冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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112話 女神の激昂

 シードは荒い呼吸を繰り返しながら、地面に崩れ落ちていた。

 痺れるような痛みが広がる中、冷たい土の感触が肌に染みる。

 

 霞む視界の中で、ぼんやりと映るのは――自分を抱き止めるラナスオルの姿だった。

 

(ラナスオル……?)

 

「かはっ……」

 

 掠れた声にならない言葉の代わりに漏れたのは鮮血だった。

 身体は重く、もう唇も指先一つすらも動かせない。

 それでも、彼を支える彼女の腕の温もりが伝わり、僅かな安堵が胸をよぎる。

 

 しかし――その感覚は次の瞬間容赦なく砕かれた。

 

「愚かな神ね……」

 

 甘く響く声に混じる冷たい嘲笑に、思わず心臓が跳ねる。

 

 彼女の髪は徐々に美しい白から漆黒へと染まり、紫の瞳は残酷な金色に輝いた。

 肌は死人のように青白く、優しく抱いていたはずの手がいつの間にか氷のように冷たくなっている。

 

 妖艶な肢体が邪悪な気配を帯び、彼の知るラナスオルとはかけ離れた存在へと変貌していった。

 

(違う、これは……)

 

 ――理解はしていた。

 目の前の存在がラナスオルでないことは、頭ではわかっていた。

 

 それでも、胸の内で疼く痛みが彼の理性を押し潰していく。

 

 女は舐めるようにシードを見下ろし、残酷な笑みを浮かべた。

 

「……情など持たずに、そのまま異形の神として君臨していれば良かったのに」

 

 不敵に微笑む女――ラナスオルに成りすましたその存在は、神界からの死客の一柱、幻術の女神だった。

 

 彼女の変装は単なる外見の模倣にとどまらず、魂の性質すらも完全に模倣していた。

 

 幻術の女神は、獲物をいたぶるかのような残忍な眼差しで彼を見据え、頬にそっと指を這わせた。

 その指先は滑らかでありながらも冷たく、不快な感触が皮膚に張り付く。

 

「あなたが自らの感情に気づいたその瞬間、弱点をさらけ出していたのよ。力で捩じ伏せる異形の神のままでいれば、あなたは無敵だった。惜しいことね」

 

(僕の……弱点……)

 

 その言葉に、シードは胸に鋭い棘が刺さるような感覚を覚えた。

 

 確かにそうだ。

 かつての彼なら、どれ程愛した者の姿をした偽物であろうと、一瞬で斬り伏せていたはずだった。

 

 しかし、ラナスオルとともに過ごしたことで少しずつ取り戻してきた人間性――それらが彼の心に根を張り、刃を振るう決断を鈍らせた。

 

(僕は……こんなにも弱くなっていたのか……?)

 

 毒がさらに身体を蝕み、呼吸が浅くなる。

 魔力は完全に封じられ、ただその身を幻術の女神に預けることしかできなかった。

 

「苦しいでしょう? でも安心して、これは命を奪う毒じゃないわ。ただあなたを苦しめるためだけの毒。呼吸を奪い、魔力すら封じる。罪を重ねた神への罰に相応しい、特注品よ」

 

 女のしなやかな指がシードの首筋を伝い、そこへ冷たい口付けを落とす。

 鈍く光る金色の瞳には、悪意と嗜虐の色しかなかった。

 

「さあ、神界へ行きましょう。あなたがどれだけ惨めに苦しむか、じっくり見届けてあげる」

 

 そう言いながら、幻術の女神は魔力で空間を歪め、シードを抱えたまま連れ去ろうとした。

 

 だが、その時――

 

「おい、女」

 

 空気が一瞬にして凍りついた。

 肌を刺す殺気が満ち、幻術の女神の動きがぴたりと止まる。

 

「……私の夫を誑かすとは、随分といい度胸だな」

 

 怒りをはらんだ鋭く冷たい声。

 シードのぼやけた視界の中で、紫色の瞳が激しく輝くのが見えた。

 それは紛れもなく、真実の女神の眼差し――

 

(ラナスオル……?)

 

 彼女の顔には、神々しいまでの威厳と、かつて見たことのない程の激しい憤怒が浮かび上がっていた。

 

「な……っ!」

 

 幻術の女神が息を呑む間もなく、彼女の体は無数の見えない鎖に締め上げられる。

 ラナスオルの創造の左手フェルジアの戒めの鎖、それが女神の動きを完全に封じていた。

 

 解放されたシードは再び地面に沈んだ。

 心臓が血の気が失せるように冷たく痺れていく。

 

 それは毒の苦しみか、安堵か、それとも悔しさか。

 自分がこんなにも簡単に囚われたことへの怒りか――答えはわからなかった。

 

「私の夫に毒を盛るなど、命知らずにも程がある」

 

 ラナスオルの声音は低く落ち着いていて、しかし底知れぬ威圧感が込められている。

 空気が軋むように震え、周囲の精霊たちが悲鳴を上げる。

 

「さて、死客の神よ」

 

 ラナスオルは冷たく微笑んだ。

 その笑みは氷のように冷酷で、胸の奥に燃え盛る激情を隠しきれていなかった。

 

「君には相応の『お仕置き』が必要なようだね」

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