冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
かつて多くの人々で賑わっていた街は、今や無残な瓦礫の海に変わり果てていた。
黒く焦げた家の残骸、その隙間から溢れ落ちる灰――人の暮らしがあったはずの面影が痛々しく刻み込まれている。
それでも、そこに息づく者たちは生きていた。
傷つきながらも、残された人々は日常を取り戻そうと今日も懸命に動き回っている。
男たちは力を合わせて崩れた瓦礫を運び出し、女たちは小さな子どもの手を取りながら、配給された水や食料を近隣に届けていた。
――その中に、二つの異質な影があった。
どこか場違いな気品を纏いながら、黙々と土埃にまみれて瓦礫を運ぶシードとラナスオル。
今、彼らは人間と肩を並べ、汗を流して働いていた。
「はぁ……」
シードは額の汗を袖で拭いながら、そっと隣のラナスオルに目を向けた。
彼女は紫色の瞳を細め、瓦礫の中から使えそうな木材を選り分けている。
陽光が瓦礫の隙間から差し込み、彼女の白髪を美しく照らす。
てきぱきと働くその横顔は、どこか楽しげですらあった。
しかし、シードはその様子を見るたび心のどこかがざわついた。
「……本当に、あなたが働く必要はないはずです」
彼は積み上げた石材の上に手をつき、小さな命を宿す彼女の腹部を見ながら呟いた。
ラナスオルはその声に気づき振り返ると、軽く笑いながら答える。
「私は神だぞ。むしろこうして働いている方が健全だと思うがね」
そう言って、彼女は瓦礫の山に手をかける。
「それに、今の君は魔術も神術も使えない、人間同然だろう。私が守ってやらねばならないのではないか?」
冗談めいた口調に、シードは微かに眉をひそめた。
彼女の言葉は正しいが、素直に受け入れるには複雑な思いがあった。
自分が守られる側になったことに、どうしても違和感が拭えない。
「……」
何も返せず、シードは黙って梁を肩に担ぐ。
(重い……)
魔力を失った今の彼には、その重さが骨身に染みるようだった。
肉体労働など、これまでの人生でほとんど経験したことがない。
居城で料理や簡単な家事をこなしたことはあったが、目の前の瓦礫を自分の手で動かす作業がこれ程辛いとは思わなかった。
周囲の人々と同じように汗を流しながら働く彼の姿は、誰の目にも普通の一人の青年として映っている。
人々は誰一人文句も言わず、黙々と資材を運び、声を掛け合っていた。
傷つき、疲れ果てた顔になお希望が宿っている。
――それを壊したのは、自分だった。
その事実が、瓦礫よりも重く彼の肩にのしかかっていた。
* * *
昼下がりの陽が傾き、人々が休憩に入り始めた頃。
シードはふと視線を感じた。
まるで背中に氷の刃を突きつけられたかのような、殺意を伴う鋭い視線。
彼は手にしていた石材を地面に置き、ラナスオルに「少し休憩してきます」と告げると、足音を消すように瓦礫の物陰へと向かった。
人目の少ない裏路地のような一角。
そこでシードは石材の上に腰を下ろし、少しだけ肩の力を抜く。
吹き抜ける風が、砂埃とともに銀色の髪を撫でていった。
「……」
だが、その静寂は長くは続かなかった。
――再び、突き刺さるようなあの視線。
顔を上げると、瓦礫の影から一人の少女が現れていた。
まだ幼い――十歳にも満たないだろうか。
痩せ細った腕、ぼろぼろの服、泥に汚れた素足。
しかし、その黒い瞳だけは、燃えるような怨嗟の色でシードを射抜いていた。
小さな手に握り締められた、錆びついた短剣。
彼はその姿を見た瞬間、鮮明な記憶が蘇ると同時に、心を抉るような冷たい感覚に襲われた。
「君か……」
掠れた声で呟く。
神と人の子を滅ぼす粛清の業火に包まれた街の中で、彼に向かって泣き叫び、何度もナイフを振りかざした少女。
彼女の両親は、彼の手によって命を奪われた。その事実は永遠に消えない。
シードは少女に近づくと、ゆっくりと膝をつき、彼女と同じ目線になるように身を低くした。
「今の僕は神の魔力を失い、人間も同然だ。君の刃なら、この胸を貫けるだろう」
少女から目を逸らさず、静かに言葉を紡ぐ。
彼女の震える手がさらに強張り、ナイフの切っ先が微かにシードの胸元を向いていた。
彼は少女の冷たい視線を正面から受け止めながら、苦しげに言葉を続けた。
「僕は君の両親を奪った。だから、僕を憎むのは当然だ。君が僕を殺したいなら、何も抗おうとは思わない」
少女の目に、涙が滲む。
「……だが、それで君の心は救われるのか?」
その声が少女の耳に届いたかどうかも分からない。
シードはそっと手を伸ばし、震える少女の肩に触れた。
「憎しみで生きることは、君自身を苦しめるだけだ。だから……その重荷を少しでも僕に預けてほしい」
少女の持つナイフがシードの胸に当てらる。
冷たい感触が肌に伝わるが、彼は目を閉じたまま微動だにしない。
「……」
――だが、ナイフが突き立てられることはなかった。
「……うっ……ううっ……!」
堰を切ったように、少女は泣き崩れた。
震える手からナイフが滑り落ち、地面に微かな音を立てて転がる。
次の瞬間、彼女は声を上げて泣きじゃくった。
「うわあぁぁぁぁん……っ!!」
シードはそっと彼女を抱き寄せ、何も言わずにその背を撫でた。
少女の細い肩は震え、胸元を濡らす涙は止まらなかった。
「泣いていい。君は何も悪くない」
その言葉を繰り返しながら、彼女の髪を優しく撫で続けた。
声が心に届いているのかは分からない。
――罪は消えない。
だが、彼自身の胸にようやく微かな温かさが戻ってきた気がした。
* * *
遠くからその光景を優しく見守っていたラナスオル。
「これが赦しの始まりならば……シード、君ならきっと大丈夫だ」
彼女は小さく呟き、瓦礫の破片を抱えながら再び復興作業へと戻っていく。
――街の復興は、まだ遥か遠い道のりだ。
しかし、その歩みは確かに始まっていた。
赦しと希望の小さな芽吹きとともに。