「ゲホッゲホッ……クソー!失敗しちまったぜ!」
草十郎に手伝いを任せ、自宅で魔法の実験に励んでいた魔理沙だったが、その成果は余り芳しくない。
より効率的な魔力の運用のために新しい魔法薬の配合を試すも結果は失敗。鍋の中身がボンっという音と共に爆発し、煙を吸って咳き込んでいる。幸いにも怪我は無かったのだが、衝撃で積み上げているものが崩れてひどい有様になっていた。
元々実験のためのスペースなので禄に掃除しない彼女の家は、先ほど訪れた香霖堂に負けず劣らず物でごった返している。香霖堂の店主である森近霖之助との会話で度々店内の惨状を槍玉に上げるが人のことは言えない魔理沙だった。
また余談ではあるが、この中にある本の大半が、ちょっと借りていくと称して大図書館から強奪してきたものだったりするので、もしパチュリーがこの部屋を見たら激怒する可能性は極めて高い。
彼女は少し休憩だと言ってゴロンと仰向けになると、バンザイをするような姿勢になる。寝たまま体を伸ばし、強張った筋肉を伸ばしていると左手にこつんと触れるものがあった。
何だと手にとってみれば、それは写真立てだった。
随分昔の思い出。
まだ何も知らず、ただただ幸せだった頃の残骸。
自分も彼女も変わってしまった。
この写真の中で今も尚変わらずにいるのは霖之助くらいで、だからこそ自分も霊夢も時折香霖堂を訪れるのだと彼女は思う。
そういえば彼と一緒に写真立てを作ったのだが、綺麗に出来なかったので交換してもらったのだと思い出し魔理沙は苦笑した。写真を胸に抱き、三角帽子を目深に被って目蓋を下ろせば、あの頃のことが鮮明に思い浮かんでくる。
別に二人は親友なんて呼ばれる間柄ではなかった。
時折人里に遊びに来る少女がいて、彼女もそれに混じって遊んでいただけ。
ただ、良く笑う女の子だというのが初めて抱いた印象で、その容姿は同姓の彼女から見ても可愛いらしいと思えるくらいに整っていて、初めて話すときには緊張したのを覚えている。
その女の子が人里に遊びに来るときは決まって一人の女性を伴っていた。名は知らない。ただ周囲は“博麗の巫女”とだけ呼んでいて、そのあたりは彼女も気にならなかった。
二人は徐々に仲良くなっていき、個人的な話をする機会も増えていく。その中で、少女が話してくれたのはその博麗の巫女の事。悪い妖怪を倒し、人里を守っているのだと誇らしげに語っていた少女は、自分の母親の事が大好きだった。
この時代の博麗の巫女は今とは違い、純然たる武を以ってこの幻想郷のパワーバランスを担っていた。妖怪と死闘を繰り広げたこともあったらしく、その体には無数の傷跡が残っていて、それを気遣ったが為に、少女が泣いて怒ったこともあった。
彼女も、そして道具屋の店主も、博麗の巫女に対して嫌悪感を抱いた事は無い。それどころか、強く、そして優しい女性として憧れもした。少女と二人、憧れを口にすると困ったような、照れたような顔で笑って抱きしめてくれたのを覚えている。
けど、他の人間は違う。
強力な力を持ち、妖怪を倒しうる巫女に対して、向けていた感情は怖れ。全てがそうだったわけではないが、大半の人間が自分たちを助けてくれているはずの巫女を怖れていたのだ。
けど彼女も少女も、時折四人で集まって他愛もない話題に華を咲かせる。たったそれだけのことで満ち足りて、この幸せな時間が続くと信じて疑いもしなかった。
だがある日、少女の母親が倒れた。
顔なじみの店主に聞いてみても原因は不明で、博麗の巫女は弱っていくばかり。
どうしようもない状況が続く中、しとしとと雨の降る日に…………少女の母親は静かに息を引き取った。
ここからは余り思い出したくない、苦悩する日々が続く。
暫くの間、ゴタゴタして余り少女とも会うことができなかった。
やっと会えたのは葬式のとき。神社で行われた、参加者が十人にも満たないささやかな別れのときに、大粒の涙を零しながら物言わぬ母親に抱きついて少女は泣いていた。
胸が酷く痛み、言葉をかけることも出来ないまま顔なじみの店主に手を引かれて彼女も帰りながら泣いた。
少女の悲しみが癒えるようにと、願うことしか出来ないもどかしさを感じながら七日ほどが経ったころ、彼女は人里にやってきた。
