冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
教会の霊園――
風が草を揺らし、雲間から差し込む薄い陽の光が石畳を儚く照らしていた。
冷たく静まり返ったこの場所は、神聖でありながらどこか色褪せて見える。
その中に新たに設けられた一つの墓標。
飾り気のない、磨かれた灰色の墓石が寂しげに佇む。
誰もが慕った男――銀灰の守護者シード。
彼の名を刻んだ墓標は、周囲の草花に囲まれながら孤独に鎮座していた。
街の雑踏も遠ざかり、鳥の鳴き声すらしない。
ただ、風のざわめきだけが死者たちの囁きのように響いている。
神父は墓標の手前で静かに立ち止まり、沈痛な面持ちで口を開いた。
「本当に、ここでよろしいのですか……女神様」
ためらいがちな問いが落ちる。
祈りの声を捧げすぎたのだろう。神父の声は掠れ、喉の疲弊が感じられる。
戸惑い、敬意、そして深い悲しみがその眼窩に浮かんでいた。
神父の視線の先にいたのは、黒い喪服に身を包んだラナスオルだった。
紫の瞳は固く閉じられ、目を開くことすらできないほど心が沈んでいる。
その背中は「神」として世界を統治した威厳を完全に脱ぎ捨て、今はただ一人の「妻」として、愛する者の眠る場所に跪いていた。
――沈黙が流れる。
やがてラナスオルは、風にあおられる髪をそのままに、ゆっくりと顔を上げた。
「構わない」
低く、短い返答。まるで魂の抜け殻が喋っているかのような虚ろな声音
「彼は元々人間だった。ラナスの大地に還してやるのが、一番いいだろう」
そこには彼女の深い覚悟が込められていた。
かつて無へ葬られ、神の力を得て、そして異形の存在へと堕ちた彼。
だがラナスオルにとっての彼は、それ以上でもそれ以下でもない、愛しい「人間」だった。
彼女の手がそっと墓標に触れる。
その仕草は名残惜しげで、石の中に眠る彼と語り合うように、彼の鼓動を探すかのように――
「ここなら、彼も君たちを近くから見守ってやれるだろう」
彼女の静かな声が冷たい風に乗って響く。
神父は深く黙礼し、手を合わせて長い祈りを捧げると、ラナスオルを残してそっとその場を去っていった。
立ち去る背に夕刻の陽光が重なり、その姿が墓地の彼方へと消えていく。
* * *
空が茜色に染まり始める中、ラナスオルは墓標の前の石畳に膝を崩した。
その姿はもはや誰もが知る女神ではない。夫を喪い絶望に沈む一人の女だった。
その手にはまだ彼の温もりを求めるような未練が残り、肩は細かく震えていた。
「……バカものめ……」
不意に、腹の底から絞り出すような声が響く。
「君は何度も私を愚かだと言ったな!」
その瞬間、彼女は握りしめた右拳で石畳を叩きつける。
冷たい硬質の音が墓地にこだまし、周囲にいた鴉たちが一斉に飛び立った。
「一番愚かなのは誰だ……!? 守ると約束しておきながら……ラナスも、私も、この子のことも……全部……!」
その叫びには怒り、哀しみ、後悔、無力感――あらゆる感情が混ざり合っていた。
声を荒げながら、彼女は拳を震わせる。
喉奥から込み上げる波に押し流され、彼女の頬に涙が次々と伝う。
墓標に向けられた紫の瞳は、耐えきれぬ悲しみの海に沈みかけていた。
「私は……誰を守ればいい……」
怒りを込めて叫んでいた声は、次第に力を失い、掠れていく。
彼女の震える肩から徐々に力が抜け、大きな腹部を抱え込むようにしてその場に崩れ落ちた。
「……君が……いない世界で……どうやってこの子を……」
涙が頬を伝い、墓標の前の石畳に静かに染み込んでいく。
亡き夫への供物のように、止めどなく――。
世界は変わることなく回っている。
精霊たちが昼と夜を運び、人々は復興に勤しむ。
だが――
ラナスを守るため、力を振るい続けた二神の一柱は確かにこの世界から消えた。
その喪失は、世界にとってさえ大きすぎた。
そして何よりも、ラナスオルの心に開いた穴は、取り返しのつかない孤独となって彼女の胸に居座り続けていた。
「……シード……」
その名を呟く彼女の声は、乾いた風の音に溶け、空へと消えていく。
墓標の周囲で慰めるように精霊が囁き、枯れ草が揺れた。
彼がそこにいるのだと伝えるように。