冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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140話 暴食の終焉

 全身を襲う激痛の中で、もはや他の感覚は麻痺しているというのに、シードは彼女の拳の一撃だけを鮮明に覚えていた。

  

 彼の身体を砕いた妻の手は、破壊の権能を宿したもの。

 敵を滅ぼす力を自らに振るい、結果として彼を救ったのだ。

  

 なんとも滑稽で、愛おしいことだろうか。

 

「夫に対して……あまりにも乱暴だ……だが……それがあなたらしい……」

 

 血に濡れた唇から酷く掠れた声が零れ落ちる。

 薄れゆく意識の中でさえ僅かな皮肉を込めると、ラナスオルは呆れたような笑みを浮かべた。

 

 彼女が左手のフェルジアで治療を施そうとした、その時――

 

「グァァァァ! 貴様らあぁあ!!!」

 

 地獄の底から煮え立つような激しい咆哮が轟いた。

 

 神喰らいの神グレナシアが巨体を揺るがせながら、怒り狂って二人を呑み込むべく襲いかかろうとしていた。

 無数の牙が黒炎を纏い、空間を引き裂くように踊り狂う。

 

「私が相手だ……!」

 

 ラナスオルがシードを庇うように立ち塞がった。

 彼が解放されたのであれば、もはや遠慮は無用だ。

 右拳のセヴァストに破壊の魔力を収束させ、左拳のフェルジアに、癒しと守護の力を展開する。

 

 女神と神喰らいの力が激突するかと思われた。

 

 だが――その動きが、突然ぴたりと止まった。

 

「な、あ……!?」

 

 グレナシアの真紅の瞳が大きく見開かれる。

 

 そして次の瞬間――

 

「身体の中が……熱い……ああああああああっ!!!」

 

 突如グレナシアの表情が苦痛に歪み、巨体が激しくのたうち回った。

 地響きが戦場を揺るがし、咆哮とともに黒炎が四散していく。

 まるで、何かが内部から彼女を引き裂こうとしているようだった。

 

「がぁぁぁぁああああああ……ぎぃぃっ……!!!」

 

 内側から膨張する異常な魔力に耐えきれず、全身を捩りながら叫ぶ。

 その様子を目の当たりにしたラナスオルが、拳を構えながら驚愕の表情を浮かべた。

 

「シード……まさか……」

 

 そう、彼の力はただ奪われていただけではなかった。

 シードの異形の魔力は、グレナシアの体内で暴走し、制御不能な渦となって彼女の内側を破壊し始めていたのだ。

 

 シードは膝をつきながら立ち上がり、ふらつく身体を支えつつ低く呟いた。

 

「神喰らいの神、ですか……長生きしたければ、その悪食を改めるべきでしたね……」

 

 冷酷な銀色の瞳が、僅かに勝ち誇ったように光る。

 

「き、きさ、きさ、ま……!!!」

 

 グレナシアの声が震え、苦痛の叫びが次第に途切れ出す。

 彼女の身体が内側から膨れ上がり、黒い皮膚は発光するかのように青白く滲んでいく。

 

 冷たい炎が全身を駆け巡り、異形の魔力が神喰らいを喰らい尽くす。

 のたうつ身体が痙攣し、巨体全体が張り裂けんばかりに膨張した瞬間――

 

「ぎゃああああああッッーーーーーーーーーーーー!!!」

 

 絶叫とともにグレナシアの肉体が弾け飛んだ。

 

 青白い閃光が戦場を覆い尽くし、空間全体を飲み込んでいく。

 爆発音とともに大地が激しく揺らぎ、瓦礫と黒煙が立ち昇った。

 

 激しい衝撃波が荒れ狂う中、ラナスオルはフェルジアの光の結界を作り出し、傷ついたシードを守るように立ちはだかる。

 

「……っ、シード」

 

 ラナスオルは無事を確認するように彼を振り返った。

 青白い魔力の余波と瓦礫が結界に叩きつけられ、岩の雨のような音が轟々と響く。

 

「ラナスオル……」

 

 シードは銀の目を細め、傷だらけの身体を庇いながら彼女の勇姿を見守っていたが、やがて力尽きたようにその場に倒れ込んだ。

 

 爆風が収まり――大地に静寂が訪れる。

 

 戦場には、神喰らいの神の気配はもはや存在しなかった。

 

 ――すべてが、終わった。

 

 

   * * *

   

 

 果ての大地には、無数の瓦礫と焼け焦げた地面が広がっていた。

 その中心でラナスオルは膝をつき、血塗れの夫をそっと膝に抱きかかえていた。

 

 彼女の創造の左手が、彼の身体を優しく撫でる。

 指先に冷えた感触が伝わり、彼の命が儚く消えかけていることを思い知らされる。

 

 息遣いは弱々しく、胸が僅かに上下するだけ。

 銀髪は乱れ、肌は血に濡れ、薄れた魔力の痕跡が漂っている。

 

 それでも、彼はまだ――生きていた。

 

(良かった……)

 

 その事実に、ラナスオルの唇が震える。

 瞳に安堵と悲しみが入り混じり、頬を伝うものは止めることができなかった。

 

 彼女は嗚咽を漏らしながら囁いた。

 

「本当に……君という男は、食えない奴だよ……」

 

 呆れのようであり、同時に深い愛情が滲む言葉だった。

 

 ラナスオルは震える手でシードの銀髪を撫でた。

 血に塗れたその髪を指先で優しく梳かしながら、その温もりを何度も確かめた。

 

 彼の身体は、あまりにも深く傷つきすぎていた。今にも崩れ落ち、魂が失われそうな程に。

 

 それでも、微かな呼吸が彼の存在をこの世界に繋ぎ止めている。

 ラナスオルは、彼の瞳が再び開くことを願いながら、そっと彼の額に唇を寄せた。

 

 彼女の目に涙が光る。

 

「……さあ、もう少し休んでいたまえ。今度は私が守ってやるよ、シード……」

 

 それは、夫への誓い。

 彼が戦い、傷つき、苦しんだ時。自分が彼を支える。

 

 青白い光の残滓の中、二人は寄り添っていた。

 破壊と創造の力が、今この瞬間も世界を繋ぎ止めているかのように。

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