「あー……重い疲れた面倒くさい」
負の感情を煮しめたような呻き声を口から漏らしながら、霊夢は夕日の中、大きな籠を背負いふらふらと幻想郷の空を浮遊していた。毎日態々人里まで買出しに行くのが嫌になった彼女は、横着をして一気に買いだめをしておこうとしたのだが、積載量すり切り一杯まで買った為、こんな状況になっている。
やっとのことで博霊神社へ到着し、とりあえず横になって怠けたいと思っていたが、戸口のところにナイフで手紙が突き刺さっているのを見つける。出て行くときには気がつかなかったようだ。
「人んちの戸に穴開けてるんじゃないわよ」
悪態をつきながらナイフを引き抜き、家の戸に縫い付けられていた手紙を読む霊夢だったが、書いてある文を目にした瞬間から彼女の表情が見る見るうちに不機嫌なものへと変わっていく。書いてあるのは短く簡潔に一文だけ。
『草十郎は貰うぞ』
誰から書かれたなど霊夢には一目瞭然で、手紙を通して傲慢不遜にふんぞり返っている姿が易々と想像できた。対して自分は炊事洗濯掃除に買出し、薪割りや水汲みに至るまですべて自分で行っている。本来ならそれが当たり前なのだが、草十郎にやってもらう事にすっかり慣れきってしまっていた霊夢にとっては、この手紙の差出人こそ、ここ数日の苦労の原因に他ならない。
「ふ……ふふっ」
ドサリと、背負っていた籠が落ちる。
挑発とも取れる文面に笑顔を浮かべる霊夢だったが、その目だけは決して笑っていない。もしここに誰かがいたら、確かに何かが切れる音を聞いただろう。
色々と我慢の限界を迎えた霊夢はすぐさま紅魔館へと飛んだ。何なら殴りこみするくらいの勢いだったが、到着するのを予期していたらしい銀髪のメイド長にすんなりと迎えられる。真っ赤で趣味が悪い屋敷だと心の中で毒づきながら、彼女は客間へと向かうと、案の定そこでは手紙の差出人が偉そうにふんぞり返っていた。
青いミディアムボブの髪に、深紅の瞳。
愛らしい容姿に幼い体。
人間の子供とそう変わらない外見だが、実年齢は500歳で霊夢の何十倍も生きている。ただ、妖怪の中で500歳は若い方で、中身も子供のように気分屋で我侭なのは彼女も知っていて、全くもって迷惑だと妖怪の癖に神社に遊びに来る吸血鬼を睨み付けた。
「霊夢をお連れしました」
「ご苦労。で、久しいな霊夢。とりあえず座るといい」
手を挙げ咲夜に指示を出すと、紅茶を淹れ茶菓子を用意させる。その間、両者とも沈黙しているが、霊夢はひりつくような視線を飛ばし、レミリアはそれに挑発的な表情で応えた。水面下でそんな応酬を暫らく続けながら、咲夜が紅茶を淹れ終わるのを待ってレミリアは簡潔に用件を述べる。
「手紙でも言ったことだが、草十郎を寄越せ」
「何であんなのにこだわるのか分らないけど却下よ」
「別にいいだろう。お前にとってあいつは邪魔で厄介者らしいじゃないか。草十郎が言ってたぞ? だから私が引き取ってやろうと言っているんだ。感謝こそされ、文句を言われる云われは無いと思うが。何なら欲しい物をやってもいいぞ?」
「じゃあアンタのメイド寄越しなさい。こちとら召使が一週間もいないせいで面倒な事になってるんだから」
咲夜を寄越せ。そう言われた瞬間、確実に部屋の温度が下がる。
常人なら怖気すら感じる殺意を振りまき、レミリアスカーレットはその表情から笑みを消す。それに対して霊夢も端から喧嘩を売りに来ているのか臨戦態勢になっていた。
空間が歪みかねない力の奔流。霊力と妖気。相反する力がぶつかり合う中で、それでも表情を変えないメイドが間へ割って入った。
「お嬢様、こんなところで始められたら後片付けが大変です。霊夢も私の仕事を増やすのはやめて頂戴」
「お前なぁ、少しは空気を読んだらどうだ」
