冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
「はぁ……はぁ……」
ラナスオルの荒い息遣いが静寂に包まれた部屋に響く。
彼女自身も限界が近く、瞳に疲労と苦悩が色濃く滲んでいた。
壊れゆくフェルジアから漏れる光は薄れ始め、彼女の命をも蝕んでいる。
それは、女神の神性が崩れ去る前兆だった。
シードはもはや僅かな意識を保つので精一杯だった。
全身の血液が凍りついたかのような悪寒。
身体の芯まで蝕まれた魔力の乱れと、癒やそうともつれ合うフェルジアの力。
腕一つ動かそうとするだけで、激しい痛みで気が遠のく。
「シード……私は……女神ラナスオルではない……『人』として生きて……君を救いたい……だから……」
彼女の声は掠れ、言葉を発するたびに胸が押し潰されるようだった。
ラナスオルは震える手で懐から一振りのナイフを取り出した。
鋭く磨き上げられた刃に、揺れる紫色の瞳が映り込む。
シードはその一筋の輝きを、焦点の定まらない瞳で捉えた。
(……なんのつもりだ……ラナスオル……)
そう言葉を発する間もなく、ラナスオルはそれを彼の手に押し付けた。
刃は冷たく、まるで彼女の覚悟そのものを象徴しているようだった。
「私を殺してくれ……! 私を殺し、この神の力を奪えば……君は……生きられる……ごほっ!」
言葉の最後に咳き込むような音が混じると、口から溢れた鮮血がシードの胸を濡らした。
温かな彼女の神の血は、皮肉にも僅かに彼の体力を癒していく。
シードは冷たい刃を握りながら、弱った身体を無理矢理起こした。
「……あなたが……自分を犠牲にして僕を生かそうとする。それが……『人としての生き方』だと……そう言うのですね」
呼吸をするたびに肺が軋み、耐えがたい苦痛に襲われる。
弱々しく紡ぎ出された言葉には、彼の深い疑念と静かな怒りが滲んでいた。
彼女の震える瞳を見据え、シードは冷静な声で続けた。
「ラナスオル……それが本当に、あなたの答えなのですか?」
彼の視線は鋭く、そして氷の如く冷たかった。
自分を救うために彼女が死ぬ――その選択肢を、彼は何よりも許せなかった。
「僕にあなたを殺させることで、あなたの意思が何かを成すと言うのなら……それはただの逃げではありませんか?」
その言葉は、胸を貫く痛みとなって彼女に響いた。
「シード……」
ラナスオルの瞳が潤み、涙が浮かぶ。彼女は彼の問いに言葉を返すことができない。
震える唇が何かを言おうと開くが、声は喉の奥で詰まり、出てこなかった。
(君さえ助かるのなら、私はそれで……)
――そう言いかけた。それを彼が許さないことは彼女にもわかっていた。
シードは彼女の沈黙をじっと見つめる。
その銀色の瞳にはもう怒りも哀しみもなく、彼女の意思を測るかのような静謐だけがあった。
「あなたは人として生きると言った。ですが、その道を自らの手で閉ざすことを選ぶのは……本当に『人』の選択だと言えるのですか?」
彼女の心が砕けそうになっているのが、シードにはわかっていた。
それでも、彼はその涙に同情することはしなかった。
ラナスオルの頬を伝う雫が一筋光り、床に落ちる。
それは彼の言葉が核心を突いた証だったが、彼女は彼の言葉を受け止めながらも、それに答えることができない。
(本当は、君とともにラナスへ帰りたい。あの世界で君とやり直し、笑い合いたい。でも、それは叶わない! できないのだ……! 幻である私にできることは……)
ラナスオルはぎゅっと瞳を閉じ、溢れそうになる本心を押し殺す。
何度願っても届かない声が、無謀な願いが、今度こそ奇跡を起こすことを祈るように――
彼女を見つめるシードの表情が僅かに緩む。そして深く息をつき、静かに言葉を続けた。
「……あなたの願いを叶えるかどうか、それを決めるのは僕です」
彼は、ナイフを持つ手の力をゆっくりと緩めていく。
そして――そのまま、刃を指先から滑り落とした。
受け入れざる思いが、宙に白銀の軌跡を描く。
「ですが、今の僕には……その願いを『奇跡』とは思えない」
金属の刃が床に転がり、鈍い音を立てた。
その音は、二人の間に漂う静けさの中に冷たく響き渡った。