冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
その夜、ラナスオルは深い眠りの世界に身を委ねていた。
夢とうつつの境界。まどろみの中柔らかな光が広がり、その中心にひとりの銀髪、銀眼の男が佇んでいる。
黒衣をなびかせた、いつも通りのまっすぐな背筋に、感情の見えない冷静な面持ち。
かつて一日たりとも忘れたことのない姿。
彼を見た瞬間、ラナスオルの心臓が大きく跳ねた。
――ずっと会いたかった人。
彼女は思わず手を伸ばす。
「シード……君……なのか!?」
震える声で問いかけると、男は小さく頷き、薄らと微笑んだ。
遠い記憶の中から蘇ったかのようだった。
「お久しぶりですね、ラナスオル」
その言葉を聞いた瞬間、懐かしさと、長い年月失っていた温もりが一気に押し寄せる。
ラナスオルの中で感情が爆ぜた。
「シード! あぁ……会いたかったよ……! ずっと夢で会いたいと思っていたのに、君はちっとも出てきてくれなかった!」
彼女は勢いよく駆け寄り、彼に抱きつく。
力強く抱きしめると同時に涙が止めどなく溢れ、言葉にならない愛と渇望の重みが彼の胸元を濡らした。
「相変わらず、あなたの反応は子供のようですね」
シードはそんな彼女の髪を優しく撫でながら、落ち着いた声で言った。
ラナスオルは涙混じりに笑い、嬉しさで唇を震わせる。
「ふふ、なんとでも言いたまえ……」
彼女は泣き顔を彼の肩に顔をうずめた。
その存在と温もりを確かめるように、何度も背に指を這わせた。
そして、しばらくの後、小さく吐息をつきながら過ぎ去った時間を紡ぐ。
「……あれから十年……私にとっては昨日のことのようだが、君が救った双子は成長し、娘と出会い、共に旅をしているよ。君が繋いでくれた命だ」
記憶の残響が、互いの脳裏を掠めた。
――十年前のあの日、教会の下で、シードは瓦礫の崩落から人間の双子を守った。
その結果、彼はラナスオルの腹部に宿っていた命の産声を聞くことなく、この世界を去った。
そこに後悔の色はない。
シードは目を細め、静かに応じる。
「そうか……」
しかし、その声を聞いた瞬間、ラナスオルの中にまた抑えきれない想いが込み上げた。
胸が締めつけられる。彼女は声を震わせながら続ける。
「私は……ひとりぼっちになってしまった。君のことを忘れた日は一日たりともない……」
涙が再び彼女の瞳を満たし、シードの胸元へと流れ落ちる。
彼は彼女を包むように軽く腕を回し、そっと言葉を返す。
「ラナスオル……僕は、あなたが過去の痛みに囚われ続けることを望んでいない」
その真摯な言葉に、ラナスオルは涙に濡れた紫の瞳を上げ、じっと彼を見つめた。
「またそれか。君はいつもそうやって……。死んでからも、私のことを優先しようとする」
彼女はシードを強く抱き寄せた。
「今さら私の夢に現れて説教したって無駄だ。私は君以外愛せない。それでも、この気持ちが枷だと思ったことは一度もない」
彼女の力強い言葉に宿る揺るぎない覚悟が、シードを一瞬だけ驚かせた――だがすぐに彼は、彼女の手をそっと取り、愛しげに指を絡めた。
「ラナスオル……」
彼女の名を呼ぶ彼の声は、ほとんど囁きに近かった。
「僕が手にすることのできなかった日々を、どうかあなたが生き抜いてほしい。あなたと娘で、この世界で幸せを紡いでいってほしい……」
そう言いながら、彼の表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
まるで神の祈りのように、優しい願いが込められているようにも見えた。
ラナスオルは涙をぬぐい、小さく微笑む。
「君が私を見守ってくれているなら、きっと私は前に進める。それでも……夢の中でいい、たまにはこうして会いに来てくれたら……」
言葉の余韻が残るまま、シードの身体が淡く溶け始めた。
輪郭が光に揺れ、視界がぼやける。
――まだ、醒めたくない。もう少しこのままでいたい。
咄嗟に伸ばした手も、叫ぶ声も届かなかった。
「シード……っ!」
一瞬にして、目が覚めた。
そこは静まり返った寝室だった。
窓から差し込む月明かりが、ベッドの白布を柔らかく照らしている。
ラナスオルはゆっくりと起き上がり、隣の空いた場所を見つめた。
そこにはもう誰もいない。いるはずがないのだ。
「やはり……夢か」
彼女の声は落ち着いていたが、胸の中には深い孤独と喪失感が広がっている。
枕には、涙が僅かに染みていた。
ラナスオルはベッドから立ち上がり、窓辺に歩み寄ると夜空を見上げた。
「シード……君はいつもこうだ」
左手の薬指に嵌められた指輪をそっと撫でる。
夜空には星々が瞬き、まるでシードが彼女に微笑んでいるかのように思えた。
「君のいない世界で、私は……」
呟きながら、指輪を握りしめた手を胸に当てる。
儚い光の中で高鳴った鼓動は、まだ強く脈打っていた。
「どうか見守っていてくれ……」
零れ落ちた声を掬うように、風が優しく吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
一夜の夢は終わりを告げても、彼女の想いは明日へと続いていくのだろう。
星空の下、女神は再び孤独な夜を過ごしながら、静かに祈りを捧げ続けていた。