「私や草十郎が愛されているのは分りましたわ。ですがお屋敷が壊れたときに掃除をするのも私たち二人ですよ」
口調は穏やかながらも、レミリアにぴしゃりと言い放つ咲夜。その後、別に愛しているわけじゃないと揃って口にする二人に、『そうですか、それは残念です』と微笑を浮かべている。
妙な横槍があったせいかすっかり毒気を抜かれたようで、霊夢もレミリアも一応は小康状態になったようだ。二人とも憮然とした表情で紅茶を口にした。ただ沈黙が流れる中、レミリアは空気を変えるように咳払いを一つすると、改めて提案をする。
「なあ霊夢一つ賭けをしないか?」
「賭け?」
「そうだ。仮に草十郎が今日でここを辞めるならこの部屋へやってくることになっている。逆に残るなら、奴はここには来ない……というよりは来れないと言ったほうが正しいな」
「良く分らないけど、とりあえずアイツが来るまでは待たせてもらうわ」
来れないという言い方には引っかかったが、いざとなれば力づくで連れて行けばいいと思い、レミリアの言う賭けに乗ることにした。けれど霊夢が暢気にクッキーを口にしている今この瞬間、草十郎はちょっとした危機に遭っているとは思いもよらない。
―――――――――
最後の仕事を終えた草十郎は身の回りの整理をしていた。といっても身一つでやってきたので整理といっても使っていた部屋を掃除したり、ベットを整えたりということくらいだ。早々にそれが終わり、これといって特に何もすることが無くなった彼は、別れの挨拶をしておこうと思い立つ。
門番の美鈴、パチュリーと挨拶を済ませ、フランの居る地下室へと向かった。律儀にノックをして扉を開けるとき、昨夜のレミリアとの話を思い出し、少し感じ入るような仕草をした草十郎だったが、直ぐに気を取り直してほの暗い地下室へ足を踏み入れた。
「あっ草十郎、来てくれたんだ! 今日もお話しましょう!」
草十郎の姿を見つけると、フランドールは満面の笑みを浮かべて走り寄ってくる。そして彼の腕を取ると自分のベットの方へと引いて歩いていった。別れの挨拶に来たのだが、幸いまだ時間の余裕はあるので少し話をするのもいいかと、草十郎は暫くの間フランと他愛も無い雑談に興じる事にした。
話す内容は紅魔館での出来事が主だ。美鈴が昼寝をしていて咲夜に怒られたことや、小悪魔が誤って本の山を倒してこっぴどく怒られていたこと、自分で紅茶を淹れたが咲夜とレミリアにはかなり不評だったことなど。
そこが特等席だと言わんばかりに、フランは草十郎の膝の上を占拠する。話を聞きながら、ときには驚いたりときには笑ったりしながら楽しそうに彼の話を聞いていた。身体を預け、そのまま草十郎の顔を見上げていたフランは何かに気がついたように手を伸ばす。
「草十郎、首の布が緩んでるよ?」
草十郎が止めるよりも早く、フランの手が緩んでいた包帯を掴み、解いてしまう。白い布は力なくハラリとフランドールの膝に落ちる。そして彼女は目撃した。
彼の首にある不幸な疵の痕を。
一瞬目を見開いたフランドールは気を遣うように俯いて視線を逸らす。その間に、草十郎はなれた手つきで包帯を巻きなおした。首輪に慣れていてすっかり失念していたと反省しているところに、首の後ろに回された手に顔を引き寄せられる。
目と鼻の先にある端正な幼い顔。姉と同じ瞳の色をしているのに、透明感がなく何が潜んでいるのか分らないような不安感を見るものに与える。
「フラン?」
「知ってるよ草十郎、今日帰るんでしょう?……ねえ、わたしの眷属にならない?」
同じ声音のはずなのに、その声には今までにはない、甘く蕩けるような淫靡な響きが感じられる。それにどうしてか彼女の瞳から目が逸らせない。
