女子高生連続刺殺事件の犯人が逮捕されてから、一週間が過ぎた。
各メディアは犯人が被害者たちと同じ高校に通う女子高生だったことに驚きを隠せていない様子で、いろいろと推論立てて小難しいことを言っている。
零子さんから聞かされたことなのだが、その犯人は僕の知り合いだったらしい。
「御槻君!」
「……神戸警部」
休校開けの放課後、ぼんやりと歩いていると、しばらく前から知り合いの神戸警部に声をかけられた。どうやら今日は徒歩らしく、車と大河内巡査の姿が見えなかった。
横に並ばれると、体格の差に男として少しばかり劣等感を覚える。どうせ部屋には何もないことだし、軽いダンベルでも買ってみようかなんて、柄にもなく思ってしまうくらいの劣等感だ。つまり、大したことはない。
「真澄彩は、まあ、まだまだ問題は山積みだが落ち着きつつある。こちらが聞くことにはしっかり答えているし、自棄になっていたりもしない。君はどうだ。心の整理はついたか?」
「と、言われましても」
僕にとっての『真澄彩』という少女の名前は、今回の事件の犯人の名前というくらいの価値しかない。ただ、僕の知り合いだったらしいので、こうやって彼女がどうしているか、なんてことを教えてくれるのだろうか。よくわからない。
「……そうだったな。あいつもよく使う気になったもんだ」
『錬金術』のことを言っているのだろう。零子さんはあれを使うことに少なからず抵抗を持っていた。そういえば、使いたくない理由はなんとなく香織ちゃんのときに気付くことができたが、零子さんがどうしてそう思うようになってしまったのかなどの理由は聞いたことがない。
神戸警部は何か知っていそうだが、聞いて答えてくれるだろうか。
「あの、神戸警部」
「なんだ」
「零子さんが『錬金術』を使いたがらない理由って、知ってますか?」
「正確に言えば知らん。だが、心当たりならある。知りたいのか?」
「……どうでしょう。よくわかりません」
「本人に聞いてみればいい。俺のことは嫌っているようだが、君のことは気に入っているようだしな。もしかすれば、教えてくれるかもしれない」
神戸警部はそう言って笑った。
本人に直接聞いてみればいい、か。そんなことを話してくれるほど、僕は零子さんに気に入られているのだろうか。わからない。
と、そのとき、神戸警部の懐から携帯の着信音が聞こえた。失礼、と断りを入れてから電話に出て、何かを話したと思ったら不機嫌になりながら電話を切った。
「どうしたんですか? 事件とか?」
「いいや、ただの呼び出しだ。サボってここに来てることがバレたらしい」
「サボってたんですか……」
「そりゃサボりもするさ。御槻君も授業サボったりするだろ?」
「しませんよ。授業料だって馬鹿にできませんし」
「へえー。そりゃ立派だな」
携帯とは別に、懐から少し膨らんだ封筒を取り出し、僕に差し出してきた。
それを受け取ると、「零子に渡してくれ」と言い残して走って帰って行ってしまった。封筒は思った以上に重量がある。また捜査資料とかそういうのだろうか。興味本位で少し覗いてみると、入っていたのは全て万札だった。ざっと五十万はあるだろうか。
慌てて封筒を鞄の中にしまい込み、周りに誰もいないかを確認する。あまりの値段にいつのまにか挙動不審になってしまっている。そこからは、人とすれ違うたびにビクついてしまい、正直、生きた心地がしなかった。
マンションに帰ってからは自分の部屋ではなく、直接零子さんの部屋へ行った。こんな大金、あまり長く持っていたくない。ドアをノックして、零子さんを呼んだ。
「はい、起きてる起きてる」
「寝てたんですね」
ドアが開くと、ボサボサの髪の零子さんが眠たそうに立っていた。
玄関先で渡すようなものではないし、とにかく、まずは部屋に入れてもらうことにした。リビングに入ると真っ先に目に入ったのは、今朝方はなかった酒盛りの後。じとり、と零子さんをにらみつけると、彼女は目を逸らしながら口笛を吹くといういかにもな動作を取った。
「太りますよ」
「何言ってんの。ビール自体は太りにくいのよ。知らないの~?」
「知りませんよ。でも、それと一緒にこれだけおつまみ食べてたらどっちにしろ太りますよ」
「うぐぅ。シンちゃんのいけず~」
「それから、はい。神戸警部から預かってきました」
「うん? ああ、これね。ごっちゃんです」
「オヤジくさいですよ」
「うっさい馬鹿」
