冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ある日、シードはとある小さな村を訪れていた。そこはかつての青き炎の粛清の影響を受け、残ったのは老人や子供たちばかりだった。そのため、未だ復興作業が難航している場所だ。
彼は、災厄との戦いで神としての魔力と不死性を一時的に失い、人間と同じように働く毎日を送っている。
始めのうちは瓦礫や資材の重みに苦戦したものだが、魔力を使わずに物を運ぶことにもだいぶ慣れてきていた。
妻ラナスオルの出産も近い。
身体に障らないよう、彼女は居城で休むように言いつけ、近ごろは単独で動いている。
魔術は使えないが、体術の訓練は続けており、魔物が潜む地でも危険はさほど懸念しなくなっていた。
瓦礫を片付ける村人たち。その中に紛れ込むように、シードは石畳の道を進んでいた。
風が身体を撫で、黒衣が翻る。
神性も魔力も纏わず、背中に工具袋をかけただけの彼は、普通の村人の青年にしか見えない――
はずだった。
「し、死と恐怖の神……様……っ!?」
突然、村人の一人が大通りの中央で声を張り上げた。驚愕の表情を貼り付け、今にも腰を抜かしそうだ。
シードの銀髪、銀眼はラナスの人間としては稀な容姿であり、漂う気品がどうしても人目を引いてしまうのだろう。
それを皮切りに、村人たちが一斉にシードに注目する。
「シード様が……裁きを下しに降臨なすった!」「はっ、早く生贄を!」
一瞬にして、悲鳴のようなざわめきが巻き起こった。
老人は慌てふためき、若者は家に隠れ、小さな子供たちは石柱の影から震えながら彼を見つめている。
「呪いが、異形の神の呪いがぁ!」「おい! 村長! 今月の生贄は……!」
村人たちは口々に叫び、シードの周囲で戦慄していた。
(生贄……この村の習慣か?)
彼は足を止め、群衆を見回しながらなだめるように言葉を紡ぐ。
「……皆さん、安心してください。僕がその名で恐れられている『死と恐怖の神』ですが……魔力も不死の力も失っています。今はただの人間です。生贄など必要ありません」
その理路整然とした声は、騒ぎの中でも透き通るように響いたが、村人たちは叫び続け、耳を傾ける気配がない。
「死と恐怖の神」という忌まわしき名は、まだ完全に人々の記憶から消えてはいないのだ。
だが、自分を畏れ、よもや生贄を捧げる習慣を持つ村があるなど思いもよらなかった。
「どうか、信じてください。ともに復興を――」
言いかけたその時、背後から杖をつきながら一人の老人が現れた。
村の村長だ。
彼は背を曲げ、震える足取りでシードへ近づいた。
「死と恐怖の神よ。生贄はまだ用意できておりません。今月の娘が……行方をくらませたのです。すぐに、すぐに、連れて参りますので、どうかこちらへ……」
長老はそう言いながら、村の奥に祀られている祠の前へとシードを案内した。
(娘……? 人間を生贄にしていたのか?)
シードは眉をひそめた。
一体、いつから。どれだけの人数が「生贄」に捧げられたのか。
どうしてもっと早く気づけなかったのだろうか。
神としての役割が不十分だったことに、胸が締めつけられる。
祠の小さな供物の台には、色とりどりの果物が丁寧に並べられている。
復興もままならぬ中で採れた貴重な食料のはずだ。
その隣の木箱には、白い布にくるまれたままもぞもぞと動く「何か」がいる。
(子供か……? いや、これは……)
シードの顔に僅かな緊張が走るが、視線を落とすと──その「生贄」は、まさかの――
「にぁ〜〜〜〜ん」
布の中から顔を出したのは、子猫だった。
ふわふわの灰色の毛並みをした小さな子猫が、両手をわさわさしながら空色の瞳でじっと彼を見上げている。
「……生贄が、猫……ですか?」
シードは少しだけ驚いたように呟いた。
だが長老の顔を見れば、真剣そのものだ。
「死と恐怖の神よ! どうかこれで、お鎮まりください!」
長老は額に汗を浮かべながら、跪いて懇願した。
ふざけているわけではなく、どうやら本気らしい。
シードは反応に困った様子で足元の長老を見つめている。
ラナスの神々の中には、「地母神ミーレス」と呼ばれる、その土地の守護と豊穣を約束する代わりに、生贄を要求する獰猛な女神が存在する。
言うまでもなく、シードは人間を喰らうような神ではない。
ましてや、猫など。
(しかし、今まで捧げられた「生贄」は一体どこへ……?)
