「うん?」
モップにバケツ、箒に塵取り、その他諸々の掃除用具一式を装備して地下室への階段を降りていく草十郎だったが、叫び声が聞こえたような気がして振り返る。
近くから、もっと言うなら図書館の方から断末魔のようなものが聞こえたように思えたけれど、それ以降物音一つしないので、気のせいだったようだと納得して止めていた足を動かす。
「よいしょっと……」
一度目は咲夜に連れてこられたが、今回は一人である。鍵はそもそも閉まっていないので、空いている方の手で鉄の戸を押して中に入った。
相変わらず薄暗い空間が広がっているが、キョロキョロと辺りを見回して何かを確認すると、草十郎は安堵した様子を見せる。
「良かった、普通の広さだ」
フランドールと弾幕ごっこのときには異様な広がりを見せていた地下室だったが、今は至って普通の広さである。あれでは掃除に大分時間がかかってしまうと心配していたものの、それも杞憂に終わった。
真っ直ぐに続く通路を歩いていくと、程なくして彼女の部屋へたどり着く。
天蓋つきのベッドを中心に、クローゼットやテーブルなど色鮮やかな家具が並んでいて、その上に鎮座する無数の人形達。石で囲まれた冷たい地下室には不釣り合いな、ファンシーな光景を何一つ疑問に思うことなく、草十郎はベッドの方へと向かう。
「やあ、フラン」
「遊びにきてくれたの!?」
自分のベッドで退屈そうに寝転がっていたフランは、草十郎が声をかけるや否や眼を輝かせながら体を起こした。遊び相手をしてあげたいのは山々だが、彼は雇われの身であり、今は仕事を言いつけられている。期待を裏切るようで申し訳なく思いながらも彼は自分がここにやってきた理由を告げた。
「ごめんフラン。実は咲夜さんに、部屋の掃除を頼まれて来たんだ」
「なーんだ、つまんない…………そうだ! フランが草十郎のお手伝いをしてあげる」
妙案を思い付いたとばかりにベッドから飛び降りたフランは、彼の目の前にやってきて、仕事を言い渡されるのを待っている。その姿はさながら、構ってもらいたくて家族の手伝いを申し出る子供のようだ。
せっかくの彼女の申し出ではあるが、どうしたものかと悩む草十郎。本人が望んでいるとはいえ、使用人見習いである自分が、雇い主の妹であるフランに仕事を手伝わせてよいものかと。そんなことをすれば上司である咲夜から叱られるのは目に見えてるが、かといって彼女の好意を無下にするのも憚られる。
短い逡巡の後、最終的に天秤はフランドールの方へと傾いた。
「じゃあ、掃き掃除をするから家具を移動させるのを手伝って貰おうかな」
「うん、分かった!」
実際に掃除をさせるのは不味いと思い、軽い椅子やテーブルなどを運んでもらうくらいなら大丈夫だろうと判断したようだ。
元気良く、笑顔で返事をしたフランは早速手伝いをしようと意気込むと、部屋の中心に設置されていたベッドを片手で苦もなく持ち上げた。止める間もなく、アッサリと行われた出来事にさしもの草十郎も絶句する。
妖怪と人間では身体能力にかなりの差があることは分かっていたが、幼い少女がベッドを片手で持ち上げている様相はそれなりに驚いたようだ。
きっと彼女達からしてみればベッドも椅子も大して重さに違いはないのだろう。
「どうかしたの草十郎?」
「いや、何でもないんだ」
直ぐに気を取り直した草十郎は、ベッドを端に置くように指示を出しながら、思ったより早く掃除が終わりそうだと一人ごちた。
―――――
掃除を早々と終わらせた草十郎は、次の指示を仰ぐべく、地下室から出て咲夜を探し歩いていた。今の時間なら、咲夜は主の傍ら控えている可能性が一番高い。そのレミリアがどこにいるのかといえば、この紅魔館にいるときは大概紅茶を飲んでいるので、恐らくは自室のテラスにいるのではないかとあたりをつける。
余程のことがなければ日に七度のティータイムは欠かさないらしく、優雅に紅茶楽しむのも貴族としての嗜みだと言っていた。初めはそんなに紅茶を飲むのかと驚いたものの、彼の同居人もそういえば似たようなことを話していたのを思い出し、納得すると同時に懐かしさを覚えた。
同居人二人は元気にやっているのだろうかと考えながらも、ともかく今はレミリアの私室へ向かうことにする。
