冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
信者たちとレジスタンスの争いにシードが身を投じたあの日以来、ラナスの世界は少しずつその様相を変え始めていた。
「死と恐怖の神」として長年刻まれた畏怖の名は、今なお完全に消えたわけではない。
それでも、シードが流した血と無抵抗に立ち尽くした背中は、確実に人々の心に何かを刻み込んでいた。
その証拠が、毎日神殿から居城へと届けられる祈りの声だった。
「ラナスの二神よ、どうかこれからも世界をお守りください」
「神々に感謝を。そして、この平和が続きますように……」
「死の神シード様、あなた様が私たちを見捨てなかったこと、心より感謝します」
人々の想いが込められた祈りは、ラナスオルとシードのもとに確かに届いていた。
ラナスオルは魔法で映し出された映像を見ながら満足げに微笑むが、シードは硬い表情のままだ。
「君の評価も悪くないじゃないか」
ラナスオルが軽く肩をすくめ、冗談めかした口調で言う。
しかし、シードの表情は変わらなかった。
「僕には過ぎた言葉です」
喜びでも謙遜でもなく、何か深い戸惑いを感じているような淡々とした返答。
人々の感謝は、確かに彼の胸に届いている。
守りたいと願い、身を差し出したのは事実だった。
しかし、彼はそれが「死と恐怖の神」として積み重ねてきた罪を帳消しにできるとは思えなかった。
かつては冷徹に命を奪い、恐怖で人々を縛ってきた存在が、今さら何を守れるというのか。
それでも祈りは止まらない。
まるで、人々が彼の存在を赦そうとでもするかのように。
シードは胸に手を当て、静かに息をついた。
その音は広間に響く祈りの声に溶け、すぐに消えていった。
「君は本当に、謙虚なのか自信がないのか。よく分からないな」
ラナスオルが呆れたように笑った。
彼女はシードの隣に腰を下ろし、そっと彼の手を握る。
その手の温もりは、絡み付いた迷いを溶かしてしまいそうなほど柔らかく感じられた。
「けれど、君がどうしても力を振るわねばならない時が来たら、その時はきっと私が隣にいる。それだけは覚えておきたまえ」
紫の瞳がまっすぐにシードを見つめる。
その瞳には、絶対的な信頼と、共に在ることを誓う強い意志が宿っている。
「あなたがそう言うのなら、少しは安心できます」
シードは一瞬だけ目を閉じ、その言葉を噛み締めるように呟く。
ラナスオルは満足げに微笑み、立ち上がって窓辺へと歩み寄った。
窓の向こうには、どこまでも澄み渡るラナスの青空が広がっている。
吹き抜ける風が大地を撫で、人々の平和な営みを優しく包み込んでいた。
「まあ、君の性格だと、世間の評価を素直に受け入れるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ」
彼女は窓の縁に手をかけ、髪を掻き上げながらにこやかに言った。
シードは、窓際に立つ彼女の背中を見つめ、ふっと微かな笑みを浮かべる。
「それも、私たちにとっては長い時の中のほんの一瞬だろう?」
ラナスオルが振り返りながら微笑む。
「……君がいれば私も安心できる。そういうものだよ、夫婦というのは」
その言葉は、シードの心に静かに溶け込んでいく。
彼女の強さと優しさ、その隣にいる自分の存在――
それが「赦し」なのだと、ゆっくりと理解していく。
祈りの声が止むことはない。
この平和がこの先も続くことを願いながらシードは目を閉じ、ラナスオルの言葉を心に刻んだ。
「あなたが隣にいてくれるなら……この祈りを背負ってみてもいいかもしれない」
シードの声は微かで、ラナスオルには聞き取れなかった。
しかし、銀色の瞳には今までになく柔らかな光が宿っていた。
それはきっと、シード自身も気づいていない、小さな希望の灯火だったのかもしれない。
ラナスの空は透き通るように澄み渡る。
人々の祈りが、風と共に二神のもとへ穏やかに届き続けていた。