冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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135話 嘲笑

 黒炎が絶え間なく爆ぜ、戦場は狂気を孕んだ灼熱の地獄と化していた。

 

 黒き炎を纏ったグレナシアが、猛然とシードへ襲いかかる。

 まるで龍が牙を剥き、ラナスそのものを呑み込まんとするかのように暴れ狂う。

 

 暴食の女神の名に相応しく、その炎はすべてを喰らい、焼き尽くし、灰へと還す力を持つ、まさに大いなる災厄の顕現。

 

 そして今、その暴虐の力が容赦なくシードを貪ろうとしていた。

 

「無駄だ」

 

 竜の顎が彼を捕らえようとした瞬間、彼の周囲を渦巻く異形の魔力が絡め取り、その猛威を霧散させた。

 敵意と殺意に満ちた黒炎は、彼の青白い魔力と混ざり合い、霜のように崩れ去っていく。

 

「さすが異形の神といったところかしら……!」

 

 グレナシアはなおも好戦的な笑みを浮かべ、細い指先を鳴らす。

 

 大地が振動し、彼女の足元の亀裂から幾重にも黒炎の柱が噴き上がった。

 それは意思を持つかのように捩れ、シードを追い詰めるべくうねり出す。

 

 まるで、獲物を絡め取ろうとする漆黒の蛇の群れだ。

 

「呑まれなさい!」

 

 黒蛇たちが一斉に飛びかかり、瞬く間にシードを包囲した。

 視界が赤黒く染まり、陽炎にように揺らぐ空気が呼吸さえも奪っていく。

 

 煎りつける灼熱の螺旋が彼の防御を蝕む。

 黒衣の端が燻り出し、じりじりと肌を焼き始めた。

 

(仕方がない……)

 

 彼は目を細め、軽く右手を振った。

 指先に青白い光が凝集し、それが刃を形作っていく。

 

 ――刹那、空気が震え、刃が唸りを上げた。

 

 空気を裂くような鋭い音が響き渡り、彼は振り抜いた一閃で漆黒の蛇たちを一太刀のもとに斬り伏せた。

 

「なっ……!」

 

 弾け飛んだ黒炎の向こうで、グレナシアの笑みが一瞬だけ引き攣る。

 最高神である彼女の力をここまで封じ込める者など、今まで存在しなかった。

 

(これがラナスの異形の神……ますます「欲しく」なってきたわ……)

 

 シードは影のように軽やかに動き、グレナシアの猛攻を紙一重でかわしていく。

 そして、隙を見ては青白い刃を放ち、冷徹な一撃を繰り出した。

 

 グレナシアは真紅の瞳を輝かせ、狂ったように笑う。

 

「あっははは!! いいわ、もっと楽しませて!」

 

 暴食の女神が黒炎を撒き散らしながら大地を駆ける。

 その姿は漆黒の流星の如く、そして血に塗れた薔薇のように妖艶。

 

 シードは冷静にその軌道を見極め、僅かな身のこなしで回避し続ける。

 青白い光が閃くたびに黒炎と交差し、白と黒の軌跡が空を彩っていく。

 

 彼の一撃は決して無駄がない。

 寸分の狂いもなく白刃を振るう貌は、戦場を舞う死の概念そのものだった。

 足音さえ消え、魔力の余韻すら残さず、確実に女神を追い詰めていく。

 

 ――剣戟のような神術の応酬が、次第に熾烈さを増していった。

  

 

   * * *

 

 

 ついに長い膠着状態を打ち破ったのは、シードの死霊術による魂の軍勢だった。

 

(くし)(あまね)く宿怨の魂魄よ。死霊の慟哭を(もっ)(ここ)に跪け――」

 

 短い呪詛が響いた瞬間、その場の空気が足元から絡みつくように重くなった。

 

 彼の背後の空間が歪み、白い霧が戦場に立ち込める。

 身も凍る霊気が横溢し、濃密な霧の中から無数の魂が姿を現す。

 

 ――一万年の時の中で命を奪われた神々の亡霊。

 ――粛清の青き炎で滅びた人々の亡霊。

 

 無念と怨嗟の声が重なり、地獄の門が開かれたかのような光景が広がった。

 

 ひしめく死霊たちは、幾千の悲鳴と共にグレナシアへと襲いかかる。

 

「こんなもの……っ!」

 

 彼女は黒炎で掻き消そうとするが、狂ったように殺到する白い腕は、燃え上がりながらなおも喰らいつく。

 まるで神の魂でさえ、冥府の奥へ引き摺り込むかのような抗いがたい執念。

 

 霊魂の縛鎖がグレナシアの四肢を捕らえ――ついに彼女の膝を折らせた。

 

「かはっ……!?」

 

 次の瞬間、シードの放った白刃の一撃が、正確にグレナシアの胸を貫いていた。

 

 拘束されたしなやかな肢体から、黒炎が血のように滴り落ちる。

 

「……っ、くぅっ……」

 

 彼女は冷たい地面に片手をつき、荒く息を吐いた。

 見開かれた真紅の瞳はぐらりと揺らぎ、苦痛に歪んだ表情には恐怖と屈辱が入り混じっていた。

 