言いたい事は沢山あったけれど、まずは顔を見たくて駆け寄った。またあの大好きだった笑顔が見れるのだと信じて。
けれど、大人に囲まれている少女の表情を見て愕然とする。つまらなそうに大人の話を聞く彼女にはあの笑顔は無く、何処か張詰めた空気を纏うようになっていた。
大人たちは口々に少女の事をこう呼ぶ
『巫女様』
『みこさま』
『ミコサマ』
違う、少女の名前は『 』なのだと声を大きくしても大人たちは首を傾げるばかり。巫女は少女の母親だったはずなのに、先代のことを話しても、詳しく覚えている者は両手で数えられるほどしかいなかった。
その光景を見て、話しを聞いて、彼女は背筋がゾッとする。
だって誰も先代の名前を知らない。それが唯一の呼び名だったのに、少女が“博麗の巫女”になってしまったら、少女の母親はどうなってしまうのか。もしかしたら皆忘れて、存在すらなかった事にされてしまうのではないか。
そう考えると怖気がする。少女の母親の事もそうだが、それ以上に少女も同じように全ての人々の記憶から忘れ去られてしまうのかと、考えただけで震えてしまう。
彼女は父親の下に走って思っていることを全て話した。父ならもしかしたら何とかしてくれるのではないかという淡い希望は、しかしあっさりと砕かれる。
“博麗の巫女”とは元よりそういう役目であり、この幻想郷が恙なく回っていくためには必要な事なのだと実の親に告げられたときの絶望と嫌悪は今でも胸に燻っている。
自分も、父も、母も、村の人々も共犯者で、全てを“博麗の巫女”に押し付けてのうのうと暮らしてるように見えたのだ。それがたまらなく悔しくて、何も出来ない無力感に打ちのめされた。
少女はそれから人里に来ることは滅多になくなる。
妖怪が出たり、子供についた霊を払うときなどでも、自分の仕事が終わると直ぐに神社へ帰っていく。
たまにふらりと人里へ来ても、子供たちの遊びには混ざらず、寧ろ退屈そうな顔で眺めていた。世間話をしている姿も目撃するが、彼女は随分と様変わりしていて、感性は幼いままなのに、その判断基準は合理的で、大人びている。
例えその行為を心が拒絶しても、それを無視して事を成せる強さを何時しかその身に宿していた。
上手くは言えない。けれど少女をこのままにしてはいけない気がしたのだ。
このままでは、あの子が独りになってしまう。あやかしからは憎まれ、にんげんからは怖れられる。そんな未来を幻想し、彼女は一つの決断する。
けれどどうしたらいいのか分らない。あの少女は既に仲良しこよしの友達など必要としていないのだ。なら一体どうすれば彼女と共にいられるのかと考えて、考えて、一つの結論が出た。
それからの行動は早かった。伝を頼って魔法を勉強し、道具を作ってもらい、それから血の滲むような努力を続けた。これそがあの少女と共にいるための近道なのだと言い聞かせ一心不乱に取り組んだ。
そしてその努力が彼女の中で実を結び始めた頃、噂を耳にする。それこそが『弾幕ごっこ』だった。内容を聞いた瞬間、これだと飛びつき、更なる詳細を待ってから行動に移した。
異変解決の専門家になると父に告げたとき、それはもうとんでもないことになったが、勘当だと言われ彼女はあっさり家を出た。人里に永く居ると先代や少女との日々を忘れてしまう気がしたからだ。
そして魔法の森に家を建て、顔なじみに戦闘服を作ってもらう。黒い三角帽子に、エプロンドレス。昔の魔女をイメージして注文を出したのだが、美しさを競うのだから可愛らしくすることも重要だ。箒とミニ八卦炉を装備して、意識を改革する。
『私は異変解決の専門家です』
口にしてみると迫力が無い。少しへこみながら熟考の末、言葉遣いを変えることにした彼女は、少女がいるであろう神社へ急いだ。境内に着地し、大きく息を吸って大声を出す準備をする。
『たのもぉおおおおおおおおお!』
言ってやったと、軽い高揚感を覚えながら待機していると、面倒くさいと言わんばかりのだるそうな顔で巫女は姿を現した。
『なにアンタ? 用事ならもっと静かにやってくれない?』
