冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
夜の帳が居城を包み込み、重い沈黙が部屋に鎮座していた。
机の上で揺れる灯火の光がシードの銀髪を鈍く照らし、彼の姿を彫像のように冷たく際立たせている。
彼は椅子にもたれ、虚空を見つめていた。
生気を失った瞳には、まるで世界から拒絶された存在のような深い虚無が宿っている。
――無力だった。
あの時、幻術の女神を前にして何もできず倒れたこと。
毒に侵されていく身体をどうすることもできず、ラナスオルの手を煩わせたこと。
何より、最後まで迷い、刃を振るえなかったこと――。
腹部に触れる手に伝わる微かな痛みがその記憶を鮮明に蘇らせるたび、苛立ちと自己嫌悪が胸の内で渦巻いていた。
「僕は間違っていたのだろうか……」
虚ろな声が部屋の静寂に溶けていく。
誰に向けた問いでもなく、ただ己の中に響く声だった。
力を振るい、ためらいなく敵を滅ぼす――かつてのように、感情を捨て、冷徹な神であり続けていたならば。
もしそうしていれば、迷わずに刃を振るえたのではないか。
ラナスオルに余計な負担をかけることもなく、完璧な「死と恐怖の神」として冷酷に、強く在り続けられたのではないか。
そう思えば思う程脳裏に浮かぶのは、涙を浮かべながら悲しむ彼女の顔だった。
『君がまた命を奪えば、それは君自身を傷つけることになる。そんな君を見たくない……』
彼女の悲痛な表情を思い起こすたび、冷徹であろうとする意志は崩れ、胸を締め付けるような苦しみが広がっていく。
彼女を悲しませることが「守ること」なのか――答えが出せないまま、沈黙だけが部屋を満たした。
その静寂を破ったのは、そっと開かれた扉の音だった。
「シード、また悩んでいるのか」
優しく包み込むような声。
振り向かずとも、シードにはすぐにわかった。
ラナスオルがそこにいる。
尊く、揺るぎなく、かけがえのない存在が。
彼は一瞬だけ彼女に視線を向けたが、すぐにまた俯き、囁くように口を開いた。
「ラナスオル……やはり僕は……」
何かを言いかけた瞬間、温もりがふいに何もかも遮った。
ラナスオルは迷うことなく彼を抱き締めていた。
彼女の長い白髪がふわりと広がり、シードの肩を優しく包み込む。
腕から伝わる体温、胸の鼓動――彼女のすべてが、張り詰めていた彼の心をほぐしていく。
「君は弱くてもいいんだ」
耳元で囁く彼女の声は、壊れかけた心に染み入るように優しかった。
彼の胸に絡みつく棘を一つずつ剥がし、和らげていく。
「完璧な神である必要なんてない。君の弱さは、私が支える。それが夫婦というものだろう?」
その言葉が落ちた瞬間、シードはゆっくりと目を閉じ、ラナスオルの胸に身を預けた。
自分でも気付かぬうちに冷たく強張っていた身体から、少しずつ力が抜けていく。
「ラナスオル……」
シードが掠れた声で名を呼ぶと、彼女は静かに微笑み、彼の髪をそっと撫でた。
そしてふっと口角を上げ、軽く冗談めいた声で呟いた。
「まあ、あんなあばずれ女に不貞を働いたのは、少しばかり腹が立ったがね?」
シードは一瞬だけ目を開け、ゆっくりと彼女を見上げた。
「僕が幻術の女神を妻と誤認したことを、そう表現するのですね……」
彼の声は淡々としていたが、ほんの僅かに微笑みを滲ませていた。
それを見たラナスオルも、どこか安心したように小さく笑みを漏らす。
「君のその反応、悪くないね」
からかうように返すと、ラナスオルはシードの髪に指を絡め、撫で続けた。
彼の心の傷を癒やしていくように、そっと、柔らかく。
夜が深まる中、二人は言葉少なにその時間を共有した。
互いに支え合い、欠けた部分を補い合う――夫婦としてのあり方を確かめるように、静かに寄り添う。
「君がどんなに迷い、弱さを抱えても、私は君の隣にいる。それを忘れないでくれ」
ラナスオルの囁きが暗闇の中で静かに響き、シードの胸に灯った。