唐突な申し出や訳の分らない単語に首を傾げる草十郎にフランはまくし立てるように言葉を連ねた。首の後ろに回された腕は蛇のように、怪しく光る瞳は毒を注入する蜘蛛のように、彼を捕らえて離さない。
「フランも草十郎も一緒。誰にも理解なんてされない。一生独りぼっちで生きていくの」
「君にはレミリアさんや咲夜さんがいるじゃないか」
「分ってるくせに……確かにお姉さまや咲夜は大切な人だよ? けど理解するなんて絶対出来ない。特にお姉さまはそう。自分が何者か……自分が何処に居て何処に行き着くのかを知っている。吸血鬼としての秩序、誇り。そんなものを持っている限りね」
「…………」
そんなことはないと口を開こうとしてそれは叶わなかった。
彼女と自分が感じている痛みは同じ類のものだ。常に自分を圧迫し、茨のように絡みつく。苦悶の表情を浮かべる草十郎に、満足そうな笑みを湛えて彼女はなおも悪魔のようにささやく。
「私はね草十郎、お姉さまに言われたのも有るけど自分でこの地下に篭ったの。だってこんなのその気になれば直ぐ壊せるもの。
何でか分る? 誰もかれも絶対に私のことを理解できないと悟ったから。それはお姉さまも、咲夜も、パチュリーも、美鈴も……」
草十郎の首に回されていた腕が徐々に締まる。二人の体は密着し、フランドールの熱を持った息が直ぐ耳の横で感じられるほどにまでなっていた。けれど、それに反して今の彼女の言葉は凍えるような冷たさを宿していて、この抱擁もまるで極寒の中、温もりを求めているように見える。
「お父様に此処へ連れてこられて……初めは良く分らなかった。お姉さまとも余り会わせてくれなかったし、お父様自身も私に構ってくれなかったの。だから、褒めて欲しくて力を見せたんだー。お姉さまが『運命を操る程度の能力』を持つように、私にも『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』があったから。そしたらお父様に言われたの『お前は生まれてくるべきではなかった。お前は生きていてはいけない』って。
ひどいよね。痛くて、悲しくて、憎くて、それで少し脅かすつもりだったんだけど……そしたらお父様を間違って壊しちゃったの。あ、心配しないで草十郎は大切だからそんなことしないよ?」
弾むような無邪気な声で、寒気がするようなことを口にする。大切だから手を出さないということは、大切でなくなったのなら例えそれが人間でも妖怪でも壊すことに躊躇いはないということだ。
彼女の歪みは生来だけのものではない。まだ初めの段階だったのなら救われていた可能性もあっただろう。だが、その歪みを抱えたまま誰も居ない閉鎖空間に篭り、そして本来なら惜しみのない愛情を与えてくれるはずの親から全てを否定された。これが決定打だ。
もう彼女の価値観は強固で確固たるものになっている。どれだけ道徳を教えようと、命の尊さを説いても、もう彼女には何の意味もない。何故ならもう彼女の価値観は完成してしまっているからだ。
ましてやレミリアの言っていた秩序や誇りなどとは恐らくは永遠に相容れない。どれだけ近くに在ろうとも平行な線が交わる事は決して無いように、彼女達が以前のような関係になることはないだろう。
もしレミリアが妹の価値観を受け入れられたのなら、又はフランドールが少しでも姉の持つ秩序を理解できたのなら、また違った関係がそこにあったのかもしれない。愛はあるのだろう。けれどお互いがお互いの根幹を成す部分を決して受け入れられないのなら、それはある意味仲を違えるよりも残酷だ。最も近しい人間に理解されないという不幸はそれだけでフランドールを苛む。
「お友達もいない……知ってる? 友達はね、自分より不幸じゃないと友達になれないんだよ? だって惨めじゃない。私よりも何もかもが幸せのヤツの傍に居るなんて苦痛でしかない。
