ソウル・ラバー・ソウル   作:木下望太郎

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六話  亡き人の胸の内

 

 部屋に帰って、音を立ててドアを閉めて。何度か息を吐いて、遺品を長椅子に置いて。

 大股に寝台へ歩み寄り、枕をつかむと。力の限り布団へ叩きつけました。何度か息を吐いて、もう一度叩きつけて。遺品を見て、そちらへ手を伸ばそうとしたとき。ノックの音がゆっくり三度響きました。

 

「失礼いたします。あらあらあら、こいさん、何でございますの。お店屋さん広げられて」

小梅は部屋に飾る花を持ってきていました。長椅子の上から首飾りをつまみ上げます。

「やめて! ……置いといて」

 すぐに首飾りを戻し、小梅は一歩下がって頭を下げます。

「申し訳ございません」

「……ううん、ごめんなさい」

「これは、朝食のときに言ってらした?」

 うなずいてみせると、小梅は言いました。

「確か、遺品だとかを見ると亡くなった方のことが分かるんでございましたね」

 またうなずいてみせると、小梅は手をあごに当て、考え込むような顔をしました。

「……お辛うございますよ」

 言われて、わずかに怯む気持ちもありましたが。心配してくれたのが嬉しくて、微笑みながら首を横に振ります。

 

「でしたらよろしゅうございますけれども。……もしや」

 小梅は急に眉をひそめ、身を乗り出しました。身をかがめ、絲子の目を見て言います。

「何か、もしや何かなさるおつもりで、そのためのこと……でございますか」

 何を言っているのか分からず、絲子は目を瞬かせました。

 小梅は息をつきます。

「違うのでしたら結構ですけれど、その。何かお考えでしたら、そうなさる前にせめてご相談下さいまし」

 よく分からないまま、気おされるようにうなずきました。

 小梅も小さくうなずくと、花を生けて部屋を出ていきました。

 

 考えとか、そうするとかどういうことだろう。そんなふうに思いながら、長椅子に並べた遺品に目をやります。

 どんな思いで史乃はこれらを贈ったのか、どんな気持ちで市雄はそれを受け取ったのか。

 どんな思いで市雄は首飾りを贈ったのか、どんな気持ちで史乃はそれを受け取ったのか。

 それを視ようと、見透かそうと息を整えたところで。それよりも気になることがあるのに気づいて、鼓動が速くなるのを感じました。

 

 ドアの方を見て、閉まっているのを確認して。

ハンカチーフとネクタイを抱き締めるように顔に当てました。目を閉じて、胸いっぱいに息を吸い込みました。

 五位さまの匂い、煙草の匂いがしました。

 

 胸の高鳴りが収まらないまま、遺品を並べたテーブルの前に座りました。わずかに荒くなっていた呼吸を整え、息をゆっくり吸っては吐き、自分の心の輪郭を感じ取ります。震える心を、その柔らかさを感じ取ります。その柔らかな心の目で、体の目ではなく、その内側でゆわゆわと揺れる心の目で遺品を視ます。

 

 写真を視ました。それらは市雄と二人で写っているものもあれば、史乃だけを写したものもありました。

 ――写真館の中でしょうか、カーテンのような布を背景に並んでいる二人が視えます。ちょうど写真を撮ってもらっているところなのでしょう、すまし顔のまま史乃が言います。

「あたくし、写真なんて撮っていただくの初めてです」

 写真機の方を向いたまま市雄が言います。

「それはよかった」

「写真を撮ると魂が抜かれるとか、写真に魂が宿るなんて言いますけど。ほんとかしら」

 市雄がわずかに苦笑します。

「ここで言うことじゃあないでしょう、失礼ですよ」

 噛みつくように史乃は顔を寄せます。

「失礼なんかじゃありません、それならむしろ名誉でしょうに。と言っても、あたくしそんなこと信じてませんけど。魂を宿らせるのはむしろあたくしのような、絵描きの領分ですわ。だってそうでしょう、一筆一筆魂を込めてるんですもの。写真なんて光を焼き付けるだけで――」

 市雄が苦笑します。

「史乃さん、じっとして。前を向いて、前を」――

 