「……なんて強さなの……無を超越した不死身の神とは聞いていたけど……最高神である余に……膝をつかせる……なんて……」

 

 シードは冷徹な眼差しで倒れる彼女を見下ろし、ゆっくりと歩み寄る。

 感情の一切が削ぎ落とされたその視線は、最高神すらも断罪する死と恐怖以外の何者でもなかった。

 

 その手には青白い炎が灯り、背後には彼の従える亡霊たちが依然として揺らめいている。

 

「はぁ……はぁっ……余を殺しても、何も変わらないわ……この戦いの果てにあるのは……ただの終焉よ」

 

 グレナシアは滴る黒炎を指先で払うと、鋭い紅い瞳でシードを見上げた。

 その双眸にはもはや余裕も慢心もないが、なお抗おうとする狂気だけが残されていた。

 

 シードは微かに瞳を伏せる。

 終焉――彼がすべてを壊すことで、ラナスを守ると誓った果ての結末。

 

 彼は迷いなく手を掲げ、青白い炎を指先に灯す。

 

「終焉で構わない。どの道後戻りなどできない」

 

 彼の手から放たれた炎が、グレナシアを呑み込もうとした。

 

 ――その時。

 

「シード……」

 

 静かながらも、彼の心を突き刺すような声が響いた。

 

 シードの動きが一瞬止まる。

 振り返ると――そこには疲労と深い悲しみに沈むラナスオルが立っていた。

 彼を追ってあちこち駆けずり回ったのか、ドレスは所々ほつれ、焦げついている。

 

「……あっはは! 今さらのこのこ出てきたの、女神ラナスオル!」

 

 グレナシアが苦痛に喘ぎながらも嘲笑を漏らした。

 

「見なさい、この異形の神を! 人々の命を奪い、それを武器にして平然と立つ、この『死と恐怖の神』を! これがあなたの愛する者の真の姿よ!」

 

 笑い声は焦土と化した大地に嘲りの残響を刻む。

 

 ラナスオルの表情が痛みに歪んだ。

 彼女の紫の瞳は、シードの姿に刻まれた呪いの傷痕と、彼の背後に揺らめく無数の命の痕跡を映し出していた。

 

「シード……本当に……これが君の選んだ道なのか?」

 

 彼女の問いは、細い声となって戦場の静寂に溶け込むように響いた。

 

「僕は、このラナスのために行動している」

 

 シードはゆっくりと彼女を見つめ、短く答えた。

 その声には一切の迷いもなかった。

 まるで自分自身を納得させるために刻み込んだ、冷たい呪文のような響きだった。

 

「ならば、私はどうなる?」

 

 ラナスオルが一歩彼に歩み寄る。

 

「君がすべてを焼き払うたびに、私の心も焼け焦げる。この光景を見て……君が何も感じていないなんて思えない!」

 

 彼女は拳を振り払い、揺るぎない悲しみと怒りが混ざり合った叫びを上げた。

 

 シードの手が僅かに震える。

 しかし、彼はその震えを抑え込むように青白い炎をさらに輝かせた。

 

「僕が感じる痛みは……問題ではない」

 

 それは、己に課した罰の言葉だった。

 苦しみを意に介してはならない。傷が増えようとも、魂が削れようとも、彼はもう立ち止まることも、後戻りすることもできないのだから。

 

「僕の役目は終わらせることだけだ」

 

 そう言い放つと、彼は再びグレナシアに手を向けた。

 青白い炎が指先に集まり、再び燃え上がろうとする――その時。

 

「終わらせることがすべてではない! 異形の力に飲まれ……生かすこと、守ることを忘れた君に……何を信じろというのだ!」

 

 彼女の叫びがシードに突き刺さり、揺るぎなかったはずの決意が僅かに音を立てた。

  

 青白い炎が一瞬だけ弱まり、無意識に顔に刻まれた呪いの傷痕に指先で触れた。

 彼はその冷たさが、己の心を表していることを身に迫る程感じていた。

 

(僕は……間違っているのか……?)

 

 そんな迷いが生まれかけた時、グレナシアは高らかに嘲笑した。

 

「あっはは! お似合いの夫婦ね……『愛』に縛られて動けない死の神だなんて……滑稽だわ!」

 

 愛――その言葉を聞き、シードは目を伏せる。

 

(この身に纏う呪いと、血塗られた罪のすべてを、彼女にまで背負わせるわけにはいかない……)

 

 だからこそ、彼は孤独を選んだ。

 ラナスオルには、この手を汚してほしくなかった。

 

 しかし、ラナスオルはグレナシアの言葉になど耳を貸さなかった。

 シードが拒絶の言葉を探すよりも早く、まっすぐに彼の元へと歩み寄り――そっと彼の手に触れた。

 

 彼女の創造の左手が、青白い炎を優しく包み込む。

 温かな魔力が流れ込み、冷たい炎を穏やかに鎮めていく。

 

「シード……私がいる。君が全てを背負う必要はない」

 

「……」

 

 彼の手に宿る炎が、ゆっくりと沈静していく。

 長く荒れ狂っていた嵐が、波間へと引いていくように。

 

 迷いなく彼を見つめる紫色の瞳には、静かな決意と、変わることのない愛が宿っていた。

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