夜の静寂を守るため、一人の少女が街を歩く。
そんな夜に出会ったのは、遠く離れた学園の風紀委員長。
彼女はただ、不良を捕らえに来ただけなのか。
それとも──。
「あなたの強さの秘密を知りたい。」
交わされる言葉の奥に、隠された想いがある。
互いに背負うものを抱えながら、それでも日々を歩く二人。
月明かりの下、静かに語られるのは「強さ」と「支え」にまつわる物語。
太陽が完全に沈みきった夜。小鳥遊ホシノは日課のパトロールをしていた。
ここはアビドス自治区。街の大半が砂漠化した、死にかけの街である。
かつてはキヴォトスの中でも長い歴史と数多の生徒を誇る、巨大な学園であった。しかし、そんな繁栄は数十年前から頻発するようになった砂嵐によって、変わってしまった。
シンボルであったオアシスは枯れ、自治領の多くが砂に埋もれた。当時の生徒会は多額の資金を借り入れ対策に乗り出したが、借金だけが膨らみ状況が好転することはなかった。
街の住人は遠の昔に別の場所に移り住み、土地の多くは権利を一企業に奪われている。正に風前の灯火だ。
そんな街にまともな自治組織を維持する資金などなく、小鳥遊ホシノという個人がその代わりを担っていた。
夜に一人で街の治安を守り、昼寝をして後輩に怒られる。そんな昼行燈を装う立場を、彼女は気に入っていた。
「⁉小鳥遊ホシノだ!逃げるぞ!」
見るからに『不良です』と言わんばかりの恰好をした奴らが、ホシノを見て逃げる。
百五十センチに満たない小柄な体躯、あどけない表情、ピコピコ揺れるピンクのアホ毛を見て、油断する人間はこのアビドスにいない。
もともと、まともな管理がされていないアビドス自治区は、後ろ暗い者の巣窟となっていた。それをホシノが一掃し、未だ抑止力として機能している。
アビドスで悪事を働く者にとって、小鳥遊ホシノは恐怖の象徴である。
個人の活動実績としては異常と言う他ないが、ホシノはそれを自分の役割だと信じて疑っていない。
後輩が安心して床に就き、平和な日常を享受できるなら、この程度は何ということない。ホシノは本気でそう思っている。
圧倒的な強さを持つ少女の本質は、後輩想いの先輩である。
「シロコちゃんは順調に強くなってるし、おじさんの引退も近いかな?」
一学年下の後輩、砂狼シロコ。彼女はキヴォトス最強の一角と評される、ホシノが認める逸材である。
性格に多少の難はあれど、戦闘力は現状既にホシノといい勝負を繰り広げるほど。ホシノの戦績に黒星がつく日もそう遠くない。
少なくとも、ホシノはそう思っている。
「セリカちゃんもアヤネちゃんも立派になってきてる。ノノミちゃんは心配なんていらない。頼れる後輩がいて、おじさんも安心だよ。」
後輩に想いを馳せながら、『おじさん』を自称する十七歳の少女は楽し気に歩いていた。
ふと、遠くで銃声が聞こえた。
ホシノが街のパトロールを始めてから、犯罪者は大きく減少した。それはホシノの大きな功績である。
しかし、不逞の輩が消えることはない。未だ少なくない頻度で銃撃戦が行われる。
「行くか。」
目を鋭くして、音のする方へ駆け出した。その瞳からは『暁のホルス』と呼ばれた眼光の鋭さが感じられる。
「十人くらいかな?全員連射性の低い、同じ型の銃を所持。」
走りながら銃声を聞き、戦況を大まかに予測する。長いこと自治区を守ってきた経験の賜物である。
「人数が急激に減っている⁉相手はめちゃくちゃ強い⁉」
走りながら気づいた。銃声がどんどん減っていることに。
ホシノが数メートル進む間に、一人分の銃声が消える。
