もしこの人がちょっと違う未来を歩んでいたらこうなっていたかもしれない(願望)という自分の妄想を書きなぐりました。原作第三話を想定しています。

逆境が彼らを強くしたのは分かっています。分かっているんですけれどね……(遠い目)

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誰も不幸になってないルートがあってもいいじゃない

「猫探しの依頼……ですか?」

 

 首を傾げる少年──こと、中島敦の前で、少女が頷いた。

 此処は武装探偵社──怪奇犇めく魔都・ヨコハマで、軍や警察に頼れぬ危険な依頼を専門として扱う探偵集団である。荒事を得意とする職場であるが故に、自然其の依頼は特定の分野に絞られてくるのであるが……

 

「何故武装探偵社へ来た? そういうのは其れ専門が居るだろう」

 

 尤もな質問を、敦の同僚である国木田が問うた。神経質そうな顔に眼鏡をかけた彼は如何にも武装した探偵に相応しいが、眼前の少女を睨めつける様は真っ当とは云えない。普通ならば泣き出していても可笑しくない眼光だ。しかし少女は表情を微動だにせず、懐から二切れの紙を取り出した。一枚は猫の写真、もう一枚は地図の様で、赤い線である場所が囲まれていた。

 

「此処で居なくなったと云うと、誰も請けない」

「……成程な」

「どうしてです? 港、ですよね」

 

 国木田が溜息をつく隣から、敦が地図を覗き込む。一見するとただの港の、コンテナ置き場だ。多少の視界不良こそあれ、住宅街を縫って探すより見つけやすそうなものであるが。

 

「其処は”ポートマフィア”の縄張りなんだよ、敦君」

 

 不意に後ろから声がした。敦と国木田が座る長椅子の後ろから、ひょいと細身の青年が乗り出す。気弱そうな垂れ目の先輩、谷崎潤一郎だ。普段より一層眉尻の下がった彼は、疑問符を大量に浮かべる敦に説明を始めた。

 曰く、”ポートマフィア”とはこのヨコハマの裏社会において、最も凶悪で、且つ強力な犯罪組織なのだという。殺傷能力の高い異能力者を幾人も有し、武装探偵社でも真っ向から戦えばタダでは済まない相手。例のコンテナは、軍警さえ避けて通る様な危険地帯なのだそうだ。其処を、猫探しとはいえ隅々まで探そうものなら……そう云い乍ら谷崎は苦笑した。

 

抑々(そもそも)、だ」

 

 青褪める敦を尻目に、国木田が声を張った。

 

「依頼を受けるにしても、親を連れてくることだ。金銭が絡む話に未成年だけで話を進める訳には行かん。泉と云ったか。保護者は如何した」

「私に一任すると云った」

 

 少女──泉鏡花は同意書を掲げると国木田の前にずいと押し出す。其処には鏡花に依頼内容を一任する旨と、金銭は幾らかけても構わない旨が記載されている。几帳面さの中にどこか力強さを感じる整った字だ。

 国木田はうんうん唸り、唸り……結局折れて以来を受ける運びとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴天である。

 雲一つない、というのは正しく今日此の時の為に在る様な言葉だ。

 敦は光に痛む目を窄め乍ら隣の泉鏡花を見遣った。

 真赤な着物に身を包んだ小柄な少女。墨を溶かしたような真黒な髪は二つに束ねられ、身体の前を滝のように流してある。首から旧式の携帯電話が下げられており、根付に兎の人形が添えられていた。

 

「何?」

「あ、ええと、泉さんの親御さんとは、その電話でやり取りしているのかなあって」

「違う。此れは御守り」

「御守り?」

「肌身離さず持っている。云い付け」

 

 両手で包む様に携帯電話を持った泉は、その表情をほんの僅かに綻ばせた。元来表情に乏しい質なのだろうが、彼女の少女らしい一面を見て敦も思わず笑みを浮かべる。

 きっと、大切にされているのだろう。

 温かくて、眩くて、矢張り敦は目を窄めた。

 

 

 

 

