明星に誓う   作:広々瀬

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本編
第1話:宵の明星


 

 私の前には常にお姉ちゃんがいた。

 

 だから、幼かった私にとってお姉ちゃんの存在が全てで、お姉ちゃんのようになりたいと思うのは当然のことだった。

 お姉ちゃんは身体が不自由で、制限された生活を過ごす時間が長かった。それでも私とは比べ物にならない程に物知りで、学校のテストで一番の友達よりもずっと賢かった。

 そんなお姉ちゃんに追いつくために、私は必死に勉強した。家にある本は全て読んだし、学校とお見舞いへ行く時間以外は勉強に費やした。

 私の頭はお姉ちゃんとは違って非常に出来が悪かったから、学校の授業に追いつくためにも他の人よりも机に向き合わなければならなかった。それ以前に、お姉ちゃんのようになるには毎日文字通り死ぬ気で勉強しなければならなかった。

 

 

 いつかお姉ちゃんに"すごい"と言ってもらうために。

 

 自慢のお姉ちゃんが、胸を張って誇れる妹でいるために。 

 

 私なりに頑張っていた。

 

 頑張っていたつもりだった。

 

 

 お姉ちゃんの様態が安定し、退院して家に戻って来たその日。私は現実を突きつけられた。

 

 

「お姉ちゃん、ずっと学校行ってなくて勉強わからないでしょ?私が教えてあげるよ!」

 

 

 そう言って、帰って来たばかりのお姉ちゃんに数学の問題を持って抱く。久しぶりに、お日様の香りが頬を緩ませた。

 

 

「ふふ、わかりました。お姉ちゃんと一緒に勉強しましょうか」

 

「やった!じゃあまずはこの問題からね。えっと────」

 

 

 最初は順調だった。私が得意げに解法を説明し、お姉ちゃんがそれに対して頷く。

 今思えば、ひどく滑稽でくだらない茶番だ。

 

 

「どう?すごいでしょ!」

 

「はい、すごいですよ。流石はヤヨイです」

 

 

 お姉ちゃんが褒めてくれる。それだけで私は満たされた。今まで頑張ってきたことが認められる。努力が報われる。そんな気がした。どんどん得意になって、問題のレベルを上げていく。

 だけど、そんなお粗末な授業の真似事は、私の一言で瓦解した。

 

 

「んと……あれ?ここどうするんだっけ……」

 

 

 数学の問題がわからなかった。お姉ちゃんに煽てられてすっかり調子に乗っていた私は、自分ならできると信じて疑わずに、その問題を睨んでいたけれど……

 

 

「ヤヨイ、ここはこうするんですよ」

 

 

 私が解ける気がしなかった問題を、お姉ちゃんはいとも簡単に解いた。

 お姉ちゃんの説明は何も入ってこなかった。私の頭の中は困惑でいっぱいだったから。

 

 

「────ということです。わかりましたか?」

 

「え、あ……うん。ありがとう、お姉ちゃん」

 

 

 いつもなら口から飛び出てくるお姉ちゃんへの賞賛の言葉は、いつまで経っても出てくる気配はなかった。

 お姉ちゃんは最初から全部わかって聞いていたのか。なら、どうして自分よりも不出来な私のことを褒めたのか。

 

 思考がまとまらないまま、私はお姉ちゃんに問いかけた。

 

 

「えっと…………ならさ、お姉ちゃん……これは?」

 

「これは────」

 

 

 私が到底わかるはずない問題を、お姉ちゃんは考える素振りも見せずに解いてみせた。

 

 

「じゃあ次は────」

 

 

 私は次々とお姉ちゃんに問題を出した。どれも私では解けないもので、お姉ちゃんでも解けないだろうと思って出した問題だった。だけど、お姉ちゃんはその全てを解いてみせた。

 

 私はお姉ちゃんと一緒に勉強したかったんじゃない。お姉ちゃんに間違ってほしいだけだったんだ。

 そう自覚するまで、私の悪足掻きは続いた。

 

 

 この時、私は初めてお姉ちゃんに嫉妬した。

 

 

 お姉ちゃんがミレニアムサイエンススクールに入学してからは、私達が関わる時間は徐々に減っていった。唯一私達が同じ空間にいる家でさえも、私は勉強でいっぱいいっぱいで、ご飯の時に少し話す程度だ。

 お姉ちゃんがヴェリタスという部活に所属してからは、ほとんど姉と関わることはなかった。一人の生活に退屈する私とは逆に、自分と同じレベルの仲間を見つけたお姉ちゃんは毎日楽しそうにしていた。