音から考えて相手は一人なのに、大人数を圧倒しているのだ。最早蹂躙と言ってもいい。
それを見もせずに理解できるホシノ自身も相当の手練れなのだが。
「お前たち何をしている!」
銃撃戦の音は止んでいるから、相手をするとすれば十人を軽く倒した一人のみ。恐らく、十人の雑魚を相手にするよりも遥かに厳しい戦いになる。
戦闘にならないことを祈りながら、戦闘の舞台に出る。相手を警戒させないよう、銃は構えず、かといってすぐに銃撃に移れるように意識しながら。
「小鳥遊ホシノ、こんな時間に来るのね。」
そこに立っていたのはホシノに負けず小柄な少女であった。白いモフモフとした長い髪。ゲヘナ生徒の特長である悪魔のような角と羽。特徴的な風紀委員の制服。
ホシノと並び称される、キヴォトス最強の一角の一人。ゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナである。
「委員長ちゃん、どうしてここに?」
ホシノは以前、ヒナと出会ったことがある。特別仲良くなったわけではないが、同じ先生を慕うものとして少し思うところがある。
しかし、こんなところで出会うとは完全に想定外であった。
ゲヘナ風紀委員会はあくまでゲヘナの治安を守る組織。その長が、遠く離れたアビドス自治区に、こんな夜遅く来ている。
ホシノにとっては疑問しかない。可能ならば敵対したくないが、目的によっては交戦も辞さないつもりである。
「少し不良生徒の捕縛に来ただけよ。
ヒナは何でもないかのように自信がここにいる理由を述べる。ただの日常業務だと。
「いや、委員長ちゃんが単身で乗り込んできちゃダメでしょ。自治領の外と言っても、ゲヘナの風紀委員長がいたら威圧になっちゃうよ。」
ホシノは呆れながらヒナを非難する。ここはアビドス高等学校の自治ができていない土地である。
アビドス高等学校が所持していた土地は、既に権利をカイザーPMCに奪われている。状況は少しずつ最悪を抜け出しているが、奪われた土地はまだ戻っていない。
だから、ホシノは自治権を行使できない。しかし、ゲヘナの風紀委員の最強戦力が、アポなしで出張って良いわけではない。
彼女の存在そのものが畏怖となる。それは他校の生徒にとって強烈だ。戦争行為に発展しかねない。
実際、ホシノは彼女の人となりを知らなければ、銃撃戦を始めていたかもしれない。
「……悪かったわ。最近忙しくしていたから、委員会の皆に楽して欲しかったの。この程度の人数なら、夜に私一人で動いて誰にも気づかれずに鎮圧できる。そう思ってしまったのよ。」
「委員長ちゃん……。」
「結果、あなたに見つかって、むしろゲヘナを危険に晒してしまった。自分でもどうかしていたわ。」
ヒナの吐露を聞いてホシノは心から同情した。あまりのゲヘナ風紀委員のブラックさに。
彼女は委員会の皆に楽して欲しかった。そして一人で動いて、このようなミスを犯した。
確かに、組織の長がしていい行為ではない。しかし、ホシノは責める気になれなかった。
「しょうがないね。今日のことは見逃してあげるよ。これに懲りたら、ちゃんと寝て、頭をすっきりさせるんだよ。」
ホシノはこの夜の中でも見逃さなかった。ヒナの目の下のクマを。
思考力が足りない原因は寝不足である。当たり前のように三時間睡眠で働いているヒナは、常時不健康な状態なのである。
それが今回の事件の一因でもある。
「……善処するわ。」
そこでちゃんと寝ると言わないあたり、ヒナの事情が察せられる。でも、ホシノはそれ以上言わなかった。