 地図が示す範囲についた彼らは、一先ずと云って立ち止まった。

 武装探偵社での初仕事が猫探しというのは何とも複雑だが、事情が事情だ。敦は気を引き締めながら、残りの面子を見回した。

 先ず、依頼人の泉。次に先輩で引率の谷崎、そしてその妹で事務員のナオミである。

 敦はそっと──()()()()()()()()そっと、谷崎兄妹と泉の間に立った。

 この兄妹は”非常に”仲が良い。お天道様の真下でも、一分の隙も無く接触しては意味深に微笑む妹と、口だけは妹を諭している兄……否、他意はない。断じてないのである。

 

「あ、あの! 具体的にはどのあたりで居なくなってしまったの?」

「彼方」

 

 泉がコンテナの方を指差した。

 敦が視線をそちらに向ける、その数瞬。

 ほんの一瞬でも気付くタイミングがズレていたらと、敦は想像したくはなかった。

 

「皆、避けてッ!」

 

 敦が泉を、谷崎がナオミをそれぞれ抱えながら、身体を地面に投げ出した。

 その間を、黒い稲妻のような何かが走り抜けていく。見なければよかった、と敦は後悔した。敦たちと谷崎たちのちょうど真ん中の道路がぱっくりと割れている。”何か”に気付くのが遅れていたら、骨すら残らなかったろう。

 ほっと息つく暇もなく、再び目の端を幾条もの黒い何かが過った。咄嗟に敦が躱した先には──谷崎の姿。

 

「ッ!」

「谷崎さん!!」

 

 弾幕のような黒い帯たちを躱しながらでは、到底間に合わない、と敦が諦めを纏わせながら伸ばした腕の先で、谷崎が切り裂かれ──霧散した。

 

「異能力──〈細雪〉……敦君、こっちだ!」

「え、谷崎さん!?」

 

 泉を抱えたのと反対側の敦の手を、谷崎が掴んで引く。状況を把握できない敦に説明するように、谷崎が口を開いた。

 

「僕の異能力〈細雪〉は、雪の降る空間をスクリーンにして虚像を映し出すことができるんだ。誰かはわからないけれど、敵が気を取られている隙に社に戻ろう!」

「は──「小癪な」」

「「!!」」

 

 地獄の亡者のような、低く重い声が空間を支配した。

 コンテナの暗い闇から切り離されるように、黒衣を纏った男が日の下に姿を現す。

 

 コツ

 

 細身の男だ。

 

 コツ

 

「死を懼れよ。殺しを懼れよ。死を望む者、等しく──」

 

 コツ

 

「死に望まるるが故に」

 

 こちらを、見た。

 

 否、谷崎の異能力で見えてはいないのだろう。しかしこちらに向けて放たれた殺気は、確実に敦たちの喉元に届き得る密度を持っていた。

 

「──ッ! 芥川、龍之介!」

 

 谷崎の言葉を──眼前の男が誰なのかということを理解した敦は、全身の筋肉がこわばるのを感じた。

 

 ──この町で生き残りたければ……

 

 社を出る前に国木田が忠告していたことを思い出す。

 危険人物だ。即座に逃げなければ。

 

「敦君! ナオミと泉さんを連れて逃げるんだ!」

「でも谷崎さんが!!」

「ボクの事はいいから! はや」

「悪いけどそうもいかないのだよねえ」

 

 谷崎の肩に白い手が乗せられる。女性かと見紛う程細く、包帯がくるくると巻き付けられていた。

 

「⁉ 〈細雪〉で姿は見えていない筈じゃ……」

「確かに君の異能は発動していたよ。けれど芥川君の異能の弾幕で死んでないって事は、弾幕の薄い所に君が居たって事だろう? そして──君の異能力はもう効かない」

 

 雪が止んだ。

 零れそうなほど目を見開いた谷崎は、蒼白な顔になって震え出す。

 

()()()()()()()()()()……? まさか……どうしてそんな奴がここに……?」

「おや、流石は探偵社だ。私の事を知っているのだね」

「ッ! 敦君! とにかく逃げろ! 走るンだ!」

「もう遅い」

 

 金属が擦れる音があたりに満ちた。

 黒光りする銃口が、敦たちをぐるりと取り囲んでいる。

 二十は下らないスーツ姿の男たちが、機関銃を構えて彫刻のように動かない。

 