けど草十郎は違う……私と一緒にいる資格がある。だって貴方はそんなにも不幸だもの。私たちはお互いのことを理解出来ないけれど、痛みは分かち合う事が出来る。永遠に二人でそうして生きていきましょう?」
目の前で花が咲いたような笑みを浮かべる少女だが、草十郎にはそれが痛ましくてならない。何処か鏡を見ているような感覚に囚われる。確かに二人は似ているが、似ているだけで決定的に違う。彼は命の尊さを知り、彼女は命の尊さを知らない。たったそれだけのことが決定的であり、最大の違い。
草十郎を抱きしめるように顔を首筋へと埋めるフランドール。もうすぐ目の前の人間が自分だけのモノになる。壊れない、自分だけのお気に入りの玩具。
熱い吐息を漏らし、待ちきれないとばかりに発達した鋭い犬歯を突き立てようとするが、その前に草十郎の言葉が彼女を金縛りにする。
「眷属がどういうものか分らないけど、その願いには答えられない」
必死な告白にも似た想いに対する明確な拒絶の言葉。
目に見えない拘束に抗って草十郎はしっかりと口にした。
笑みが顔から滑り落ち、無表情になる少女。
彼はフランが無意味かつ無自覚に命を摘み取ることを許さないし、恐らくそれは両者にとって何時か致命的な疵になるだろう。何より彼女は同じ空洞を埋めたがっているだけ。それでは彼女の為にはならないと、彼はフランの想いに応える事はなかった。
「けど友達にならなれる。
それにやっぱりフランは一人じゃないよ。友達だったら他にも霊夢や魔理沙だって居るだろう?」
それじゃ駄目かなと小首を傾げる草十郎と数秒ほど見つめあった後、フランドールは表情を緩める。緊張していた空気がゆっくりと弛緩していくと、感じていた拘束感も消えていった。
「草十郎は鈍いって言われない? 断っておいて友達でいようなんて叩かれても文句は言えないよ?」
フランは淡くはにかみながら、優しい草十郎につい意地悪なことを言いたくなる。草十郎は申し訳ないと、しゅんとした表情になり、それを見て幾らか溜飲を下げたのか、彼女は膝から立ち上がると、初めにそうしたように草十郎の手を引いて扉の前まで連れていく。
また今度遊びに来ると、ささやかな別れの挨拶をして階段を上がっていこうとする草十郎に、背後からフランドールが声をかける。
「世界は私たちには優しくないよ……気をつけて草十郎」
気遣うような、それでいて何処か悲しげな響きに立ち止まりそうになるが、既にフランは自分のベットの方へと歩き出している。彼女を呼び止めるのも躊躇われ、草十郎はそのままレミリアの待つ私室へと向かうため階段に足をかけた。
そうして暗い廊下を歩いていくと、何故かそこには霊夢がいて、レミリアと紅茶を飲んでいた。それを見て二人は仲が良いなと的外れのような、あながち間違いでもないような感想を草十郎は抱く。とりあえず霊夢と話す前に草十郎はレミリアに向き直る。
「レミリアさん、今までお世話になりました」
「ああ、ご苦労だった。たまには働きに来るといい。歓迎するぞ」
「草十郎これ、きちんと直しておいたわ」
そう言って咲夜から手渡されたのは元々彼が着ていた洋服だった。フランドールとの弾幕ごっこでボロボロにされたが、それが分らないほど綺麗に縫われている。
「草十郎、お前は十分に働いてくれた。だから一つ手土産をやろう」
「土産?」
「白玉楼に行くといい」
その地名は草十郎の中にある幻想郷の知識に引っかかった。
冥界にあるという大きな建物で、慧音からは紅魔館と同じく、滅多なことでは行く場所ではないと言われている。何故そこに行くといいのかと顔に出ている草十郎に先んじてレミリアが説明を行う。