彼女はホシノの後輩ではない。後輩ならば多少強引にでも言うことを聞かせるけど、ヒナは他校の生徒。そこまでするのは踏み込み過ぎだ。
しかし、このまま放置するのも良くないと思える。ホシノは少し考えて、ヒナに提案を持ちかけた。
「委員長ちゃん、おじさんの家でお茶でも飲まない?」
♦♦♦
ホシノは自分の家にヒナを招き入れる。部屋の明かりをつけて、ヒナの顔を見る。
「自分で言っておいてなんだけど、よく了承したよね。大丈夫?罠とかあるかもしれないよ?」
ホシノはわざとらしく問いかける。ヒナはゲヘナの重要人物だ。
命を狙う――とまで言わなくても、負傷してしばらく行動不能になることを望む人間は少なくない。あまりに無防備ではないかと忠告する。
「あなたがやるとしたら、さっき不意打ちしているでしょ。わざわざ銃撃戦の困難な室内に招き入れるなんてあり得ないわ。」
ヒナは論理的にホシノの言葉を否定する。寝不足とは思えない頭の回転である。
「それに、あなたがそんな卑怯なことをすると思えない。あなたがやるなら正面から堂々と戦いを仕掛ける。連邦生徒会にそうしたように。」
「あはは……。」
ホシノは苦笑いするしかできなかった。そこまで高潔な信念があるわけではないが、卑怯なことはしないと思われて、悪い気はしない。
少し荒っぽい性格だと思われているけれど、過去の所業を考えたらホシノは納得するしかない。
可愛い後輩が選んだ紅茶を二人分淹れて、テーブルの対面に座るヒナと自分の手元にカップを一つずつ置く。
「委員長ちゃんと二人で話ができる機会が来るなんて思わなかったよ。」
ホシノは心からの言葉を述べる。
マンモス校の自治組織の代表と、吹けば飛ぶような学校の一生徒。それがホシノの認識である。
先生を含む事情に精通した人間が聞いたら、文句を言うであろう。アビドス高等学校の立場はともかく、ホシノの強さはそれを覆すほどだ。
「私はあなたと一度話してみたいと思っていた。あなたには聞きたいことがある。」
ヒナは紅茶を啜りながら、ホシノと真逆に近いことを言う。
「うへ~。こんなおじさんに何を聞きたいって言うの?」
「あなたの強さの秘密。私はそれを知りたい。」
おどけた調子のホシノの言葉に乗せられず、ヒナは自分のペースを貫く。ヒナの目は真剣だ。
「強さの秘密?それは年の功かな。長い間色々戦ってると、勝手に体力も技術もついてくるよ。」
ホシノは聞く者が聞いたら、怒り狂いそうな発言をする。
ホシノの強さは類稀な戦闘センスと、アビドス自治区という厳しい戦場での経験をもとに育まれている。凡人が努力しても彼女の足元にも及ばないだろう。
それをまるで普通に生活していたら、身につけられると言っているように聞こえる。強さを求める人間からしたら、たまったものではない。
「それならば、同学年の私も同じ強さを得ている筈。そんなわけがない。」
ヒナはホシノの冗談を切って捨てる。ホシノの情報を集めているヒナからしたら、限りなく嘘に近いとすぐ分かる。
「うへ~。委員長ちゃん十分強いじゃん。これ以上強くなってどうするの?」
ホシノはヒナに非難の声を浴びせる。
ヒナは現時点で既にゲヘナ最強だ。キヴォトスでも彼女より強い探すのは困難である。
それが強さを求めているなど、ホシノは理解できない。『不良生徒をもっと早く鎮圧したい』とでも言うのかと疑問に思う
「確かにあなたの戦闘技術にも興味はある。でも一番はそこじゃない。私はあなたの
「心の強さ?」
ホシノはヒナの言葉を聞いて疑問符を浮かべる。ホシノは自信の戦闘技術に一定の信頼を置いているが、心の強さなど意識したことがない。何を期待しているのだろうか?