「はじめまして。私は太宰治。彼らの指揮をして居る者だよ。抵抗さえしなければ彼らが君たちを撃つことは決してない」

 

 底冷えする声で彼は云った。同時に、敦の脳裏に国木田の声が蘇る。

 

 ──この町で生き残りたければ、太宰治と芥川龍之介、この二人に会ったら即座に逃げろ。

 

 太宰治は写真すらないと国木田は云った。それほど狡猾な奴だと。

 そして太宰は滅多に表へ姿を現さない。

 彼が姿を見せるのは、確実に相手を仕留める時のみ。ヨコハマの闇そのものであるポートマフィアをその名にふさわしい組織に育て上げた人物のうちの一人だ。最年少で幹部の名を冠し、彼が挙げた功績を前にすれば軍警も裸足で逃げ出すという。

 

「なあに、安心し給え。これは平和的解決ができる案件だ」

 

 使い込まれた革靴を鳴らし、太宰が一歩踏み出した。

 

「区の災害指定猛獣──中島敦君。君の身柄をもらい受けたいのだよ。君が快く応じてくれれば、後ろの可憐なお嬢さん方が危ない目に合わず済む」

「⁉ 僕に何の用があるんだ」

「尤もな疑問だけれど、ここで悠長に説明してあげる義理は無いなあ。君が素直に我々に投降するか、揃って痛めつけられてから拐かされるか、選び給え。因みに」

 

 黒い外套を揺らしながら、敦の数歩前で太宰が足を止めた。

 

海兵(セーラー)服のお譲さん、通信は妨害させてもらっているよ。それから〈細雪〉の谷崎潤一郎君、次異能が発現すれば、彼らには迷わず発砲するよう指示をしている。異能の行使はお勧めしない」

「その位置なら貴方も巻き添えを食うンじゃないですか」

「うふふ、そう思うならば使い給え」

 

 唇を薄く捲って微笑む彼の瞳には、真実の闇が宿っていた。黒服たちは敦たちを取り囲むよう、建物による上下はあれど、隙間なく配置されている。この中で機関銃の放射攻撃などされたら、皆無事では済まないだろう。当然太宰も。しかし彼にとって、そんなことはどうでもいいことなのだというのが直感的に分かった。その本質が、敦をとらえる任務にないのだろうことを察し、その底知れなさに敦は恐怖する。解からないということがかくも恐ろしいことだと、身をもって理解したのだ。

 

 ――どうすればいい? 

 

 混乱した頭で、敦は必死に次の手を考えていた。否、考えようとしていた。

 しかし、手など出るわけがない。外部に連絡もできない、異能を使おうにも自分には使いこなすことができない。たとえ使えたとしても、太宰はそれを無効化してしまう。多少腕力が太宰よりあっても、生身で機関銃掃射は耐えられない。

 不意に自分の服が引っ張られているのを感じ、敦が視線を下げる。と、泉が敦のシャツを握っている。我に返った敦は、己を奮い立たせた。彼女を守らねばならぬ。武装探偵社として、民護の精神を持たねばならぬ。そうでなくては、己に生きる資格などない、と。

 心配しなくていい、と云う心算(つもり)だった。

 実際喉のすぐ其処まで言葉が出てきていた。

 しかし敦の声よりも先に彼の鼓膜を揺らしたのは、鈴を転がすようなあまりに透明な音だった。

 

「逃げて」

 

 気付くと、泉が視界から消えていた。

 小さな体躯が、太宰の眼前まで迫っている。

 懐から閃いた白刃に、数舜何が起きたのか理解ができなかった。

 泉が袖に仕込んでいた懐刀を抜き放ちながら、太宰に斬りかかったのだ。

 太宰の首筋に朱線が奔り、彼の口元が弧を描く。

 

「これはこれは」

「太宰さん!! 貴様よくもッ!!」

 

 芥川が殺気と共に黒衣を泉へ伸ばす。それは布とは思えないほど鋭利で、素早い。食らえばただでは済まないだろう。

 

「泉さん!」

「────私を守って、〈夜叉白雪〉!」

 