 絲子はそこで息をつきました。心臓をけば立ったむしろで包まれたような、ちくちくとするものを感じました。写真についてこの先や他をも視ることもできましたが、とりあえずやめておくことにしました。

 

 次に視たのは聖書でした。愛用していたのでしょう、擦り切れた革表紙に赤や黒の絵の具がついた、小さな聖書でした。

――なんだか真っ暗で、何かつぶやく声だけが聞こえます。

「……よ、……にお出来にならぬことはありません……の杯を私から……御心のままに」

 聖書を読んでいるのでしょうか、祈りの声のようでした。声はしばらく途絶え、また続きました。

「……リ、エリ、……クタニ」――

 それきり何も見えませんでした。

 

 眠る前のお祈りでしょうか、市雄とは関係のない光景のようでした。熱心な基督(キリスト)教徒だったのだろうなと思いながら、次の遺品、ハンカチーフを手に取りました。

 

 ――デパアトでしょうか、多くの人が行き交う建物の中を史乃は歩いていました。腰を少しくねらせるような歩き方で、酔っ払っているみたいにふらふらと歩いていました。本当に酔っているのでしょう、顔は赤く、節のよく分からない鼻歌を歌っていました。ときどき目を閉じたまま歩いてさえいました。

 紳士服売り場へ行くと、背広やらネクタイやらが陳列された間を歩いていきます。魚が水草の間を縫って泳ぐように、棚と棚との間に身を滑り込ませて。時折よろめきながら、けれど子供のように楽しそうに。

 何かお探しですか、と店員に声をかけられ、史乃は、んー、と曖昧に笑いました。首をぐるりと巡らせると、小走りに駆け出しました。

 棚からハンカチーフを取ると、笑ってうなずきます。笑ったまま、顔を埋めるようにしてハンカチーフに口づけました――

 

 絲子は鼻と口を拭いました。胸にまた嫌な感じがしました。胸の中をかきむしりたい気持ちでした。

 残りの遺品に目をやります。ネクタイに首飾り、煙草の空き箱に花の絵。

 もうやめておこうかと思いました。特に首飾りだけはやめようと思いました。想像しただけで、頭の中にのしかかってくるものを感じました。

 

 それでも、それらのうち一つには、なぜか目を引きつけられるものを感じました。

 それは絵でした。薄黄色い壁を背景にした、花瓶に生けられた花の絵でした。叩きつけたような勢いの筆使いで、様々な花が、泥の中から練り上げられたかのように力強く描かれていました。その花々はどれも不思議に赤みがかっていました。夕日に照らされたように、間近で火にあぶられているように。いや、内側から火照っているかのように。

 

 そう感じた瞬間。絲子の胸に何かが滑り込んでくる感触がありました。わずかな心の隙間から入ったそれはたちまち勢いを増し、濁流のように流れ込んでくるのでした。

 鼓動が全身に響きました。脈が強く早く打ちました。まるで心臓が二つになったようでした。流れる血の動きを感じました、その熱さを感じました。その絵から、絵の赤から熱さが流れ込んでくるのでした。

 

 ――不意に視えました、西日の差す板の間で、この絵を描く史乃が。真剣な顔で、なするように力を込めて絵筆を走らせ、不意に、ふっ、と笑う史乃が。

 橙色の強い光の中、その部屋にはいくつもいくつも、赤い絵が置かれているのでした。花であれ川であれ建物であれ、それらの絵はどれも熱を帯びているのでした――

 

 その光景が視えなくなった後も、絲子の鼓動は鎮まりませんでした。体中に流れる血が、吐息が熱を持っていました。なぜだか、市雄といる光景を見たときよりも。

 締めつけられるような気持ちが、歯噛みしたい気持ちがしました。あんなにも幸せそうな顔をしている史乃に対して。いや、幸せそうに、ではありません。絵から流れ込んで来たあの熱は、感情は、絲子が味わったことのないほどのものでした。

 

 あんなふうになりたいと思ったのです。それともいっそ、史乃になってしまいたいと。

 そして、小梅が言っていたことを思い出したのです。

 

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