転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い   作:流星の民(恒南茜)

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#27 「■■■■■■■■■■■」

右耳にはひんやりとした硬さを、そして、左耳には音楽を。

寝返りを打ったらすぐに千切れてしまいそうなチープな有線一つで私たちは繋がっている。

 

「……やっぱり、好きたい。『空の箱』」

「私よりも?」

「当たり前やろ。わざわざ聞かんでよか」

「うわ〜、仁菜ん物言いはっきりしすぎやわ」

「だって、ヒナが普通ん人やとしたら、こん人──桃香さんは……」

 

寝そべった屋上で二人、分け合った空。

視界いっぱいに私たちを覆う黄昏に放り出されたみたい。

羽ばたいているのか、落ちているのか──どちらだっていい。

重力ですら私を縛れない。鼓膜を衝く音像の中にはとびきりの自由があった。

 

「私に空を見せてくれた。堪らん自由をくれた……神様みたいな人ばい」

「ふーん。……羨ましかね、その桃香さんってのは」

「なんか言うた?」

「なーんにも」

 

はぐらかすヒナを別に私も追求したりしない。

どうせここで積もっていくのはとりとめもない会話だけ。

だけれど、それでいい。一時の自由を享受したいなら細かいことなんて気にしない方がいいから。

詮索しすぎないのは互いの間での不文律のようなものだった。

それこそ時折相槌を打ってくれたら嬉しい、ぐらいのもの。

 

そうだ。ただ、それだけの関係性だったはずだ。

あの日、ヒナがモップを引っ掴んで飛び込んでくるまでは。

 

「ヒナぁ……」

「仁菜!? こんな夜中にどうしたの?」

「また、見た。あの日の夢……桃香さんが、ギターを置いて……」

 

身を寄せ合っていても、胸には冷たい風が吹き抜けていた。

ヒナが発する甘くて、けれど、汗ばんだ素朴さをはらんだ匂い。多少の田舎臭さを帯びた彼女の熱にしがみつかなければ、私はどうにも一人ぼっちだ。

練習もライブも、自分で決めなければならない。家訓も校則もない。

何よりも──桃香さんがいない。私は本当の意味で自由になってしまった。

 

自由すぎて息苦しい、目眩がする。どう生きればいいかがわからない。もう何を目指せばいいのか、どこに進めばいいのかすらわからない。

だから、ほんのすぐ側で暖を取っていたかった。

ヒナからは、あの頃の匂いがするから。こびりついた校則と家訓の温もりが、故郷の香が。

 

ただ、この世界に一人じゃないんだって思えるんだ。

 

「ヒ、ナ……?」

 

目が覚めた時、私は一人ぼっちだった。

ぐしゃぐしゃになった隣のシーツにヒナはいなかった。

 

「どこ……行っちゃったの……?」

 

布団から這い出て、家中を探す。

時間を見るとまだ朝早い、普段通りだったらヒナはまだ家を出ていないはずだ。

お手洗い、風呂場、クローゼットの中とか、それともカーテンの向こう側とか?

いないとしても、ゴミ出しや買い物に行っている可能性だってあるはずだ。

夜遅くだったらまだしもこの時間に外へ出たところで特に危険はない。書き置きのようなものもないし、本当にごく一瞬だけ外出しているだけかもしれないのに。

 

ふわふわと地に足つかない感覚、頭が真っ白に麻痺しそうなぐらいの不安。

そんなものに突き動かされるようにしてとにかく外を探そうと、玄関に立った瞬間だった。

 

「つっ……!」

 

がくんと足の力が抜ける。鼓動を強めた心臓がきゅっと縮み上がったようで背筋から節々へ、悪寒が走る。それを堪えてドアノブに手を伸ばそうとするけれど……余計に手が震えて。

ぱっと、そこから手を離してしゃがみ込むことしかできなかった。

 

どうして……どうして、こんなに私は不甲斐ないんだ。動けよ、バカ。

そう思ってもなお、爪先へと感覚が行き渡らない。

こんなことを思うのは情けないけれど、今までの私に嘘を吐くようだけれど……怖いんだ。

だって、今外に出たら私は一人ぼっちで放り出されてしまう。

 

