「助かったのかな……」
いまひとつ実感が沸かないといった様子の草十郎は、胸の中にあるモノの変化に気がつく。
服に手を突っ込み取り出したのはボロボロになった一枚のお札。霊夢に前もって肌身離さず持っておくようにときつく言いつけられていたのだ。
霊夢に助けられたなと胸を撫で下ろした草十郎だったが、それを見たフランが烈火のごとく怒りだす。
「ずるいずるい! ボムを持ってるなんて聞いてない! フランの負けじゃない、草十郎がずるした!」
駄々をこね始めるフランはまさに外見どおりの少女のようだが、こうなってくると草十郎には別の意味で手がつけられない。命の危機にあったことも何処へやら、フランの言い分も尤もだと申し訳なく思う。
草十郎が謝りなんとか宥めてはみるものの、彼女の癇癪は酷くなる一方で、仕舞には手に持った杖が再び赤く光り始める。
これは不味いのではと草十郎が慌て始めるのとほぼ同時に、第三者の声がフランドールを諌めた。
『フラン、今回はお前の負けだ』
「お姉さまっ」
『そもそもお前が出した条件は
「……はい。
ごめんね草十郎」
厳しく諌められ、しょんぼりしながら謝罪をするフランに気にしてない旨を伝えると、また遊んで欲しいと言われる。それ自体は構わないのだが、もう弾幕ごっこは遠慮したいと思う草十郎だった。
『さて……試験は合格。こちらに戻ってきてもらえるかな?』
「えー、もう行っちゃうの?」
頬を膨れさせながら、フランドールは少女のような陽気さで草十郎の腕を引くが、その力は到底子供の出せるものではなく、握られている場所がキリキリと痛む。
『彼にはまだ用事がある。それに、暫くはここで働く事になるから気が向いた時に会えるから今は我慢しなさい』
「はーい……」
姉の言葉に素直に従うとその万力のように草十郎を締め付けていた手を離すフラン。改めて人と妖怪との身体能力の差を痛感した。
彼女に別れを告げ出口の方へと振り返れば、そこには今までどれだけ走っても見えてこなかった扉が目と鼻の先にある。道の幅も、扉までの距離も全てが元通り。あれは自分の錯覚だったのかと考えながら彼は地下室の外へと出てた。
その後待機していた咲夜に連れられ、客間へと戻ると満足そうに口角を上げるレミリアが草十郎を出迎えた。
この部屋には彼女しかいないのに、何故か机の上には空になったティーカップが二つある。何となく、レミリアと咲夜以外の誰かがいた形跡が在るのだが、入れ違いになったのかその姿はどこにも見られない。まだカップの底が乾ききっていないところから察するに、そう時間は経っていないはずだ。
「まあ座れ。
さて、ずいぶんと楽しそうだったが、我が妹とのお遊びはどうだった?」
「色々とめちゃくちゃでした」
眉間に皺を寄せ、彼にしては珍しく言葉に怒気を含ませている。レミリアがこうなると分った上で草十郎をフランドールと遊ばせたのに気がついたのだろう。ムッとした顔で抗議しながら椅子へ腰掛ける。そんな草十郎を尻目に、レミリアは空になったカップの持ち手を爪で弾きながらクツクツと笑っていた。どうやら彼の反応を楽しんでいるようだ。
「ふふ、それはすまなかったな……それでどうする?ウチで働くのを止めるか?
フランドールは加減を知らん。ひょっこりくびり殺されるかもしれんし、何よりここにももう一匹、危険な吸血鬼がいるぞ?」
謝罪の言葉を口にするが悪びれた様子もなく、それどころか『お前など簡単に殺せる』と、暗にそう告げながら鋭利な爪で首を掻っ切る仕草をするレミリア。先ほどの弾幕ごっこで既に痛いほど吸血鬼の力は思い知らされている。少し力を込めれば簡単に自分の腕を握り潰せるだろうし、その爪を横に薙げば上半身と下半身は泣き分かれになるだろう。
最後通告とも取れる言葉。けれど彼は首を縦に振りはしなかった。
「相変わらず脅し甲斐のないやつだなお前は……。
咲夜、後のことはお前に任せる。とりあえず今日は休むといい草十郎」
草十郎の言葉にやれやれと首をすくめた後に、レミリアは幾つかの事を咲夜に言いつけて部屋を出ていく。何はともあれ、ここで雇ってもらえることになってよかったと胸を撫で下ろす。
一礼したまま主の姿を見送った咲夜は草十郎を連れ立って何処かへと向かう。
日が落ち、夜を迎えた紅魔館は薄暗く、闇に沈む廊下を少ない窓からの月明かりが辛うじて照らしていた。人は闇を恐れるものだが、目の前の彼女は夜目が利くのか慣れた様子で歩いている。
程なくして草十郎が連れてこられたのはややこぢんまりとした部屋で、ベットや化粧台などが見える。雰囲気から何となく咲夜の部屋だというのが察する事ができた。全体的に窓の少ない紅魔館では珍しく大きな窓があり、そこから入ってくる月光だけで十分部屋の中は明るい。
「ソファーがないからそこに座ってちょうだい。今救急箱を持ってくるから」
同僚になったからかそれまでの敬語が消え、彼女は素の話し方になっている。
座るように言われたのはベットで、シーツには皺一つなく、汚すことは気が引けたが指示に従うことにした草十郎は、何処か落ち着かない面持ちでキョロキョロと部屋を見回した。
異性の部屋に足を踏み入れたのはこれが始めてではなく、彼の友人に勉強を教えてもらうときにも似たような体験をしたのだが、この妙な据わりの悪さの正体は結局分らずじまいだった。因みに霊夢の部屋も掃除で度々訪れるものの、中々に散らかっていて夢も浪漫もなかったりする。
自分の重みで沈み込むベット。
仄かな甘い香り。
大人びて見える彼女似た落ち着きのある部屋。
物は少なくとも咲夜という少女が確かにここにいて、息づいている日々の営みが感じられた。
「見ても面白いものはないわよ?
