冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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134話 暴食の女神

 かつて生命と活気に満ちていた街は今や瓦礫と灰の山と化し、黒い煙が無情に空へと昇っていく。

 

 燃え尽きた大地には何も残されていない。

 そこにあったはずの人々の営みは、すべてが青白い炎に呑み込まれ、消え去った。

 

 ――この惨禍を引き起こしたのは、他ならぬ彼自身の手だ。

 

 しかし、彼は悔いるつもりはなかった。後戻りする道など、とうに失われている。

 

 シードは一人、遠い大地の果てで曇天を仰ぎ見ていた。

 銀灰色の瞳は冷たく空の裂け目を捉えている。

 

「――これだけ騒げば、必ず来る」

 

 その横顔には、異形の力を振い続けた代償――青白い亀裂が呪いのように刻みつけられ、微かな瘴気が滲み出していた。

 

 ――異形の魔力。

 

 神性を歪め、人でもなく、神ですらない不死の存在へと堕とした力。

 それでいて、なお彼をこの世界の守護者たらしめる力でもあった。

 

 もし、この力に完全に飲み込まれてしまえば、彼自身が「呪い」と化し、世界の災厄となるだろう。

 

(……ここですべてを終わらせる)

 

 ――その時。ついに世界が軋んだ。

 

 雲が裂け、空はひび割れ、歪みが陽光を蝕んでいく。

 精霊たちは何処ともなく姿を消し、風は凍りつき、大地は震えを見せた。

  

 そして世界そのものが、彼女の到来を畏れるかのように沈黙した。

 

 黒炎を纏う存在がゆっくりと地上へと降り立つ。

 その足が大地を踏みしめた時、見えざる衝撃が奔り、空気が波打つように歪んだ。

 シードの銀髪と黒衣が荒れ狂う風に煽られる。

 

「……ようやくお出ましか」

 

 彼の声に応えるように、その神格は妖艶な笑みを浮かべた。

 

 長い黄金の髪をたなびかせ、紅蓮の瞳を煌めかせる小柄の若い女神。

 漆黒のドレスが身体に絡みつくように揺れ、蝶のように軽やかに地を踏む。 

 だが、その微笑みの裏には計り知れない狂気と暴虐の神威が宿っていた。

 

 ――彼女こそが、この世に顕現してはならぬ神界の災厄。

 

「余の名はグレナシア……神界の最高神にして、暴食の女神」

 

 少女のような声で囁きながら、高らかな足取りでゆっくりとシードに近づく。

 彼女の紅い瞳がシードを上から下まで値踏みするかのように見つめ、ふっと唇の端を上げた。

 

「随分と派手にやってくれたみたいね。……まぁ、あなたがどれだけ『殺した』かなんて、余にとってはどうでもいいわ」

 

 周囲に広がる焼け野原を見渡し、くすりと笑う。

 まるで彼の作り上げた惨状が芸術作品とでも言わんばかりに。

 

 舐めるように見回した後、グレナシアは軽く小首を傾げる。

 

「女神ラナスオルは一緒ではないのね?」

 

 シードの目が僅かに細められる。

 

「仲睦まじい夫婦神と聞いていたけど、意外だわ。だったら……」

 

 グレナシアはゆっくりと一歩を踏み出す。

 紅い瞳が妖しく輝き、唇が艶やかに歪められた。

 

「余が、あなたを夫として迎えようかしら?」

 

 その声には、ただの冗談とは思えない力が込められていた。

 甘美な響きの中に潜むのは、心を縛る禁忌の魔力――誘惑の魔術だった。

 

 聞くだけで精神が蕩け、意識が絡め取られる、神でさえも惑わせるほどの禁呪。

 

 しかし、シードは微塵も動揺を見せない。

 

「……くだらない」

 

 冷たく吐き捨てた瞬間、シードの身体から禍々しい魔力が拡散される。

 その力に押し返され、グレナシアの身体が宙へと弾き飛ばされた。

 

 だが、彼女は地に伏すことなく、軽々と空中で姿勢を整える。

 むしろ、その顔には陶酔にも似た笑みが浮かんでいた。

 

 彼女はふわりと宙に浮かびながら、人差し指を口元に当てる。

 

「ふうん……冷たい目をしているけど……まだ女神ラナスオルを愛してるってこと?」

 

 グレナシアは唇を歪めながら粘りつくような眼差しで見つめた。

 

 シードはその問いに答えず、冷たく鋭い視線だけを彼女に向ける。

 それを見たグレナシアの表情から笑みが消えた。

 

「……愛なんて愚かな感情よ。神には必要ない」

 

 彼女の紅い瞳が狂気の輝きを放つ。

 

「全部……ぐちゃぐちゃにしてやる……! あなたの心も、身体も!」

 

 怒りを孕ませた甘美な声が響くと同時に、グレナシアの周囲から黒炎が吹き出した。

 炎は暴風のように彼女自身を取り巻き、広がっていく。

 

「覚悟しなさい、異形の神……!」

 