「私はちょっと特殊な能力を持っていてな。平たく言えば断片的に未来が見えるものだ。別に白玉楼には行っても行かなくてもいい。私がお前にくれてやるのはあくまで選択肢だ。伸るか反るか、ゆっくり考えるといい」
その後、別れを感じさせないほどあっさりと挨拶を済ませ、草十郎はやってきた霊夢を伴って紅魔館を後にする。見送りは門番である美鈴だけだったが、彼自身別段気にした様子も無く、むしろそんな深刻さはいらないというのが彼の考えだった。少なくとも幻想郷に居る限り、会おうと思えばまた会えるのだから。
月明かりに照らされ、長い影は二人の歩みに合わせるように揺れていた。会話はなく、ジャリッという二人の足音だけがやけに大きく響く。紅魔館での出来事を思い出しながら、霊夢と並んで歩いて博麗神社へ帰る草十郎だったが、ずっと疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば霊夢、君は何で怒ってるんだ?」
そう、草十郎がレミリアの私室に入ってから今に至るまで、ずっと彼女の表情は険しいまま。もっと言うなら控えめにも何かに対して怒ってるようにしか見えない。最近、霊夢という人物が分ってきた草十郎だったが、怒っているのは分かってもその訳までは分らないのだった。
「もしかして何か悪いものでも食べたのか? それともお腹が空いてるのか?」
「別に、怒ってないわよ」
というか、あんたの中で私は腹ペコ魔人かと憤慨しているが、何時も霊夢の様子を間近で見ている草十郎からすれば、彼女は十分食に執着しているように思える。まあそんなことを本人に言えるわけもないが、それはそれとして、草十郎には彼女が何処からどう見ても怒っているようにしか見えない。
突っ慳貪な態度でそっぽを向く霊夢に草十郎はお手上げだった。顔は見えず、赤い大きなリボンは会話を拒むかのよう。取り付く島もない彼女にどう声をかけようかと考えていると、その前に霊夢が不機嫌そうに口を開く。
「随分と仲が良いのね。人里でもくっついてたし」
「ああ、特に咲夜さんには良くしてもらった。服も縫ってもらったしね。ところで何で霊夢がそれを知ってるんだ?」
「風の噂よ。それより、レミリアに住み込みで働かないか誘われてたんでしょ? 断って良かったの?」
「何で?」
霊夢の言うことが心底分らないといった顔できょとんと首を傾げる草十郎に、相変わらず察しの悪いヤツだと彼女は小声で呟く。
「だーかーらー! 私に遠慮しないで今からでも雇ってもらってくれば? 大切にされてたみたいだし、何処かの誰かさんみたいに邪魔者扱いされなくて済むわよ」
「確かに良くはしてもらっていたけど、それは無理だよ。もう直ぐ畑仕事も始まるし。何より、帰る場所は霊夢の居る博麗神社だからね」
だからレミリアの申し出は嬉しいけれど受けることは出来ないと、ささやかな笑みを浮かべながらそう告げる草十郎。霊夢は変わらず明後日の方向を見ているが、纏う雰囲気が随分穏やかなものになる。
「そうだ霊夢、今度お饅頭でも食べに行こう。何でも女の子は甘いものが好きだと咲夜さんから聞いた」
「餡蜜……」
「うん?」
「餡蜜奢りなさい」
早速咲夜に教わったことを実践する草十郎。彼以外がやったのなら霊夢の逆鱗に間違いなく触れていただろうが、草十郎が霊夢のことを知りつつあるように、霊夢もまた草十郎のことを少しずつ理解してきている。そもそもそんな単純な足し算引き算が出来るなら、そもそも彼は博麗神社で使用人紛いなことをしてはいない。
餡蜜でチャラにしてあげると言いつつ、ようやく曲げたへそを直し霊夢はようやく草十郎に向き直ると、明日から炊事洗濯、掃除に料理、全てを任すと満面の笑顔で口にした。何だかんだ言いつつも結局食べ物で釣られることにしたようだ。
