冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
物語は終盤に差し掛かっております、どうぞ最後までよろしくお願いします。
シードの掠れた声が、ラナスオルの耳に届いた。
「気づかなくて……すまない……僕は……あなたを……」
最後の力を振り絞るように、息も絶え絶えに紡がれた懺悔の言葉。
彼が背負い続けた罪、己を遠ざけ続けた愚かさ。それでも彼女を愛していたという、あまりにも遅すぎた想いが込められていた。
その声が途切れるたび、ラナスオルの胸は締め付けられるような痛みに襲われた。
(彼は今、この瞬間までもたった独りで苦しんでいた……)
それをどうすることもできなかった自分への悔しさが、彼女の喉を詰まらせた。
捕えられたシードの銀色の瞳が光を失い始める。
神喰らいの神グレナシアの牙がその体内から魔力を啜り上げ、生きる希望を奪い取り、魂までも引き剝がしていく。
彼は自らの存在が薄れ、曖昧になっていくのを感じた。
肉体が喰われることの苦痛以上に、魂が抜け落ちていく感覚が身体を支配していく。
「……これで……いい……」
静かに目を閉じた。グレナシアの体内で魔力と魂が溶け、彼女と混ざり始めていた。
不思議と、それは心地良いとさえ感じた。
かつて、自ら終わりを望んだ時の感覚に似ていたのだ。
(僕がいなければ、彼女も……そしてあの命も……きっと、平穏に……)
自分がいなくなれば、ラナスオルは死と恐怖の神の影で苦悩することなく、神としての務めを果たし、ラナスに安息を取り戻すだろう。
そしてまだ生まれてもいない子供が、忌まわしき父を持つ必要はなくなる。
自分がいなくなれば――。
(それが……一番いい……)
彼の罪はあまりにも重すぎた。
これまで幾千もの命を踏みにじり、幾万の死者を弄び、幾億もの嘆きを生み出した。
死霊術師として禁忌の力を振るい、異形の力に呑まれ、無辜の民をもその力で滅ぼした。
自分のような存在が、家族を持つ資格などあるはずがない。
(僕は……このまま……)
そんな考えが、遠のく意識の中をよぎる。
だが、その時――
「諦めるな……!!」
ラナスオルの力強い声が、闇に沈みかけたシードの意識を引き戻した。
それは命を叫ぶような、魂の底からの訴えだった。
「君は神だろう……女神ラナスオルの夫は、こんなにも弱い男ではない!」
絶望に呑まれようとしていた彼の手を必死に掴み取るように。
その声が、薄れゆく彼の意識に微かな迷いを生む。
(夫……僕はあれ程あなたを傷つけ、遠ざけたというのに……まだそう呼ぶのか……)
「愛は無力だということを、いい加減思い知った方がいい」
グレナシアが不快げに口元を歪めた。
真紅の瞳が冷酷な光を放ち、シードをさらに深く呑み込もうとする。
「貴様ら夫婦は浅はかだな。愛などという虚しい感情に縛られたからこそ、こうして貴様の夫は喰われる羽目になったのだ!」
牙がさらに食い込み、彼の身体を奥へと引き摺り込んでいく。
その苦しみは尋常ではなかったが、薄れる意識の中で思った。
(……ラナスオル……僕は……)
迷いの中にいる間にも、グレナシアは獲物を自らのものにしようと、牙を深く突き立てた。
喉奥へ押し込まれ、その熱と圧力で押し潰され、呼吸も視界も失われていく。
魂が溶け、痛みの中でふわりとした快楽が絡みつく。逃れる術はもうない。
いや、もう抗う理由などないのかもしれない。
その時――
その様子を見つめながら、ラナスオルの紫の瞳が確固たる決意に燃え上がった。
「神喰らいの神よ……私は何を言われても構わない。だが、私の夫をこれ以上傷つけることは、絶対に許さない!!」
叫びと共に、破壊の右手セヴァストが眩い光を放つ。
その輝きは、彼女の全身全霊を込めたものであり、魂そのものさえも削る覚悟を宿していた。
そして――
「これは……痛み分けだ」
ドゴォッ――!!