チラ、と封筒の中身を確認して、零子さんは小躍りを始めた。神戸警部のことは嫌っているみたいなのだが、神戸警部が払った報酬に関してはその限りではないらしい。
「ね、シンちゃん。今日はお寿司食べにいきましょーよ。回らないヤツ!」
「ええ? 回るヤツでいいですよ」
「えー。いいじゃなーい。たまには豪勢に食べにいこーよー」
「……それじゃあ、香織ちゃんも呼んであげましょうよ。そうしたら僕も行きますから」
「お。優しいねー、お兄ちゃんだねー」
ではさっそく、と零子さんは御堂先生のところへ電話をかけていた。
今香織ちゃんは、親権を剥奪された母親から離れ、児童養護施設で過ごしている。概ね健康に過ごしているらしいが、零子さんの『錬金術』を受けたからか、なぜ自分は母親と離れて暮らしているのかを疑問に思うことが多いらしい。
そう考えると、僕の零子さんをもっとよく知りたいと思うのは、補完行動か何かなのだろうか。開いた穴を、零子さんという存在で埋めようとしているのだろうか。
もしそうなのだとすれば、僕には、零子さんのことを知る権利など、ないのではないか。
「大丈夫だってさ。迎えに行ってあげないとね」
「そうですね」
「なぁに~? いきなりテンション下がってるじゃない」
「……すいません」
「……あのさ、悪いとは思ってたんだけど、いいかな?」
「? はい、なんですか」
「シンちゃんの、お父さんのこと」
「――――」
顔も見たことのない、僕の父親のこと。まさか、零子さんはずっと調べていたのか。
興味がないといえば嘘になる。嘘にはなるが、正直、父親なんてもうほとんど他人だ。知っていても知らなくても、今の僕には何の損益もない。
「シンちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんからいろいろ聞いてさ、どこにいるかまではまだもう少し調べないとダメだけど、どんな人だったかは教えてあげられるよ?」
「……ずるくないですか?」
「へっ?」
「零子さんばっかり僕のことを知っていて」
「だから悪いとは思ったって言ってるじゃない」
「僕も、もっと零子さんのこと知りたいです」
「……そう。知りたいんだ。まさか神戸になんか吹き込まれたんじゃないでしょうね?」
「そのまさかです」
「はぁ……、ホントあいつどうにかしないとダメね」
零子さんはため息をひとつ吐いて、テーブルの上に残してあった缶ビールを一気に煽った。どうやら、もっとアルコールを入れないとしゃべることに抵抗があるらしい。
「とりあえず、シンちゃんのお父さんのことから言わせてもらうと、シンちゃんは非嫡出児。だから、『御槻』はお母さんの姓だし、直接的な親権もお母さんにしかなかったの」
「……つまり、母さんは結婚してなかったんですか?」
「もっと正確に言えば、婚姻届が受理されなかった、ね」
「は?」
「シンちゃんのお母さんの名前は、御槻
「……」
言葉がない。何と言えばいいのかさえ、よくわからない。
まさか、というかおそらくそれで、祖父母があんなに僕のことを嫌っていたのだろう。
だけど正直、「だからどうした」という気持ちだ。それは僕の顔にも出ていたのだろう、零子さんはクスクスと笑っていた。
「お父さんを見つけたら会ってみたい?」
「見つかれば、ですけど」
「見つけるわよ。私は名探偵だもの」
「――それで、その自称名探偵さんのことを、助手の僕には教えてくれないんですか?」
「ああ……、まあ、そうね」
やはり、あまり言いたくないことなのか零子さんの歯切れが悪い。
いつもは軽い調子で話すことの多い零子さんも、重い調子にならなければいけないほどに、しゃべりたくないことなのかもしれない。「無理はしなくていいです」という一言くらい、僕は言えたのだろうが、それよりも彼女のことが知りたいという欲が勝っていた。
僕のこれは、もしかしたらただの補完行動なのかもしれない。そういう後ろめたさはある。僕自身が本当に知りたいと思っていることではなくて、僕の中にあったどこかの誰かの分を、零子さんで埋めてしまおうとしているだけなのかもしれない。
零子さんを、誰かの代わりとして使おうとしているのかもしれない。
「女の子がいたの。名前は、
僕がそんなことを考えているうちに、零子さんは冷蔵庫の中のビールを取り出し、飲み始めていた。だけど、それを注意する気にはならなかった。それ以上に、零子さんが口走った名前の方に意識が向いてしまっていた。