 彼女の胸元から、眩い光が差した。よく見るとそれは、彼女がお守りだと云った携帯電話だ。

 光は即座に和らぎ、代わりに大きな人影が泉の周りに出現していた。

 芥川から延びる黒衣を前に、人影はすらりと大刀を引き抜いた。白い和服姿の女のようだ。顔面は仮面を被っているようで表情がない。大刀の刀身が見えなくなったかと思うと、黒衣が幾度も切り裂かれて霧散した──

 

「成程」

 

 ──かに見えた。

 

「強力な異能力だ。けれど相手が悪かったね。君の練度では芥川君に届かない」

 

 三条の黒衣が刃を逃れて夜叉の腕をからめとった。間髪入れず、幾条もの布が鎖となって夜叉を固定していく。

 

「ッ!」

「芥川君、彼女は丁重にね。死なせると厄介なことになる」

「……承知しました」

 

 夜叉を止められて動揺する泉の手を、黒衣がくるりと巻き取った。泉の表情から、かなりきつく締められているのが分かる。

 

「泉さ」

「遅いね」

 

 敦はその、太宰の声にびくりと体を震わせた。

 

「きっと君の上司は、私に会ったらすぐに逃げろと云っていたのだろう。慧眼だね。けれど君は行動しなかった。中島君、君は三度も機を逸したのだよ。谷崎君の忠告を二度とも無視し、泉君の決死の突撃も無碍にした」

「ち……違う!」

「何も違わないよ。君の足を以てすれば、包囲が不完全な状況で二人を抱えて逃げることもできた。泉君の特攻で動揺する包囲を崩すこともできた。けれどしなかった。この意味がわかるかい?」

 

 敦の目と鼻の先に、太宰が顔を近づけた。互いの息が掛かりそうなほどの距離だ。

 

「出血大サアビスだよ? 指揮官である私がこんなに近くにいて、如何して君は動かないのだい? ほら、一息に私を殺してみるといい。敵全員を屠り、人喰い虎の本性を晒してみ給え!」

「う、あああああ!!!」

 

 無我夢中だった。とにかく何かを為さねばならないと右手の拳を突き出した。

 気付いたら、敦は地面に体を打ち据えられていた。

 

「この程度だ。君には人を救えない。私から逃げることもできない。早晩諦めてポートマフィアに身を預けることが最善だと、そう思わないかい? そうすれば誰も傷つかない」

 

 ──そう、かもしれない。

 

「聞いちゃダメだ、敦君! ポートマフィアが約束なんて守るわけない!」

「そうですわ! まだきっと──」

「じゃあ、どうしろっていうんですか!!!」

 

 谷崎とナオミに思わず怒声で返す。

 そうだ。どうすればいいかなんてわかりきっている。

 只の穀潰しである自分のせいで、誰かが傷付くことなどあってはならない。

 

「……行きます」

「敦君!」

「谷崎さん、すみません。短い間でしたが、お世話になりました」

「決心が着いたのだね。心外だから云っておくけれど、この件に関して私は噓を吐く心算は無いよ」

 

 立ち上がりながら、敦は太宰の言葉に頷いた。

 同時に、ポートマフィアたちの陣形が変わったのが足音でわかる。よく訓練されているのだろう。乱れの一切ない様子で、敦だけを取り囲んで谷崎たちが解放された。

 横目で見ると、泉が何か云いたげに拳を握り締めている。その手首の痛々しい痣に目が行き、敦は再度目を伏せた。

 きっと明るくはない未来が自分を飲み込もうとした時だった。

 

 車のタイヤが弾ける様な音が二つ響いた。

 同時に、敦を取り囲んでいた男たちの二人から銃が弾き落される。

 訳が分からず顔を上げた敦の眼前に黒い影が舞い降りたかと思うと、敦はいとも容易く持ち上げられた。

 

「えッ?」

「すまん、遅くなった」

 

 凄まじい勢いで加速した影は、あっという間に谷崎たちの傍まで移動すると敦を降ろした。割れ物を置くような、丁寧さがあった。

 

 彼は敦たちの前に立ちはだかると、機関銃を構えるポートマフィアに、たった二挺の拳銃を以て相対した。

 

「全員無事か」

「はい……はい! 無事です!」

「判った。潤一郎、援護は任せる」

「はい!」

 