相も変わらず薄暗い屋敷の中で、カツカツという草十郎の足音に続いて、トコトコと歩幅の小さい足音が響く。少し歩くのが早かったと反省し、後ろからついてくる少女に合わせて早さを調節する。そうして彼の隣に並んだのは、何を隠そう、先程まで掃除を手伝ってくれていたフランドールだった。
掃除が終わった草十郎に、遊んでくれとせがむフランドールだったが、仕事中だからとやんわり断られると、今度は草十郎が休憩になるまで手伝うと言って付いてきてしまったのだ。隣を歩く少女は、人形のように愛らしく小首を傾げている。
「フラン、手伝ってくれるのはありがたいけど本当にいいのかな? 楽しいことでもないし、服も汚れるし」
「部屋にいても退屈なだけだからいいの!」
草十郎としては気を使ったつもりなのだが、逆効果になってしまったようだ。声を張り上げたフランドールは、笑顔から一転して不機嫌そうにそっぽを向いくと、それ以降は黙ってしまう。意思は固いらしく、あくまでも草十郎と一緒に行くつもりらしい。
まあそれならと、草十郎が彼女を連れてレミリアの部屋へと向かおうとしたその矢先、背後から床を叩く二組の音が聞こえてきた。振り返ると、闇の中に紅い瞳が二つ浮かんでいて、近付くにつれてその姿が浮かび上がってくる。
波打つ蒼銀の髪に、紅の瞳。
背中からは蝙蝠の羽が生えていて、ニヤリと笑みを浮かべるその口元からは、鋭い犬歯が顔を覗かせていた。
愛らしいドレスに身を包む姿に反して、彼女の纏う雰囲気は威厳に溢れ、自然と頭を垂れてしまいそうなカリスマ性を感じさせる。それもそのはず。彼女こそこの紅魔館の主、レミリア・スカーレットなのだから。
容姿はフランドールと良く似通っているが、その内面はまるで異なっているというのが、この姉妹に対する草十郎の所感だ。とりあえず彼は習った通り、雇用主のレミリアに、恭しく一礼をした。その所作は堂に入っていて、メイド長からは既にお墨付きを貰っている。
「やあ、草十郎。執事の仕事も中々板についてきたようじゃないか。尤も、その服は相変わらずだが」
レミリアは彼の挨拶に満足そうに頷いた後、褒めてるのか貶してるのか良くわからない言葉を投げかけるが、それを草十郎は誉め言葉と受け取ったようで、良かったと顔を綻ばせた。そして、二人の会話が一区切りついたのを見計らうようにして、レミリアの背後に控えていた十六夜咲夜がスッと前へ出てくる。
メイドであるときの彼女は、主を立てる為、基本的にはひっそりと背後で控えているが、それは存在感がないわけではない。寧ろ主従で釣り合いがとれていると言っていい。レミリアの側にいて見劣りしないというのは、メイドとしての能力はもちろん、その容姿も優れているからだろう。
仮に咲夜の真似事をしてもきっと誰にもその代わりは勤まらない。『忠臣は二君に仕えず』ということわざがあるが、逆もまた然りでレミリアも恐らく咲夜以外の従者は認めないだろう。
隷属でもなく、崇拝でもなく、ただ共にいるのが当たり前。そんな二人を見るたびに草十郎はひたすらに感心するのだった。
「掃除を申し付けていたはずだけれど、何か問題でもあったの草十郎?」
怪訝そうに尋ねてくる咲夜は、まだ掃除をしている筈の草十郎がここにいるのは何か予期せぬ事態が発生したからではないかと考えたようだ。それは半分正解で、半分間違っている。
因みに、その予期せぬ事態の元凶であるフランドールはといえば、草十郎の背後に隠れているものの、姉とは違う個性的な羽が隠せていない。勿論、二人ともフランドールの存在には気がついていて、それも含めて咲夜は説明を求めているのだ。
何にせよ、事の経緯は話さなければならないと、やや躊躇いがちに彼は口を開く。
「えっと……掃除はフランが手伝ってくれたので予定よりずっと早く終わりました」
『フランが手伝ってくれた』の辺りで、若干咲夜の目がつり上がった。
仕事中は主にポーカーフェイスな彼女だが、怒っているときの微妙な変化だけは、最近分かってきたのだ。それを喜ぶべきか悲しむべきかはこの際すみに置いておくとして、草十郎にとって今重要なのは自分の上司がややお怒りということに尽きる。
何となく怒られるだろうと予想していたが、今まさに、咲夜から注意が飛ぼうとしたところで、それを諌めるようにレミリアが右手を挙げて彼女の言葉を制する。
「お嬢様?」
「そうか、ご苦労だったな草十郎。ところで、今夜は月も綺麗な事だし、これから私たちは夜の空中散歩にでも出かけようと思うんだが……一緒にどうだ?」
唐突なレミリアの申し出。