そこに、村の少女たちがそっと顔を覗かせた。
まだ十代そこらの若い娘だ。
どうやら彼女らは「来月以降の生贄」のようだ。
生贄が前倒しになるのではないか。そんな怯えた視線が突き刺さる。
「死と恐怖の神様……ううっ、あたし、死にたくない……」
「いや……怖いよぉ……」
「あぁ、シード様。あなた様に食べられるなんて光栄ですわぁ〜ん♡」
何か妙な科白が混ざっていたような気がするが、シードは意に介さず、先ほどから両腕をわさわさしたまま鳴いている子猫を見やった。
(こちらへ来たがっているように見えるが……)
彼は子猫をそっと腕に抱き上げる。
「にぁぁ〜〜〜〜」
その瞬間、蕩けるような甘えた鳴き声をあげ、子猫はシードに身体をすり寄せた。
ふわふわの柔らかな毛並みは灰色の雲のようで、瞳には怯えよりも好奇心が宿っているように見えた。
自分が生贄にされているなど、露ほども思っていないのだろう。
彼はしばし目を細めて、ふと肩の力を抜いた。
「……小さきものよ。君にも帰る場所があるのでしょう?」
そう呟いた瞬間、腕の中の子猫がぴょんと飛び降りた。
「待ちなさい」
シードはその背に声を投げるが、猫は返事などせず、ぱたぱたと石畳を走り出す。
そして、何度も後ろを振り返りながら、まるで「ついてきて」と誘っているかのようだった。
「にぁー」
妙な胸騒ぎを覚え、シードは無言でその小さな背を追った。
* * *
村の外れ、森の縁の低い茂みに差し掛かると、子猫は迷いなく木の根元をくぐっていく。
進んでは止まり、振り返る。
一体この先に何があり、何を見せたいのだろうか。
シードもその跡を追い、服の裾に泥が付くのも気にせず枝葉を掻き分けた。
そして、小さな林の奥へと踏み込んだその時。
――視界が開けた。
まるで木々に囲まれた広間のような場所だ。
その中央にいたのは、灰色の長い毛並みを持つ一匹の大きな猫だった。
子猫と酷似した色合いに、空色の目。恐らく親だろう。
だが、その猫は身を丸め、大きな木の根元にうずくまり、低く喉を鳴らしていた。
そしてその視線の先には、異様な威圧感を放つ存在がいた。
ぬるりと這うように地を滑る、大蛇のような魔物だ。
鱗は黒く、鋭い光沢を放っている。
舌先をチロチロと出し入れしながら、黄色く光る両眼が明らかに親猫を狙い定めていた。
人間など容易く丸呑みできるほどの巨躯――生贄を「喰らっていたもの」の正体だった。
「……なるほど、そういうことですか」
シードは小さく息を吐き、外套の内側から魔力を帯びた銀色のナイフを素早く取り出した。
その時、蛇の首がゆっくりと動く。
不気味な瞳が彼を捉えると、鎌首をもたげ「獲物」と認識した。
「ふにぁ〜!」
親猫の近くへ駆け寄った子猫が、毛を逆立てて蛇を威嚇している。
しかし、その空色の瞳は「助けて」と訴えるかのようにシードを交互に見つめる。
彼は視線を猫に向け、小さく微笑んだ。
「……心配いりません。これは僕の仕事ですから」
魔術も神術も今の彼には扱えない。
だが、この程度の魔物相手なら、体術と道具で十分対処できる。
「シャァァァァッ!!」
耳障りな音を立てて蛇が飛びかかった。
大きく口を開け、喰らいつくような勢いだ。あの牙に捕えられたらたちまち毒が回り、ひとたまりもないだろう。
その瞬間、シードの足が滑るように地を払った。
軸足を交わし、間合いを取って攻撃を回避する。
(純粋な肉弾戦か……数千年ぶりだ)
