魔法使いの夜・再録   作:某喫茶店のアルバイト

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大図書館の魔女

 この屋敷の奥の奥から更に地下へ進み、身の丈の倍ほどもある木製の扉の先には紅魔館が誇る大図書館が存在する。蔵書の多くは幻想郷の外から流れ込んできたもので、童話や絵本に始まり、果ては魔道書の至るまで、古今東西、多種多様な本が納められていた。単純な量に関しては幻想郷の中でも随一であり、時折その資料を求めてこの大図書館に足を運ぶ者も少なくはない。

 圧倒的な、唯の人間だったらその生涯を費やしても読破する事の適わない本の海で、まさに沈み込むように読書に熱中している人物がいた。

 

 椅子に腰かけた彼女の髪は床に届きそうなほど長く、薄い紫色。

 ゆったりとしたネグリジェのようなナイトローブを身に纏い、一心不乱に本を読み進めている彼女の名はパチュリー・ノーレッジという。

 彼女の位置付けはレミリア・スカーレットの客分であり、同時にこの大図書館の管理を任されている、有体に言えばこの空間の主であった。

 

 友人から管理が面倒だからよろしくなどと、投げやりに任されて幾星霜。

 基本的にレミリアがここを訪れることはないし、本にも興味がないらしいが、彼女はこの本たちの価値が何故分らないのかと、時折残念な事になる自分の長年の友人に同情していた。

 まあそれはそれとして、今彼女の機嫌はすこぶる良かった。寝ても醒めても読書、読書、ティータイムを挟んでまた読書と、彼女にとっては至福の時間に浸っている。外界からの干渉もなく、ひたすら活字を追えるのはいつ振りかと感動すら覚えながら、ここ最近、至福の時間を滅茶苦茶に妨害してくる相手の事を想像し、眉間に皺を寄せてその整った容貌を顰めた。

 

 以前から図書館に来訪するものは、少なからずいた。それだけでもやや抵抗があったのに、最近になってとんでもないヤツが現れたのだ。霧雨魔理沙、自称普通の魔法使いを名乗るひよっこの後輩は、ここに喧しく、ズケズケと進入し自分の至福の時間を邪魔するだけに飽き足らず、事もあろうに貴重な本達を『死ぬまでには返すぜ☆ミ』などとぬかしながら、ぬけぬけと強奪していくのだ。

 魔法の技術、知識、魔力共に、あのひよっこには圧倒的に勝っている自信と自負はある……が、こと弾幕勝負となると事情が変わってくる。生来からの重度の喘息持ちである彼女は、長時間身体を動かすのは厳しく、呪文すらろくに唱えられず倒れてしまうことが度々あって、何度あの泥棒ねずみに煮え湯を飲まされたかと自分の身体の弱さを恨めしく思う。

 過去の出来事を思い出し、ミシミシと本に指が食い込んでいく。そこでせっかくの読書を中断していたことに気がつき我に返ると読書を再開する。理由などどうでもいいが、今まで毎日か、二日に一度は泥棒ねずみがやってきていたが、ここ数日それがパッタリやんだのだ。出来ればこのまま一生来てほしくはないと思いながら、頭の中からその人物の事を消し去り、細く白い指先でページを捲った。

 

 捨虫・捨食の魔法を習得している彼女は食事や睡眠を必要としない為、一日の大半を読書に費やすことができる。つまるところ彼女は、本だけあれば生きていけるといっても過言ではないが、それでも一つ執着しているものがあった。それは紅茶という趣向品で、特に咲夜の淹れるものは本の次に価値があるとさえ思っている。

 この紅魔館の仕事を一手に引き受けている咲夜は、自分の我侭な友人には勿体無いほど優秀で、自分の読書を邪魔することなく、この上ない完璧なタイミングでいつも紅茶を差し出してくれるのだ。そう、まさに今このときのように。

 

「ありがとう、咲」

 

 咲夜。そう続ける前に、傍らに立つ人物を確認したパチュリーは思わず言葉をつぐんだ。折り目正しく、彼女からしても文句のつけようのない動作でティーカップを置いたのは、彼女の良く知るメイド長ではなく、つい最近、友人によって雇われた静希草十郎だった。

 燕尾服を身にまとい、背筋を伸ばしシャンとしたその姿は、執事としては理想的なのに、どこか抜けた表情が執事としては致命的にそぐわない。

 

「何故ここにいるの?」

「え?……ああ静希草十郎といいます」

 