 彼は赤髪を揺らし乍ら大きく前傾姿勢になった。顔を地面に擦り付けそうなほど近づけて、腕を回しながら銃を撃つ。芥川の黒衣が穿たれ、勢いを減じて数を減らした。

 ポートマフィアの構成員たちが気色ばみ、引き金にかける指を曲げようとする。

 刹那の緊迫。

 

「はーい、そこまで!」

 

 ぴたり、と時が止まる。否、止まったと錯覚するほど見事に、全員が動きを止めた。

 太宰が、場違いなほどのんびりとした口調で全員を制したのだ。

 

「あーあ。織田作が来てしまったのじゃあ仕方がない。私たちは退かせて貰うよ」

「太宰。これは一体どういうことだ」

 

 織田作こと織田作之助は、前傾姿勢から体を直しながら太宰へ口を開いた。対する太宰は先程までの危うさがすっかり成りを潜め、さわやかな好青年の様相を呈している。

 

「これが私の仕事なのだから、そう怒らないでおくれよ」

「仕事か。一体何故敦を狙う」

 

 敦を始め、その場の全員が息をのんだ。探偵社からすれば最も聞きたいことで、ポートマフィアからすれば教える必要のないことだ。例え答えなかったからといって、不都合が太宰にあるはずもない。だが、常人に太宰の琴線を測り知ることは不可能だ。だから太宰が何の利益の無い事だと思われることでも、それ自体が彼の行動の制約にはならなかった。

 

「中島君は70億の懸賞首なのだよ。闇市では既に周知の事実だ。気を付け給えよ、織田作。ポートマフィアは何が何でも彼を狙うだろうから」

「解かった。気を付けよう」

 

 にっこりと笑いながら、太宰とその部下たちは陰に吸い込まれるように消えた。

 怒涛の出来事にすっかり腰を抜かした敦は、織田に支えられながらなんとか帰路に就く。

 

「懸賞金……? 僕に、一体如何して……」

「分からん。今後の方針を練るためにも、先ずは探偵社に帰ることだ」

 

 織田作之助──行き倒れていた敦を保護し、探偵社へと迎え入れた恩人だ。そして(とて)も……迚も強い。敦とは比べ物にならないほどに。それが今は苦しくて、けれど口にするのは憚られて、敦はただ奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

「あッ……」

 

 探偵社に着くなり、谷崎が顔を蒼褪めて声を漏らした。彼の視線を辿って、敦も同様に零す。

 彼らの視線の先には泉がいた。そして今日は本来、猫探しをしていたのだ。

 それが猫探しを中断した――せざるを得なかったのは明白であるが、その表現は彼らの矜持に悖る――上に、依頼人である彼女に戦わせ、痣を負わせてしまった。これが失態でなくて何であろう。

 さてどうしようかと二人が顔を見合わせたところで、闖入者が現れる。

 真っ黒な毛並みの猫だ。

 

「……? あれ? この猫、若しかして」

「探していた、ネコ」

 

 泉がひょいと猫を抱え上げた。猫の方は抵抗するでもなく、なされるままになっている。飼い猫で間違いないのだろう。

 

「あのォ、織田さん。ボクの見間違いでなければ、その猫、織田さんの服から出てきませンでしたか?」

「ああ。独歩から写真を貰っていた。見つかってよかったな」

 

 如何やら国木田が敦たちを案じて織田に応援を要請していたらしい。また近隣住民の長話に付き合って大遅刻していた彼は、その足で猫探しへ赴いたのだとか。吉と出た国木田の采配に、谷崎も敦も頭が上がらない。

 ともあれ泉を危険な目に合わせてしまったのは二人の責任である。

 

「ごめんなさい! 依頼人を守るのも僕の役目だったのに!」

「敦くん、君の責任じゃないよ。ボクの不行き届きだ。泉さん、本当に申し訳ない!」

「謝罪は受け取れない。するのはこちらの方」

 

 泉が凛とした調子で云った。二人は真意が理解できずに暫く下げた頭を上げられなかったが、敦をのぞき込む泉を見て二人とも壊れたおもちゃのように大きく仰け反った。彼らを尻目に、泉は猫の首輪から何かを抜き取り、敦に差し出す。見たところ、記憶素子のようだ。

