冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ラナスオルは衰弱しきったシードの身体をそっと抱きかかえ、ホテルの部屋へと運び込んだ。
腕の中の彼は、今にも生命の灯が消えそうな程軽い。
冷たい肌が触れるたびに胸が締め付けられるのを、ラナスオルは目をぎゅっと閉じて堪えた。
ベッドに横たえた彼の顔は酷く青白く、唇からは血の気が失せていた。
生きているのかと不安になる程静かなその身体から、細く掠れた声が溢れる。
「ラナス……オル……」
たったそれだけの言葉が、彼の限界が近いことを無情にも突きつけてくる。
紫の瞳で彼の顔を見つめたラナスオルは、震えを隠すように唇を噛んだ。
「以前より……魔力の乱れが酷い……」
努めて冷静を装ったが、その声の端には隠しきれない焦燥が滲んでいた。
魔法を紡ぎ出す根源であり、彼の力の絶対的象徴である魔力。それが今や、彼の存在そのものを否定するかのようにその命を蝕み続けている。
このままでは――そう思うたび、彼女の心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
(……っ……余計なことを考えるな……)
彼女はそっと左手を掲げ、細い指先に意識を集中させる。
しかし、その時。
「なぜです……ラナスオル……」
シードが薄く目を開き、乾いた声で問いかけた。
弱り果てた銀色の瞳を朧げに泳がせ、彼女を確かめるような意識を宿している。
「あの時、僕は……」
途切れそうな声。言いたいことは分かる。
そんなこと――言わせない。
ラナスオルは拒絶するように、鋭く言葉を遮った。
「ああ、君の決断を尊重しろだの、死を受け入れるだのの話か……忘れたね」
冷たく聞こえたかもしれない。しかし、彼女の胸の奥では焦りと恐怖が燻っていた。
(何が死を受け入れるだ……そんなこと……させてなるものか……)
今、彼がこうして壊れかけているのは、他ならぬ自分のせいだ。
彼女は、ラナスの戦いでシードを追い詰めた自分を呪っていた。
どうして、彼の孤独に寄り添えなかったのか。
どうして、彼の虚無を包み込もうとしなかったのか。
後悔ばかりが胸を埋め尽くしていく。
――だから今度こそ、救わなければ。
それが、自分の存在証明だ。
そう言い聞かせながら、ラナスオルは左手をシードの胸に当て、慎重に体内の魔力の乱れを探りながらフェルジアの癒やしの光を送り込む。
しかし、乱れの修正は容易ではなかった。
彼の身体は病に蝕まれ、もはや治療に耐えられない程に脆くなっていた。
修復すればする程、さらに深く壊れていく。
フェルジアの光が駆け巡るたびに、シードの体内を絞るような鋭い痛みが走った。
――終わりの見えない絶望が、ラナスオルの心を打ち砕いていく。
それでも、諦めることなどできるはずがない。
「……もし……僕がこの先……もたないと判断したなら……その時は潔く手を引いてください」
シードは苦痛に顔を歪めながらも、冷静さを失わずに声を絞り出した。
彼女の胸に突き刺さるような言葉だった。
彼の命を繋ぐための力が、逆に彼を蝕んでいる。
その矛盾がラナスオルをさらなる絶望の淵に立たせていた。
絶対的な力を持つ女神であるはずの彼女が、これ程までに無力に打ちひしがれたことがあっただろうか。
その時、ラナスオルの瞳が見開かれた。感情が胸を駆け巡り、静かに怒りが湧き上がる。
「ふざけるな……ッ!」
額に汗を滲ませ、彼女は声を荒げた。
込み上げてくるのは焦燥と恐怖、そしてどうしようもない苛立ち。
「気をしっかり持て! 私に借りを返すんだろう!? 勝手に死ぬことは許さないぞ……!」
――救いたい。何としてでも。
それなのに、彼はまるでそれを拒むような虚無の瞳で見つめている。
(どうしてそんな目をする……!?)
まるで、諦めることが正しいとでも言うような昏い銀色の目だった。
彼を殺したのは、自分だ。
それでも今、彼を助けたいと願っている。
彼を救いたいのに、彼自身がそれを拒んでいる。
(君を失いたくない……もう……殺したくない……)
すれ違う意思。噛み合わない願い。
伸ばした手が、指先が、彼に触れた瞬間に消えてしまいそうな程脆い。
どれだけ手を伸ばしても、遠ざかっていく。
儚い幻となって消えていくように。
(どうしてだ、どうして君は……!)
その時――
「……ッ!?」
ラナスオルの左腕に、内側から引き裂かれるような激痛が走った。
彼女は驚愕の表情で腕を見下ろす。
創造の力を宿す左手「フェルジア」の表面に蜘蛛の巣のような亀裂が走り、隙間から鮮血がじわりと滲み出していた。
「……フェルジア?」
その亀裂は、神性が崩壊しかかっていることを意味していた。
神性を失えば、神は存在を保てなくなる――
それでも、彼女は歯を食いしばりながらさらに力を込め、シードの魔力の乱れを整えようとする。
この手で必ず救うと決めていたのだから――
「くっ……!?」
痛みが内側から彼女を鋭く引き裂く。口から血が溢れ、彼の頬に飛び散った。
その温かさがじわりと染み込み、凍える彼の身体に僅かに生気を取り戻させる。
シードは朦朧とした意識の中で、その姿をただ見つめていた。
そして、途切れそうな声を振り絞るように言った。
「……僕を生かすことが……あなたにとっての『奇跡』だと言うのなら……」
その言葉はどこか優しく。
彼女の魂に響くようだった。
「……ラナスオル……」
彼の目は閉じかかっていた。それでも、最後の力で囁くように続けた。
「……あなた自身を……失わないでくれ……」
彼の弱々しい声が、彼女の心に突き刺さる。
その瞬間、紫色の瞳から光の雫が零れ落ちた。
(どうしてそんなことを……なぜ、私のことばかり……)
ラナスオルは血の滲む唇を噛み締め、癒やしの力を振り絞り続けた。
左腕が軋み、悲鳴を上げる。口の中に血の味が広がり、痛みで身体が張り裂けそうになる。
それでも――
彼の意識が遠のいていく中、ラナスオルは涙を流しながら呟く。
「……君を救うことが……私の使命だ……。神であろうと、人であろうと、それだけは変わらない……」
血と涙が混ざり合う中、彼女の懐に仄かに何かが輝いた。