補助金も打ち切られますよ」

「君は研究者の風上にも置けないやつだね。本当にそう思ってたとは」

「植物心理学の権威が詐欺師として捕まったらそれはね。研究分野が根底から無意味な詐術だと分かったわけですから。僕はもうこれで失礼します」

 

電話を切った僕は早速、リーサルマネジメント社のイリイチ氏へ電話を掛ける。

「イリイチさん。僕が研究を選ぶかビジネスを選ぶか。そう言っていましたね? 今決めましたよ。イリイチさんの船に乗せてください! 心が決まりましたよ」

「残念だがイチカワ君。君の席はもうない」

「え、なぜ、待っててくれると言ってましたよね?」

「席はいつも狙っている人がいるものだ。それが未来へ向かうノアの箱舟ならなおさらね」

「自分の会社を箱舟扱いできるイリイチさんについていきたいって決めたんですよ!」

「とある優秀な学生が応募してきてね。彼を会社へ迎えることにしたよ。彼は若くして生体AIの権威でーー」

「ぼくほど優秀な人材は地球中探してもそうそういないですよ! 生体AIだか生成AIだか知らないですけど、僕の開発した植物言語の翻訳技術に比べれば」

「植物心理学だったか? ものすごいスキャンダルみたいじゃないか。君とは手を切らせてもらうよ」

「そんな。待ってください!」

電話の切れた音が聞こえる。

僕は間髪入れずに彼女へ電話してみる。

「聞いてくれよ、いま大変なことに」

「こっちもあんたがよこしたサボテンでアパートの部屋が大変なことになってるんだけど?」

「え? いったいなにがーー」

「話のできるサボテンって聞いてたけど、あんなに癖のあるやつだとは聞いてなかったよ! 部屋に来たお母さんが洗脳されて、いまじゃあたしの部屋がサボテンの教祖を奉るカルトの集会所みたくーー」

僕は電話を切って一回息を整えようと思った。

図書館を出て大学の中庭へ向かう。

そこでは分厚い本を芝生でのんびり読んでいる田島が居る。

「やあ、隣いいかい……」

「おや珍しい。研究が大詰めじゃなかったのかい?」

「はは、あれはおしまいだよ。とんでもない思い違いが判明してね。さっき指導教官にも辞意を伝えてきたところさ」

「じゃあ、実業の世界に進むんだね。イリイチさんは元気?」

「いやあ、それが断られてしまってね。どうやらイリイチさんでも僕の頭脳は持て余すらしい」

「じゃあ、君は今自由なんだね。いいことだ。幸子さんとどこか遊びに行ったらどう? 愉快なサボテンくんも連れてさ」

「それが今幸子も大変な状況でね……。まあ、サボテンは元気だよ。元気すぎるくらいだが……」

「どうやら疲れてるみたいだ。まあ、いまはゆっくり座って落ち着きなよ。君は最近忙しすぎた」

「そうかもしれない……」

ぼーっと中庭の芝生に座っていると、丘のようになった中庭の上から、キャンパスを歩いていく学生が見える。

誰もが日差しを眩しそうに顔をしかめながら足早に通り過ぎていく。

「ほら」

田島が暖かいコーヒーを持ってきてくれる。

「微糖か。悪いけど砂糖は今控えていて」

「いいから。飲んで落ち着きなよ」

「血糖は思考を鈍らせる」

「そのほうがいいとおもうよ。今の君には」

「……うーん」

田島が隣で缶コーヒーをゆっくりと飲み、息を吐いて「うん、うまい」とつぶやく。彼もどこか遠くを見て落ち着いた様子だ。

僕もならってコーヒーを流し込む。

暖かい感触が喉から胃にかけて広がり、口の中には缶コーヒーに特有の甘ったるさが残る。

身体が冷えていたようだ。そして久しぶりに甘さを感じた。

最近はすぐに食べられる、味のしない粉末の栄養剤ばかり飲んでいたから、純粋な甘みが広がるとそれだけでざわめいていた思考が落ち着いてくる。

ぼんやりとしたまま陽光の暖かさを首筋に感じていた。

「さて、僕はもう行くよ。この本を返さなきゃいけない」

雑誌のような大きさに、辞書のような分厚さのある革製のずいぶん古い本だ。

ずっしりとしたそれを抱えて田島は中庭をあとにした。

田島は古代中世文献学の権威のもとで研究を進めている。

何百年も前に書かれた文献の原書を中庭に持ち出しても何も言われないのは田島くらいだろう。

 

バスを乗り継ぎ、大学から彼女の家へ向かう。

幸子の住むアパートのまわりには、何台もの車が駐車スペースもはみ出してとまっている。

部屋に向かうとドアの外まで人が集まっている。

分け入って中に入ると、幸子がティーカップ片手にリビングの手前で壁にもたれかかり奥の様子を眺めている。

「あ、来た。電話切らないでよ責任者」

入ってきた僕に気づいた幸子がにらんでくる。

「責任者? だれが?」

「あんたでしょいんちき植物学者」

「いんちきだったらこうはなってないだろう」

「私はバイト帰りに愚痴を聞いてくれるサボテンが欲しかっただけなのに」

「結果は上々。植物が意識を持ちうることを証明したな」

「はあ、どうすんのこれ。私寝泊まりできないんですけど?」

サボテンの教説を幸子の母親を中心にした信者たちがありがたそうに聞いている。ときどき拍手が起きる始末で、そのたび幸子は天を仰いで後頭部を部屋の壁にごちん、とぶつける。

