冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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44話 ラナスオル【後編】

「あら、また元カノの話?」

 

 ラナスオルは少しだけ不機嫌そうに口を尖らせた。

 それでも、みずみずしい唇の端には小さな笑みが浮かんでいる。

 彼の冷徹な心を掻き乱そうとするかのような、挑発的な眼差しだ。

 

 彼女が「元カノ」と言うたびに、かつてのラナスオルの姿が脳裏を掠める。

 今、目の前にいる彼女は、かつて彼の命を救い、消えたラナスオルと同じ年齢の姿をしていた。

 

 懐かしさを感じるのは当然だった。

 しかし、それを口にするたび、彼女は決まって拗ねたような態度を取る。

 

「いくら私があなたの元カノにそっくりだからって、あんまりそんなことばかり言ってると……こうしちゃうんだぞ〜!」

 

 突然、彼女はシードに飛びかかりソファへ押し倒した。

 小柄な身体とはいえ、油断していた彼は思わず身を沈めた。

 

 ラナスオルは、長い白髪がかかった彼の肩を押さえつけ、満足げに微笑む。

 

「うふふ、私の勝ち!」

 

「君という人は……」

 

 シードは僅かに眉をひそめたが、抵抗することもなく、深い息をついて目を閉じた。

 

 こうした突拍子もない彼女の行動には、もう慣れたはずだった。

 かつての「ラナスオル」とは異なる存在であると理解している。

 

 しかし、近くで感じる彼女の体温、柔らかな髪の香り。

 それらが伝わるたび、何も感じていないはずの彼の心が微かに軋む。

 

 彼はそれを意識の隅に押しやり、淡々と応じた。

 

「……君は本当に、人間らしさを極めているようですね。『元カノ』という言葉を選ぶあたり、その無邪気さはどこまで計算されたものなのか」

 

 僅かに皮肉を交えたつもりだったが、彼は自分の声にどこか揺らぎが潜んでいるような気がした。

 

 彼女の影響を受けているのだろうか。

 それとも、彼女の言葉が思いのほか胸に響いてしまったのか。

 

 ラナスオルは不満げに頬を膨らませ、じっと彼を睨む。

 

「人間らしい、じゃなくて、私は最初から人間よ。まったく、変な神様なんだから」

 

 愛らしくも、呆れ半分といった声音だが、その表情には威圧感はなく、長年連れ添った家族のような和やかな温かさが漂っていた。

 

 彼の近くで過ごし、積み重ねた時間の重みが確かにそこにあった。

 

 ――それでも、彼女の記憶は戻らなかった。

 

「……あなたとここで過ごしても、結局私の記憶は戻らなかった」

 

 少しだけ落ち着いた口調。

 紫色の瞳が、どこか遠くを見つめるように揺れる。

 

 そして、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「でも、もうそんなことどうでもいいじゃない。こうしているだけで、私はすごく幸せなの」

 

 彼女の表情に迷いはなかった。

 

 記憶を失い、自分が何者だったのかも分からないまま、それでも彼女は「今」を選び、生きようとしている。

 

 シードには、その強さが少しだけ眩しく思えた。 

 

「……ううん、あなたのことも、幸せだって言わせてみせる!」

 

 「幸せ」――その言葉は、シードにとってあまりに遠い概念だった。

 それを求めたこともなければ、与えられる資格もないと思っていた。

 

 それなのに、目の前の彼女は当たり前のようにそれを口にする。

 

「ふふ、神様を満足させられる人間になれたら、間違いなく神話に載っちゃうね!」

 

 ラナスオルは彼の上から降り、満足そうに胸を張って立ち上がる。

 彼女の表情は晴れやかで、彼の迷いなどまるで気づいていないようだった。

 

 シードはゆっくりと身体を起こし、彼女の姿を見上げながら静かに口を開く。

 

「記憶が戻らなかったことを『どうでもいい』と言い切るその潔さには、感心するしかない。ですが……君が幸せだと言うのなら、それを否定する理由は僕にはない」

 

 ――否定をしない。それは彼ができる唯一の許容。

 彼はラナスオルの無邪気な笑顔を見つめ、僅かに感情を滲ませた声で続ける。

 

「……『僕を幸せだと言わせる』か。挑戦的な発言ですが、君なら本当にそれを成し遂げる可能性があるのかもしれません」

 

 彼は立ち上がり、少し距離を置いて彼女の方を振り返る。

 

 彼の冷徹な表情は変わらない。

 しかし、銀色の瞳の奥にはほんの僅かに柔らかな光が揺れていた。 

 

「君の言う『幸せ』というものが、どれ程のものか見せてもらいましょう。その先に僕が何を見つけるか……それも、君の手腕にかかっているでしょう」

 

 彼の言葉に頷いたラナスオルは軽くため息を漏らし、肩をすくめながら微笑む。

 

「さあ、あなたの難しいお話はもう終わり。ご飯が冷めちゃう」

 

 ラナスオルは明るく笑い、食卓を指差した。

 

 その笑顔はあまりにも純粋で温かくて――

 

 そして、彼にとって少しだけ残酷だった。

 

 シードは石のテーブルに目を向けた。

 湯気を立てるシーフードドリア。その隣には、彼のために用意されたラナスオルの手作りプリンが待っている。

 

 無言のまま椅子に腰を下ろし、ゆっくりとスプーンを手に取った。

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