どれだけの間そうしていただろうか。

ピンポンピンポンと、突如としてけたたましく鳴り出したチャイムに思わず肩が跳ねる。

何事だろうと思った矢先、ノックと共に声が飛び込んできた。

 

「ニーナ、いるでしょ!?」

 

その声を間違えるわけもない。

ドアを開けると、ゼェハァと息を切らしたすばるちゃんがいた。

いつもはキョトンとしたような顔で明るく笑う彼女の瞳は鋭く細められていて、ただ事じゃないことはすぐに見て取れる。

 

「すばるちゃん!? そんなになって……どうしたの?」

「『仁菜をお願い』って。ヒナちゃんから来て……! それで、様子を見に来たんだけど!」

「……は? 私を、お願いって……で、ヒナが……いなくなって……?」

 

どうしてだ、焦点が合わない。すばるちゃんの顔が見えない。

胸の奥底がぐつぐつと煮えたぎるみたい、酸っぱいものがせり上げてきて思わずえずいてしまいそうだ。

だって、あり得ない。ヒナがいなくなった? 桃香さんに続いて彼女までも?

 

「だから追いかけなきゃ。既読もつかないし電話も繋がらないし……」

「……場所は? 逆にそれだけはわかってるの……?」

「『安和さんのバンド仲間を渋谷で見たよ』ってクラスメイトの子が教えてくれて……。でもさ、そんなところに用事なんてないはずでしょ?」

「ないよ……少なくとも私は何も聞かされてない……」

 

渋谷だなんてただの一度も行ったことがない。当然ヒナからも聞いたことがないし、用事があるとは到底思えなかった。

何よりも、人混みを好かないヒナがそんな場所を選ぶなんて普通じゃない。

 

「だったら、なおさら追わなきゃじゃん! ヒナちゃんの全部を知ってるのはニーナだけでしょ? だから早いところ……」

「……知らないよ」

 

だというのに、気は急いていたはずなのに。

知っているものか。思わずそんな言葉が口を衝いて出る。

そもそも最近のヒナは様子がおかしかった。

 

『……ヒナはさ。私を追いかけてくれるんだ』

『当たり前じゃん。東京まで来て、これからライブで。逃がしてたまるかっての』

 

初ライブ前に私が家族とのいざこざで逃げ出そうとした時、体を張って止めてきたヒナが。

そんな彼女が、最近の私には何も言わなかった。それどころかただ優しく、何にも触れずに接してくれていた。

 

「……何にも、私は知らない。どうしてヒナが優しいのかも、私を気にかけてくれるのかも……」

 

彼女が何を考えていたかはわからない。

ただ、無理やりにでも私を引っ張ってくれる彼女がそれすらしなくなったというのはもしかすると、そういうことだったのかもしれない。

腹の奥からせり上がってきた言葉を、否定したかったその一言を、半ば吐き出すように。

だって、自分の中に留めておくのはよっぽど気持ち悪かったから。

 

「……私のことがキライになっちゃったのかな」

 

もしかしたら、もうヒナは愛想を尽かしてしまったのだろうか。

桃香さんという推進力を失ったら練習にも出てこず、家事も全部ヒナに任せてばかり、何もできなくなった私に。

 

『じゃあ、約束ね。お互いに逃げないこと。最後までライブすること』

 

一つ辛いことがあったら破るのか。そんなにあの誓いを軽く考えていたのか。

きっと、私がヒナの立場だったとしたら失望してしまう要素はいくらでもあった。

私が学校をやめたらついてきてくれて、額に傷をつけてでも同じになってくれたヒナを。

 

「ニーナ、それ……本気で言って……」

 

そんな彼女を、私は裏切ってしまったんだ。

 

「……本気だよ。だって、私はヒナを困らせてばっかりだもん」

 

ヒナが熊本から出てきたのも、いじめに関係してしまって退学することになったのも。

全部、私のワガママのせいだ。

彼女の人生をめちゃくちゃにした責任を私は取り切れなかったんだ。

 

「かえって私が行ったら、そのせいでヒナが二度と帰ってこなくなるんじゃないか、消えちゃうんじゃないかって……そう思ったらさ」

 

