冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ある日の午後のイレブンマート。
自動ドアの開閉音、電子レンジの稼働音、外の車のクラクション――そんな日常の音の中で、ラナスオルは淡々とレジを打ちながら、胸に引っかかるものを覚えていた。
コンビニバイトを終えたラナスオルは、スマホの画面を一瞥する。
――『未読』
シードに送ったLINNETが、朝から一切既読になっていない。
『今日は何時ごろに帰るのだ?』
『朝食は食べていったのか? ああそうだ、今イレマでラナちきを買うと、ドリンク無料クーポンがついてくるぞ!』
『さすがに働きすぎではないか? 次の休みにゲーセンで息抜きでもしないか?』
メッセージ一覧には、彼女がシードに送った数件のメッセージがどれも「未読」のまま並んでいる。
「几帳面なあの男が私のLINNETを半日放置するとは……。仕事が忙しいのか?」
ぼそっと呟きながら画面を閉じる。
彼はどれだけ忙しくても必ず既読をつけるタイプだった。
長文で理屈を並べるか、短く「了解」とだけ返すかの二択だったが、何の反応もないのは明らかに異常だった。
鈍い違和感がラナスオルの胸を覆っていく。
どうしても嫌な予感が拭えず、バイトを終えたラナスオルはそのままホテルの隣にあるシードの部屋の前へ向かった。
* * *
「おい。いるか?」
扉をノックするが返事はない。
試しに電話をかけると、扉の内側からコール音が微かに聞こえる。
「なんだ、いるじゃないか」
なのに、出ない。
ラナスオルは扉に耳を当てて息を殺すが、部屋の中は異様なほど静まり返っていた。
「おい? シード? 何かあったのか?」
扉を叩いて呼びかけても、中からは何の物音もしなかった。
彼が倒れているかもしれない――そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、ラナスオルの眉間に深い皺が刻まれた。
(これだけ呼んでも出ないとは……まさか)
「仕方がない……」
破壊の右手――セヴァスト。
力を極力抑え、扉の錠前部分に指先を触れた。なるべく音を立てないよう慎重に力を込め――
ピシッ……。
金属がひび割れる音が静かに響き、錠前が小さく砕け落ちた。
ラナスオルは扉を押し開けて部屋に入った。
カーテンは閉ざされ、薄暗い室内は異様な静寂に包まれていた。
「シード……?」
部屋の奥、ベッドの上に横たわるシードの姿が目に入った瞬間、ラナスオルの胸が強く締めつけられた。
彼はまるで死体のように動かず、白い額には汗が滲んでいた。
「シード!」
ラナスオルはすぐに駆け寄り、額に手を当てた。
手のひらに異常な熱が伝わってくる。
彼は高熱にうなされ、喉が掠れるような浅く短い呼吸を繰り返していた。
「すごい熱だ……これは『風邪』というやつか?」
風邪――ラナスの世界には存在しない、異世界の人間の病気。
彼女は風邪についてある程度知識を持っていた。しかし、目の前の彼の状態を見て、何かが違うことに気づく。
「違う……これは……」
ラナスオルは、手を当てがったまま慎重にシードの体内の魔力を辿る。
すると、彼女の指先に荒れ狂うような魔力の乱れが伝わってきた。
魔力は無秩序にシードの身体を蝕んでいる
「やはり……これは『ラナスの病』だ……!」
ラナスの病――怪我などから精霊の力が過剰に体内に流れ込み、魔力のバランスが崩れた結果発症するラナス特有の病気だ。
「どうしてこんなことに……?」
その時、シードが僅かに意識を取り戻し、うっすらと目を開けた。
そして掠れた声で息も絶え絶えに漏らす。
「……ラナスの病……懐かしい響きですね。まさか、異世界で再び苦しめられるとは……皮肉なものです」
彼の弱々しい言葉を聞き、ラナスオルは無意識に自分の右手を握りしめた。
破壊の力がじわりと漏れ出し、その手がわなわなと震える。
シードはその様子に気づくと、弱った体を起こそうとしたが、力尽きて再びベッドに沈む。
「その手の震え……あなたなら……この状況を利用して僕を消すこともできる……今ほど絶好の機会はない」
シードは目を閉じ、静かに続けた。
「どちらを選んでも、僕はあなたを責めはしません……あなたが信じる道を選べばいい……」
彼の声に感情は伴っていなかった。女神の粛清を受け入れるような、従容たる覚悟だけが垣間見える。
動けず、魔法も使えない彼を斃す絶好の機会。
(そうだ……今なら確実に彼を殺せる。でも……私は……)
ラナスオルは拳を握り締めたまま、しばらく目を伏せる。
彼は世界を蝕む存在。女神にとって、全てのラナスの生命にとって悪であり、いずれ滅ぼすべき敵。それはわかっていた。
しかし、弱っている彼を前にすると、なぜか身体が動かなかった。
(私は……彼を殺したくないのか……?)
心の内側に複雑な感情が渦を巻く。
今までこんなことはなかったはずだった。
ありえないはずだった。
あれ程の戦いの果てに、迷いが生まれることなどあってはならなかった。
――しかし、今の目の前の彼は、ただの「敵」には見えなかった。
ラナスオルは少しだけ思案した後、決意を込めて彼の胸にそっと左手を当てた。
「……今から創造の左手で、君の体内の魔力バランスを正常に整える。ただ……この治療は相当な苦痛を伴う」
声は冷静でも、指先は僅かに震える。
自分でもわからないまま――それでも、彼女はもう手を引かなかった。
シードは再び目を開け、疲れた視線をラナスオルに向けた。
「……そうですか。あなたが僕を救おうとするとは思いませんでした」
淡々とした口調だが、その言葉には一抹の覚悟が感じられた。
「僕に向けられたあなたの手が、破壊ではなく創造に動く……それを見るのも……悪くない」
目の前の女神が、破壊ではなく創造を選ぶ――それは、シードにとって皮肉にも救いだった。
彼は、自分がかつてどれほど多くのものを破壊してきたかを知っている。
だが、そんな自分を救おうとする手があることが、今だけは奇跡に思えた。
ラナスオルは深い息を吐き、左手から温かな光を放つ。
創造の光がシードを包み込み、暖かな振動が部屋全体に広がった。