ラナスオルの低い声が響いた瞬間、轟音とともにグレナシアを貫く一撃が振り下ろされ、シードの身体に激しい衝撃が走った。
「が……っは……っ……!」
耐え難い激痛が全身を砕き、彼は呻き声を漏らした。
口から鮮血が溢れ出し、銀色の瞳が驚きに揺れる。
「なっ……!? 女神、貴様……!」
グレナシアもまた困惑に満ちた声を上げた。
なおもシードを喉奥に咥えたまま、驚愕の瞳でラナスオルを睨みつける。
ラナスオルの手は震えていた。
だが、その拳は決して止まらなかった。
シードをここまで追い詰めた神喰らいの神への激しい憤怒が、拳に宿る破壊の力をさらに増幅させていく。
ドガァッッ――!!
「ぐぁ……っ……」
「ぐっ……貴様が攻撃すれば、この男はどうなる? 余に捕らえられたままのシードが……無事だとでも思うか!?」
ラナスオルは答えなかった。
代わりに――
次の一撃を、迷いなく叩き込んだ。
ドゴォン――!!
拳が光を纏い、無数の破壊の波動がグレナシアの巨体に炸裂する。
その一撃一撃には、彼女自身の怒り、悲しみ、そして愛が込められていた。
激しく続く衝撃の中、シードは掠れた声を振り絞った。
「がはっ……僕を傷つけて……どうする……あなたまで……壊れてしまう……!」
ラナスオルは一瞬悲しげに瞳を揺らした。
彼の痛みに共鳴するかのように、胸の奥が締め付けられる。
――彼は優しかった。
自分が命の危機に瀕していようとも、彼は自分のことよりも彼女のことを案じていた。
――だが、ラナスオルは拳を止めることはなかった。
「君が壊れるくらいなら、私も壊れる!! 君が苦しむなら、私も苦しむ!! それが……愛というものだろう!!!」
彼女の叫びと共に、破壊の右手が一際強い閃光を放つ。
(どうして君はいつもこうなのだ……なぜ、すべてを背負い込もうとする……なぜ、私の隣で生きる道を選んでくれないのだ!!)
彼が何を言おうと、何を選ぼうと、彼女が彼を愛する気持ちは決して変わらない。
彼が遠ざけても、拒んでも、どれだけ自分の手を汚そうとも。
彼の罪も、苦しみも、痛みも、ともに背負う。
彼が壊れるのなら、彼女もともに壊れる。
――それが、女神ラナスオルの愛だった。
「はああああああっ!!!」
ゴシャァッ――!!
渾身の一撃がグレナシアの顎に叩き込まれ打ち砕くと、その巨体が一瞬のけ反った。
「ぐぇっ……!」
グレナシアの全身が激しく揺れる。
よろめきながらも脚を踏み締めるが、獣の頭部はぐらりと傾いた。
そして顎の力と牙が緩んだことで、シードの血塗れの身体がついに解放された。
酷く傷つき、完全に虚脱しきった彼の身体が吐き出され、落下する。
しかし、それを受け止めたのは冷たい地面ではなかった。
彼をしっかりと抱きしめる温もりが、軽くなった肉体を包み込んでいく。
ラナスオルは、シードの命の灯火を確認するかのように銀の瞳を覗き込む。
「シード……っ!!」
涙の雫が頬にぽたりと落ち、その熱で彼は微かに瞳を開いた。
血に滲む視界の中で長い白髪が揺れ、紫の瞳が濡れそぼっていた。
「……あなたという人は……本当に、愚かだ……」
力の入らない唇が微かに動き、掠れた声が零れ落ちた。
彼はラナスオルのあまりに愚かな行動に呆れ戸惑う。
しかし――それ以上に彼女が愛おしかった。
ラナスオルはシードの額にそっと唇を落とし、少しだけ皮肉を込めて囁く。
「君が愚かな男だから……私もそれに見合う妻にならないとな……!」
漂う血の匂いも気にせず、涙を拭うこともせず、ただ二人は抱きしめ合っていた。