冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
神喰らいの神との死闘から三年の歳月が流れていた。
あの熾烈な戦いの終焉から、世界は穏やかに時を刻み続けている。
かつて無数の神々の怒りと欲望が渦巻いていた神界も、今や完全に沈黙していた。
そう、グレナシアが神界を喰い荒らしたあの日を境に、止むことなくラナスに降り注いでいた憎悪の刃はぴたりと途絶えたのだ。
――皮肉な話だった。多くを破壊し、多くを失った果てに、ようやく訪れた平穏。
その平穏の中で、ラナスオルの胎内の新たな命もその瞬間を待っている。
神の子の誕生の刻は、もうすぐそこまで来ていた。
二神とラナスの地に、束の間ではない本物の平和が訪れていたのだった。
* * *
その日も、復興の進む街は賑わいと活気に満ちていた。
大通りでは商人が威勢よく声を張り上げ、子どもたちの笑い声があちこちに響く。
かつて黒煙に包まれた廃墟は、穏やかな風に吹かれながら再び人々の生活が芽吹いている。
あの日の戦火が嘘のような、輝かしい命の色だった。
そんな街の中心部に、一際目を引く建造物がそびえている。
――教会。
完成したその教会は、壮大なアーチと美しいステンドグラスで飾られている。
陽光を受け、色とりどりの光が壁に映し出される様子は、神からの祝福のようだった。
教会を囲む広場では、足場の解体作業が進められていた。
作業者たちの掛け声と木材の軋む音が交錯する中、老若男女問わず多くの人々が手伝いに集まっている。
大人たちは汗を流し、子どもたちはその間を駆け回る。
人々の表情は明るく、そこにはかつて失われた「日常」が確かに息づいていた。
そんな中で、今日も黙々と労働に励む青年――シードの姿があった。
かつて「死と恐怖の神」と呼ばれた男。今ではその面影はほとんどない。
グレナシアに奪われた魔力は依然として回復せず、一人の人間のように慣れた手つきで働き続けていた。
「見て見て! シード様! あそこ!」
無邪気な声が彼の耳に届く。
振り返ると、小さな双子の少年と少女が弾けるように横を通り抜けていく。
少年は短く刈った金色の髪を風に揺らし、少女は少し長い髪をふわりと跳ねさせていた。
少年が指差す先には、教会の最上部――青白い光を受けて輝く二神の像があった。
仲睦まじいその佇まいは、ラナスの象徴たる二神の今の姿そのものだ。
「私も将来結婚したら、シード様みたいなかっこいい人のお嫁さんになる!」
少女が誇らしげに言うと、少年も負けじと声を上げた。
「じゃあオレは……女神ラナスオル様みたいな、強くて美人の人と結婚する!」
二人は顔を見合わせて無邪気に笑い合う。
その純粋な笑顔は、シードがかつて守ろうとして破壊してしまったものそのものだった。
彼は口元を緩め、目を細めて子どもたちの姿を見守った。
こんな日が来るとは、三年前には想像もできなかった。
誰かの未来を奪うのではなく、誰かの未来が語られる日が。
だが――
「危ない!!!」
突如、耳をつんざく叫び声が上空から響き渡った。
同時に聞こえるのは、木材が軋むギシギシという嫌な音。
反射的に視線を上げたシードの目に映ったのは、崩れ始めた教会の足場――そして、その真下で立ち尽くす双子の姿だった。
何が起こっているのか理解できず、ただ呆然と見上げる二人。
その目は恐怖に大きく見開かれ、足はすくんで動かない。
時間が緩やかに引き伸ばされたような感覚の中、シードの身体は迷わず動いていた。
即座に駆け出し、二人を腕に抱え込み、そのまま覆いかぶさる。
その一瞬で自分がどうなるか考える暇もなかった。
次の瞬間――
轟音とともに、凄まじい衝撃が全身を襲った。
崩落した木材の尖端や重い鉄板が容赦なく彼の身体を押し潰す。
脊髄が軋み、骨が砕ける生々しい感覚が鮮明に響いた。
折れた骨が内臓を抉り、咳き込むと同時に肺の奥から熱い血が溢れ出す。
突き刺さるすべてが焼けつく痛みとなり、全身を駆け巡り、瞬く間に視界が赤に染まった。
「無事か……良かっ……」
掠れた声でそれだけを言い残し、シードの身体は崩れ落ちた。
頬に触れるのは、石畳に染み込む自分の血の温もり。
異形の神だった頃には感じなかった冷たさが、彼を蝕んでいく。
痛みには慣れているはずだった――だが、この痛みはどこか違った。
遠くで泣き叫ぶ声が聞こえる。
「シード様! 起きて! 起きてよ!!」
少女の細い手が必死に彼の肩を揺さぶる。
その傍らで、少年が助けを呼びに走り去る足音が遠ざかっていく。
動かない身体の中で目を閉じかけながら、彼は思う。
――これが、「人」として生きるということか。
かつて不死の身体だった彼は、この痛みも恐怖も知らなかった。
神喰らいの神との戦いで魔力を失い、人間同然となった今、異形の神としての不死性が機能せず、痛みも傷も容赦なく彼を襲う。
この人の身は、もはやただの「命ある者」として、確かに終わりの予感を告げていた。
だが、胸に広がるのは命が尽きることへの恐怖ではなかった。
意識は少しずつ冷たい闇に沈んでいく。
視界の端に映るのは、抜けるような青空と教会の二神の像。
かつて死と恐怖の象徴だった自分が、今は守護者として倒れていた。