 最高神の宣告が轟き渡る中、シードは一歩も動かなかった。

 その場に立ち尽くし、静かに彼女を見据える。

 

「僕の覚悟など、とうに出来ている」

 

 低く落とした声に、死の神の冷徹な威厳が宿る。

 

 ――戦闘の開始は一瞬だった。

 

 黒炎が爆ぜ、轟音と共に瓦礫の大地を舐めるように広がる。

 焼け焦げた空気が弾け、白と黒の魔力が交錯する戦場。

 

 その中心で、グレナシアは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

「さあ……見せてもらおうかしら。あなたのその力を」

 

 彼女が手を掲げると同時に、黒炎が形を成していく。

 膨れ上がる漆黒から這い出すのは、神の眷属たる魔物たち。

 

 硬質な尾を痙攣するように震わせながら、喉奥から濁った唸り声を漏らす獣。

 白濁した水沫を纏い、不気味に瞬く瞳を持つ怪魚。

 無数の紫紺の触手を蠢かせ、滴る水のように呪詛を呟く女の異形。

 

 グレナシアが産み落としたそれらは神性の紋章を帯び、ラナスの魔物とは異なる威圧感を放っていた。

 

 彼女が手を掲げると同時に、黒炎の魔物たちがシードに向かって襲いかかる。

 歪な咆哮を上げながら、全方位から取り囲むように彼を捉えた。

 

 だが、シードは動じなかった。

 

 徐に手を上げ、指先に青白い炎を灯す。

 燃え上がる蒼炎は、彼の手の中で小さく収縮したかに見えた。

 

 次の瞬間――

 

 爆発的な炎の奔流が魔物たちを呑み込んだ。

 

「ギァァァァアッーーーーー!!」

 

 黒炎が弾け、歪んだ悲鳴が響き渡る。

 神の力を宿した魔物たちですら、シードの青き炎には抗えない。

 

 蒼炎が黒炎を飲み込み、天へ白い火柱を上げる。

 

 灰と化した魔物の残骸が舞い散る中、グレナシアはその美しさにうっとりと目を輝かせていた。

 燃え落ちる一欠片を彼女は手のひらでそっと掬ってみせる。

 

「ふうん……なかなかの力ね」

 

 微笑みながら火の粉を握り潰す。指の隙間から僅かに黒炎が滲み出た。

 

「でも、それが余に通じるかどうか、試してみるがいいわ!」

 

 その瞬間、グレナシアの姿が掻き消えた。

 

 ――否、消えたのではない。

 彼女自身が黒炎を纏い、凄まじい速度でシードに迫っていた。

 

 大地が砕け、溶けた岩が赤黒くただれていく。

 裂け目からさらに黒炎が吹き出し、グレナシアは火柱の陰に身を隠しながら間隙を縫うように移動する。

 

 まるで森の中を駆ける漆黒の妖精のようだ。

 

 シードは彼女の軌跡を冷静に見極め、青白い炎を次々と放つ。

 彼が放った炎は群れを成す鳥のように飛翔し、グレナシアを追いかけた。

 

 白銀の残像が漆黒の戦場を疾駆し、混ざり合った炎が弾ける音だけが響く。

 二柱の神の力がぶつかり合い、果ての大地は崩壊音と沸騰するような熱気で満たされた。

 

 

   * * *

 

 

 その戦いの最中、グレナシアが一瞬動きを止めた。

 

「面白い……」

 

 彼女は息を弾ませながらも余裕のある微笑を浮かべる。

 紅蓮の瞳が、じっとシードを見つめた。

 

「あなた、ただの神ではないわね。どうしてそんな『人間臭い』目をしているの?」

 

 彼女の問いに、シードは短く答えた。

 

「守るためだ」

 

 その言葉にグレナシアの唇が僅かに歪む。

 

「守る? 死と恐怖の神が一体何を守ると言うの?」

 

 彼女は目を見開いて笑った。

 しかし、その笑みの裏にあるのは、理解不能なものへの苛立ちだった。

 

 「神」とは、力こそがすべて。力ある者が常に頂点に立つ絶対の存在。

 

 ――世界を統べる力こそが、唯一の価値。

 

 しかし、目の前の男は違った。

 「守る」などと口にする異形の神。

 

 それは、最高神である彼女の理解を超えた矛盾だ。

 だからこそ――気に食わない。

 

「そんな戯言……余が焼き尽くしてやる!」

 

 再び繰り出される黒炎に対し、シードは異形の力をもって応戦する。

 炎と炎が絡み合い、世界そのものが炎上するかのような熱が覆い尽くす。

 

 その激闘の最中、シードの心にはたった一人の名が浮かんでいた。

 

(ラナスオル……)

 

 彼は知っている。この戦いの先にあるのは、ただの破壊と消滅。

 それでも、彼は進まなければならなかった。

 

 燃え盛る炎の中、二柱の神の戦いはなおも続いていく。

 その結末が何をもたらすのかは、まだ誰にも分からなかった。

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