冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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119話 支え合うもの

 居城の一室には、静寂と淡い光だけが漂っていた。

 

 厚い石壁に囲まれた部屋は重い空気に満ち、僅かに揺らめく燭台の炎が壁にぼんやりとした影を落としていた。

 

 その薄暗い部屋の中心で、シードは静かに椅子にもたれかかり、ラナスオルの治療を受けていた。

 

 銀髪は乾ききった血の名残で硬く束になり、蒼白な肌にはまだいくつもの細かい傷痕が残っていた。

 

 その身体に、ラナスオルの創造の左手フェルジアから放たれる光がゆっくりと染み込んでいった。

 細く柔らかな指先が優しく傷口をなぞり、壊れた肉体を少しずつ再生させていく。

 

 しかし――

 

 胸元の、心臓付近の深い刺し傷だけは、癒える速度が異常に遅かった。

 

「神殺しの剣……」

 

 ラナスオルが低く呟く。

 

 テーブルの上に置かれた短剣は、不吉な青白い輝きを放っていた。

 冷たい刃の表面には、戦場でシードの胸を貫いた時の血がまだ乾ききらずにこびりついている。

 

 ただの一振りの刃。それが彼の不死性を否定する呪いの残滓を宿していた。

 

「君は本当に愚かだな……!」

 

 怒りに満ちた声色の奥で、明らかに滲む悲しみが彼女の言葉を重く響かせた。

 

「それをあなたに言われるのは、これで何度目でしょうね」

 

 シードは自嘲を込めた笑みを見せつつ淡々と答えた。

 あまりにも慣れすぎてしまった痛みと罪悪感が、彼の表情から生気を奪っていた。

  

「一歩間違えば、君は本当に死ぬところだったんだぞ……!」

 

 紫の瞳が怒りと涙で揺らいだ。

 

「死んでしまったら……君の魂は再誕の循環には戻らない。それがどういうことかわかっているのか!?」

 

 ラナスオルは声を荒げ、フェルジアの光に強く力を込めた。

 光は脈打つように輝きを増し、シードの傷口を必死に塞ごうとする。

 

 シードは目を伏せた。

 彼は知っていた。理解していた。

 

 もしこの短剣が心臓を完全に貫き、ラナスオルが間に合わなければ、彼の魂は永遠に消滅していたのだと。

 

「……わかっています」

 

 わかっていながら、彼は血を流す道を選ぶしかなかった。

 

 ラナスオルは歯を食いしばる。

 フェルジアの光を注ぎ続けるが、短剣の呪いが傷にしがみつくように消えようとしない。

 

「ですが、僕が無理をした時、あなたはこうして助けてくれる。互いに支え合うのが夫婦だ、と……以前、あなたは言ったではありませんか」

 

 シードは彼女の顔をじっと見つめていた。

 彼の不躾な言葉に、ラナスオルの指先がぴくりと震えた。

 

「それでも……もう二度と、こんな真似はしないと約束しろ……!」

 

 ラナスオルの声が掠れ、途切れた。

 強い口調のはずなのに、最後はまるで懇願するかのようだった。

 

 彼女の瞳から涙が一粒、シードの胸元に落ちる。

 

 シードは、ラナスオルの涙が胸の傷口に触れた瞬間、そっと瞼を閉じた。

 その涙の温かさが、優しさが、痛みが――短剣の呪いよりも深く胸を抉るようだった。

 

「わかりました……」

 

 シードの短い返事を聞くと、ラナスオルは左手で彼の傷口を撫で、さらに強く創造の力を注ぎ込む。

 光は剣の呪いと激しくぶつかり合い、ゆっくりと、しかし確実に傷口が塞がっていく。

 

「もう、こんな痛みを与えないでくれ……」

 

 低い声に、痛みと涙が混じる。

 

「私にとって君の存在がどれほど……」

 

 最後の言葉は掠れ、音にならなかった。

 だが、その言葉が何を意味しているのかは、シードに痛いほど伝わっていた。

 

 ――彼は、自分がどれだけ彼女を傷つけているかをようやく理解した。

 

 だからこそ、彼は何も言えなかった。

 ただ、彼女の涙の温もりだけが、冷たい身体の中で静かに響き続けていた。 

 

 

   * * *

 

 

 短剣に込められた呪いは、しつこく傷に絡み付いていた。

 まるで、シードの存在そのものを否定するように、癒えかけた皮膚が再び裂け、血がじわりと滲み出す。

 

 それでも、ラナスオルの粘り強い治癒の力によって、ようやく出血は完全に止まり、傷跡が薄くなっていった。

 

「ありがとうございます、ラナスオル」

 

 シードは微かに微笑みながら礼を述べた。

 その声には、ほんの僅かに安堵が滲んでいる。

 

 だが――

 

「感謝などいらない。次に同じようなことをしたら、君を私の結界に閉じ込めて二度と外に出さないからな」

 

 ラナスオルの返答は冷たかった。

 しかし、その瞳に揺るぎない愛情が込められていることに彼は気づいていた。

 

 彼女が本気でそうするつもりだと理解したシードは、何も言わずに小さく頷いた。

 きっと、彼女の言葉の裏にあるのは「怒り」ではなく「願い」だということも、彼は気づいていたのだろう。

 

 

   * * *

 

   

 月明かりが彼の銀髪を淡く、儚く照らし続けている。

  

 その夜、シードは寝室の窓辺に立ち、星が瞬く空を見上げていた。

 遠い彼方を彷徨う視線は、まるで行き場を失った魂のように宙を泳いでいた。

 

 ラナスオルの怒りと涙が、彼の胸を締め付けて離れない。

 

「僕の存在が、彼女に痛みを与えているのだろうか……」

 

 掠れた声が、静かな部屋に溶けていく。

 自分がいなければ、ラナスオルはきっとこんなに傷つかずに済んだのではないか。

 彼がいなければ、争いの火種も、戦いも、流れる血もなかったのではないか――

 

 そんな思考が、再び彼の胸を蝕んでいた。

 

 ――その時。

 

 背後から、ふわりと優しい気配が近づいてきた。

 そして、ためらいなく伸ばされた温かな手がそっと彼の肩に触れる。

 

「君の考えていることは大体わかる」

 

 ラナスオルは微笑みながら彼の隣に寄り添っていた。

 

 シードは驚いたように彼女を一瞥したが、すぐに視線を伏せた。

 彼女に心配をかけたくない――そう思っても、隠しきれない苦悩が表情に滲んでいた。

 

「でも、君がいない世界の方が、私にとってはもっと辛い。だから……」

 

 ラナスオルは、シードの手をそっと握りしめた。

 彼女の手のひらは、いつもと同じ温もりを宿している。

 

 しかしその温もりが、どれほど彼女自身の痛みの上に成り立っているかを思うと、シードの胸は再び張り裂けそうになった。

 

「どうか、私の隣にいてくれ。それだけでいい」

 

 彼女の優しくも力強い言葉。何があっても、シードがどれだけ傷ついても、彼の隣を離れるつもりはない――そう告げるかのようだった。

 

 シードは目を伏せたまま、彼女の手を握り返した。

 

「……わかりました」

 

 ――自分は、きっとこの手をもう離せない。

 離してはいけない。

 

 それ以上の言葉は必要なかった。

 二人の間に流れる静謐な時間が、彼らの絆をさらに深めていた。

 

 夜空には一筋の流れ星が光り、ラナスの世界は静かに眠りについていった。

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