冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
居城の広間には、不穏な風が吹き込んでいた。
風の精霊が切迫した声で報せを運んで来た時、二人の間に重い空気が横たわった。
「また紛争が起きたのか……」
ラナスオルの声は低く、息が詰まるように沈んでいた。
紫の瞳には、何度も繰り返される争いへの疲弊と、止められない現実への苛立ちが宿っていた。
シードを崇める信者たちと、彼の力を恐れるレジスタンス。
何度止めても、何度説得しても、人々の憎しみは終わらない。
それが、シードという存在の影に怯える者たちの「答え」なのだとしたら――。
「私が鎮圧に行く」
意志を固めたように、ラナスオルは椅子から立ち上がった。
凛とした声には、使命を背負う女神としての強さが確かに込められている。
しかしその決意を遮るように、シードが静かに手を上げた。
「僕も同行します」
その一言に、ラナスオルは僅かに眉を動かす。
「君が……?」
彼の名が引き金となって起きた争いに、彼自身が向かうということ。
それは人々を焚きつけ、彼をさらに傷つける結果になるのではないか――その不安が、彼女の胸を締め付ける。
シードは短く息をつき、視線を遠くに向けた。
窓の外、空を見上げる銀の瞳には、微かな葛藤が垣間見える。
「……」
しかし、すぐに彼はラナスオルの顔を見つめ直し、言葉に重く決意を込めた。
「彼らの命を奪うようなことはしません。それは……約束します」
その誓いに、ラナスオルは沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
しかし、胸の奥に燻る不安は決して消えることはなかった。
* * *
戦場にて。
曇天の下、風は乾いた血の匂いを運んでいた。
踏み荒らされた大地には、命を失った者たちが無造作に転がっている。
折れた剣や槍が血溜まりの中に無惨に散らばり、戦場の中心では、信者たちとレジスタンス、それぞれの陣営の憎しみがなおも渦巻いていた。
銀色の瞳が淡々とその光景を捉えながらも、胸の奥に小さく棘のようなものが突き刺さる。
ラナスオルは一歩前に進むと、痛ましい光景に目を伏せた。
「どうして、こんなことに……」
彼女の震える声が彼の胸の痛みをさらに深く抉った。
シードは、戦火の中心を見据えながら目を細めた。
そこに漂うのは、神を恐れる者たちの憤怒と、それに対抗しようとする信者たちの狂気だ。
「これが、僕の名がもたらした結果か」
掠れるような声で呟く。
それは自嘲か、諦観か――否、きっとその両方だった。
(僕が存在する限り、彼らは恐怖に飲まれ、争いを繰り返すのか……)
ラナスオルは意を決して顔を上げ、戦場へ乗り込もうとした。
しかし、その瞬間シードが片手を上げて彼女を制した。
「待ってください。僕が行きます」
冷たく響く声の中に、抗いようのない覚悟が滲む。
彼を見やるラナスオルの瞳には一瞬憂いが混じったが、静かに頷き返した。
* * *
シードが戦火の中心へと歩み寄ると、両陣営がざわつき始めた。
彼の姿を見るなり、レジスタンスの兵士たちは怒りに顔を歪める。
「死と恐怖の神め!」「我らを粛清に来たか! 望むところだ!」
彼らの瞳に映る黒衣の神は、もはや「死と恐怖」の象徴以外の何者でもなかった。
一方、シードに心酔する信者たちは歓喜に震えた。
「おお、死の神よ! やつらに死と恐怖を与えたまえ!」「あなたの名に恥じぬよう、我らが命を捧げます!」
その狂信的な声にラナスオルは息を詰まらせ、表情は険しさを増した。
「……まずいぞ。このままでは争いが止まるどころか、激化する」
彼女はシードを止めに入ろうと一歩踏み出したが、彼は徐に両手を広げ、厳かに言い放つ。
「気が済むまで僕を攻撃するといい」
――その一声に、時が止まったかのように戦場が静まる。
すべての兵士が一斉に目を疑った。
恐怖と狂信が渦巻く戦場で、まさか神が無防備に身を晒すなど、誰一人想像できなかったのだ。
シードの言葉は、まるでその場に降り立った重い鎖のように、全ての者の動きを止めた。
「僕の存在があなたたちの憎しみの的であるなら、それを晴らせばいい」
静まり返った戦場に、穏やかで澄んだ声が響く。
しかし、その声音には底知れぬ虚無が沈んでいる。
ラナスオルは息を呑み、彼の背中を見つめていた。
彼は自分自身を「罰」だと考えているのではないか。
この場で傷つき、血を流すことで、少しでも罪が軽くなるとでも思っているのか――。
(シード……君は、そんなことをしても救われない……)
ラナスオルの胸が締め付けられる。
一方、シードは敵意と憎悪をすべて受け入れるように人々の視線の中に佇んでいた。
孤独と虚無に沈んでいた、死霊術師だったかつての彼のように。
自分が傷つき、倒れることで憎しみの連鎖が終わるのなら――それも一つの「救済」だと。
(もし……これで争いが止まるなら、それでいい)
その考えは、彼が知り始めた「人間らしさ」の証だったのかもしれない。
しかし、この時彼が気づかなかったのは――
戦場の誰よりも、ラナスオルが傷ついていたということだった。