冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
神喰らいの神グレナシアの牙がなおもシードの身体を深々と抉り、戦場に骨を砕く鈍い破砕音を響かせた。
後に続くのは、鮮血が滴り落ちる冷たい音と、獣が肉を貪る忌まわしい咀嚼音。
「……は……っ……ぁ……」
口の中が血の味で満たされ、肺の奥で溺れるような感覚が広がった。
食い込んだ牙が筋を引きちぎり、身体中の神経を伝って焼け付くような痛みが走る。
――喰われる。
このままでは、すべてを呑み込まれる。魂も、力も、存在そのものさえも。
それでも、シードは奥歯を噛み締め、必死に意識を手繰り寄せようとしていた。
「やめろぉっ……!!」
ラナスオルは耳を覆いたくなる程の絶望に苛まれながら叫んだ。紫色の瞳が震え、涙が滲んでいく。
しかし、グレナシアは気にも留めず、シードの傷ついた身体を貪りながらラナスオルを見下ろしていた。
「余は神界を喰い尽くし、数多の神々を呑み込んできた……だが、こんな濃厚な味は初めてだ……!」
神喰らいの神の声は酩酊したかような悦びに満ちていた。
血を啜る牙を嬉々として光らせ、巨大な口腔から滴る血をずるりと舌で舐め取った。
ラナスオルに見せつけるように、そして喰らうことそのものを楽しむように、ゆっくりと彼の肉を噛み締める。
「が……はっ……」
シードは呻きながらも魔術を絞り出そうとするが、やはり呪文は声にならない。
異形の力を解き放つべく精神を集中させようとしても、思考が霧散し魔力が掻き消される。
まるで底の抜けた器のように力が入らない。
どれだけ抗おうと、牙が魔力を削ぎ落とし、血液とともに命を啜り尽くしていく。
もはや痛みと虚脱感が限界に来ていた。
意識が沈みかけ、冷たい絶望が蝕んでいく。
銀色の瞳がじわじわと色を失っていった。
「シード……っ!」
ラナスオルの悲痛な声が響いた。
どうすることもできず、彼女は膝から崩れ落ち、その場にぺたりと座り込んでしまった。
零れる涙を拭うことも忘れ、震える手を伸ばして彼に届かせようとするが、指先は虚空を掴むだけで、彼に触れることすらできない。
その時――
「……っ……ううっ!?」
突然、ラナスオルは座り込んだまま苦しげに口を押さえ、左手を腹部に当てた。
今までに感じたことのない、吐き気を催すような違和感に顔を歪める。
瞳が揺らぎ、冷や汗が浮んだ――何かがおかしい。
その異変に気づいた神喰らいの神が、シードを咥えたまま不気味に目を細めた。
「……ほう?」
小首をかしげるような仕草をしながら、しばらくラナスオルの腹部を見つめる。
――やがて何かに気づいたように狂気の笑みがその顔に広がり、真紅の瞳がギラリと光った。
「貴様……まさか、子を孕んでいるのか!」
「……っ……!」
ラナスオルの瞳が大きく見開かれた。
彼女自身気づいていなかったその事実に、恐怖と驚愕の色が走る。
ラナスオルはドレスの上から、自らの内に宿る違和感に手を当てた。
微かな生命の気配――
(私が……子を……)
彼女の指先は震えていた。
そして、シードもまた――
「子……?」
霞む視界の中でラナスオルを見つめながら、血に染まった唇が僅かに動いた。
だが、その言葉の意味を理解する余力すら、彼には残されていなかった。
「あっはははは! これは素晴らしい……!」
グレナシアは熱のこもった呼気を吐き出し、悦に入った笑い声を上げた。
「神と神の子……なんというご馳走だ! 女神よ、余にこのような悦びを与えてくれるとは! さぞかし美味かろう……貴様も、その子もな!!」
咥えたシードを締め上げたまま、神喰らいの神は舌なめずりをする。
血とともに、涎が牙の隙間からだらだらと垂れ落ちた。
喰らうことへの歓喜に酔いしれたその姿は、絶望を糧に肥え太る化け物そのものだ。
「うぐ……っ……」
グレナシアの興奮とともに顎の力が強まり、シードの身体が軋む。
砕けた肋骨が肺を突き刺し、呼吸すらままならない。
痛みはとうに限界を超え、意識も白く染まりかかる。
だが、シードはその痛みよりも、先程の言葉の余韻に囚われていた。
「子」――それが何を意味するのか、理解しきれないまま。
今ここで生きる意味を、見失ったまま。
そんな中、グレナシアは楽しげに舌なめずりを続ける。
「だが安心しろ、女神。貴様をすぐには喰わん。余が神界の牢に貴様を幽閉し、その子が食べごろになるまで育ててやろう」
「黙れ……っ!」
ラナスオルの声が響く。
彼女の声はまだ震えていたが、恐怖ではない。
紫の瞳は絶望に飲まれることなく、燃え上がるような力強い光を放つ。
目の前の災厄を打ち倒さねばならない。
シードを救わねばならない。
そして――この子を、守らねばならない。
ラナスの女神、ラナスオルとして。一人の妻として。
彼女の拳に再び闘志の色が揺らめき始めた。