桃香さんが旭川に帰ってしまったように、ヒナにまで愛想を尽かされてしまったら。

もう二度と彼女が私の前に現れなくなるんだとしたら、むしろ関係性をこのままで保存しておいた方がいいんじゃないか。もう、下手に触れない方がいいんじゃないのか。

 

「……行けない。私は、行けないよ」

 

桃香さんがいなくなった時と同じぐらい、もしくはそれ以上に傷つかなければいけないんだとしたら、もう嫌だ。

これ以上は進みたくない。

 

「……そっか。ニーナはそう思ってるんだ」

 

表情は見えなかったけれどすばるちゃんの声は冷淡に思えた。

もしかしたらこんなにナヨナヨしてしまっている私に彼女だって失望していたのかもしれない。

だから、なおさら上なんて向きたくない。その顔を捉えたくなかったのに。

 

「じゃあさっ」

 

バチン!と引っ叩かれた顔が上向く。

平手打ち。それもすばるちゃんの。突然だった。

 

「──ニーナが私にかけた言葉は何だったの!?」

 

無理やり見つめることになった彼女の表情は哀しみを帯びたようにくしゃくしゃで、潤んだ目で。

だけれど、その瞳の奥にはもう一つ。烈火のような激情を湛えていた。

 

「ニーナみたいに私も泣き出したかった! 何も選ばないでいいならそうしてたかった! おばあさまとバンド、私にはどっちも大事だったから……!」

 

怒ったり、笑ったり、悲しそうな顔をすることだってあったけれど。

私の前ですばるちゃんがそんな顔を見せるのは初めてだった。思わず呆気にとられて言葉に詰まってしまう。

 

「でも、ニーナが背中を押してくれたんじゃんか!」

 

声を涸らして泣いていた。

あの、誰よりも大人だったすばるちゃんが子供みたいに泣きじゃくっていた。

 

「私、が……?」

「そうだよ、ニーナが歌なんか歌うから……私、思いっきり揺らいじゃってさ。結局太鼓バチボコ叩こうって! このバンドのために、必死に生きてやろうと思ったんじゃん……!」

 

そこにあった必死さには見覚えがあった。

というよりも、それこそすばるちゃんの言うことが本当なのだとしたら彼女にそれを刻みつけたのは──。

 

──もういっそ、その青で僕を殺してよ

 

そうか。いなくなったすばるちゃん目がけて送りつけた私自身の歌声だったんだ。

あの時の私はワガママだったから。すばるちゃんとバンドすることも、桃香さんの頼みを断ることも、正直に話してもらうことも……自分に都合の悪いことは全部、全部、諦められなくて。

 

「私たちのバンドを返してよ! ボーカルを取り戻せるのはニーナだけなんだからさ!」

 

『ばってん、あん子こっち見とった。助けてほしかって』

不意にすばるちゃんのその表情が重なった。

まだ熊本にいた頃、いじめられていたあの子がしていたもの。

理不尽に苛まれてますよって不幸ヅラ。そうさせるものが、私は堪らなく嫌いだった。

 

そうだ、確かにそうだったはずなのに。

その理不尽を今課しているのは誰だ。

勝手にボーカルやめて、いなくなろうとしているヒナを放っておいて……このバンドを壊そうとしているのは誰だ。

 

「……ばかやろう」

 

何よりも嫌いな理不尽なやつに、私がなってるんじゃないのか。

 

「私の……ばっかやろう……!」

 

熱をもった喉が悲鳴を上げる。久々すぎて錆びついて、耐え難いとジンジン痛む。

だけれど、これは報いのようなものだ。すばるちゃんにこんな顔をさせて、ヒナを失望させて……そんな私への罰であり、気付けのため。

自分でも腹が立つぐらいどうしようもない私を。

すばるちゃんに頬を打たれるような私を、許しておけるものか。

 

諦めるなよ、クソバカやろう!