さあ、手当てをするから傷を見せて」
救急箱を持ってきた咲夜はそう言って草十郎の前に膝をつくと、腕を取り手馴れた様子でテキパキと処置をしていく。傷といっても深刻なものはなく、主にかすり傷ばかりなので、ほとんどが消毒をして包帯を巻くだけでこと足りる。10分もしないうちに概ね手当てが終わり、咲夜は使ったハサミや包帯を救急箱の中に仕舞っている。
「包帯はきつくない?それと他に痛むところがあるなら見るけれど」
「ありがとう大丈夫そうだ。それに大きな怪我とかはないからそこまで体は痛まないんだ」
「そう、それは都合がいいわ」
『何が?』と口にするよりも早く、正面から衝撃が走り、草十郎はベットに押し倒された。ふわりと、ベットと同じ臭いが鼻梁をくすぐる。目と鼻の先には端正な顔立ちがあって、その表情は今まで見た彼女のどの表情よりも鋭利なものだった。例えるなら、今彼の首に押し当てられているナイフと同じくらい。
今の状況は、押し倒されたといえば色気のある話に聞こえるが、その実、左手は押さえつけられ喉元にはナイフが突きつけられている。強引に引き剥がせないこともないが、その前にナイフが喉笛を掻っ切るだろう。
「あの……」
「答えなさい……貴方はあの時何故ここで働く事を辞めなかったの?
有無を言わせない迫力。
紅魔館に来てもう何度目かになる命の危機。
今自分が置かれた状況に、困った顔になる草十郎だったが、それは恐怖からではなく、咲夜との距離が近すぎるからだ。
離れていても分る容姿は、ここまで近づくとその美しさを克明なものにする。長い睫に、透き通る鼻梁。青い瞳は月明かりを受け波打つ水面のように煌いている。たとえそれが剣呑なものでも美しいことに変わりはなく、それに見とれるのもまた当たり前のこと。ただ、余り堂々と眺めるのも不躾な気がしたのだ。
まあ恐れるも何も、彼女は端から自分をどうこうしようと考えていないと何となく分っている草十郎だったが、いつまでも黙っているわけにはいかず、恐怖からではなく純粋に彼女の問いに答えようと、首にナイフを突きつけられたまま草十郎は普段と変わらない調子で口を開く。
「確かに妖怪の力は凄いね。それこそ人間なんて敵にすらならないんだろう」
ならば何故と、彼女のナイフを持つ手に力が入り、首の包帯に切っ先が当っているのが分る。それでも草十郎は恐れずに……というよりは恐れる必要はないといった風体で言葉を続けた。
「凄いのは分った。けど、まだ俺はレミリアさんたちのことを良く知らない」
まだ自分は恐れるほど彼女達を知らないのだと語る。つい先刻危険な目に遭ったというのに、それでもまだ恐怖を抱いていないという言葉に咲夜は信じられないと驚愕にその表情を染める。
別に妖怪に限った話ではない。料理に使う包丁とて人を殺す凶器になり得る。皮肉なことに、優れた道具は反面、優れた凶器になるのだ。要はその力を使う者の内面次第。例え圧倒的な力を持っていようとも、まだ恐怖をするほど相手を良く知らない。人を死に追いやる力を恐れはしても、必ずしもそれを持つ相手を恐れることは無いと彼は言う。
本来それは正しい事。けれど命の危険にあっても尚そう思える彼は異端だと言える。
「何より咲夜さんが楽しそうだったから。あんなふうに笑えるならきっとレミリアさん達は良い人……じゃなかった、良い妖怪なんだろうね」
首にナイフを突きつけられながら草十郎は笑顔を浮かべる。主が聞けば憤慨ものなその言葉に思わず咲夜もつられてクスリと笑ってしまった。
一応この脅迫紛いの事は草十郎を思ってのことだが、実際に彼女は草十郎の味方ではないし、もし殺すよう命令されたら手を下す事に躊躇いはないというのも本音である。そういったことを分らせるためにこんな芝居までうったのだが無意味だったようだ。しかしまさか泣く子も黙る吸血鬼を捕まえて『良い妖怪』とは馬鹿なのか大物なのか良く分らない人だと独りごちる。
草十郎に乗りかかっていた体を起こし、ナイフを太もものホルダーへと戻す。
良い妖怪かどうかは置いておくとして、ここでの生活は多忙ではあるけれど彼女は満足している。そこをつかれては納得せざるを得なかった。
「貴方、変わった人だって言われない?」
「不思議な事によく言われるんだ」
ちょっとした悩み事だと俯く同僚に、今度は本格的に笑い始めるメイド長。
この日から草十郎にとっては頼れる上司として、咲夜にとっては手のかかる部下として、互いに浅はかならぬ付き合いが始まる。