 

 姉が学園生活を謳歌している一方、学年が上がった私は少しずつ成績が落ちていった。満点だったテストが90、80点台になり、1番だったテストは3番、6番、10番へ。

 今まで当たり前だった1番が、年月と共にどんどんと減り、幼い頃から積み上げてきたものが崩れ落ちていく気がした。

 

 それでも、なんとかお姉ちゃんと同じ学校へ行くために、努力は怠らなかった。

 

 そして。

 

 

「お姉ちゃん、私……合格したよ!」

 

 

 これで、まだ私はお姉ちゃんの背中を追い続けることができる。まだ、お姉ちゃんのようになるチャンスがある。

 これで、貴方の名前に傷が付きませんか?まだ、私は貴方の妹でも許されますか?

 期待と不安に胸が痛む。お姉ちゃんの顔を直視できない。反応が返ってくるまでの時間が、嫌に長く感じた。

 

 

「そうですか」

 

 

 だけど、待ちに待った言葉は、ひどく冷え切ったものだった。

 

 一言そう言って部屋に戻っていったお姉ちゃんの背中を呆然と見つめる。いつの間にか私が押していたはずの車椅子は無くなっていて、電磁浮遊で動くミレニアム製のものになっていた。

 私の合否などどうでもいいくらい、ヴェリタスの活動が楽しいのだろうか。

 それとも、お姉ちゃんは私に興味を失くしたのか。

 

 

 ……いや、そもそもお姉ちゃんは私に最初から興味などなかったんだ。思い返してみても、お姉ちゃんから私に話しかけてきたことはほとんどない。私がお姉ちゃんの後を追いかけていただけだ。

 

 きっとお姉ちゃんは、こんな不出来な妹など端から眼中にない。

 

 そうだ、そうに違いない……!

 

 

 お願いだから、そうであってほしい。

 

 

 だって、最初から期待されていない方が、失望されるよりもずっといい。

 

 

 高校生活初めての日。その前日は、薄暗い曇り空だった。

 

 ミレニアムに入ってからは、私はとにかく勉学に励んだ……いや、せざるを得なかった。以前とは問題の難易度も、量も、授業の進行スピードも桁違いだったから。

 家ではヴェリタスの活動以外していなかったお姉ちゃんとの差をまた感じる。私は家でも勉強しなければついて行けないというのに。

 劣等感が、私の心に重くのしかかる。『明星』という名を消してしまいたいくらい、暗くて冷たい気持ちが私の中に渦巻いている。

 

 そして、お姉ちゃんに対して、八つ当たりみたく嫌悪の感情を向けている自分にさらに嫌気がさす。

 これでは駄目だ。しばらくお姉ちゃんには会わないでおこう、そう決めたのに。

 

 

「ヤヨイ、少しいいですか」

 

「……ヒマリ姉さん、どうかしたの」

 

 

 お姉ちゃんが声をかけてきた。その事実に少しだけ胸が高鳴るが、あっという間にその熱は冷めていく。

 頼み事であっても、相談であっても、私がお姉ちゃんの期待に応えられるわけがないのだから。

 

 

「ヤヨイに聞きたいことがあるのですが……」

 

「なに?」

 

 

 いつもの自信満々な態度ではなく、少し不安そうにしているお姉ちゃんを見るのは初めてのことだった。

 

 

「何か部活動には所属しないのですか?」

 

「……今のところは。勉強が大変ですから」

 

「なるほどなるほど……では、そんなヤヨイに一つ提案があります」

 

 

 お姉ちゃんはニヤリと笑みを浮かべた。……なんだか嫌な予感がする。

 

 

「ヴェリタスに所属しませんか?」

 

 

 ヴェリタス。お姉ちゃんが所属している部活動で、非公認のホワイトハッカー集団。部長はもちろんお姉ちゃんだ。

 

 

「私は………」

 

 

 ヴェリタスに所属すれば、お姉ちゃんと関わる時間は増える。前までの私ならばすぐに頷いただろう。だけど、今は違う。お姉ちゃんといればいるほど、私の心は潰れていくのだから。

 

 

「ごめんなさい。勉強が疎かになったら留年してしまいますから」

 

「そう、ですか……」

 

 

 私の言葉に、お姉ちゃんはひどくがっかりしたようだった。また、だ。また、私はお姉ちゃんの期待を裏切った。

 私達の間に沈黙が流れる。 

 