私に思いつく限りの精一杯に汚い言葉で自分自身をなじる。

その真正面からの暴言がどうにも自分でも気に食わなくて顔に熱が集まっていった。

 

「ニ、ニーナ……?」

「ヒナの場所、後でスマホで送って。私……行くからっ」

 

そんな怒りを発散するように、煮えたぎった衝動を解き放つように。

ふらつく足で地面を蹴り上げ、一息に駆け出す。

ドアを開けて、すばるちゃんを通り過ぎて、外へ──。

 

「ちょっ、仁菜ちゃん!?」

「わぶっ!?」

 

ドン!と、全身に走る衝撃。悲鳴。

正面衝突してしまった相手の顔を見て、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「ミネさん……? どうして、ここに……」

「ここまですばるちゃんを送ってきたのは私だよ。で、その様子を見ると今の仁菜ちゃんはやれそうってわけだ」

「……ニーナったら、私のこと無視して急に出て行っちゃって……それぐらい元気になったのはいいんだけどさ。猪突猛進過ぎるっていうか」

「すばるちゃん、うるさい!」

「ぷっ……」

 

私とすばるちゃんが突っつき合って、それを見て笑うミネさんがいて。

だけれど、そこには確かに一人足りない。

『仁菜が悪いよ』とか、『仁菜はしょうがないね』とか、普段は冷淡にしているくせに。

きっと、こういう時は私に似て猪突猛進にでもなりながらついてきてくれる──そんなヒナが、ここにはいないんだ。

 

「まあ悪いのはどっちでもいいや。とにかく事態は一刻を争うみたいだからさ。二人とも、乗っていくでしょ?」

 

クイッと、親指でミネさんが階下の駐車場を指す。

そこにあったのは古そうな車種の機材車。だけれど、表面がよく磨かれているせいか、今の私にはどんなスポーツカーよりもかっこよく思えた。

 

「はい! お願いします……!」

 

今は確かに一人足りない。このままじゃ私たちのバンドだって言えない。

だから、次に乗る時は楽しいドライブがいい。

ミネさんの運転はガサツで、酔ったヒナの背を擦る私を見て、すばるちゃんが笑う──そんな何気ない日々がもっともっと、続いて欲しい。だから──。

 

バンド仲間二人の前で、私は深く頭を下げた。

 

◇ ◇ ◇

 

駆ける、駆ける、駆ける。

すばるちゃんに教えてもらったヒナがいるという雑居ビル。

エレベーターを待っている暇もない。渋滞に巻き込まれてしまったミネさんと、クラスメイトと連絡を取り合うすばるちゃん。

二人を置いて、一人で向かうのはどうにも心細い。

 

「はぁ……はぁ……」

 

一階、二階……屋上に向かう階段をぐるぐるぐるぐる、目が回りそうで、上下運動する足がずしりと重く私を引っ張る。

けれど、止まれるわけもなかった。

 

『ふーん。……羨ましかね、その桃香さんってのは』

 

だってね、ヒナ。私やっとわかった気がするんだ。

いつも嫌味ばっかりなのに、あの時の屋上でそう言った理由。

これからもずっとって。私と一緒にいることを考えてくれてたんだ。

 

『仁菜──アンタは頑固で、いつも正義ぶってて……それでもっ!』

『最高にバカで……最ッ高にかっこいい()()だからっ!』

 

だから、ヒナにあの時の言葉を返すために……私は。

 

「つっ──!」

 

つまずいて、よろめいて、鈍い衝撃が走る。

ぐらりと揺れた視界の中で転んだらしい。打ち付けた膝が痛む。

それでも、誰も手を伸ばしてくれはしない。

この手で、取り戻すまでは。

 

「やって、やるんだ……」

 

立ち上がると、まだ少しふらつく。完全な状態とは言い難いせいで壁に手をつく。

けれど、この程度で諦めてたまるものか。

噛み締めた唇は、額の傷跡は、絶えず今でも血を流す。

焼けそうなぐらいのその痛みが、口の中いっぱいに広がる鉄の味が、この程度の怪我なんて忘れさせてくれる。

 

地面を蹴り上げた先、登り続けた先で開け放った屋上のドア。

膝に手をつきながら、辿り着いた先ではまだ雨が降りしきっていて視界が悪かったけれど。

 

「ヒナ……っ!」

 

ヒナの姿がそこにあった。

傘もささずにびしょ濡れのまま、それすら意に介さず屋上の柵を乗り越えようとしていた。

ピチャピチャと足元で跳ねる水たまり、滑る足を気にもとめず、切れた息なんてどうでもいい。

 

