──私、各務チヒロの愚痴を聞いてほしい。
*
明星ヒマリには妹がいる。
彼女と付き合いが始まってからしばらく経つが、そのことを知ったのはつい最近のことだ。
「それ誰なの?」
ある日、作業の合間にうっとりと写真を見つめていたヒマリに私はそう聞いた。……聞いてしまった。
もし過去に行けるのなら、今の私は迷わずにこの時を選ぶ。そして、愚かな質問をしてしまった自分を思いっきり叩くのだ。
「ふふふ……よくぞ聞いてくれました、チーちゃん。そうですよね、かわいいですよね?私に似て清楚な雰囲気が漂っているでしょう?そうでしょう?そうなんです!この写真はミレニアム最高の天才清楚系美少女ハッカーであり、雲の上に咲く一輪の花である私の、世界一の努力家で最高にかわいい私だけの妹であるヤヨイです。何から話しましょうか。そうですね、この子を語る上でまず欠かせないのが────」
その話は、私が知る今までのヒマリ史上一番長かった。
その日から、ことあるごとに妹の話を聞かされた。今日話したこと、昔遊んだこと、妹がかわいいこと……数えだしたらきりが無いくらいには話された。
明星ヒマリはシスコンである。
それが、私の多くの時間と引き換えに得た知識だ。……まったく割に合わない。
「……やはりヤヨイは天才ですね。天才で努力家、しかもかわいい……あれ、私の妹最高では?」
「……それ、前も聞いたよ」
明星ヒマリはシスコンである。
それが、私のついこの前までの悩みだった。
*
「チーちゃん。少し頼まれてください」
「……何すればいいの?」
ヒマリがヤヨイ以外のことを喋るなんて、珍しいこともあるものだな。そう考えてしまうほどに、近頃の私とヒマリの会話はヤヨイだらけだったのだ。
思えばヤヨイ以外のことについて話すのは久しぶりだな。そう思ったけれど、ただ、それは私の早とちりであった。
「ヤヨイをヴェリタスに勧誘しようと思うのですが……手伝ってくれませんか?」
……案の定ヤヨイ関連のことだったけれど、いつもの自信に満ち溢れた表情ではなかった。おずおずと尋ねてくるヒマリに新鮮さを感じながらも、断ることを念頭に置いて言葉を選ぶ。
「一人でいけばいいじゃん」
「その、最近はあまり話していなくて……」
「喧嘩でもしたの?」
「いえ……そうではなくて……」
「へぇ……」
キーボードに添えていた手を退かせる。ふと、興味が湧いてしまったのだ。
ヤヨイを目に入れても痛くないと豪語するこのシスコンが、これほど妹との関係で悩むこととはなんだろうか、と。
喧嘩ではないらしいし、そもそもヒマリの身体のこともあって、物理的な喧嘩は不可能だ。その内容が口喧嘩やすれ違いとかならあり得るが、普段の話を聞く限り、些細なことで喧嘩するような姉妹ではないと思う。
「じゃあ、なんで?」
聞くことは新たな悩みの種を生むかもしれないけれど、どうしても好奇心には勝てなかった。だけど、だからこそ、ヒマリも私もこの場所にいる。
「それが……最近のヤヨイは勉強で忙しそうで……私からは、話しかけにくい……から……」
「はぁ……」
ため息を一つだけ残して、再び作業へと戻る。手元に置いてあったコーヒーに手を伸ばすが、中はすっかり空だった。少しの苛立ちと共に自分の表情が歪んだのがわかる。本当に苦虫なるものがいるなら、今はそのまま飲み込んでしまいたかった。
「な、なんですか……!チーちゃん!これでも私は真剣なのですよ!?」
「はいはい。妹に話しかけるタイミングがわからないから私を通して勧誘したいってことでしょ?嫌だよめんどくさい。それくらい自分でやりなよ、お姉ちゃん」
「ぐっ……ですが、ほんとうに最近のヤヨイはピリピリしてるんです!授業が大変だとかなんとかで、家でも勉強ばかりで話せなくて……」
「……待って。ヤヨイの成績って悪いの?」
「悪くはありません。平均より少し上くらいでしょうか」
「…………ヒマリの妹が?」
「……なんですか?勉学の才だけで人の価値が決まるわけではないことは、チーちゃんも十分わかっているはずでは?」
「ごめん。ちょっと意外だっただけ」
ヒマリの妹だから、てっきりヤヨイもヒマリレベルの天才だとばかり思っていた。
思わず聞き返してしまったけれど、光が消えたヒマリの瞳に見つめられて、すぐに手を上げて降参の意を示す。何度でも言おう。明星ヒマリはシスコンだ。
「……わかった。手伝うよ」