 不機嫌そうに放たれた嫌味を、どうしてか自己紹介を促していると勘違いしたらしい。その察しの悪さに一層苛立ちながらティーカップを手に取る。味はいつもと変わらず、鼻腔から抜ける紅茶の香りが心を落ち着かせてくれた。

 平静に戻ったパチュリーは、改めて事の次第を尋ねる。この紅茶を淹れたのは間違いなく咲夜だろう。ならば彼女が態々この見習いを寄越すとは考えにくかった。

 

「咲夜はどうしたの?」

「ああ、それならレミリアさん……じゃなかった。お嬢様に呼ばれたみたいで……なんでもあるじのけんげん? で強引に呼ばれたらしいです」

 

 草十郎の話を聞いて、半ば予想通りな内容にパチュリーはやはりかと眉を顰める。大体彼女が紅茶を淹れたのならそのままこちらに来て、その後にレミリアの元へ行けば問題はないはずなのだ。それを態々こうして新入りを寄越したのは恐らくレミリアの指示によるものだろう。きっと今頃は自分の横に咲夜を侍らせて、こちらの慌てようを想像して悦に浸っているに違いないと長年の付き合いから察する。

 何時かこの仕返しは必ずするとして、一先ずは醜態を晒さないように勤めておく。そんな彼女の考えをよそに、草十郎は一面中本で囲まれた空間に素直に感嘆していた。凄い本の数ですねとのんきに口にする青年。パチュリーは余り彼の良い感情を抱いていない。

 昨日のフランドールとの弾幕ごっこは少しばかり目を奪われたのは否定しないが、美しさを競い合う弾幕ごっことしては泥臭いし、無様極まりない。何より余りに善人過ぎて胡散臭いのだ。

 咲夜に聞いた話ではアレだけの命の危機に遭っておいて、出てきた言葉が『まだ恐れるほど彼女達を知らない』だったそうだ。普通は尻尾を巻いて逃げ出すのに、それどころか彼からは余裕すら感じられる。それが何となく不気味だった。

 

「それで、紅茶はもう受け取ったけど、貴方はいつまでそこで突っ立っているのかしら?」

 

 暗にとっとと帰れと言いながらパチュリーは鋭い目つきで草十郎を睨むが、究極の鈍さ、ないし察しの悪さを備える彼に嫌味は意味を成さない。そもそも、何時も不機嫌で常に何かを睨んでいる友人を持つ草十郎にとっては、不機嫌そうな女性は今更気にするほどのものでもないのだろう。

 

「咲夜さんからは図書館(ここ)で手伝いをしろと」

 

 ケロッとした表情の草十郎に、泥棒ねずみの魔法使い見習いとは違ったふてぶてしさのようなものを感じ、忘れていた人物を再び思い出したことも相まって一層不機嫌さの度合いが高まる。

 草十郎の場合、ふてぶてしいのではなく単に鈍いだけなのだが、パチュリーにとってそれは関係ない。有体に言えば八つ当たりや、とばっちりになるのだが、普段から霊夢に理不尽な仕打ちを受けている草十郎は気にしない。それどころか、幻想郷の女性は皆こういうものなのだと、他の婦女子の方々が聞いたら憤慨ものな認識をしている節すらあった。

 暖簾に腕押し、ぬかに釘。こいつには言葉では意味がないと、ある種、鋼の精神力を持った草十郎に対して講じたのは徹底的な無視であった。こうしていれば気まずくなっていずれ勝手にいなくなるだろうと踏んだ。

 

「そっ、特に何もないからそこで突っ立っていれば? 私は読書をするから邪魔しないでね」

 

 そうそっけなく草十郎に告げたパチュリーは再び視線を本へと移し、彼の存在を思考の隅に追いやって、自分の世界へと没頭した。本を読んでいる間、彼女の意識は外界から遮断され、時間の感覚は希薄なものになる。

 

 まだ半分ほど残っていた革装丁の分厚い本を読み終わり、読了間に浸りながら、すばらしい本だったと情感の篭ったため息を漏らす。

 さて次は何を読もうかと今まで読んでいた本の裏表紙を撫でるパチュリーだったが、視界の端に何か黒いものがあるのに気が付き、そちらを向くと、そこには草十郎が、彼女の指示通り何もせずに突っ立ったままでいた。

 これには流石の彼女も驚いた。彼女がアレから本を読んでいたのは一時間を優に超えているが、その間彼は言いつけどおりその場に控えていたのだろうか?

