冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
それからしばらくの間、ラナスの世界は奇跡のような静寂に包まれていた。
神界からの死客は現れず、かつての紛争で血で染まった戦場は草原へと戻った。
人間同士の争いは完全に消えたわけではなかったが、それらは小競り合い程度にとどまり、二神が直接介入することはなかった。
ラナスオルとシードは、長い年月の中で初めてと言える穏やかな日常を享受していた。
シードが力を振るうのは、精霊力の乱れを鎮める時か、暴走した魔物を討伐する時だけだ。
彼の冷酷な異形の力が人や神の命を奪うことは、もうずっとなかった。
かつて彼を縛りつけていた「死と恐怖の神」という忌まわしい名は、人々の記憶から徐々に薄れ、代わりに新たな名が生まれていた。
今、彼を称える名は――「銀灰の守護者」
それは、静かに世界を見守り、必要な時だけ現れる存在。
死の神ではなく、ただ一人の守り人としてのシードの名だった。
* * *
穏やかな午後。
居城の一室には柔らかな陽光が差し込み、そよ風がカーテン越しに部屋に吹き抜けていく。
ラナスオルは窓辺に立ち、青く澄んだ空を見上げていた。
精霊たちが無邪気に空を舞い、小鳥たちのさえずりが遠くから響いてくる。
平和そのものの光景。
しかし、ラナスオルの紫の瞳はどこか曇っていた。
「平和だな……」
ぽつりと漏れた声には、奇妙な不安が滲む。
「退屈ですか?」
部屋の椅子で書物を閉じたシードが彼女の背に問いかけた。
「君も平和ボケしたのか?」
ラナスオルは微笑みながら振り返るが、冗談めいた言葉とは裏腹にその表情は張り詰めている。
神界からの攻撃。新たに現れるであろう最高神の存在。
それは、彼女の胸の奥でずっと燻り続ける疑念だった。
シードは椅子から立ち上がり、ラナスオルの横へ並ぶように歩み寄った。
「まさか……神界がラナスを諦めたとは思えません」
彼の声は冷静そのものだったが、瞳の奥には微かな疲労が見えた。
あの穏やかな村で人々が祈りを捧げる像を見た時から、心のどこかで感じていたこと――平和が続けば続くほど、神界はその静寂を憎むだろう。
「そうだな。静寂は終焉の予兆でもある。彼らが動くとすれば――」
ラナスオルの言葉が途切れ、二人の間には張り詰めた空気が漂った。
「呪われた地、ラナス……」
シードの低い声が部屋の中に沈む。
この美しい世界が、神界では「呪われた地」と呼ばれていることを、二人はよく理解していた。
彼らがどれほど平和を求めても、神界は決してそれを許さない。
被造物を愛した女神の罪、最高神を殺した異形の神の罪。
それらは永遠に消えることはない。
神界は何度でも、何度でも――その静寂を打ち砕こうとするだろう。
* * *
神界――玉座の間。
純白の大理石で築かれた円形の広間は、天空へと伸びる幾重もの巨柱に囲まれている。
天井には輝く神術の魔法紋が絡み合い、淡い光を放ちながら緩やかに巡っていた。
玉座に座するのは、新たに即位した最高神。
その姿は、獣じみた巨大な身体に黒炎を纏った異形の存在。
燃え盛る業火のように赤黒く光る瞳が、玉座の間に跪く死客の神々を見下ろしている。
「雷の神どもが討たれてから、長き時が過ぎた……」
新たな最高神の地響きのような重い声が空間に反響する。
玉座の間には、死客の神々が膝をついて頭を垂れていた。
その中には、かつてラナスに送り込まれ、二神によって追い返された者の姿もある。
「ラナスの二神が築き上げた愚劣な秩序が、この神界の名誉を汚し続けている」
最高神は肘掛けに爪を立て、指を鳴らす。
パキン――
その音を合図に、玉座の間に無数の亀裂が走った。
裂けた空間から闇が溢れ、呪詛めいた気配が渦巻く。
その先には、青く美しいラナスの空が揺らめいて見えた。
「死と恐怖の神、そして破壊と創造の女神よ……いよいよ貴様らの終焉の時が来たのだ」
嗤う声が、玉座の間に響き渡る。
「行け。そして、呪われた地を浄化せよ」
死客たちは命じられるがまま、次々と裂け目に飛び込んでいった。
最高神の不敵な笑みが、薄暗い玉座の間を満たしていく。
「さあ……ラナスよ。貴様らの静寂は、ここで終わるのだ」
ラナスの空に迫る暗雲。
それは、二神の安息を断ち切る序章に過ぎなかった――。