「うちに来ればいい。広いの知ってるだろ?」

「一馬の家、変な植物がもっといるでしょ。気が進まない」

「それなんだけどさ、植物はみんな譲ることにしたよ」

「ええ? あんなに大事に育ててたのに?」

「ああ、もういいんだ。僕より必要としている人がいるみたいだし」

「じゃあ、そうしよっかな。ほんとに、蔦でからんでくるやつとか、やたら音痴な歌を歌ううつぼとか、そういうのも、もう居ない?」

「まあ、今日明日にはね。ちょっと送り届けるのに手間がかかるけど、先方の事情を考えればすぐにでも取りにくるだろう……」

「じゃあ、今日はホテルでも泊まろうかな……。実家も似たような状態だし」

 

サボテンの処遇は後で考えることにする。幸子の母親がアパートの契約名義人だったので、追い出された形の幸子と僕は都内のホテルに泊まって、僕の家の植物が運び出されるまでしばし贅沢をすることにした。

「すごい夜景だね。本当にお金あったんだ」

「さっき振り込まれたんだよ。予定はもっと先だったんだけど、植物の引き取り手が思いのほか早く見つかったから」

「でもいいの? せっかく10歳のころから研究してきたのに」

「君はサボテンに恨みがあると思ってたけど」

「それは迷惑してるけどさ。君んち住めるならまあいいかって」

「サボテンは君のお母さんとその仲間たちに任せるとして。研究は理論が行き詰ったから別の人に任せることにしたんだ。最近スキャンダルに巻き込まれてるみたいだけど」

「アダムズ先生のこと?」

「そうそう。理論研究は僕にはこれ以上むりだから、実物を送り届けて研究のその先は彼に任せるよ。アダムズさんの提唱してる理論に穴はないんだけど、彼が肝いりで開発した頭脳植物は、作り方が理論を台無しにする方法に頼ってるから。ペテン師呼ばわりされてる彼を救えるのはうちにいる植物たちだけだよ」

「せっかくの生放送で一言もしゃべらずに枯れちゃったもんね。かわいそうに」

「まあ、というわけで、僕の家の植物は全部アダムズ教授の研究室に寄贈される。その報酬でしばらく楽しく過ごせるよ」

「やったね」

 

夜景とはいってもしばらく見てると飽きる、と言って幸子はさっさと寝てしまった。

ホテルの夕食は豪華だったので、彼女は食べ過ぎたのだ。

僕は生粋のベジタリアンなので、どこか空腹感を感じながら今日最後の電話をかける。

 

「もしもし」

「ああ、アダムズさん? 今そっちは何時?」

「心配ない。しばらく寝れてないし電話はひっきりなしだ。君からの電話を待たなきゃいけないから電源も切れないしね」

「これは失礼。遅くなりましたけど、ぼくの手ずから育てた植物たちは明日晴れてアダムズさんが手配した部下のみなさんが運び出すことになりましたよ」

「……やれやれ、これで安心だ。まったく君が居なかったら私は世紀のペテン師として歴史に名を刻むところだった」

「大丈夫、世間はすぐ忘れますよ。お金ありがとうございました」

「いいのか? うちの研究室のポストは空けてあるが」

「いいんです。しばらく彼女と旅行でもします。ところで」

「なにかな」

「しゃべるサボテンの教祖って興味あります?」

「しゃべる植物に興味がある。教祖? なんにしても君の育てた植物ならすべてあずかりたいものだ」

「如何せん、信者がもれなくついてきますが」

「かまわない。教団をサンプルとして発表してもいい」

「なるほど。ではその件もまた連絡しますね」

 

アダムズ教授のもとで幸子の母はサボテンの教祖とともに全米デビューした。

人類史上初めて、人間でない教祖が誕生した。

アダムズ教授は世界でひっぱりだこになり、僕の研究した植物たちもアダムズ教授の理論を実証する成果として華々しく紹介されている。

ペテン師の汚名をそそいだ教授からは、新しい入金があった。

そろそろ断るか、ちゃんとした契約を結んだほうがいいかもしれない。

幸子と僕の次の目的地は南米アマゾンの奥地に潜むと噂される、人食い花の実在を確かめることだ。

サボテンの書いたコラムが僕らを励ます。

「若き研究者夫妻が、植物研究の歴史にまた新たな一頁を刻もうとしている。植物代表として、彼らの発見を期待して待ちたい。そして無事を祈る」

 

「サボテンに無事を祈られる気持ちを100字以内で述べよ」

「なにかの隠喩なら詩的だね。でも本当にそうなんだから変わったよ世界も」

「あたしこいつのせいでアパート追い出されたんだけど」

「まあいいじゃない。ほら、来たよあれが肉食のラフレシアだってーー」

 

「植物研究家のお二人、助けてください!」

 

彼女の悩みは保護した幼児の食べ物がないこと。

優しい花の相談に乗れるのは僕たちくらいしかいない。

サボテンは欠伸をしてまたペンを握る。


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