また何やら良からぬことを考えついたように、ニヤリと笑みを浮かべつつ、彼女はフランドールの存在にあえて気がついていない風を装いながら草十郎を自分の散歩に誘った。
概ねレミリアの意図に気がついた咲夜は無言を貫き、意図が分らない草十郎はいつも通りの気の抜けた顔でキョトンとしている。
「あの、」
「お姉さま、草十郎はわたしと約束してるんだからつれていかないでよ」
草十郎がレミリアに何故かと尋ねるよりも早く、彼の後ろに隠れていたフランドールが彼女らしからぬ低く唸るような声音で、ピシャリと言い放つ。
猛禽類を想像させる紅い瞳で半ば睨み付けるように自分の姉を見つめるが、その右手は不安そうに草十郎の服を強く握り締めていた。まるで、自分の玩具を取られまいとする子供のような、愛らしい抵抗なのだが、実際はそう生易しいものではない。
フランドールに殺意はないが、怒りはあるらしく、姉のレミリアと遜色のないほどの威圧感を周囲に振りまいていく。
「おや、そこにいるのはフランドールじゃないか。久しいな、顔を見たのは何時以来だったか……」
フランドールの反応を楽しむように笑いながら、白々しく感じるような仰々しい仕草で、今まで気が付かなかったと驚いてみせるレミリア。フランドールは姉のそんな態度が気に喰わないようだが、レミリアからしてみれば思う壺だ。
「さて、姉妹の挨拶も済んだところで悪いが、草十郎は連れていくぞ?」
「お姉さまには咲夜がいるじゃない。二人も連れて行かなくていいでしょ!」
「何か勘違いしているようだが……、この屋敷の主は私だ。全ては私の所有物で、それをどのように扱おうがそれは私の勝手だ。咲夜や草十郎とて例外ではないのだよフランドール」
レミリアは近くへ歩み寄ってくると、妹の顔を覗きこむようにしながら言い聞かせるのだが、その楽しそうな表情といったら、思わず咲夜がため息を吐くほどである。
フランドールはそれ以上何も言い返さず、下を俯いたまま草十郎の後ろに隠れるようにしてしがみつく。その様子をじっくりと観察するように眺めていたレミリアだったが、程なくして満足したのか草十郎に視線を向けた。
「とはいえ、円満な主従関係を結ぶためにも無理強いは良くない。どうする草十郎? 私たちについてくるか?」
散歩がてら、もしかしたら首輪が見つかるかもしれないとレミリアは言う。
どうやら選択権は自分に投げて寄越されたらしいと気がついた草十郎は、数秒ほど考えただけで、至極あっさりと決めてしまった。
「フランと一緒に留守番していることにします」
「おやおや振られてしまったなあ。理由を聞かせてもらえるかな?」
「残念ながら、皆のように空は飛べないので」
理由を問われた草十郎は少し困ったように笑いながら、もし付いていくならレミリアか咲夜に運んでもらわなくてはならないと口にする。咲夜では大の男一人運んで飛ぶのは無理があるし、かといってレミリアに運んでもらうというのも本末転倒といえるだろう。
予想していなかった答えに、レミリアは『相変わらずお前は退屈させないな』と一頻り笑った後、咲夜をつれて散歩に出かけていく。去り際、立ち止まったレミリアは振り返らず、草十郎に声をかけた。
「さて、主の期待に応えられない執事見習いは放っておいて行くとするか。散歩から帰るまではフランの遊び相手でもして待っているといい。骨休めになるかは分らんがな」
威圧的な物言いだが、気のせいか草十郎には仕事はせずフランドールの遊び相手をしてくれと言っているように聞こえた。紅魔館の主としてではなく、フランドール・スカーレットの姉として、妹を構いたいというだけの分りにくい親愛の情だったのかもしれない。
去っていくレミリアに一礼する彼の背後では、フランドールが挨拶の代わりにべーっと舌を出していてはいるものの、彼女のほうも後を引いている様子はない。
「さあ行こう草十郎。何して遊ぶ?」
ささやかな抵抗と仕返しをして満足したのか、草十郎のほうを向いたフランドールは、彼の両手を取って嬉しそうに飛び跳ねる。草十郎としてもこれは嬉しい誤算というか、以前からずっと遊んでくれとせがまれていながらも、中々時間が取れず相手をすることができなかったので、これはいい機会だといえる。
遊びが隠れんぼか鬼ごっこの二つに絞られたところで、ふと気になったことがある草十郎。
「そういえば、フランはレミリアさんに付いていかなくてよかったのか?」