「あの、もしかして……」
「赤司零子っていうのは偽名よ。私の名前は黒塚有理。ごめんね、黙ってて」
偽名。
ただ、零子さんは「女の子がいた」と言った。彼女は、偽名を名乗ることで自分自身を殺したと言いたいのかもしれない。ここにいるのは黒塚有理ではなく、赤司零子なのだと自分に言い聞かせるための、手段なのかもしれない。そう自分に言い聞かせなければ、話すことすらつらく苦しいのかもしれない。
僕は、零子さんにそういうことを聞いているのだと、改めて覚悟した。
もう、後ろめたいとかそういうのはとっくに通りすぎてしまっているのかもしれない。
「有理は両親にとっても可愛がってもらっていた子なの。でも、彼女は不思議な力を持っていたのよ。あるとき、有理はそれを両親に向けて、無意識のうちに使ってしまった。結果、両親は、二度と有理のことを自分たちの娘だと思い出せなくなってしまった。それどころか、自分たちには娘がいたはずだって、半ば狂ったように騒ぎだして、最終的には精神病院に叩き込まれたの。有理は初め、両親がなんでそんなことになったのか、全く解らなかった。けれど、成長していくにつれて、自分の友達や世話になっていた家族にも同じような症状が現れ始めた。そのことに、有理よりも先に周りが気付き始めて、彼女はどんどん孤立していった。完璧な無視だったわ。そのうち、有理は遅ればせながら気付くの。ああ、全部自分のせいだったんだなって」
そう言い終わると、手に持っていた缶ビールを一気に飲み干し、冷蔵庫から二本目を取りだした。それも同じように一口飲んでから、僕を見て続けた。
「有理はどれほどのことをしてしまったのか、解っちゃったのよ。人様の人生を丸々ぶっ壊しちゃったわけだからね。自殺も考えた。でも、さすがにそれは怖かったからやめた。笑っちゃうでしょ。人のことさんざん廃人にしといて、いざ自分が死ぬってときは怖い、だって。ホント、笑っちゃうでしょ?」
その言葉にうなずけるはずもない。それは零子さんも解っていたのだろう。黙ってしまった僕を見てからまた缶ビールを飲み干した。そのまま冷蔵庫から三本目を取り出し、それ以上は飲むつもりがないのか、テーブルの傍に腰を下ろした。
「それで、どうしたと思う? もちろん、有理は自分を嫌いになったわよ。何度も何度も、死のうと思った。電車を見れば轢かれてしまえと思ったし、車を見れば撥ねられてしまえと思った。水なんか見てたら溺死したいと思ったし、火を見たら飛びこみたくなった。でもね、何にもできなかった。だって怖いもん。痛いかもしれないと思ったら足はすくむし、苦しいかもしれないと思ったら身体は固まる。落ち着いてから自分のことを見返して、また自分が嫌いになる。堂々巡りのいたちごっこよ」
三本目の缶ビールを、零子さんは飲まずにテーブルに置いた。どうしたんだろうと彼女の表情を窺って、息をのんだ。今にも泣き崩れそうなほど、零子さんの顔は歪んでいた。今までで一度も見たことのない、零子さんの弱気だった。
「それから有理はどうしたと思う? どうやったらこの罪悪感から逃げられると考えたと思う? ホントひどいわよ。笑っちゃうくらいひどいんだから。……あのね、彼女は、こう考えたの。人を人でなくしたことを気にしなくなるくらいの悪意で、べっとりと自分を塗り固めちゃえばいいって思ったのよ。上書きしちゃえって思ったの。人を人でなくすことに比べたら、カツアゲもイジメも、万引きもリンチも、強盗も放火も、麻薬売買だって楽なもんだったわ。でも有理は怖がりだったのよ。一人じゃできない。だから、たくさん人を巻き込んだ。いつしかゴシップ雑誌には『少年犯罪集団』なんて書かれるようになって、テレビでも報道されて、その集団の一部のヤツらが調子に乗って、殺人までしでかし始めた。有理は怖がりだったのよ。それはやり過ぎだと忠告したら、そいつらにレイプされかけた。そのとき女の子は生まれて初めて、自分の意思で不思議な力を使ったわ。そうしたらそいつはぴくりとも動かなくなって、息とまばたき以外に何もできなくなっちゃったの。記憶を全部吹き飛ばしちゃったのよ。廃人なんてもんじゃないわ。命を奪ってないだけで、それは殺人も同然だった」