彼女を目の前にして緊張は一気に最高潮へと。五月蝿いくらいに鳴り響く心臓を押さえつけ、内心はおくびにも出さずに高らかに宣言をする。彼女には勿論、自分にも言い聞かせるように。
『私の名前は魔理沙だ! 博霊の巫女だかなんだか知らないが、異変解決のスペシャリストを自称するならこの私を倒してからにしてもらわないと困るぜ! さあ勝負しろ、霊夢!』
あのときの事を思い出して彼女は苦笑する。
初戦はそれはもう酷いぐらいに惨敗で、帰ってから大層へこんだが、それでも毎日押しかけた。努力して、相手の弾幕を研究して、そしてまた努力した。努力の内容なんてもう覚えていない。そもそも思い返せる程度の努力なんで最早彼女からしてみれば努力とは言えないのだ。
何十連敗として何度心が折れかけたか分らない。それほどに挑んだ相手は天才だったのだ。
彼女とて才能はある。けれど、相手と比べてしまえば凡百のそれで、自分が挑んだ壁が如何に高いものだったのかを思い知った。
けれど、彼女は諦めない。そして途方も無い努力の末、ついにその時はやってきた。やっとの事で辛勝するところまでこぎつけ、飛び上がって喜びたいのを自制して、予てから言おうと思っていたことを告げる。
あくまでも自信たっぷり、かつ相手が悔しがるように。
『まあ私が本気を出せばこんなもんだ。けどまあ、お前さんも良くやったよ。だから私のライバルとして認めてやるぜ!』
目の前の少女を指差して高らかにライバル宣言を飛ばすと、初めはポカンとしていたのが、ムッとして、暫くするとそれが小さな笑顔に変わった。馬鹿にして吹き出しただけなのだろうが、そんな笑顔に過去の面影を見る。
それからは別段語るべきことではなく、異変が起きては互いにどちらが早く解決するのかということの繰り返しだ。けれど彼女の目的は既に達成されていた。
そう、彼女は……霧雨魔理沙は、博霊霊夢の
「我ながら若かったよなぁ」
まるで年寄りのような事を口にするが、それだけ今に至るまでの道が険しかったのだろう。
自分の行動にどれだけの意味があったのかは分らない。
心配も的外れでただの杞憂だったのかもしれない。
もしかしたら何もしなくても霊夢は勝手に独り逞しく生きていたかもしれない。
けれどその選択に一切の後悔はなく、また今も尚、彼女の宿敵であるための研鑽は続いている。
霊夢の生き方はどんな茨の道でも、その茨ごと引きちぎって進んでいきそうなほど力強いもので、助けなんて全く要らないんじゃないかと思うこともある。友達甲斐の無いヤツだよなと笑いながら顔を思い浮かべていると、最近大きな変化があったことを思い出した。
突如として現れた外来人、静希草十郎。当初は蛇蝎のごとく彼の存在を嫌っていた霊夢はある日突然居候を許し、今では色々と世話を焼かせている。彼女がここまで直接的に甘えるのは稀で、他には霖之助くらいにしかあんな態度は見せない。
確かに自堕落で、横暴なところはあるけれど、あそこまで明け透けで、無防備な彼女を見たのは本当に久しぶりだった。少しずつ、けれど確実に、良い影響を与えてくれていると魔理沙は確信している。
もしかしたら何時か近いうちに、あの無邪気な笑顔が見れるかもしれない。そんな期待と感謝。それが彼に手を貸す二つ目の理由だった。
「さって、休憩は終わりだ」
過去を思い返すのはここまで。
たまにならいいが、後ろばかり見ていても意味が無い。
決意を新たに、実験を再開する。全ては自分の為であり、まだ見ぬ宿敵の無防備な笑顔を見るという野望を胸に秘め、一歩一歩確実に前進していく。今の積み重ねが未来になると信じて。
その後、それなりの結果が出たので彼女は一先ず実験を終える。結果といってもまだまだで、進歩は微々たるものだがそれでも前進できただけよしとすることにしたらしい。
空腹を覚え、神社に飯をたかりに行くかと考えたところでやっと草十郎に手伝いを押し付けていたのを思い出し、香霖堂へと向かった。
「迎えにきたぜー……ってなんだ、全然片付いてないじゃないか」
「もう殆ど夜じゃないか。彼ならとっくに帰ったよ」
実験が終わった頃には既に日も暮れていて、店に顔を出してみれば既に草十郎の姿は無く、店も相変わらず物で溢れかえっている。