「ありがとうございます、チーちゃん」
「ただし、一回は絶対に自分で行くこと」
「……わかりました」
こうして、私は明星ヤヨイに会うことになった。
*
というのが、数日前の話だ。
「…………ごめん、ヒマリ。泣かしちゃった」
明星ヤヨイが立ち去った部屋の中。一人残った私の呟きは、何に掻き消されるわけでもなく、はっきりと私の耳へと戻って来た。
なんともまぁ、難儀な生き方をしているのだろうか。姉に焦がれ、その大きすぎる背中を追い続けて、今まさに潰れそうになっている。その感情が、その表情が──立ち去る間際に見えた、ひどく歪んだ彼女の泣き顔が、目に焼きついて離れない。
初めて彼女を見た時、まずその美しい白髪に目を吸われた。ヒマリとよく似た、光に照らされた綺麗な白がよく似合う少女だった。
世界で一番の努力家で自慢の妹、なんて毎日のように聞かされていたから、放課後の自習室で一人で勉強している姿を見ても、違和感はなかった。
────いや、違和感はあった。
『…………はい』
姉のヒマリとは明らかにテンション、というか性格そのものが真逆のように感じた。きっと、この子の口からは「ミレニアムが誇る超天才清楚系美少女ハッカー」なんて言葉はでないだろう。
部室を紹介している時も、どこか上の空だった。これがヒマリであれば、一つ一つの機器に興味を示し、絶えず質問が飛び交ったはずだ。
『姉から、聞いたんですか』
ヒマリから話を聞いた時、ちょっとだけ二人がすれ違っているのかもしれないと思ったけれど、状況は私が想像したものよりもひどいのかもしれない……そして、そんな私の不安は、すぐに確信へと変わった。
『私、バカなんです』
矢継ぎ早に紡がれるヤヨイの自虐は、聞いてる私の心まで締め付けてくるようだった。
少し考えればわかったはずだ。ヒマリは、普段の言動こそあれだが、ミレニアムで最も優秀と言っても過言ではない。だからこそ、ヒマリを賞賛する人もいれば、その才能に嫉妬する人だってもちろんいる。ヤヨイも、その一人だっただけだ。
だけど。
『見てくださいチーちゃん!このマフラー!ヤヨイが私にプレゼントしてくれたんですよ!!』
『ヤヨイは、キヴォトスで一の努力家で私に負けないくらい美少女でかわいい、私の自慢の妹です』
脳裏に、嬉しそうにそう語っていた友の姿が過る。
『…………所詮私は姉の劣化版なんです』
初めて目が合ったヤヨイは、微笑を浮かべながら、泣いていた。
きっと、私がどうこうできるほど彼女の傷は浅くない。私にできるのは、いつか2人のすれ違いが解決されるように願うことだけだ。それか、ヒマリに妹離れを促すことくらいか。
『すみません、失礼……します……』
今日のことはヒマリに言わない。そうだな……初めての姉妹喧嘩が終わった時にでも、笑って言えばいい。
明星ヒマリはシスコンだ。
そして、明星ヤヨイは姉が嫌いだ。
*
「チーちゃん、どうでしたか?」
「ダメだったよ。やっぱり勉強に集中したいみたい」
「そう、ですか…………」
嘘は言ってない。が、落胆するヒマリの姿に多少の罪悪感が胸に残る。でもこの場所で二人の仲がさらに拗れるよりはマシだろう。もしそうなれば、"気まずい"なんて言葉では言い表せないほど、私にとっては息が詰まる空間になりかねない。
どちらが悪い、とは言えないのがなんともめんどくさいところだなと思う。強いて言うのであれば、ヒマリが優秀すぎたのか、ヤヨイの気持ちに鈍感なのが悪いのかもしれない。
「ヤヨイが心配?」
「心配していないと言えば嘘になります。ですが、ヤヨイなら自分の力で立ちはだかる困難を乗り越えられると信じていますので」
「…………いいお姉ちゃんだね」
ヒマリは良い姉だ。きっと、ヤヨイの今の気持ちをそのまま伝えても、ちゃんとそれらを受け止めることができるだろう。だから、結局のところ、ヤヨイがヒマリに対してどう向き合うかなのだ。
もうめんどくさいから早く仲直りして、ヤヨイもお姉ちゃんっ子にならないかな。
「ただ、ヴェリタスで一緒に色んなことをしてみたかったのですが……」
「しょうがないじゃん。諦めな」
「はぁ……ヤヨイ……」
ただ、しばらくはこの歪な姉妹関係が続きそうだ。
……だけどその間も、ヒマリのヤヨイ自慢は変わらず行われるだろう。
「……胃薬足りるかな」
明星ヤヨイはシスコンではない。
それが最近の私の悩みだ。
次回──第3話:反抗期