冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ラナスの居城を、午後の静かな空気が満たしていた。
窓から差し込む陽光は暖かく、外庭では草木が新たな芽吹きを見せ、小鳥たちがさえずりながら空を舞う。
風の精霊たちが遠くの街から甘い菓子の香りを運び、居城に和やかな気配を届けていた。
広間のソファでは、ラナスオルが静かに書物を読み耽っていた。
長い白髪が肩に流れ、ページを捲る微かな音が響く。
彼女の傍らでは、精霊が机の上の花瓶に水を注いだり、つまみのチョコレートを運んだりと、物音は立てずとも忙しく動き回っている。
その穏やかな空気を破るように、朗らかで透き通った声が城内に響いた。
「お母様ー! 見てください!」
石造りの回廊をぱたぱたと駆け抜け、肩下まで伸びた長い白髪をなびかせながら、一人の少女がラナスオルの元へ飛び込んできた。
白いドレスが軽やかに舞い、そのたびに頭に添えられた色とりどりの淡い花飾りが小さく揺れる。
少女の銀色の瞳は光を反射して煌めき、頬はほんのりと紅潮していた。
少女が両手を広げた瞬間、その手のひらから小さな白い花がふわりと生まれた。
光の中から次々と芽吹き、花弁を開き、そよ風に舞い上がる。
柔らかな白い花びらが陽光に照らされ、雪のように広間を彩った。
それを見たラナスオルは驚きつつも微笑み、娘の頭にそっと手を置いた。
「もうそんな力が使えるようになったのか」
優しい声には母としての喜びと、僅かな切なさが滲んでいた。
少女は誇らしげに胸を張り、母の手の温もりを感じながら弾む声で答えた。
「毎日たくさん勉強してますから! 創造の魔術も精霊との交信も、もう少しで完璧にできるんです!」
そう言って、再び白い花をひとひら生み出してみせる。
花はそよ風に乗ってラナスオルの肩に落ち、彼女は愛おしそうにそれを指で掬った。
――少女はふと、無垢な眼差しでラナスオルを見上げて呟く。
「このお花、お父様が見たら喜んでくれるでしょうか……?」
その問いに、ラナスオルの動きが一瞬止まった。
目を閉じ、胸に込み上げる遠い記憶を呼び起こす。
痛みとともに、温かな懐かしさが蘇っていく。
銀色の髪と瞳の男の姿。彼の声。指先の感触――かつて愛した者が、この子を通して確かに生きているのだ。
「……この子の魔術の才と聡明さは父親譲りか……」
聞こえないほどの小さな声で呟いた後、ラナスオルは娘の方を向き、優しく微笑んだ。
「ああ、きっと喜ぶよ。きっとね」
少女の成長は目覚ましかった。神の子である彼女は、人間とは異なる歩みを辿り、生まれて数年で人間の十八歳ほどの姿に達していた。
――そして、その姿のまま永遠の時を過ごすのだろう。
* * *
陽光が西に傾き始めた頃、二人の女神は教会の霊園を訪れた。
石畳に響く二つの足音が、静謐な空間に溶けていく。
墓地の中央には、ひときわ美しく整えられた墓標が立っていた。
長く雨風に晒されても苔一つ生えず、白く磨かれたその表面にはこう刻まれている。
「銀灰の守護者 シード。ラナスを守りし神」
その墓標は街の人々の手で大切に守られ、花々が絶えることなく添えられていた。
白百合、青い忘れな草、小さなラナス草――風が吹くたびに清らかな香りが漂う。
少女はその前に立ち、小さな手のひらを差し出した。
「見ていてください、お父様……」
少女は創造の魔術を使い、周囲に白い花を添えていく。
細い指先から生まれた無数の花びらが墓標を囲み、光の環のように広がった。
「銀灰の守護者……お父様はそう呼ばれていたんですね」
少女は墓標に刻まれた文字を指でなぞりながら、細い声で呟いた。
母の聞かせる物語と、肖像画でしか知らない父の姿を思い浮かべながら。
ラナスオルはその横に膝をつき、目を伏せて頷く。
「ああ……彼はとても強かったよ」
遠い記憶を追うように紫色の眼差しが揺れる。
「最高神にすら屈しない、無敵の存在だった。誰よりも優しくて……最後まで人々を守ろうとした。ラナスが平和なのも、彼のおかげさ」
思い出すように語る彼女の声には、誇りとともに淡い哀しみが滲む。
少女は母の言葉をじっと聞いていた。
そしてふと顔を上げ、まっすぐに問いかけた。
「私はお父様のようになれるでしょうか?」
その純粋な問いに、ラナスオルは一瞬驚いたように目を見開いた。
だが、すぐに微笑み、娘の頭を優しく抱き寄せる。
「ふふ……君はそんな使命のことを考えなくていい」
「でも、私は――」
少女が言葉を継ごうとした瞬間、ラナスオルは柔らかな声で続けた。
「君は普通の女の子として、この世界を自由に羽ばたいていけばそれでいい。君が笑って、幸せに生きること……それが、きっと彼の願いだよ」
少女の目が潤むと、母の胸に顔を埋め小さく頷いた。
その肩は少し震えていたが、やがて落ち着いた声で呟く。
「お父様が見守ってくれているなら……きっと、私にもできることがある」
そっと囁くようなその言葉に、力強さと決意が込められていた。
墓標を包むように咲いた花々が、風に揺れながらひとつ、またひとつと空へ舞い上がっていく。
空は晴れ渡り、どこまでも澄んでいた。
その下で、母と娘――ラナスの女神たちは、愛する者の墓前に祈りを捧げる。
それは、平和を守り続けた一人の神への感謝と、これからの未来への誓いだった。
娘を見つめるラナスオルが、長い白髪を耳にかけながら口元に微かな笑みを浮かべた。
穏やかで懐かしく――希望の光を湛えた優しい笑顔。
少女は墓標の前で立ち上がり、銀色の瞳で空を見上げた。
視線の先には、かつて父が守ったこの世界が広がっている。
顔も見たことがない、声も知らない。
けれど、彼の願いと魂は、確かにこの地に息づいていた。
少女の銀色の眼差しはその未来を見据えて輝き続ける。
「銀灰の守護者」の遺した平和は、次の世代へと受け継がれていく――。