ガラクタから奥にいる霖之助の方へ目を向けた魔理沙は、彼の手の中に見覚えのある写真立てを見つけ、露骨に顔をゆがめた。
「何だよ、まだそれ持ってたのか。人が悪いぜ香霖」
「君が初めて作ったものだからね。年季もあるし、愛着も沸くさ」
フッと笑い、不出来な写真立てを机に置くと、彼はお茶を入れて戻ってくる。湯飲みを魔理沙に手渡し、自分も口にして、彼は外来人の青年とのやり取りを思い出す。
大体の事の顛末を話し終えると、彼は顔すら見たことのない先代の死を静かに悼んでいた。程なくして、重たい口を開くと、先代の最後について聞かれる。
『あの、霊夢のお母さんは最後に何か言ってましたか?』
『そういえば……』
思い返してみると別段何も言っていなかったことに気がつく。霊夢個人に話したことはあるだろうが、亡くなる前日に神社を訪れた際も何かを頼まれることはなく、それどころか死を前にして彼女は穏やかだった。
それを聞くと安心したように外来人の青年はホッと胸を撫で下ろす。少し気になってどうして安心したのかと尋ねてみると彼はこんな事を言っていた。
『だって何も頼むことが無いのは未練も後悔も無いってことでしょう? きっと霊夢のお母さんは全部分ってたんだ』
『何がだい?』
その瞬間、遠い過去の先代巫女と彼の姿が重なって見える。最後の別れ際、霊夢が心配じゃないのかと聞くと彼女は首を横に振ってこう言ったのだ。
『『だって霊夢は強いから、そんな心配は要らない』』
言葉をかみ締めるようなところまでそっくりで、不覚にも何十年ぶりに呆然としてしまった。霊夢の母親は娘の強さを誰よりも分っていたからこそ、誰に何を頼むことも無かったのだと。そして、霊夢のもつ強さとは霊力とかそういったことではなく、例えどんな困難が在ろうとも、正面から打ち砕いていけるような心の強さだと彼は言う。
『それに霊夢には魔理沙や貴方もいる』
だから霊夢が独りになることは決して無いと彼は付け加えるが、それで先代が安心して逝ったというなら店主には少し癪だった。態々言うまでも無く、魔理沙と彼が霊夢を気にかけることが分っていたというのなら、それは底抜けにお人よしだと言われているようなものだ。
これは一杯食わされたのかなと、霖之助は今は無き先代巫女の顔を思い浮かべる。
その後、暫く雑談をした後、彼は帰って行った。
改めて思い出してみると不思議な人間だったと霖之助は思う。
あんな話を聞かされたあとなら、普通は残された側を心配するところなのに、彼が心配したのは母親の方だった。
まだ会って間もないはずなのに、霊夢の内面を知り、心からの信頼を置いている。力ではなく心が強いと断言する青年には彼女を心配する素振りは無く、また言葉一つとっても何故だか納得させるような響きがあった。
真面目そうなのに何処か抜けていて掴みどころが無い。それでいて他者とは何処か違う視点を持っている。そんな先代巫女と外来人の青年は少し似ていた。
「彼は変わっているね」
「……それを香霖が言うか。人の振り見て我が振りなおせ、だぜ?」
変人扱いされ、失礼だなと下がってきた眼鏡を指で戻した霖之助は、今の博霊神社の様子を想像してみる。
「彼はもう家についてるだろうね」
「きっと、こき使われて飯を作らされてると思うぜ?」
薪が燃え、包丁がまな板を叩き、重ねた皿が擦れる。そんな生活の音を耳にしながら、彼女は料理の匂いと一緒に自分たちの食器が運ばれてくるのを待つ。
いただきますと手を合わせ、卓袱台を囲む二人。霊夢は守銭奴に見えて食べ物に関しては財布の紐が緩いから、質素倹約を地で行きそうな彼にあれが食べたかったなどと文句を言っていそうだ。そしてあれこれ文句を言いながら、結局は何だかんだ残さず食べるのだ。
ああ、それは何て当たり前で―――――何て暖かな光景だろうか。
「私も腹減ってきた。鍋でいいぜ?」
「僕が作るのかい? 夏に鍋なんて……まあいいか。普通に料理を作るよりは楽でいい」
重たい腰を上げて御勝手へ向かう。久しぶりに魔理沙と鍋をつつくのもいいかと気まぐれに思ったのかもしれない。
変わった外来人の青年。そんな彼だからこそ、霊夢が居候を許したのだろうと彼は思う。
昔の写真を一瞥し、振り返る霖之助の表情は、とても優しい笑顔だった。