 

「……では、私はこれで」

 

「これからどこへ?」

 

「自習室です。勉強しないと授業に追いつけないので」

 

「……頑張ってくださいね」 

 

 

 返事は、しなかった。

 

 

 お姉ちゃんと別れた後、誰もいない自習室でこれからのことを考える。姉から距離さえ取ってしまえば、お姉ちゃんに対するこの気持ちも、時間が解決してくれるはずだ。

 そのはずだったのに…………

 

 

「貴方が明星ヤヨイだよね」

 

「…………はい」

 

「勉強中にごめんね。私は各務チヒロ。ほら、ヒマリの友達」

 

「知っていますよ。それで、姉に何か用ですか?」

 

「いや、用があるのは貴方の方」

 

「……私?」 

 

 

 チヒロ先輩は、私を指さしてニヤリと笑った。それが、さっきまでのお姉ちゃんそっくりで、ついペンを握る手に力が入る。

 

 

「知っての通りうちの部活は今、人が足りてなくてね。まぁ、つまりは勧誘ってこと」

 

「えっと、勧誘ならもう姉に……」

 

「まぁまぁ、見学だけでもしていかない?それに、ヒマリがいつも何してるか気になるでしょ?」

 

「…………わかりました。見るだけなら」

 

 我ながらチョロいなと思う。見るだけ見て、すぐに帰ろう。もとよりどの部活にも所属する気はないのだから。それがお姉ちゃんのいる部活なら、なおさらだ。

 

 チヒロ先輩に案内されて、ヴェリタスが活動している部屋へと訪れた。お世辞にも綺麗とは言えない部屋に、足を踏み入れる。

チヒロ先輩の話は、ほとんど頭に入ってこなかった。私の興味の大半は、部屋のいたるところにあるお姉ちゃんの形跡に向いていたから。

 

 

「──と、まぁ部室はこんな感じかな」

 

 

 部屋にあるものを一通り説明し終え、チヒロ先輩は部屋のドアの前で立ち止まった。

 

 

「最初は慣れないことも多いけど、うちはノルマとかほとんどないし……勉強とも両立できると思う」

 

「ヒマリ姉さんから、聞いたんですか」

 

「……うん、ちょっとだけ」

 

 

 チヒロ先輩の申し訳なさそうな声が耳に入る。いつの間にか床しか映さなくなった視界のせいで、その声が余計に心に響く。

 

 

「でも、勉強なら私とヒマリで教えられるし、セミナーのデータをちょっと見れば過去問だって手に入る。それに、そんなに心配しなくても成績なんて案外なんとかなるもんだよ」

 

 優しい声だ。聞き分けのない子供に言い聞かせるような、優しくて、優しくて……今の私には屈辱的な声だ。

 

 

「私、バカなんです」

 

 

 腹が立った。

 私の気持ちなんか何も考えていないお姉ちゃんに。向けられた優しさに、自分勝手な理由で憤る自分に。

 

 

「昔から要領が悪くて……きっと2人から教えてもらっても、あんまり成績は上がりませんよ。ヒマリ姉さんに教えてもらってもダメだったし、たぶん私に勉強の才能がないんだと思います」

 

 

 悔しかった。

 自分自身で、今までの全てを否定することが。

 

 

「それに、才能のない私なんかが入ったらお二人に迷惑でしょう?機械の操作を覚えるのに時間もかかりますし、足を引っ張ることしかできませんよ」

 

 

 一度口から溢れてしまえば、私の醜い言い訳は止まることなく吐き出されていく。

 

 

「ヒマリ姉さんだって、本当は私なんかに入ってほしいとは思ってないはずです。だって、私ができることは、全部ヒマリ姉さんでもできますから…………所詮私はヒマリ姉さんの劣化版なんです」

 

 

 顔を、上げる。初めてチヒロ先輩と目が合った。

 

 

「だから、ヴェリタスには入れません…………今言ったことはヒマリ姉さんには内緒でお願いします」

 

 

 ここは、とても息苦しい。

 

 

 「すみません、失礼……します……」

 

 

 こうやってお姉ちゃんから逃げる自分が、惨めで、情けなくて……嫌いで、嫌いで仕方がなかった。

 私がどれだけ頑張っても遥か遠くにいるお姉ちゃんが、ずっと妬ましくて、憎かった。

 

 

 お姉ちゃんなんて大嫌いだ。

 

 




次回──第2話:各務チヒロの憂鬱
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