「これからする話はあなたにとって、きっと不愉快なものになる。嫌だと思ったらいつでも止めて頂戴。」
ヒナはわざわざ前置きをする。自分の言葉がホシノを傷つけるかもしれないと理解しながら。
「わかったよ。嫌なら止めるから、聞かせて。」
ホシノはヒナに続きを促す。多分止めないだろうと考えながら。
「はっきり言って、アビドスの現状は良くない。ほとんどの生徒がこの街を去った。この学校の再建を諦めた。」
ヒナはアビドスの現状を語る。心ない言葉に聞こえるが、むしろ優しいくらいだ。
一応、連邦生徒会から学校として認められているが、かつての栄光あっての話。いつ権利を失効されるかとホシノは冷や冷やしている。
「それでもあなたはこの学校に残っている。一人になった時期もあったのに。」
ホシノは見透かす。ヒナが自分の事情をほとんど知っていることを。
分かっているから、敢えてホシノの大事な先輩、梔子ユメを避けて話していることを。
「……あなたをそこまで強くするものは何?」
ゆっくりと吐き出した言葉はホシノの胸に染みわたった。
「……委員長ちゃん、私は強くなんてないよ。」
ホシノは目を閉じてヒナへの答えを探す。普段はっきり言葉にしていないものを形にする。
「私はね、ユメ先輩との思い出に縋ってただけ。ここしかなかったんだよ。大事に思える場所が。」
過去の自分を思い出しながら、ホシノは自嘲する。
ホシノは長い間、梔子ユメの遺したものを見つめていた。空っぽな心に、砂漠の砂のような無意味なものを詰め込んでいた。
「私が強く見えるとしたら、それはノノミちゃんたちのおかげ。」
「……。」
ホシノの独白をヒナは黙って聞く。これ以上なく真剣な顔で。自分にはないものを求めるように。
「空っぽだった私に、意味を与えてくれた。明日を楽しいものだと思わせてくれた。生きる意味をくれた。だから私は、あの子たちのためなら強くいられる。」
ホシノの言葉はヒナにとって何より強く、何より眩かった。
「委員長ちゃんもそういう人、いない?」
「……いるわね。」
ヒナの頭には沢山の顔が浮かぶ。甲斐甲斐しくヒナの世話を焼こうとする片腕。少し抑えが利かないけど、頼りになる切り込み隊長。ゲヘナの生徒の不満を分かち合うことができるメガネの少女。
他にもヒナを慕ってついてくる風紀委員たち。皆彼女の大事な仲間である。
「だったら、大丈夫だよ。」
「そう……かもしれない。」
ヒナは色々考えていたことが馬鹿らしく思える。こんなに単純なことだったのかと。こんなにも身近なものだったのかと。
ヒナは少し冷めた紅茶を煽った。
「ありがとう、貴重な時間だった。」
「別に大したことはしてないよ。」
玄関口に立つヒナにホシノは軽口を叩く。謙遜でなく、本気で大したことはしていないと思っている。後輩たちに助言することの延長だと。
「そんなことはない。得難い時間だった。」
「うへ~。」
ホシノはヒナの高評価に、いつものやる気のない声を上げる。ヒナもそんなホシノを見て微笑を浮かべる。
「これはお礼よ。少ないけど受け取って頂戴。」
ヒナは半ば押しつけるようにホシノにとあるものを渡す。
「これってクレジットじゃん。しかも、結構な額。」
ホシノは受け取ったものを見て驚く。キヴォトスの共通貨幣であるクレジットを渡されたから。彼女が一か月は飲み食いに困らないほどの額を。
「受け取れないってこんなの。」
「いいえ、受け取って頂戴。あなたの話は私にとって大きな財産になる。お金で返すのは失礼だけど、今はこんな形でしか返せない。」
ヒナは強情だ。ホシノに有無を言わせずにお礼をするつもりである。なんなら、クレジットを渡した上で、なお借りがあると思っている。
「でも……。」
「どうしてもって言うなら、また話を聞かせて頂戴。今度はティータイムにでも。」
ヒナはホシノの態度を見て、攻め方を変える。相手に要らぬ心労を与えぬように、妥協点を選んだ。
「……わかったよ。今度は美味しいお茶菓子でも用意しようか。ノノミちゃんに選ぶの手伝ってもらわないと。」
ホシノはヒナに根負けした。固辞するよりも、これからの関係に投資することを選んだ。
「コーヒーがあると嬉しいわね。」
ヒナは希望を出す。それを聞いてホシノも嬉しそうにする。
最強の二人は稀に交流するようになった。