冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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32話 願い

 カフェレストラン・ヒプノテラスの夜は、落ち着きある音楽と柔らかな照明に包まれていた。

 

 静かな空間に、二人だけの時間が流れている。

 

 食後のデザート、ティラミスとプリンがそれぞれの目の前に置かれた。

 甘い香りがふわりと広がり、二人の間に漂う重く絡まった感情を少しだけほぐしていった。

 

「ふふ、待ちかねたぞ。さて、英気を養おうか」

 

 ラナスオルはスプーンを片手に、上機嫌でティラミスを頬張り始める。彼女の大好物だ。

 滑らかな甘さと苦みの絶妙な調和が舌の上でとろけ、思わず頬が落ちそうになる。

 

「たまらないな。君のプリンの味はどうかね?」

 

 彼女が満面の笑みを浮かべながら尋ねると、シードもまたプリンのスプーンを手に取り、一口運んだ。

 

「……やはり絶品ですね。この世界の味覚の追求は、ラナスにあったどの料理よりも興味深い」

 

 口の中でとろける甘さが広がる。

 プリンは確かに美味で、感嘆すべきものだった――だが、シードの意識は味そのものよりも、目の前の彼女に向けられていた。

 

 無邪気に笑い、幸せそうにティラミスを頬張るラナスオル。

 破壊と創造を司る女神であり、自分を粛清しようとした相手。

 そんな彼女が今、幻でありながらまるで人間のように微笑み、この時間の幸福を堪能している。

 

(……どうして、この時間が終わることを考えずにいられるのか)

 

 この世界は幻。

 ラナスオルの存在もまた、儚い光のようなもの。

 

 シードが「無」に沈み続ける限り、彼女はここに存在できる――しかし、もし彼が完全に消えれば、この小さな安寧もともに失われる。

 

 それを知りながら、彼はスプーンを握る手を止められなかった。

 たとえ偽りの光だとわかっていても、目の前の温もりを拒むことができなかった。

 

 

   * * * 

 

 

 互いがデザートをほとんど食べ終えた頃、シードは不意に口を開いた。

 

「ラナスオル。あなたは『クリスマス』とやらに、何を望むのですか?」

 

 唐突なの問いかけに、ラナスオルは驚いたように目を瞬かせる。 

 

「君が私に贈り物をしてくれるのか?」

 

「ほんの気まぐれです。……あの時の借りも返していませんしね」

 

 ラナスオルはティラミスのスプーンを置き、ほんの少しだけ考え込む。

 そして、小さなため息とともにぽつりと呟いた。

 

「……君が『無』を漂いながら見ているこの幻の世界は、おそらく君を軸に存在している。君が死んだら、この世界も、私も……消えてしまうかもしれない」

 

 彼女の声がほんの僅かに震えた。女神である自分が消えることへの恐怖。

 しかし、それ以上に、シードとの繋がりすら完全に断たれてしまうことへの耐えがたい喪失感。

 

「私は……消えたくない。君と一緒にラナスへ帰り、もう一度やり直す道を見つけたい」

 

 シードは何も言わず黙って聞いている。その沈黙が彼女の不安をますます煽る。

 彼を傷つけ、追い詰め、最後には「無」へと送り込んだ――その選択が、今も彼女の心を締め付けていた。

 

「君を葬った私が……神としてこんなことを願うのはおこがましいと思うだろう?」

 

 ラナスオルは自嘲気味に苦笑しながら窓の外を見やった。

 

「これは私が『人』として、クリスマスに願う奇跡さ」

 

 シードはしばらく何も言わなかった。

 彼女の言葉が胸に響き、痛みを残しながら沈んでいく。

 

「『もう一度やり直す道』……」

 

 シードは彼女の祈るような横顔を見つめ低い声で呟いた。

 少しだけ言い淀み、やがて口を開く。

 

「確かに、それはおこがましい願いかもしれません。ですが、奇跡とは本来、こうした無謀な願いの先に現れるものです」

 

 ラナスオルは彼の言葉に応じるように、再び視線を戻した。

 

「おそらく、それは叶わない願いさ」

 

 彼女は小さく笑い、テーブルの上に置かれた彼の手に自らの手を重ねた。

 指先の震えがシードの手の甲に伝わる。

 それは覚悟か、不安か――彼にはわからなかったが、触れた指先から伝わる温もりが胸の中に小さな痛みを残していく。

 

「けれど……君の命だけは、どんなことがあっても必ず救ってみせる。だから……」

 

 重ねられた手にぎゅっと力がこもる。

 

「『生きて』くれ。それが私にとって一番の贈り物だ」

 

 それはただの懇願ではなく、神が人を憐れむ眼差しでもない。

 シードというただひとりの存在の生を願う、真摯で切実な祈りのようだった。

 

 彼は視線を逸らし、窓の外に舞い始めた雪を見つめた。

 冷たいはずの冬の景色が、妙に心をざわつかせる。

 

(僕のような存在が、生きる意味などあるのか……)

 

 それでも、ラナスオルの手を振り払うことができなかった。

 

 孤独と虚無に沈んだ心に、僅かに差し込む光。

 たとえそれが儚い「幻」でも――今は、温かかったのだから。

 

「わがままな願いだ……」

 

 窓の外では、静かに雪が降り積もっていく。

 それは、いつか訪れる「奇跡」の欠片のように。

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