ね、笑っちゃうでしょ? と。後半は泣き声も混じり始め、しゃべり終わり、笑いもしない僕を見て、零子さんはいよいよ大きな声で泣き始めてしまった。泣くなんてもんじゃないかもしれない。ずっと溜めこんでいた何かが零子さんを壊してしまったとしか思えないほど、彼女は乱れていた。
見ていて辛いほどに、零子さんは泣き喚いていた。
「…………」
そんな零子さんに、僕がかける言葉なんて一切ない。
ただそれでも、言葉をかけてあげられることはできなくても、できることはある。
零子さんの傍に行って、ぎゅっと彼女のことを抱きしめた。それで泣きやむくらいの苦しさではないことくらい、彼女を見ていれば僕にだって感じられる。八つ当たりのように、零子さんに殴られた。陸生君からもこれほど強く殴られたことがないと思うほど強烈な拳だった。何度も何度も、零子さんに殴られた。それでも僕は、抱きしめることをやめなかった。僕を引き剥がそうともがく彼女に髪を一握り引き千切られ、背中に爪を立てられ血が流れた。
それでも僕は、絶対に零子さんのことを離さなかった。
やがて出た僕の言葉は、たったの一言。
「もう、怖くないですよ」
「――――ッ、うあっ、あああああああああああああああああああああああ!!」
もう殴られることはなく、零子さんはこの後、たっぷりと二時間近く泣き続けた。
§
「病院に行ったら、また怪我を増やしてって怒られそうなんですが」
「……ごめん」
「別に、気にしてませんよ」
「お兄ちゃん大丈夫?」
「うん、もう全然痛くないから」
胴体を覆うように湿布をべたべたと貼り付け、爪を立てられた背中には傷薬を塗ってから大きめの絆創膏を貼る。顔面にも何発か拳が飛んできており、顔の半分も湿布で覆われてしまった。口の中もそれなりに切れていたのか、血の味がまだ残っている。そのうえ、髪の毛まで千切られたもんだから、そこを隠すために帽子も被る。
湿布臭く、どうにも怪しい男がそこに出来上がっていた。
電車に乗れば湿布の臭いにチラチラと視線を向けられ、香織ちゃんを迎えに行けば、彼女にかなり心配されてしまうハメになった。今もこうして心配され続けている。
さらに、こんな湿布臭いまま寿司屋になど行けるはずもなく、結局、全国チェーンのファミリーレストランに入ることになった。そこでもやはり湿布の臭いはキツいらしく、他のお客から視線を向けられてしまう。
ただ、まあ。
こういう怪我なら、全然いいかな、なんて思うところもあるわけで。
「香織ちゃん、何食べる? 何でも食べていいよ。今日は零子さんの奢りだから」
「今日もなんだけど……」
「えっとねー、じゃあねー、ハンバーグ!」
「へえ。じゃあ、僕もそれにしようかな。零子さんは?」
「……私もハンバーグ食べる」
この人めちゃくちゃ拗ねてる。
店員呼び出しのボタンを香織ちゃんが押し、店員の一人がすぐにやってきた。
「ハンバーグのライスセットを三つと、香織ちゃん、ドリンクバーいる?」
「いるー」
「零子さんは?」
「飲む」
「じゃあ、それも三つで」
注文を繰り返し、店員は戻って行った。
香織ちゃんと零子さんに先にドリンクバーを取りに行ってもらっている間に、今日のことを思い返していた。僕は、もしかしたら零子さんを、誰かの代わりとして使おうとしているだけなのかもしれない、と思ったことについてだ。
確かにそれは後ろめたくもあるけど、僕は知れて良かったと思う。
言い方は悪いが、たったそれだけのことなんて、零子さんがしてきたことの前に出せば子供の遊びもいいところなのだ。イチイチ気にすることなんかじゃない。というか、気にしていたら、これからの彼女と付き合っていられなくなる。
埋め合わせでもいいじゃないか。後ろめたくてもいいじゃないか。
そういう感情を抱きながら、僕は零子さんと付き合っていく。
何もかもが些細なことなのだ。僕の隣に零子さんがいて、零子さんの隣に僕がいる。
たったそれだけ。でも、それ以上なんて思いつかない。
運ばれてきたハンバーグのライスセットを、僕と零子さんと香織ちゃんは揃って食べ始めた。湿布のせいで開きにくい口の中にハンバーグを放りこむと、切れていたらしい口の中が痛くてしょうがなかった。思わず、うっ、と唸ってしまう。
「食べると痛いですね」
「ごめんって言ってるじゃん」
「いえ、別に。殴られることにも、痛いことにも、慣れてますから」
「変態っぽいこと言わないでくれない? せっかくのハンバーグがおいしくなくなるわ」
「すいません」
でも僕は、こういう痛みなら、全然いいかな、とも思うのだ。