 

「これは……?」

「指令書。私は今日から、貴方の監視役」

「監視役? え?」

「私は異能特務科潜入捜査官、泉鏡花。災害指定猛獣の貴方を見極めるために派遣された。貴方が力に呑まれ、民を傷つける者なら──斬る」

「え……ええええええ!!?」

 

 敦の探偵社生活は、波乱に満ちている。

 しかしその、探偵社だったからこその喧騒に、敦は少しだけほっとしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫煙につかりながら私が階段を降りると、見知った双眸がこちらを向いていた。出会って以来随分と背が伸びたが、笑みを浮かべると少年のような無邪気さが垣間見えた。

 

「やァ、織田作」

「太宰。疲れが見えるが、きちんと眠っているか」

 

 店主が無言の裡に私の前へ蒸留酒を置いた。いつもの、というやつだ。太宰のすぐ隣へ腰を下ろした私は、疲弊して普段より大人しい彼を見やりながら訊いた。

 太宰は風船が萎む様な音を出しながらカウンターテーブルに頭を擡げると、口元をへの字に曲げる。

 

「誰のお陰でこうなったと思っているのだい? あーあ、折角良い所まで行ったのに、織田作ったら駆けつけるのが早すぎるよ」

「敦の一件か。道理で道中時間を食ったわけだ」

 

 猫探しをしているにしては異様な雰囲気を纏っていた港湾を、私は走っていた。突然狙撃されたり建築材が落下してきたりと足止めがいくつもあったのだが、太宰が周囲の人間を遠ざけようとしていたのなら納得である。一般人なら死んでいたが、抑々一般人が寄り付くようなところではない。ポートマフィアの何某かを狙う不届き者用の罠だったのだろう。

 

「私だって、好き好んでこんなにパッとしない仕事をしたいわけじゃないのに」

「それにしては随分と楽しそうに見える」

「そうかな?」

「ああ」

「うふふ、それはきっと、織田作と遊べるからかもしれないね」

 

 太宰と遊戯の約束などしていただろうか。今割り振られている仕事を頭に思い浮かべながら、一日程度なら融通が付きそうだと概算して酒を口に含んだ。約束した覚えはないが、何とかなりそうだ。

 

「いつごろの予定だ」

「内緒! それを云ってしまっては面白くないでしょう?」

「そうか」

「そうだよ。ああ、あとね、面白くなりそうな予感がもう一つ。泉君だったかな。特務課員の」

「知っていたのか」

「当然、知らない。推察だね」

 

 太宰は頗る頭が良い。頭に高度演算装置が山ほど詰まっているのではないかと思うほど回転が速く、私では到底彼の思考に追いつけない。だから彼がそう思ったと云った裏側には、私には思いも寄らない何かが見えていたのだろう。

 

「推察で捜査官を看破されては形無しです」

 

 ベージュ色の人影が階段を下ってくる。丸眼鏡に整ったスーツ姿の彼は、学者然としている。しかし如何せん若い。先生などと呼ばれるには、まだ皴が足りなかった。

 

「やァ、安吾! 思ったより元気そうで僥倖だねえ」

「冗談仰い! 貴方方の所為で今日も僕は()()()()()()()()です。日陰の雑草の方が生命力に溢れていますよ」

 

 然う云い乍ら、存外確りした足取りで安吾は私の隣に座った。

 

「全く、貴方方は一体何です!? もう少し年相応に落ち着けないのですか! 日輪の下であれだけ派手に撃ち合うなんて……嗚呼、報告書の量を見せてあげたいくらいです」

「地下犯罪組織と武装探偵社にそんなことを面と向かって云うのは安吾くらいなものだねえ」

「正当防衛で許してほしい」

「あッ、織田作狡い! 私も私も!」

 

 決選投票の結果、太宰は二対一で無罪となった。票を分けた私の意見として、太宰は幹部とはいえ首領の命令を無視できず、命がけであったことを添えた。安吾は「織田作さんは太宰君に甘すぎます」と愚痴をこぼして蒸留酒を一気に煽った。彼らしくもなく乱暴な飲み方だ。

 