魔力を失った後の、体術の訓練中の風景がふと頭をよぎる。
相手はラナスオル。妊娠中で満足に動けない状態でありながら、シードが打ち伏せられることが多かった。
彼女の膂力と反射神経が異常なのだ。祖国で叩き上げられた体技を持ってしても、破壊の女神には到底敵わない。
『はっはっは! また私の勝ちだな!』
あの時の彼女の、まるで子供のような勝ち誇った笑顔は忘れられない。
(ラナスオル……あなたには感謝していますよ)
彼の銀色の双眸が冷然な光を湛える。
呼吸を整え、投げナイフを構えた。
襲いくる牙、尻尾、鋭く放たれる鱗。
(ずいぶんと緩慢だ……知性も、彼女には遠く及ばない)
黒衣を翻しながら、あるいは木々の間を縫いながら。
全て見切ったように軽やかにかわしていく。
その時。
「にぁー!!」
子猫の声が、まるで応援のように天高く響き渡った。
そして、空気が張り詰めた刹那。
木の幹を蹴り上げ、跳躍したシードの姿が陽光と重なった。
狙い澄ました白銀の刃が、魔力の閃光を放つ。
ナイフは風を裂き――蛇の目と目の間に正確に突き立った。
その瞬間、どす黒い血が勢いよく吹き出し、砂煙を上げながら全身を苦痛で捩らせる。
「ギシャァァァッ!!」
掠れた咆哮を一声だけ吐き出し、蛇の巨躯は轟音と共に地に沈んだ。
ずしんと地面が振動し、木々の葉が舞い落ちる。
蛇は苦しげに身体をくねらせていたが、傷口から流れ込む破壊の魔力をどうすることもできず、程なくして動きが完全に停止した。
「にぁ!!」
子猫がシードに駆け寄り、勝利の雄叫び(?)をあげる。
神のふりをし、数多の生贄を喰らった「魔物」は、こうして死と恐怖の神に討たれたのだった。
静寂が戻り、草木が風に揺れる音だけが残った。
シードはうずくまる親猫の傍らに跪き、子猫の喉をそっと撫でた。
子猫はまるでありがとうと言うように愛らしく鳴き、ころんと転がって白いお腹を見せた。
だが、親猫はじっと動かない。
怪我をして動けないのか、彼をまだ警戒しているのか、わからない。
「……すまない。魔術が使えれば、すぐに傷も癒せるのですが」
そう言いながら、シードは薬草を取り出そうとする。
死と恐怖の神の声は、子供に語りかける父親のように優しかった。
その声に安心したのだろうか――
親猫の下からもぞもぞと、灰色の小さな頭が三つ、四つと顔を覗かせた。
「にぁぁ〜〜ん」
子猫たちだった。
彼らはシードを見ても怯えることなく、母猫の身体に寄り添っている。
どうやら無傷だったらしい。親猫は、我が子を守るために身を挺していたのだ。
「にあ〜」
親猫も警戒を解いたのか、あくびのように間延びした鳴き声で彼を歓迎する。
「……ふふ、そんな声を聞けるなら、僕もまだ役に立てそうですね」
シードはそっと目を細め、魔術が使えない自分を皮肉るように、微かな笑みを浮かべる。
すると、先ほどの子猫が彼の足元にすり寄ってきた。
全身ふわふわの温かな毛で包み込むように。
そしてくるりと尻尾を巻いて、無垢な瞳で見上げる。
「にぁー!」
どこか嬉しそうな声だった。
シードはその柔らかな頭を優しく撫でた。
「小さきものよ。君はもう生贄ではありません。生きる者として、その命を全うしなさい」
そう言葉を残し、彼は立ち上がり森を後にする。
猫たちはその姿が見えなくなるまで名残惜しげに鳴き、銀灰の守護者としての使命を果たした青年の背を見送ったのだった。