 それに最も驚いたのが、そこに彼がいると感じなかったところだ。彼女は割りと神経質で、読書のときは近くに誰かがいると、余り集中できない。だから自分の小間使いですら読書中は接近を控えるように言いつけてあるし、咲夜も紅茶を置いたら基本的には直ぐに立ち去る。それだけに、ずっとこの距離にいて、違和感が全くなかったのはこれまでで初めてのことだった。

 

「ねえ、すっとそこにいたの?」

「大体一時間半くらいです。何か仕事が?」

 

 立っているだけ、というのもそれなりに疲れるはずなのに、そんな様子は微塵も見られない。色々な事に困惑して、思わず彼女は草十郎の言葉に頷いてしまう。そしてその後直ぐ後悔したパチュリーだったが、本当に仕事はあるし、多忙な咲夜に遠慮していたが、人手がほしいと常々思っていたのだ。何より今更なんでもない、というのも気が引けた。

 草十郎に重たい本を渡し、ついてくるように言って大図書館の奥へと歩いていく。その先で待っていたのは一人の使い魔。使い魔といっても猫や蜥蜴などの動物ではなく、一人と形容するように、その姿は人に限りなく近い。

 美鈴より濃い赤の長い髪は毛先のほうが少しウェーブがかっていて、瞳はその髪と同じ色をしている。白いシャツに、黒いベスト、そしてロングのマーメイドスカートを身につけている彼女は、それだけ見れば人間と大差はないのだが、決定的に人間とは違うものがある。頭と背中に一対ずつ、蝙蝠のような羽が生えているのだ。彼女に名前はなくただ『小悪魔』とパチュリーは呼んでるし、周りもそう呼んでいた。

 せっせと本の整理を行っている小悪魔を呼び止めて一時作業を中断させた。

 

「パチュリーさま、どうしました?」

「彼は新しく働くことになった静希草十郎。二人で協力して作業を進めてちょうだい」

 

 紹介を済ませ、完結にやる事を述べる主に、小悪魔は少々困惑したようにオロオロとしながら主と草十郎を交互に見る。かく言う草十郎も、作業といっても何をすればいいのか分りかねていた。そんな二人にこの先大丈夫かと心配になりながらも、草十郎に対して補足の説明をする。

 

「この図書館には外から高い頻度で本が流れこんでくるの」

「どうしてですか?」

「さあそれは分らない。私としては嬉しい限りなのだけど、一つ問題があるの」

 

 そういってパチュリーが指差した先には、積み上げられたいくつもの本の山々があった。その数は百や二百ではきかず、もしかしたら千にまで届いているかもしれない。この大図書館全体の蔵書数から考えたら、目の前の山は微々たる物だろうが、それでも草十郎にとっては膨大な数である。

 日々増えていく本に対して人手が足らず、結果としてああして積み上げていくのが精一杯な状態なのだとパチュリーはぼやく。一応本の下には布が敷いてあるが、本来は本棚にあるべきものなので何とかしたいと悩んでいたのだ。

 

「小悪魔はある程度のことは出来るのだけど、力は美鈴より全然無いし、かといって紅茶や料理は咲夜に完敗だから、なんというか器用貧乏なのよね」

「ひ、酷いですよパチュリーさま!」

 

 遠まわしに余り使えないといわれ、ショックの余りガビーンと落ち込む小悪魔。そもそも家事に関して万能な咲夜や武術の達人である美鈴と比べるのは些か以上に分が悪い。小間使いとしては最低限の能力こそ備えているが、人間の少女と余り能力は変わらないのでどうしても見劣りしてしまうのは仕方の無いことだろう。

 

「貴方に頼みたいのは主に力仕事よ。小悪魔は場所を指示して、貴方は本を運ぶ。シンプルな仕事でしょう?」

「あの草十郎さん、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしく頼むよ」

 

 小悪魔はまだ少しオドオドしているが、草十郎がいい人だと何となく分ったのか、早速彼を連れて仕事にかかる。パチュリーは次の本を手に取り読書を再開しようとするが、何故か没頭できない。そんな中、視界の隅では多量の本を抱えた草十郎をみて小悪魔が力持ちだと驚いていた。不思議と視線が草十郎のほうへと向かってしまう。それをきちんと仕事が出来るか心配だからだと思ったパチュリーは、心配が払拭されるまで彼を観察する事にした。

 

 

――――――――――

 

 