「そんなに彼女が心配かい?」

「彼女、とは?」

「泉君だよ。鏡花ちゃんといったかな。あんなに可愛らしいお嬢さんが捜査官だなんて、世も末だねえ」

 

 喉を鳴らすように笑んだ太宰を睨みつけ、しかし反論はしないまま安吾は再度酒を流し込んだ。

 

「大方、中島君の護衛に託けて彼女を鍛えてもらおうとしているんでしょ。彼女、有望だもの。あとは、武装探偵社を他所から牽制する狙いもあった。闇市の懸賞金も中島君の動向も、君たちは全て把握済みだろうからね」

「それを云うなら貴方がその“パッとしない仕事”とやらを引き受けたのも同じでしょう」

「おや、聴いていたのかい?」

「聞き耳を立てるつもりはありませんでしたが、時分が時分ですから」

 

 安吾曰く、70億もの大金が仄めかされる賞金首が現れたともなれば、闇社会が活性化する。手段を問わず敦を狙う輩も現れるだろう。しかし闇社会を牛耳るポートマフィアが本腰を入れるともなれば生半可な組織は行動を断念せざるを得ない。そのポーズとして太宰が名乗りを上げたのだろうとのことだった。

 

「知らずに気を回させてしまっていたのか」

「それは違うよ、織田作。ポートマフィアからしたらこれを機に調子付く輩が出るのは面白くないし、特務科からしたら治安の乱れは看過できないというだけのことさ」

「それにしても、その厄介な依頼人というのは何者なんです? 直接依頼を受けた貴方方の方が詳細を掴んでいるのでは?」

 

 私は内心、飛び上がるほど驚いていた。安吾はこう見えて政府組織の、しかも中枢に近い立ち位置にいる人間だ。彼の持つ情報及び情報収集能力は国と同一といって差し支えない。その安吾がわからないという相手だ。余程の組織か、あるいは個人なのだろう。

 

「詳細、ねえ。勿論だとも」

「では──」

「でも教えてあげな~い」

「んなッ!?」

 

 にやりと不適に笑んだ太宰は、数瞬肩を揺らした後に不意に表情を消す。

 

「非常に厄介な相手なのだよ。ほんの少しばかり私も慎重に為らざるを得なくてね」

 

 けれど、と太宰はグラスを持ち上げて、私たちの方へ微笑を向けた。

 

「私達なら、相手が誰だろうと問題なんてない。そうだろう?」

「やれやれ……太宰くんはまたそんな調子の良いことを云ってはぐらかすのですね」

「そんなこと云って~。安吾だって満更でもないのじゃないか~い?」

「まったく……」

 

 口調とは裏腹に、安吾もまた苦笑しながら杯を掲げる。くすくすと笑みを交わした二人は、示し合わせたように揃って私の方を見た。

 

「ね、織田作だってそう思うでしょう?」

「"僕達"には当然貴方も入っているの、お分かりですよね?」

「そうだな」

 

 私も安吾に遅れて杯を掲げると、丸くカットされた氷が重心の変化で角度を変えた。グラスと生じた音が、心地よく耳に響く。

 

「うふふ、何に乾杯する」

「今更其れを訊くんですか?」

「答えの分かった問も、偶には良いんじゃないか」

 

 月が空を駆り、夜が更けていく。

 太陽が寝ぼけ眼を擦って翌朝を告げる準備を始めているのだろう。

 そんな大いなる未来の事は、今の私達にとって些末なことだった。

 

 一呼吸置いて、揃ってグラスを前へ押し出す。

 

 ──ストレイドックに。

 

 グラスの音が響く。

 誰からともなく話題が零れる。

 残りの二人で相槌を打つ。

 その繰り返しを、止め処なく、朗々と、洋々と、私達は続けるのだった────

 

 

 

 

 

 

 




26巻を読んだ自分「うわあああああああああああああああ」(訳:うわあああああああああああああああ)
となったので、大分前に書きかけていた短編をちょこっと修正して投稿してみました。

裏設定などあったりなかったりですが単発のつもりで書いたので出すつもりはないです。(そこまで細かい設定もないです)
仲良しさんこいちが見たかった。どこで摂取したらいいんだ(切実)
幸あれ。ほんとに。

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