何気なく口にした言葉。
姉妹で出かけるというのは別段おかしなことではなく、せっかくだから一緒に出かけたらどうかという善意から尋ねた草十郎に対し、フランドールは変わらぬ表情のままこう言った。
「フランは紅魔から出ちゃいけないの」
抑揚のない声にどういった想いが込められていたかは分らない。ただ、その瞳の奥では、悲しみとも憤りとも付かない感情が揺らめいている気がした。
―――――――
夜の空中散歩に出かけた主従は、満点の星空の下、月を眺めながら優雅に空を浮遊していた。月は、満月には少し足りないが、それはレミリアにとって然程重要ではないのか、満足そうに微笑んでいる。と、いうより月を見ているのに別の何かを見ているように感じられた。
そんな主の後ろを黙ったまま付いていく咲夜。会話が求められるときと、そうでないときの違いを察する事は、彼女にとって容易い。今の主は機嫌が良く、ある程度満足したのならあちらの方から話しかけてくるだろう。
もうそろそろかと思ったその時、レミリアは月を眺めたまま独り言のように語り出す。
「我が妹ながら、中々にいじらしいとは思わないか咲夜?」
「余りいい趣味とはいえませんわ」
「そう固いことを言うなよ。たった一人の可愛い妹だ。ついつい苛めたくなるのも仕方のないことだろう」
先ほど起きた出来事を思い返し、咲夜は大人気ない主に内心ため息を吐いた。
草十郎を散歩に誘ったレミリアだが、本気で彼を連れ出したかったわけではなく、フランドールの反応を見たかっただけなのだ。
レミリアはフランドールが草十郎に執着しているのに気がついていて、あえて彼女から取り上げるようなことを言った。要するに妹をいじめて楽しんでいたという、子供染みた行為だったりする。
「前々からお前の存在をフランは羨んでいたからな」
「あら、モテモテですわ」
「口には出さなかったが、自分の専属が欲しかったんだろう。美鈴も仲がいいといえばそうだが、あいつは門番だからな。そこにやっと新しい使用人がきて、自分だけの専属にしたいんだろうよ。まあ、それだけじゃないようだがな」
「恋ですか?」
それまではいかにも悪巧みを考えていそうな顔でニヤリと笑っていたレミリアだったが、平然としたまま咲夜が口にした『恋』という単語を聞いた途端、何とも言えないような表情を浮かべて従者をねめつけた。
「お前、意外と乙女チックなことを言うな」
「あら、私は正真正銘、乙女を自負していますが」
「ぬかせ。お前よりかまだ草十郎のヤツのほうが乙女だろうよ」
「あらひどい。純情で繊細な乙女心にひびが入りそうですお嬢様」
レミリアは、乙女を自称する従者を半目で眺めながら、呆れたように鼻で笑い飛ばす。咲夜という人間を良く理解している彼女としては許容できない言葉だったようだ。
目元をハンカチで拭う仕草をする咲夜だが、その瞳は涙どころか潤んでさえいない。そのような余分なモノはとうの昔に枯れ果てていると彼女もレミリアも知っている。
「お前ほど難解かつ骨の折れる女もいないが……まあ今はいい。
本題に戻るが、フランにとって草十郎は、そうさな……お気に入りの玩具といったところか」
子供は興味のない玩具にはそれこそ見向きもしないが、お気に入りの玩具は食事のときであっても、寝るときであっても、片時も放さずいたいものだ。思い入れが強ければ強いほど、それは顕著なものになる。
けれど玩具の末路など大体が決まっていて、飽きられるか、持ち主に壊されてしまうかのどちらかだ。特に後者は幼い子供には顕著で、夢中になって遊んでいる内に、誤って壊してしまうことなど珍しい話ではない。
「何より、一見噛み合っているように見える二人だが、実は所々がズレている。そのズレが、いつか致命的なモノにならなければいいが、はてさて……精々私を愉しませてくれよ、静希草十郎?」
口角を吊り上げ、悪魔のような笑みを浮かべてながら、レミリア・スカーレットは期待を込めて執事見習いの青年の名前を呼んだ。もちろんその呼びかけに応える者はおらず、聞いているのはこの場にいる二人だけ。
咲夜にはレミリアが何かを楽しみにしているのは分ってもその内容までは分らない。ただこの先、草十郎に何かしらの出来事が待ち構えているのだことだけは確信した。それを彼に伝えるということは彼女には出来ない。ただ、願わくば無事に……そう想い空を見上げる。