 時間をやや遡り、レミリアスカーレットの私室、そのテラスでの事。

 咲夜に草十郎を図書館に向かわせるように命じたスカーレットデビルは図書館で行われるやり取りや友人であるパチュリーの表情を想像して悦に浸っていた。パチュリーが長年の付き合いからレミリアのことを察せるように、またレミリアもパチュリーが今図書館でどのような状況になっているのか察するのは容易いことだった。

 草十郎がこの紅魔館に訪れて以来、レミリアはずっと上機嫌だ。彼自身を気に入っているから、というわけではなく、彼の周囲で起こる出来事が退屈を紛らわすにはこの上ない娯楽になっているからである。まあ草十郎は草十郎で面白い人間だとは思っているが、まだ(・・)そこまでではない。

 恭しく目の前に差し出されたティーカップを手に取り、傍らに控える咲夜に草十郎のことを尋ねてみる。

 

「どうだ奴は?」

「素直で覚えるのが早いですね。概ね、雑用に関しては問題なくこなせるようになっていますよ」

「ほう……」

 

 存外に良い拾いものをしたと、自分の観察眼を自画自賛しながらティーカップを口まで運んだレミリアだったが、途端にその表情は吸血鬼が生ニンニクをかみ締めたようなものになる。彼女が口にした紅茶は渋い、えぐい、不味いの三拍子揃った、紅茶と呼んでいいのかすら躊躇われるようなものだった。

 

「今度は何を入れた……トリカブトか? ナナカマドか? まさか聖水を使ったなんていうまいな?」

「何も入れておりませんわ」

「嘘をつけ、これは今までで一番不味いぞ。一体何を入れたらこうなるんだ」

「いえ、ですから本当に毒は混入しておりません。ただ淹れたのは私ではなく草十郎ですが」

 

 紅茶の腕を見てみたいと思い、試しに淹れさせたと澄ました笑顔のままそう告げる咲夜に、レミリアはまじまじとティーカップを見る。今まで幾度と無く毒の混入した紅茶を飲まされてきたが、それは逆に毒が混入している以外は完璧ということだ。咲夜の紅茶の味に慣れ、味覚も人より鋭いレミリアにとっては、毒入りの紅茶よりも、草十郎が淹れた不出来な紅茶のほうがダメージが大きいらしい。

 

「咲夜……」

「なんでしょうかお嬢様」

「以後アイツには紅茶を淹れさせるな」

 

 こうして草十郎の知らないところで、彼が紅茶を精製することが禁じられたのであった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 場面は大図書館へと戻る。あれから暫し時間が経ち、彼らに任せていた作業もそこそこ進んでいた。特筆して優秀、というわけでもないが、一つ一つの動作を言われて通りきちんと丁寧にこなしているので、これなら別段問題は無いと読書に戻ろうとするものの、どうしたことか集中できない。これは割りと由々しき事態だ。特技ではないが、彼女は本を開いて文字に目を落としたその瞬間から読書に没頭できるようになっている。なのにこの体たらくはどうしたことだろうか。

 これ以上読み続けても結果は同じだと一先ずパチュリーは本を閉じ、草十郎たちの様子を伺うと、丁度ひと段落したところのようで、これ幸いと小悪魔に声をかける。

 

「ケホッ……小悪魔、仕事は休憩をして、とりあえず紅茶を入れてもらえるかしら」

「あっ、はい分りましたパチュリーさま。では草十郎さん、ちょっと失礼します」

 

 もう既に草十郎とは打ち解けたようで、その呼び方には親しみすら篭っているような気がする。気分転換を目的に小悪魔に紅茶を淹れに行かせたはいいものの、再び草十郎と二人きりになり、何となく気まずくなったパチュリーは、座りが悪くなった椅子を立ち上がり本棚の一郭へと歩いていく。

 草十郎から離れたかったのは勿論だが、読書の乗りが悪いので、読む本を変えてみようと思ったのだ。そんなことは露知らず、後を追いかけてくる執事見習いに苛立ちながら梯子に手をかけた。

 

「あの、取りましょうか?」

「結構よ」

 

 この大図書館の本棚は大きいものでは何十メートルもあるほどで、その高さに心配そうな表情で自分が代わりに行くと申し出る草十郎だったが、それをにべも無く彼女は断る。ここの本棚はラテン語であったり神代の文字で書かれたものが多く、それを彼が読めるとは思えないし、自分で取ったほうが手間が少なくすむ。何より彼から離れたくてこうしてやってきたのだから頼んでは意味が無い。