ただ、生き延びてほしかった。

行かないでくれよ。私一人を置いたまま。

 

「ヒナの──っ!!! ばっかやろぉぉぉぉ!!!!」

 

◆ ◆ ◆

 

「どうして。来るのよ……仁菜」

 

びしょびしょに濡れて垂れ下がったその髪が、私の頬に触れる。

その冷たさに思わず目が覚めるようだった。先ほどまで押し寄せていた情動に圧されるまま柵を乗り越えようとしていた身としては、はっと我に返る感覚に近い。

……だとしても。

つまるところ、その高さに怖気づいたようなものだ。

別に私自身がしようとしていたことが間違っていただなんて、そう言い切れるわけではない。

 

「どうしてって……当たり前でしょ!? ヒナがいなくなるのが、嫌だったからっ!」

 

あまりにも真っ直ぐな言葉で仁菜は私を突き刺してくる。

その眩いほどの正義感に焦がれ続けていた。まるで身を焼かれるようなものだった。

友達が自殺しようとしていたら止めるべき。そんな正論を、わざわざこんな遠くにまで来て、雨の中で傘も差さずに相手を突き飛ばして無理やりにでも貫き通す。そんな仁菜の意思の強さだ。

 

「それでも……仁菜だってボロボロだったじゃない……。私のことなんか……」

「そういう言い方やめてよ! 『私なんか』って……必死にヒナを繋ぎ止めようとしてる私が馬鹿みたいじゃん……!」

「……馬鹿だよ。だって、仁菜は私の気持ちを全然わかってくれてないんだもの……!」

 

馬鹿だって、口にした途端に胸の奥がズキンと痛む。

けれど、そうやってあしらいでもしなければ余計に胸が張り裂けてしまいそうだった。

仁菜の必死さが、熱心さが、堪らなく私には痛かった。

 

「ごめんね、仁菜。私のことを大事にしてくれてるのはわかってるよ。でもさ、私はそれを受け取れない……」

「どうして……!? わかってくれてるのなら素直になってくれたって……」

「……いやだ。これが私自身に素直になった結果なんだもの。だって──」

 

続く言葉が喉につかえて上手く出ていかない。

確かな躊躇いがそこにあった。何となく、これが決定的な言葉になってしまう気がしたから。

これをはっきりと言ってしまったら、”ヒナ”の像が歪んで、仁菜との今の関係を維持できない気がしたから。

それでも、必死過ぎる正論モンスターを何とかするにはこれしかない。

 

躊躇いがぎゅっと喉を締め付けて、熱い。

今にも途切れそうなか細い息を絞り出すようにしてその言葉を口にした。

 

「……悪いのは、私なんだよ? 桃香さんがいなくなったのも、仁菜が追い詰められたのも。全部……ぜんぶっ」

 

口に……してしまった。

見開かれた仁菜の目と合ってしまう。

驚いたかのような揺らぎ、黙り込んでしまった彼女に一発食らわせるように。

 

「だからさ、その正義感が痛いの。余計に罪悪感が募って……自分が嫌になる。だって、私が悪いんだから……!」

「……悪いって? だって、桃香さんのことだってヒナにはどうしようもないことで……」

 

そうだ、こんなこと言ったって仁菜にわかるわけがない。

半ば正気に戻ったせいか、思わず言葉に詰まる……けれど。

むしろ、ここがチャンスだと思った。

仁菜に私を諦めてもらうのだとしたら、これ以上募っていく罪悪感から逃げ出すためには。

もう、言ってしまうしかなかった。

 

「……ずっと、嘘を吐いてた。私ね、ヒナじゃないんだ」

 

「……は?」

 

信じてもらえるかなんてわからない。正直めちゃくちゃなことを言っているかもしれない。

だけれど、確信があった。

仁菜なら私のことを嘘つきだって疑わないって、親友としての勘が告げていた。

 

「……前世では、別のヒナがいて、別の仁菜がいて……全然違う、この世界があったの。それを知っていたのに、私はヒナとして生まれてきちゃった。本来のヒナと、その未来を……潰してね」

 

それは、今までずっと黙ってきていたこと。私を嘘つきたらしめていたもの。

 