草十郎はちょっとばかりレミリアの誘いを受けなかったことを後悔しつつ、何気なくズボンのポケットに手を入れると何か紙のようなものに触れる。気になって取り出してみればそれはボロボロになったお札だった。フランとの弾幕ごっこのときに入れてそれっきりになっていたらしい。
「そういえば霊夢、貰ったこれ」
「ああお札……って、なんでボロボロになってるのよ!」
「すまない、フランと弾幕ごっこをしたときにこうなったんだ。あ、フランといえば『けんぞく』って何かな? フランになって欲しいと言われたんだけど」
続けざまに爆弾を投下する草十郎に思わず霊夢は自分の耳を疑う。彼の言う事がすべて真実なら、彼が死に掛けたのは一度や二度ではないし、下手をすると人間ですらなくなっていた可能性すらある。だというのに事の重大さにまるで気がついてない彼は、夕食の献立を考えるような仕草で悩んでいる。
彼女はもう何処から突っ込んでいいのか分らず、とりあえず草十郎に怒りをぶつけることにした。月明かりの差す空に霊夢の怒声が響き渡る。
―――――
草十郎と霊夢が出て行った後、レミリアは咲夜と二人で私室に残り、新たに淹れさせた紅茶に口をつけている。今日が満月だからか、はたまた他に良いことがあったのか、その表情は楽しげだ。その心情を察したかのように、傍らのメイドが口を開く。
「嬉しそうですねお嬢様」
「そう見えるか?」
そういって益々笑みを深める主は、こうしてもったいぶるときほど上機嫌なのだと咲夜は知っている。
「草十郎を妹様の眷属にしようとなさったのですか?」
「ああ。だが、フランは振られたようだがな」
「まあ、草十郎も罪作りですね」
「お前がそれを言うか」
不機嫌そうに半眼になりながら文句を言われるが、咲夜の表情が崩れることはない。そのことについてはもう彼女の中で結論は出ているし、レミリアもまたそれをよしとしている。それでも嫌味を言ったのは一握りの未練ゆえか。
かつて同じ様なやり取りをした二人。そこに至るまでの経緯は全く別だが結果として咲夜は草十郎と同じ選択をした。彼女は人として、限りある命の中でレミリア・スカーレットという吸血鬼に仕えることを選んだのだ。
『私は一生死ぬ人間ですよ。
大丈夫、生きている間は一緒にいますから』
この選択に対して咲夜は一部の悔いもなく、またレミリアにとっても従者の誇りを汚すということは彼女を殺すということと同意義になってしまう。それだけは、例え何があろうとも出来はしない。
「それにしても、仮に草十郎が妹様の眷属になってたらどうなさっていたのですか? もしそうなっていたら恐らく霊夢は」
「その時はその時だ。本気の霊夢と殺りあうだけだよ」
どちらに転ぼうがレミリアにとって都合が良い展開になる。運命を操る程度の能力。それがどの程度のものなのかは咲夜にも分らないが、少なくとも草十郎を紅魔館に迎えたときから、彼が分岐路に立たされることを知っていたのは確かだろう。
一見して草十郎の選択はレミリアにとって益のないように思えるが、咲夜には分っていた。
「知ってるか咲夜? 私は存外、人間が好きなんだ」
「知っていますよ。お嬢様は人間を愛しているのでしょう?」
弱く、浅ましく、醜い生き物。けれど時としてその命は鮮烈に輝き、強さを宿す。そんな人の可能性を彼女は誰よりも愛している。口にはしないが、咲夜はそれが分っているからこそ人であり続けることを選んだのだ。
「あいつは中々に楽しみだ。お前とも霊夢とも違う……が、それでも強さを感じる。有望株というやつだ」
果実が熟するのを待ちわびるように、レミリアは期待を膨らませる。運命を操るスカーレット・デビルは満足そうに月を眺めながら紅茶に口をつけた。