 それでも落ちたら危ないのではと渋る草十郎に、いざとなったら飛べば大丈夫だと告げると、なるほどそれもそうだと納得して引き下がった。やっと開放されたパチュリーは安堵しながら木で出来た梯子を上っていく。

 普通なら飛んで取ったほうが早いのだが、身体が弱く、非力な彼女は、足場がしっかりしていないと重い本を引き抜く事が出来ない。だから普段は小悪魔を呼んで取りに行かせているのだが、その小悪魔は今ここにはいないので自分でやるしかない。少々面倒なのは否めないが、目当ての本を取りに行くまでの道のりで、棚の中に納まっている本達の背表紙を眺めるというのも嫌いじゃなかった。

 そういえばこんな本もあった、この本はまた今度読もう。そんなことを考えながら梯子を登っていると、目当ての本までたどり着く。十メートル近くまで登ったらしく、下を向けば草十郎が余りの高さにポカンと口を開けてこちらを見上げていた。そのしまりの無い顔を見て少し可笑しな心もちになりながらも分厚い本の背表紙に手をかけて引き抜く。少し手こずったが何とかその本を抱えたところで、喉に違和感を覚えた。

 上に行けば行くほど埃っぽくカビ臭くなるこの大図書館は、掃除こそ定期的に行っているが、場所が地下なのも相まって中々酷い事になっている。咲夜に頼めば何とかなるだろうが、埃なんて日々溜まっていくものでその場しのぎにしかならないし、仮に根本的に何とかしたいなら毎日掃除するしかないのだ。ただでさえ紅魔館の業務を一手に引き受けている咲夜にこれ以上負担はかけたくなかった。わがままな友人に変わって、自分だけは彼女を労わろうと常々思っている。

 とにかく目当ての本は手に入れたので、さっさと降りようとしたまさにその時だ。

 

「ゲホッ……! ゲホゲホッ……!?」

 

 突如として持病である喘息の発作が彼女を襲う。断続的に咳が続き、呼吸すらままならず喉からヒューヒューと音がなる。身体は強張り、背中は異物が混入したかのように痛み出し、胸が締め付けられるようだ。

 不味いと思い何とか浮遊しようと思ったが、そこに追い討ちをかけるように貧血が併発した。頭が痛み出し、脳が揺らされているかのような錯覚に陥り、平行感覚すら失われてしまう。音が消え、世界は光を失い始める。これでは飛行どころか宙に浮かぶことすらままならず、ついに梯子にかけていた手から力が失われた。落下の衝撃に備え目を強く瞑ったところで、彼女の耳にある人物の声が入ってきた。

 

 

 

 

 

「あぶない」

 

 

 

 

 

 痛みはいつまで経ってもやってくることはなく、自分が今どのような状況に陥っているかがまるで分からない彼女は何とか鈍くなった頭を持ち上げ目を開けると、そこには心配そうに自分を気遣う草十郎の顔がある。

 状況から察するに、彼が自分のことを受け止めたのだろうが、それが彼女には意外だった。痩せ型、とはいかないまでも線がお世辞にも太いとはいえないその腕で、落ちてくる自分を受け止めて今尚抱えているのだから。

 

「直ぐ咲夜さんを呼んできます」

「ゲホ……ッ……、あんしん……なさい、しには……しないから」

 

 壊れ物を扱うかのように自分をそっと床に下ろして、今にも走り出しそうな草十郎のシャツを握り締め引き止めた。余程今の自分は酷い事になっているのだろう。どうして引き止めるかと困惑したような表情になっている。まあここに来たばかりの彼は自分の持病のことを知らないのだからそれも致し方ない。割と発作自体は起きていて、別段驚くような事でもないし、貧血も少し身体を動かすと直ぐ起きてしまう。ただ両方一度になったのは久しぶりだった。

 

「けど……」

「しばらく……こうしてれば……ゲホッ、なおるから……」

 

 まだどうするか決めかねている草十郎に重ねて大事ではないと言うと、やっと納得してくれたようだ。体温が下がり、寒気すら感じる中で、彼に身体を預けながら喘息が治まるのを待っていと、彼が着ていたジャケットをそっと自分の肩にかけ、背中を気遣わしげに擦り始めた。そして余った左腕を腰に回し、体勢は辛くないかと聞かれ、それに頷いて応える。

 暖かい。少しずつ状態が回復しているのを感じながら、彼女は何となく人の温もりを感じたのは何時以来だろうかなどということを考えていた。けれどそれも一時の気の迷い。体調さえ戻ればそんなことを考える事もなくなるのだから。

 

 

 

