冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
焼けただれた街の中、青白い炎が瓦礫を呑み込み、終わりなく舐め尽くしていた。
それはただの破壊ではなかった。まるで意志を持つかのように渦を巻き、燃えるたびに空と大地が悲鳴を上げる――浄化と滅びを象徴する「粛清の青き炎」だった。
焦熱を孕んだ空気は肺を蝕み、足を踏みしめるたび、砕けた骨と崩れた石の乾いた音が耳を打つ。
その炎の中心に立つ黒衣の男の姿は、かつて「銀灰の守護者」と呼ばれた英雄の面影をもはや留めていなかった。
銀色の瞳に青い光を宿し、異形の力の代償として刻まれた呪詛の痕が端整な顔に歪な影を落としている。
今やその佇まいは人々が恐れた「死と恐怖の神」としての冷徹な貌そのものだった。
「お願いです! この子だけは……見逃してください!」
シードの瞳に映るのは、燃える瓦礫に脚を挟まれ動けない母親と、その隣で親を必死に助け出そうとする少年の姿。
母親の顔には涙と灰が入り混じり、嗚咽で声は掠れていた。
少年の小さな手はすでに傷だらけで、擦り切れて血まみれの指が母親を救おうと瓦礫を押し上げ続けていた。
「お母さん! ううっ……ぐっ……!」
かつての彼なら、迷うことなく救っていただろう。炎を鎮め、瓦礫を消し去り、二人を抱きかかえて安全な場所まで連れて行ったはずだった。
(これは……僕が生み出した地獄だ)
自らの粛清の炎によって焦土と化した街。破壊と絶望の果てに燃え尽きていった命の残骸。
それがすべて自分の行いの結果であることを、彼は痛いほど理解していた。
「どうか……お願いします……うぅっ……」
母親の瞳から零れ落ちた雫が炎の中に落ち、何もかも枯れ果てていく。
その瞬間、シードの脳裏にかつて救った名もなき人々の顔がちらついた。
彼を「銀灰の守護者」と呼び、感謝の祈りを捧げた無垢な人々――それを、彼はこの手で焼き尽くしたのだ。
「助けて……『銀灰の守護者』様……お母さんを助けて……」
少年は焼けただれた手を伸ばし、絶望に塗れた瞳をシードに向けた。
その言葉に、彼の心が僅かに揺らぐ。
まだ「守護者」と呼ばれる資格があるかのように思えた瞬間、甘い錯覚が彼の指先を動かした。
(救うことは……できる)
シードの手が母親の元へ伸びた。指先に微かな魔術の光が灯る。
ほんの少し力を注げば母親の傷は癒え、瓦礫は消え去るはずだった。
せめて、この親子だけでも――そんな愚かな考えが、一瞬よぎった。
「死ねぇ!!」
少年の目が赤黒く輝き、空気を切り裂くような叫びを上げた。
瞬間、シードの腕から鮮血が迸る。神と人の子の恐るべき力が、躊躇なく彼の腕を貫いたのだ。
彼は思わず体勢を崩す。目の前の少年の気配は、もはや人間のものではなかった。
――「神と人の子」
その鋭利な爪が、よろめく彼の喉元を襲う。
ずるりと、冷たく、深く抉るような感触。
「か……はっ……」
シードの口から血が溢れる。しかし、呪いの込められたその正確な一撃でさえ、不死の彼の命を奪うには至らない。
喉を襲う焼け付くような痛みで視界が揺らぐ中、彼は神と人の子と化した少年の狂気に彩られた眼光を見据えた。
「あ……あぁっ……」
母親は泣き崩れていた。
少年の身体は青白い炎に包まれ、悲鳴を上げる間もなく灰へと変わっていく。
残された母親も、崩れ落ちた瓦礫の下に消えた。
シードはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
何かを感じ取ることすらできなかった。
(……これは、僕が選んだ道だ)
冷たい指先で、血に塗れた喉をそっとなぞる。
その痛みを、絶望を、消せない罪を――己の内に刻み込むように。
* * *
ラナスオルが駆けつけた時、彼女の紫の瞳は広がる炎とその中心に立つシードの姿を捉えた。
彼の背中が無言で語る冷たい覚悟に、彼女は一瞬言葉を失う。
「シード……! なぜまたこんなことを……!」
ラナスオルは彼の肩を掴んで揺さぶった。
怒りと悲しみ、そして止めたいという切実な願いが指先に力を込める。
しかし、シードの銀色の瞳は虚ろで、燃え盛る炎の揺らぎを映しているだけだった。
「ラナスオル……分かってください。この街にも神と人の子が潜んでいる。彼らを生かしておけば、また別の街に広がるだけだ」
彼の声は冷静そのものだった。だが、彼女には感じ取れた。
その奥にある、彼自身すら気づいていない迷いが。
「だとしても、すべてを焼き払う必要などないだろう!」
ラナスオルの声は震えていた。
青白い炎の中、焦土と化した家々、消えた命の数々。それを目にして、なお「すべて」を選ぶシードの姿が信じられなかった。
(なぜだ……君は……本当はこんなこと……)
シードはそっと彼女の手をほどく。
そして、一歩だけ距離を取ると、冷ややかに言った。
「僕には選別ができない。ただ……すべてをこの手で終わらせることしかできないのです」
その言葉にラナスオルは目を見開き、絶句した。
もうどんな声も、言葉も、彼には届かない気がした。
渦巻く異形の力が、さらなる破壊を告げるかのように広がっていく。
シードは背を向けたまま、冷たく言い放った。
「邪魔をするなら、力ずくで僕を止めてください」
「……っ……!」
ラナスオルの全身が震えた。答えることができなかった。
シードの言葉はあまりにも冷酷だった。
しかし――彼女には、痛いほど分かっていた。
その奥底にある、彼の孤独が。
かつて、彼は人々を守る力を持ち、ラナスの大地を癒やしてきた。
だが、その力が「破壊」に揺らぐたび、彼の中には深い傷が刻まれていった。
それは彼が誰にも明かさぬ苦しみであり、孤独に抱え込もうとしていたものだった。
ラナスオルを穢したくないという、歪んだ愛の形――それがどこまでも彼を苦しめ続けていた。
ラナスオルはシードの背中を見つめ、静かに問いかけた。
「シード……君は、それで本当にいいのか……?」
その声は怒りでも、非難でもなかった。彼の心に寄り添おうとする切実な祈りだった。