冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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138話 呑み込まれる神の魔力

 神喰らいの神グレナシアの牙がなおもシードの身体を深々と抉り、戦場に骨を砕く鈍い破砕音を響かせた。

 後に続くのは、鮮血が滴り落ちる冷たい音と、獣が肉を貪る忌まわしい咀嚼音。

  

「……は……っ……ぁ……」

 

 口の中が血の味で満たされ、肺の奥で溺れるような感覚が広がった。

 食い込んだ牙が筋を引きちぎり、身体中の神経を伝って焼け付くような痛みが走る。

 

 ――喰われる。

 このままでは、すべてを呑み込まれる。魂も、力も、存在そのものさえも。

 

 それでも、シードは奥歯を噛み締め、必死に意識を手繰り寄せようとしていた。

 

「やめろぉっ……!!」

 

 ラナスオルは耳を覆いたくなる程の絶望に苛まれながら叫んだ。紫色の瞳が震え、涙が滲んでいく。

 しかし、グレナシアは気にも留めず、シードの傷ついた身体を貪りながらラナスオルを見下ろしていた。

 

「余は神界を喰い尽くし、数多の神々を呑み込んできた……だが、こんな濃厚な味は初めてだ……!」

 

 神喰らいの神の声は酩酊したかような悦びに満ちていた。

 血を啜る牙を嬉々として光らせ、巨大な口腔から滴る血をずるりと舌で舐め取った。

 ラナスオルに見せつけるように、そして喰らうことそのものを楽しむように、ゆっくりと彼の肉を噛み締める。

 

「が……はっ……」

 

 シードは呻きながらも魔術を絞り出そうとするが、やはり呪文は声にならない。

 異形の力を解き放つべく精神を集中させようとしても、思考が霧散し魔力が掻き消される。

 

 まるで底の抜けた器のように力が入らない。

 どれだけ抗おうと、牙が魔力を削ぎ落とし、血液とともに命を啜り尽くしていく。

 

 もはや痛みと虚脱感が限界に来ていた。

 意識が沈みかけ、冷たい絶望が蝕んでいく。

 銀色の瞳がじわじわと色を失っていった。

 

「シード……っ!」

 

 ラナスオルの悲痛な声が響いた。

 どうすることもできず、彼女は膝から崩れ落ち、その場にぺたりと座り込んでしまった。

 

 零れる涙を拭うことも忘れ、震える手を伸ばして彼に届かせようとするが、指先は虚空を掴むだけで、彼に触れることすらできない。

 

 その時――

 

「……っ……ううっ!?」

 

 突然、ラナスオルは座り込んだまま苦しげに口を押さえ、左手を腹部に当てた。

 今までに感じたことのない、吐き気を催すような違和感に顔を歪める。

 

 瞳が揺らぎ、冷や汗が浮んだ――何かがおかしい。

 

 その異変に気づいた神喰らいの神が、シードを咥えたまま不気味に目を細めた。

 

「……ほう?」

 

 小首をかしげるような仕草をしながら、しばらくラナスオルの腹部を見つめる。

 

 ――やがて何かに気づいたように狂気の笑みがその顔に広がり、真紅の瞳がギラリと光った。

 

「貴様……まさか、子を孕んでいるのか!」

 

「……っ……!」

 

 ラナスオルの瞳が大きく見開かれた。

 彼女自身気づいていなかったその事実に、恐怖と驚愕の色が走る。

 

 ラナスオルはドレスの上から、自らの内に宿る違和感に手を当てた。

 微かな生命の気配――

 

(私が……子を……)

 

 彼女の指先は震えていた。

 そして、シードもまた――

 

「子……?」

 

 霞む視界の中でラナスオルを見つめながら、血に染まった唇が僅かに動いた。

 だが、その言葉の意味を理解する余力すら、彼には残されていなかった。

 

「あっはははは! これは素晴らしい……!」

 

 グレナシアは熱のこもった呼気を吐き出し、悦に入った笑い声を上げた。

 

「神と神の子……なんというご馳走だ! 女神よ、余にこのような悦びを与えてくれるとは! さぞかし美味かろう……貴様も、その子もな!!」

 

 咥えたシードを締め上げたまま、神喰らいの神は舌なめずりをする。

 血とともに、涎が牙の隙間からだらだらと垂れ落ちた。

 喰らうことへの歓喜に酔いしれたその姿は、絶望を糧に肥え太る化け物そのものだ。

 

「うぐ……っ……」

 

 グレナシアの興奮とともに顎の力が強まり、シードの身体が軋む。

 砕けた肋骨が肺を突き刺し、呼吸すらままならない。

 痛みはとうに限界を超え、意識も白く染まりかかる。

 

 だが、シードはその痛みよりも、先程の言葉の余韻に囚われていた。

 

 「子」――それが何を意味するのか、理解しきれないまま。

 今ここで生きる意味を、見失ったまま。 

 

 そんな中、グレナシアは楽しげに舌なめずりを続ける。

 

「だが安心しろ、女神。貴様をすぐには喰わん。余が神界の牢に貴様を幽閉し、その子が食べごろになるまで育ててやろう」

 

「黙れ……っ!」

 

 ラナスオルの声が響く。

 彼女の声はまだ震えていたが、恐怖ではない。

 紫の瞳は絶望に飲まれることなく、燃え上がるような力強い光を放つ。

 

 目の前の災厄を打ち倒さねばならない。

 シードを救わねばならない。

 

 そして――この子を、守らねばならない。

 ラナスの女神、ラナスオルとして。一人の妻として。

 

 彼女の拳に再び闘志の色が揺らめき始めた。

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