 程なくして発作も貧血も治まり、今では普通に座っていられるほどには回復していた。血行もよくなり、寒気も消えたのでジャケットは草十郎に返した。彼女にとっては慣れたことだが、草十郎にとっては気が気ではなかったようで、容態が回復したパチュリーを見て一安心したようだ。

 

「ちょっと持病の喘息が出たけどもう大丈夫だから。迷惑をかけたわね」

「いえ、それは別に」

「敬語はいいわ。私は貴方の雇い主ではないし、居候の身だから」

 

 彼女の友人も言っていたが、どうしてか彼に改まって敬語を使われると背中がむず痒くなるのだ。何より、一応助けてもらった手前もあるし、彼の何も考えていなそうな顔を見ていると反感を覚えているのが馬鹿らしくなってくるの。少し渋っていた草十郎だったが、それならといつも通りの口調で話し始めた。

 

「ところで、一ついいかな?」

「何かしら?」

「うん、君はちゃんとご飯を食べているのかと思って」

 

 改まった草十郎の問いに、一体どのような意味があるのかと思ったがありのままを答える。

 

「いえ食事はしないわ」

「それはいけない。何も食べないのは良くないし、もっと身体を労わったほうがいいと思う。さっき落ちてきたときは驚いたけど、受け止めたとき軽すぎてもっと驚いた。腕も細かったし、何かしら食べたほうがいい。だいえっと……だっけ。何でも女性の使命らしいけどそれ以上細くなったら身体に障る」

 

 ご飯を抜くのは良くないぞ、と見当違いな心配をするだけに飽き足らず、彼は自分がダイエットの為に食事を抜いていると勘違いしているらしい。そんなことを言われたのはこの幻想郷にやってきてからどころか、百年近く生きてきて始めてだった。

 真剣な顔でそんなことを口にするのが可笑しくて思わず彼女の頬が緩んだ。ひょっとしたらここは魔女として怒るべきなのかもしれないが、とてもではないがそんな気にはなれない。何より彼女も女性なわけで、軽いとか細いと言われて悪い気はしなかった。

 

「言い方が悪かったわね。私は捨虫・捨食の魔術を習得しているの。まあ分りやすく説明すると食事や睡眠を取らなくても生きていけるようになる魔術ね」

「なんと、それは凄いな」

 

 そんなことができるのかと、目をまん丸にして驚く草十郎を尻目に、魔女としての彼女の何かが少し引っかかりを覚えていた。普通、真実味のない話を聞かされてもすんなり信じられるはずはないのに、驚きこそすれ彼はそのままあっさりと受け止めてしまっている。外来人ならなおのことだ。好意的に解釈すれば素直な性格なのだろうが、パチュリーは何処か危うさのようなものを草十郎から感じ取っていた。ただ気にしすぎという可能性のほうが高く、幻想郷に来てもう驚くようなことではないのかもしれない。

 

「どうかしたのか?」

「……え?」

「いや、話しかけても反応がなかったもので」

 

 すっかり思考に耽っていたため彼の会話を無視する形になっていたようだ。まだ体調が悪いのかと心配してくる草十郎に慌てて大丈夫だと告げる。しばらくは捨虫・捨食の魔術について草十郎が質問して、それにパチュリーが答えるというやり取りを繰り返し、何とか理解したようだった。なるほど、と本当に分っているのか不明な顔で何度も頷いている。因みに、最終的には身体の中に栄養(魔力)を蓄えてあるから平気という認識に落ち着いた。

 

「君が何も食べなくても生きていけるのは分った。けどやっぱり食べたほうがいいんじゃないかな」

「何故かしら」

「だって、『食べなくても』ってことは食べてもいいんだろう? だったら食べたほうがお特じゃないか。それにもしかしたら身体の調子が良くなるかもしれないし」

 

 それにどんな意味があるのかと口にしようとして止める。それを言うなら今から飲もうとしている紅茶もそうだし、彼の言うことにも一理あった。食べなくてはいけない理由はないけれど同時に食べない理由もない。趣向品、ということなら分らなくもないし、肉体の栄養ではなく心(精神)の栄養の観点から見ると趣向品は理に適っている。

 今度気が向いたら咲夜に言って何か作ってもらうのもいいかなと思いながら、仮に栄養を摂取した場合、自分の身体に何か良い影響を与える可能性について、草十郎そっちのけで真剣に考察を始めるパチュリーだった。因みにそれは小悪魔が紅茶を持ってくるまで続くことになる。

 

 

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