「……知ってた? ()()()では、桃香さんは音楽を辞めないんだ。一人で上京してきた仁菜が一緒にバンドを組むから、桃香さんを繋ぎ止めるから。……私のせい、だったんでしょ?」

 

それは間違いなく仁菜が気にしていたことだ。

半ば彼女を追い詰めるようで、彼女を傷つけてしまうだろうという確証はある。

だけれど、それはまた仁菜を解放するための言葉だ。

罪を仁菜から私に移すためのものだ。

 

「仁菜が……桃香さんの誘いを断ったのはさ」

 

『……私が、『一緒にバンドできない』って。そう言ったから、じゃないの?』

あれは仁菜のせいなんかじゃない。だから、仁菜が深く傷つく必要なんかない。

最初から私が仁菜と関わり合いにならなければ、仁菜は迷うことなく桃香さんとバンドを組めた。

私なんかがエゴを出したせいで、仁菜の人生はめちゃくちゃになったんだ。

 

「……信じてくれ、だなんて言わないよ。でも、納得はできるでしょ? じゃなきゃ、私もいなくなりたいだなんて、思わないよ」

 

ふるふると震えたまま、それでも、仁菜はこくりと首を縦に振った。

何か言いたげに唇は戦慄いたまま、何も発することができずに。

覆いかぶさるぐらいに距離が近いくせに、私は突き放してしまったんだ。

きっと、この瞬間に私たちの心の距離は途方もなく広がってしまっていた。

 

「……わかってよ、仁菜。私もね、仁菜の……みんなのことが大事なの。だからさ、これ以上めちゃくちゃにしたくない」

 

『あなたに応え続けようとするのが辛いの! だから、隣にいたくないってこと!』

『……私が、やりました』

 

前世でも、私は一人の人生をめちゃくちゃにしてしまった。

あの時の私は自分のことで精一杯で、遺書すら残せなかったから。

後に彼女がどうなってしまったか……なんて、考えることからも逃げてきた。

その罪はどうにもならないけれど、もうこれ以上同じように罪を重ねたくはない。

 

「……ねえ。だから、諦めてよ。……仁菜」

 

最後通告として。

私は仁菜に向けてその言葉を放った。

きっと、ここまで言ってしまった以上、私は仁菜の前には現れることができないから。

なるべく彼女の傷にならないよう冷淡にそう言い放つ。

 

彼女は未だに何も言えないままだ。

勝負あった。

 

「だったらさ……」

 

……そのつもりだった。

 

仁菜が、言葉を紡ぐまでは。

震えたまま、私により強く、覆いかぶさってくるまでは。

 

「──だったらさ、ヒナの人生はどうなるの!?」

 

それまで顔を顰めていた仁菜の激情が。

これまでにない勢いで、私を貫いた。

 

「人生めちゃくちゃにしたって一方的に手を引かないで! 勝手に決めつけて自惚れないでよ! 私だって……ヒナの人生をめちゃくちゃにしたんだ!」

 

額に走った鮮烈な痛み。

視界に垂れてきた血が映り込む。

仁菜の指先が、私の傷跡を抉り取っていた。

剥き出しになった仁菜の額から、傷跡が露わになった。

 

「お互いに責任取って、生きてくんじゃなかったの!? 逃げないんじゃ、なかったの……!?」

 

──じゃあ、約束ね。お互いに逃げないこと。最後までライブすること。

そういえば、それは私の言葉だったっけ。

あの時の私は、どうしても仁菜にいなくなって欲しくなくて。そして、堪らなく怖かった。

仁菜が川崎の街に消えてしまうことが。

そのまま、一緒にいられなくなってしまうことが。

 

「本当に、私がヒナといて後悔してるんだって思ってるなら……やっぱり、ヒナはすっごい大ばかやろうだよ……」

 

だとしたら、じゃあ。

今の仁菜はどう思っているんだろう。

それを考えた瞬間、ぎゅっと胸が痛んだ。

 

「前世とか、別の世界とか、難しい話はわからない。だけどさ……」

 

散々悩んで、私は仁菜の前から消えた方がいいって思い詰めて。

それなのに、仁菜は全部一蹴してしまう。

じゃあ、私がバカみたいじゃないか。

みんな自分の気持ちに蓋をして生きている。ミネさんにも、すばるちゃんにもそんな躊躇いがあったはずなのに、仁菜にはそれの一切がない。

どうしてそこまでできるんだ。

なんで、私をそこまで繋ぎ止めようとするんだ……。

 

「──私は、()のヒナと、生きたい!」

 

その瞬間にわかってしまった。

やっぱり、私は自分のことばっかりだったんだって。

仁菜の気持ちを踏み躙ってしまったんだって自己嫌悪が膨れ上がる。

 

……そっか。

あの時の私と同じぐらい、仁菜だって不安だったんだ。

 

「これが……私の気持ちだから。ヒナにこそ、聞いて欲しい」

 

ぎゅっと、私の耳に詰められた何か。

そうして仁菜はようやく覆いかぶさるのをやめた。

イヤホンだった。あの時と変わらない、仁菜が私といる時に使う、有線の安っぽいやつ。

寝そべった仁菜を前に、今なら逃げ出せそうだったけれど。

その瞬間に恐らくこのイヤホンは千切れてしまうだろう。

そう思えばこそ、動けなかった。

 

「……じゃあ、流すね」

 

降りしきる雨の向こう側に、視界いっぱいの青空。そんなものが見えるようだった。

仁菜と二人、屋上で過ごした穏やかな日々のような旋律。繊細にゆったりと流れるピアノの音が私の耳を過ぎていく。

その中で入り込んでくるギターの旋律が、私の世界を少しずつ押し広げていく。

仁菜から『空の箱』を聞かされた時のように、新しい音が世界を染め上げていって、そうして私たちの日々は進みだしたんだっけ。

少しずつメロディーが加速していくと、それに合わせて他の楽器も乗っていく。

ベースにドラム、ミネさんにすばるちゃん。そうしていく中で私たちのバンドは確かに花開いた。

 

サビを駆けるメロディーは、皆が重なり合ったもの。

仁菜の激情が先走り、それを私とミネさんと、すばるちゃんで追いかけていく。

重なり合った旋律が思い起こしたものは、違いない。

 

これは、私たちの日々を綴ったメロディーだ。

仁菜と私の歩みが、ガサガサな音質の向こう側で確かに奏でられていた。

 

「これ……仁菜が作ってたやつだよね。桃香さんに曲作りを勧められたんだ……って」

「……そう。ヒナがうるさいって言って、起きちゃって」

「……てっきり、桃香さんのために作ってるのかと思ってた」

「うん。私も最初はそのつもりだった。でもね、できた時に最初に聞いてほしいって思ったのはさ……」

 

確かに聞き覚えのあるこれは、私を叩き起こしたもの。

桃香さんに勧められて仁菜が作っている……と以前、言っていたはずだったけれど。

それでも、これは私たちの曲すぎる。

それこそ、他の誰かに聞かせるでもなく、私と仁菜。二人だけの世界だ。

 

だとしたら。仁菜が、本当に私のために作ってくれた曲なのだとしたら。

視界が滲んでいく。耳の奥がジンジンと傷んで……そのせいで音楽が聞けなくなるのが嫌なのに。

あんなに覚悟を決めていたのに、やりきってやろうと……消えてしまおうと思っていたのに。

 

「……ヒナだった。私のど真ん中に、ずっといてくれたから」

 

こんな曲を作ってもらえるような人生なら、捨てたものじゃないと思ってしまうじゃないか。

 

「……っ、ぁぁ」

 

バカ。散々泣き虫で感情出してばかりの仁菜に嫌味を言ってきたのに。

私が泣いてどうするんだ。

こんな顔を見られてしまったら、なんか弱虫みたいだ。

 

「私たち、まだまだ。この曲だって歌詞もできてない。ヒナとの日々が……全然足りない」

「……足りない、なんて……まだまだ、一緒にいなきゃいけないみたい……」

「そうだよ。だから、もっと時間を積ませて。この曲が……完成するまで」

 

きっと、もう……固めていた意思は終わってしまっていた。

いなくなろうだなんて、叶えられようはずがなかった。

だって、私は願ってしまっている。

完成したこの曲を聞きたい、一緒に歌いたいって。

 

「……でもさ。私、自己嫌悪ばっかりだよ? またいなくなりたいって思っちゃうかも……仁菜と生きていけるかわからないんだよ……? それでも、いいの……?」

「もちろん。私に任せて」

 

間髪入れずに頷いた仁菜は、私の顔を見つめようとしてくる。

そんなことをされてしまったら、どうにも恥ずかしいから。そっぽを向いて誤魔化した。

 

「ヒナって、真面目でしっかり者で。でも、そのせいで周りが見えなくて、肝心な所でドジなんだ。だから、私が持っておくよ」

 

私は一度、自らの命を絶ってしまっている。

だからこそ不安だってないわけじゃない。この先も生きていけるか。

消えたくなってしまうような出来事が、この先にも待ち受けているんじゃないかって。

 

「ヒナの命を、私にちょうだい。それだったら、安心でしょ?」

 

だけれど、そんな不安すらも仁菜は持っていってしまう。

太陽みたいに眩しくて、私の人生に陰りが射しても照らしてしまう。

ここぞという時に仁菜が口にする言葉は、私にとってはいつも正しい。

あの日、東京に行くと決めた時のように彼女の衝動に射抜かれると、そうしてもいいのかなと思ってしまう。

 

私自身が持っておけるか不安なら、仁菜に渡してしまおう。

自分のために生きられないのなら、仁菜のために生きていこう。

 

「……そうね。案外、悪くないかも」

 

二人でなら、今度こそ。

私は最期まで生きていけるのかもしれない。

 

「それじゃあさ、約束ね」

 

指切りげんまん。

立てた小指同士を絡めて、繋いで。

そうしてしまえば、もう離れることはできなかった。

 

ぽつりぽつりと、落ちていく雨粒が少しずつ小ぶりになっていく。

雨雲の切れ間から射してくる橙色の光、目には痛いはずなのに、心地よい暖かさだ。

 

『──仁菜、今日もそれにすっと?』

『だってこれが好いとるけん。しょんなかろ?』

 

あの日と同じ、夕日射す屋上。

イヤホンと、小指と。

繋がりあったまま、私たちは寝そべっていた。

滲んだ視界に落ちた夕日が、視界の中で揺らめいていた。

 

◇ ◇ ◇

 

『改めまして、大変お騒がせしました』

シュポっと小気味のいい音と共に送られたメッセージに間髪を入れず、グッドマークが付く。

 

「すばるちゃん、すっごいマメ〜」

「仁菜も真似してよね、いつも遅いんだから」

 

仁菜と二人、私はレジ袋をぶら下げながら家の階段を上がっていた。

今日はトラブル続きになってしまったのもあって、外で惣菜を買ってきてゆっくりすることにしていたから。

 

「私は足で稼ぐからいいの! 今日だって早かったでしょ?」

「それは……って、確かにね」

 

バンドメンバーのみんなにかけてしまった迷惑を考えると、どうしても申し訳なさが勝る。

けれど、すばるちゃんとミネさんの二人はどうにも軽かったというか……数回分私がスタジオの予約をする、ということで手打ちにしてくれた。

きっと、あまり気を遣わせないための配慮みたいなものだったのだろう。

だとすれば、私にできることは一つだけ。少しでも演奏でバンドの役に立つことだけだ。

あの二人にできる恩返しはそれしかないだろう。

 

そして、あと一人。

仁菜には、何を返せるだろうか。

 

「だよね? 今日だって……くしゅっ」

「風邪引かないでよ、仁菜に体調崩されたら困るんだから」

 

きっと、仁菜には返しようのないぐらいの恩があることには違いない。

それこそ、バンドで……とか、それだけじゃ測れないぐらい。

だとしたら、一朝一夕で答えを出す必要はないのかもしれない。

 

前世でできなかったことは、確かに傷として残っている。

あの子への償いなんてできるわけがない。それは決して叶わない。

だとしても、もう少し頑張って生きること。それぐらいなら、今からでもできるはず。

 

「だって……私の命、持っていってくれるんでしょ?」

 

まだまだ、時間はあるのだから。

私たちは、これからも二人でいるのだから。





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#27 「誰にもなれない私だから」
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